2008年 Otono e

アトリ絵へ、ようこそのお運び厚く御礼申し上げます。

斬新にして品格あるピアノ・パフォーマンス

演奏者はそれぞれに、職業・年齢・住む都道府県・ピアノ歴などが全く異なる上、ピアノとの関わり方も様々だ。一つだけ共通するものがあるとすれば、それは強烈なインパクトだ。そんな彼らが今日集結するというから、これは正に事件である。一致団結できるかどうか些か不安だが、情熱とこだわりで盛り上げたい意気込みだ。ソロの他に1台4手、2台4手、2台6手、2台8手、リレー演奏など、ピアノの可能性をフルに生かしたセッションを観ることができ、これもミュージック・パフォーマンスの魅力の一つだ。

「絵」をテーマに

もしも、レオナルド・ダ・ヴィンチが「今」に生きる人物だったら…と考え始めたのは一年半も前のことだ。アトリエ(ホールを指す)を訪れた観客の多くが最初に目にするのは、おそらく‘現代版ダ・ヴィンチの肖像画’に違いない…などと勝手に想像を膨らませながら、そこから様々なジャンルの‘音の絵’を鑑賞できるように作り込んでいった。絵と音楽の絡みは演奏者に託した。必ずしも絵と関連のある音楽作品を選曲しているとは限らない。むしろその手段を選んだ者は少なく、そこは演奏者の成せる業である。各演奏者は個々のステージに明晰なコンセプトを持っており、そこから生まれた印象的な‘表題’が各プログラムの扉となって、演奏へ導いてくれる。イベントの最後を飾るのは、あのダ・ヴィンチの傑作「最後の晩餐」だ。トッテオキの極み成るか…。

その音の主だからこそ

ミュージック・パフォーマンスは、音の主のプロフィールを公表しない。一般社会では生演奏に加え、プログラムに掲載された肩書きに対する期待も手伝って鑑賞されるのが常である。しかしこれは、いつの間にか常識と化した不思議な習慣なのかもしれない。奏でられし音には、その音の主の人間性や生き様が自然に映し出されるから、あえて公表する必要はないと考える。「今」という音楽的時間感覚にこだわるが故の形なのだ。

何はともあれ

ご来場いただいた皆様にときめいていただけるような誠実で夢のあるステージにしたい。「今」は切にそう願っている。

アトリ絵管理人/加藤麗子