2002年 時の幻燈

特別公演

パフォーマンスアート 時の幻燈

2002年7月14日(日曜日) 下北沢タウンホール (東京・世田谷)

三人囃し

加藤麗子・Piano

岡本美緒里・Piano

野口奈美・Dance

道化の心に舞い降りた

月の夢をのぞいたら......

時は今。

時は去る。

時は生まれる。

~物語とエピソード~

‘こだわり’はホール探しから始まった。下北沢タウンホールの舞台は、‘穴’を連想させる形状(観客席から舞台を見下ろす劇場)なので、観客とパフォーマーとの距離を感じさせない。また、床が艶のある黒色なので、圧迫感のある黒いピアノの存在が堅苦しくなく自然な感じに見える。ここは、絵画的で演劇的な‘時の幻燈’の舞台に最も相応しいホールなのだ。

‘三人囃し’は三者三様、強烈で大迫力のメンバーだ。実はこの公演の先駆けとなったステージがある。2000年11月18日、秩父ミューズパーク音楽堂で行われた「光と影の変奏曲」だ。ダンサー野口奈美氏が主宰したこのステージは、第1幕「ボレロ」、第2幕「カルメン」という二つの物語で構成されていた。「ボレロ」では心の奥に潜む光と影を、「カルメン」では男と女が織り成す光と影を、相対するそれぞれの思いが互いに絡み合いながら、熱いラテンの音楽とともに展開された。我々が参加した「ボレロ」ではラヴェル作曲のピアノ作品ばかりを集め、加藤が‘フランス人形’、岡本氏が‘黒い女王’に扮してピアノを弾いた。野口氏扮するピエロは‘天の邪鬼’となって様々な心の変化を表現した。このステージは、700人余りの観客を動員したようだし、意外性のあるコラボレーションに確かな手ごたえを感じた。そして、いつか東京でもやりたいという願いが、2年後の‘時の幻燈’という姿で実現したのだ。

さて、‘時の幻燈’はピアノだけを演奏するわけではないから、当日はいつもながら照明、音響、振付、衣装のチェックなどやることが多く、時間との戦いである。あっという間に時間が経ち、気がつくと開場時間になっていた。そして、開場直前の誰もいない舞台に、ピエロのひとりが立ち、もうひとりは座った。BGMの「グレゴリオ聖歌」が厳かに流れだし、いよいよ開場(客入り)である。観客が入場した時点から既に‘時の幻燈’が始まっている、という仕掛けだ。ピエロをじ~っと見つめながら「人形かなぁ」「ぜったい人間だよ.....」と興味津々だった観客たちは、きっとまだ観ぬメインディッシュにわくわくしながら、前菜をた~っぷりと楽しんでくれただろう。二人のピエロは40分もの間、ピクリともしなかったというから本当に素晴らしい。かなりの立ち見客が出るほどの熱気の中、メインステージ‘月が見たもの’へ突入した。座れなかった方々は階段など好きな場所に座ったりして、ラフな形で観てくれた。

月が見たもの

我々が知り得ない 静止した空間的時間を描く。

真夜中の十二時 時計の鐘が鳴り響き 時間が止まる。

あっ 月が道化の心に舞い降りた。

目を覚ました道化は フランス人形に命を吹きかける。

シャンデリアの光が絢爛と輝く ワルツの幻想世界。

色彩豊かな演劇的演出によって

道化の心の変化を描く。

月はどんな夢を見たんだろう。。。

動画再生

(ホームビデオで後部座席から撮影のため見づらくなっております。)

衣装はもちろん全員手作りだ。私の場合はシャガールの絵画をイメージしながら工作(洋裁はできません!)を楽しんだ。いつも衣装作りにはかなりの時間を費やすが、衣装を作り込んでいく内に、不思議と演奏上のイメージトレーニングもできてしまうからワクワクする作業だ。‘月が見たもの’は自然にインスピレーションが湧いてくる作品だった。

転生

現在~過去~未来と場面を変え

時の流れそのものに焦点を当てる。

「現在」 日本の社会をリアルに そしてユニークに描く。

早朝 公園のベンチに寝そべるホームレスと 仕事帰りに新聞を読む女

大都会の電車通勤ラッシュ

忙しい会社の上司と部下

何と!メシアンの作品がコミカルなタッチへと変貌をとげ

ダンサー二人とピアニストが絡む。

「過去」 実際の歴史的映像をスクリーンに映写

その映像にダンサー達も加わる。

坂本龍一の音楽の刻みが 時間の経過を感じさせるのに対し

そこにコラージュされる作品群は その時代の背景を具体化する。

そして

タイムスリップした世界は 真っ白な「未来」

サティの透明な音楽が

ゆっくりと浮遊する。

さて、本番というのは一発勝負、消しゴムで消してやり直すことなどできっこない。事件はつきモノである。事件簿その1、映像 I‘月が見たもの’が幕を閉じ休憩タイムに入ると、手を負傷したダンスの野口氏が「血が止まらない」と焦っていた。聞けば、ハート型の白い風船をペーパーナイフで割る際に、つい勢い余って自分の手を刺してしまったという。ご本人「一発で割りたかったんだよね~」と爽やかに流す。事件簿その2、映像 II‘転生’の本番中に何と!照明アーチストが誤って照明を消してしまった。ちょうどメシアンの演奏が終わりに差し掛かった時だった。それからは手元真っ暗。。。スクリーン映像のかすかな明かりも手元までは照らしてくれない。およそ10分間、生きた心地のしない長~い時間、第六感まで使っていたような気がする。ピアニスト二人のテレパシーがピシパシと行き交う中、脈も音も乱れずに弾ききった。終演後、照明さんから「あんた達、スッゴイね~!さすがプロだねぇ」とお褒めいただいた。..................正に、ライヴとはこういうモノだ。

音源はこちら⇒http://www.prox.jpn.org/~piano/cyber/cyber.cgi?type=TABLE&ID=RAID355&COMPOSER=all&PLAYER=all

感動的な場面にも遭遇した。映像 II‘転生’の現在から過去へタイムスリップするシーンの体験話だ。観客の脳裏にも焼きつくほど幻想的に映ったこのシーンは、グランドピアノとピアニスト二人が白くて大きな布にすっぽりと包まれたまま、演奏がなされていた。この特別な空間で‘ミニマルなライヒの音楽’を演奏していると、「まるで胎内にいるようだ、胎児ってこんな感じなのかなぁ」と想像してしまう。大きな白い布はスクリーンの役割も果たして、映像が映し出されていた。それまで、‘白’は心を神聖な世界へ導いてくれる色だろうと漠然と思い描いていたが、実際にその感覚を体験することができた。この‘不思議なオーラ’、私は一生忘れない。

~使用楽曲~

映像 I

◎ラヴェル作曲 「ラ・ヴァルス」

◎ラヴェル作曲 「亡き王女のためのパヴァーヌ」

◎ラヴェル作曲/加藤麗子編曲 「ボレロ」

映像 II

<現在シーン>

◎メシアン作曲 「鳥のカタログより ダイシャクシギ」

<現在から過去へタイムスリップシーン>

◎ライヒ作曲 /加藤麗子編曲

<過去シーン(スクリーン映像付き)>

◎坂本龍一作曲/加藤麗子編曲 「1919」

この作品にコラージュさせた曲↓

ショパン作曲 「ピアノソナタ第2番より 葬送行進曲」

バッハ作曲 「平均律 I 巻より プレリュード

変ホ短調、ハ長調、ハ短調」

<未来シーン>

◎サティ作曲 「ジムノペディ」

~プロジェクト・チーム~

ピアノ:ベーゼンドルファー使用