発見された直滋の甲冑
彦根藩井伊家二代直(なお)孝(たか)の長男である直(なお)滋(しげ)(1612~1661)は、井伊家を継ぐ世子(せいし)として務めを果たしていたが、万治元年(1658)突如遁世し、以後政治には関わらず百済寺(東近江市)で生涯を閉じた。
今年の4月に、永源寺において直滋のものと考えられる甲冑が1領発見された。そこで彦根城博物館の学芸員の方に調査を依頼し、甲冑その物の形状や永源寺文書などの史料から、具足の一部が破損するなど状態は良くないものの、彦根城博物館所蔵の藩主や世子の甲冑と比較しても遜色のない甲冑である事が確認された。直滋所用と伝える甲冑は、これまで彦根城博物館所蔵の初(はつ)召(めし)とされる子ども用のものと、兜の正面に角のような装飾を立てた甲冑の2領が確認されているが、今回これに永源寺の1領が加わったことで、直滋所用とされる甲冑は3領となった。
応仁の乱以降荒廃した永源寺が、江戸時代に入り本格的な復興をしていく中で、後水尾上皇や朝廷の要請から、井伊直孝公以後、彦根藩による積極的な支援が行なわれた。晩年廃嫡され彦根と絶縁した直滋公の葬儀も、永源寺の如雪和尚の導師で行われた事が、『井伊年譜』などで確認できる。彦根藩主の中では、永源寺に唯一墓所を建立した4代藩主 井伊直興公の帰依が有名であるが、この甲冑が永源寺に喜捨されたのも、直興公の藩主在任中の元禄五年(1692)、直滋公三十三回忌の法要にあわせて行われたようである。
今回、観楓期間特別公開として、新出の彦根藩井伊家由来の甲冑を永源寺で特別展示致します。
普段お寺では展示する事のない貴重な永源寺の文化財ですので、この機会に是非紅葉見物をかね、
永源寺にご参拝下さい。*11月 3日から30日まではライトアップ(夜8時30分まで)も行っております。