永源寺やその末寺に寄進された近世中期の朝廷所縁の品々は中宮自らが製作した押絵の観音像や写経、母子をかたどった観音図など、非常に柔らかで優美な線に特徴がある。特に押絵は、東福門院と禁裏の女房達が共同で工房の調度品のように丹念に仕上げられたもので、永源寺以外にも何点か確認されている馬郞婦観音像と比較しても完成度は抜きんでていると思われる。また女性達の手で、裂布を貼り合わせていく製作過程は、江戸時代の元祖キルト、パッチワークとも呼べるのではないだろうか?
馬郎婦観音(めろうふかんのん)像(ぞう)について
永源寺に伝えられる馬郎婦観音は後水尾天皇の中宮である東福門院徳川和子(二代将軍徳川秀忠と江の娘)が自ら制作し、頭髪を切って像に植えたと伝える。この像の寄進は、江戸時代のはじめこの寺を再興するために住持となり、後水尾天皇の帰依篤かった一絲文守禅師の法縁によるものである。東福門院が一絲文守の存命中より下賜を約束していたが、一絲の示寂後の明暦三年(1657)如雪文岩が住持の時に寄付された事が、厨子裏に朱書きされた銘によって確認できる。
馬郎婦観音は中国・唐の時代、観世音菩薩が法華経をひろめるため魚を商う美女の姿に化現したという伝説による変化観音の一つ。宋代以降信仰を集めたもので、押絵であらわした本像の小袖のさざえ文が見えるのも、魚商に姿を変えた馬郎婦観音の故事を意識しての事と考えられる。東福門院が寄進した経蔵に安置されていた事から学業成就、魚売りの姿で現れたことから商売繁盛の観音さまと言い伝えられている。
出展予定リスト
1 ) 馬郞婦観音像 2 ) 血書普門品 大通文智(後水尾天皇第一皇女)
3 ) 波上観音菩薩像 妙法院堯然法親王画 4 ) 御所人形 (江戸中期に朝廷より寄贈)
参考資料のパネル展示 1)抱子観音 照山元揺 (後水尾天皇 第八皇女)日野 西明寺所蔵
2)女郎婦観音 伝東福門院作 彦根 延寿寺所蔵