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2005 [9th] Japan Media Arts Festival Device Art Symposium "Will Techno Gadgets Become an Art?"

Presentation

by Novmichi Tosa (Maywa Denki)

平成17年度(第9回)文化庁メディア芸術祭

デバイスアートシンポジウム「テクノガジェットはアートになるか?」

プレゼンテーション:土佐信道(明和電機)

2006年3月2日@東京都写真美術館

2.3■土佐信道(明和電機):プレゼンテーション

土佐:土佐信道です。「明和電機」という活動を14年間くらいやってきまして、色々なモノを作ってきたわけですが、それらに共通するのは、全部“道具”を作ってきたと思っています。つまり僕、または、誰か人間が使わないと動かないような実験装置とか、楽器とか、武器とかを作ってきました。

2.3.1●「道具」を作ってきた

一番最初に作ったのは「魚器」シリーズ【図1】

という、魚をモチーフにしたナンセンスな機械です。これらの製品はAからZまで1995年に全部作り終えたので、もうだいぶ前にこの「魚器」シリーズは終了したのですが、そういう機械のシリーズです。これら全部は、誰かが操作して、使わないと意味がないモノたちです。 それから「ツクバ」シリーズ【図2】というのも作っています。これは自作楽器のシリーズで、やっぱり楽器ですので、人間が使って音を出すモノです。こちらは現在も続いていまして、これが最新作で、人口声帯を使って歌を歌う機械で『セーモンズ』【図3】と呼んでいます。

草原:去年はこれを実演していただきましたよね。

土佐:はい。この方とこの方の伴奏をしました。3体で、それぞれ名前がアン、ベティ、クララというのですが、頭文字をとるとA・B・Cになります。いわばメカ・キャンディーズです(笑)。

これらの他に、オモチャも色々と作っていまして、今回も展示していますが、例えばこれは『ジホッチ』【図4】という時計です。時間を知りたい時にはいちいち「117」を回して、NTTの時報を聞くという、非常に回りくどい時計です。

それから、ゼンマイで動くキャラクターの『ノックマン』【図5】というシリーズも作っています。このへんは全部、オモチャとして販売をしています。あとは、クワクボくんと昔作った『Bitman』【図6】というオモチャもありますね。

それで、こういったオモチャを海外で発表した時、よく言われるのが「なんでアーティストがオモチャを作れるんだ?」というふうに彼らはビックリするわけです。オモチャというのは海外では、もっぱら子供の遊ぶものであって、それを大人であり、しかもアーティストが何で作れる? どういう仕組みになっているんだ? ということにビックリされます。

2.3.2●「図面に引けるアート」の“セオリー”とは?

「作っている作品が全部道具である」というのと、あともうひとつの(自分の作品の)特徴はですね、この辺の作品は全部、図面化できる。いわば「図面に引けるアート」なんです。アートといえば、例えば絵画であればタブローといって、一枚だけ描いてそれを流通させるのが一般的なアートなのですが、「明和電機」はそうではなくて、全部図面に引くことによって、作品を複数個作れる→大量生産に繋がる、ということをやってきましたので、だから『ノックマン』とか『ジホッチ』というようなオモチャを作る時も、あまり違和感なく、開発することができたのでしょう。

それで、その「図面化できる」というのは何なのだろう? と考えた時、みなさんよくご存じの「折り鶴」というものがありますよね。僕はよく喩えでこの折り鶴を出すのですが、折り鶴というのは展開してしまうとただの四角い紙です。つまり折り鶴の本質というのは、この形ではなくて、その折り方、いわばセオリーなのです。さらには、そのセオリーを誰が作ったのか、よく分かっていません。たぶん、折り紙の紙が発明された……平安時代でしょうかね? 恐らくは公家の方が、こんなふうに紙で遊んでいて、ある日、折り鶴ができた瞬間に「鶴でおじゃる!」と言って隣の人に見せたと思うんですよ。すると隣の人が「ほぅ、鶴でおじゃる!」と言って、その「おじゃる?おじゃる」が延々と続いて、今に至って、鶴は折り続けられる。そして、それは誰も止めることができないというのが、また凄いことです。決してなくならない。これが僕の考える、一番理想的な芸術というか、モノのあり方だなあと、いつも思います。というわけで、「セオリー」というものが一番気になっているという話です。

2.3.3●『源氏物語』のような展開を図る「エーデルワイス」シリーズ

僕はずっと「明和電機」をやってきたわけですが、今年、「エーデルワイス」というシリーズを「明和電機」から独立させて、今展開しようとしています【図7】

。これは全く新しいシリーズなのですが、その中心にあるのは“物語”です。「女性とは何だろう?」ということを、自分で考えてイメージしたことをストーリーにした物語が、その中心にあります。次にその物語をビジュアル化します。絵コンテのようなものを描いたり、人形を使ったジオラマを作ったり、テキストをビジュアル化したものを色々と作りました。そして最後にオブジェを作ります。

今回はそのイメージを展覧会に出していますが、ストーリーの中に出てくるオブジェを実際に全部作ろうというものです。これは「髪をとくと歌を歌う櫛」なのですが、そんなものも作ってみたいな、と思っています。これは電子ガジェットとして作りたいのですが、それだけにとどまらず、家具とかカトラリーとかアクセサリーとか……この「エーデルワイス」の物語から色々なものを引っ張り出してきて、どんどんオブジェに変えて、物語の全てのテキスト、文字が最後にはオブジェに変わるということをやってみたいな、と思っています。

このストーリー~ビジュアル~オブジェという流れは、実は日本には古くからあって、例えば『源氏物語』ですね。まず『源氏物語』というストーリーがあって、『源氏物語絵巻物』というビジュアルがあって、最後にカルタとか貝袷とか硯箱とか、『源氏物語』を流用したモノができてゆきました。

現在でもその物語を瀬戸内寂聴さんが小説にしたり、あるいは『あさきゆめみし』みたいなマンガも描かれていますから、今も延々と書かれ続けているラブ・ストーリーなのですね。これは『スターウォーズ』も全く同じです。『スターウォーズ』というストーリーがまずあって、最後には色々なオブジェが販売されていたりします。

ですからこの「エーデルワイス」も、色々なオブジェを作っています。時間がありませんので、いくつかの実例を(飛ばして)お見せします。

2.3.4●「アート・オブジェを作る機械」を作ってみたい。

これ[スクリーン]は一昨年に作った『プランター』【図8】という作品なのですが、化粧品のオイルを動かして花びらの形の編み物を作ってみたいな、ということで考えた機械です。最初のイメージとしては、ホワイト・チョコレートで編み物をしてみたいという感じで作り始めました。ホワイト・チョコレートを細い穴から出すと、プシューっと細い糸が出ますので、それをリリアンみたいに制御することで花の編み物が編めないかな、と思ったのですが、その延長線で、今度は和菓子を(機械で)作ってみたいと思いました(作品名『水晶花』【図9】)。今まではあまり思いつかなかったのですが、アート・オブジェを作る機械を作ってみたいと思うようになっていきました。

それで「まずは工場見学だ」ということで、金沢県の和菓子工場に見学に行ったんですね。和菓子なので、さぞや熟練の職人さんたちが無口で黙々と生地を練っているのかと思ったら、これが全然違っていまして、ハイテク工場だった(笑)。まず、入る前に(半導体工場みたいに)エアーで全身のほこりを飛ばしてから中に入らなければならない。基本は熟練の職人さんが、生姜砂糖をおせんべいに塗っているのですが、それがものすごいスピードで塗っていました。ここの作業だけは、どうも機械化できなかったらしい。

工業大学の先生も、なんとかこれを機械化しようと思ったのでしょうが「刷毛で塗るというのは機械化できなかった」と言っていました。この、機械化を断念された先生が「できない」と言った瞬間が、僕の頭の中に浮かんできて、ちょうど映画『タイタニック』で船が沈む時、設計者が最初にこの船が沈むということに気がつくシーン、知ってます? 僕はあそこのシーンで一番泣いてしまうのですが、その船を作ったからこそ、(完全に沈むまで2時間くらいかかるのですが)ぶつかった瞬間にエンジニアの人は分かるんですね。船の図面を見ながら「こうきて……こうきて……こう水が入ると……あ、ダメだ!」と。その瞬間、僕も思わず泣いてしまったのですが(笑)、たぶんこの先生も、色々と頑張ってみたのだけど、やっぱり機械では刷毛で塗れないことに気づいた時、「ダメだ?」と言ったのだろうなぁ、と思いました(笑)。

ただ、その他の行程は色々と機械化できていまして、これは餡子(あんこ)を中に詰めているシーンなのですが、それはこの機械でできちゃうわけです。ピッチング・マシーンみたいなのが回っていまして、生地の中に餡子を詰めるのを高速で練りながらちぎるという……「RHEON」と呼ぶのですかね、この機械は(笑)。これが本当に美しい機械でした。アルミの鋳物でできていて、たぶん20年以上動き続けているそうです。

その他にも、生地を練っている機械とか、ドラ焼きのようなものをパッケージしている機械ですね。これは高速で流れているこのベルト・コンベアに、おばさんが一枚一枚せんべいを置いていくのですが、そのスピードたるや猛烈な早さで、このおばさんがシューティング・ゲームをしたら、どんなことになるだろうかというくらいのスピードでせんべいを置いていきます。さらにそれが、凄いスピードでパッケージ化され、詰められていく。

伝統の和菓子というのは、本当に日本の伝統を背負っているので、さぞや伝統的なところで作られているのだろうと思ったのですが、そうではなくて、ほぼ完璧にオートメーションで作られていました。つまり、日本の伝統や侘びさびのような何とも言えないテイストも、実はセオリー化できるかもしれないということを、これを見て、僕はちょっと思いついてしまったわけです。

2.3.5●日本人は「道具」を使って“道”を極める

最初に戻りますが、日本人は“道具”というものを大切にし、“道具”を使って色々なことをするのが得意な民族だ、と思っています。皆さんご存じのように、華道とか茶道とか書道とか香道とか、日常的に使っている筆や紙や鋏、そういうものを使って、芸術をするのであり、それと同時に「道を知ろう」とするわけです。それがすごく日本人的だな、と思っています。

すごくザックリと言ってしまうと、道具の“道”がアートで、“具”がツールというデバイス……つまり、アートとデバイスをくっつけて道を知ろうとすることが、日本人は昔から得意だったわけです。例えば「三種の神器」ってありますよね、神道では、刀と勾玉と鏡という“道具”が神様になっている。そう考えると、やはり僕も「道具を使って自分の道を知りたい」と思っています。

ちなみに僕の名前は“信道”と言うのですが(笑)……ここへ持ってくるために、今日はずうっと喋っていたのですが、僕なりの「道を知る道具」を、今後も作り続けたいな、と思っています。ありがとうございました。

草原:何か、このセッションの結論みたいなものが早々と出てきたかと思えば、土佐さんの名前の話に行ってしまいましたね。では次に、八谷さん、お願いします。

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