1999~2006年 公演記録

2002年7月14日(日)

下北沢タウンホール (東京・世田谷)

特別公演

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第7回公演

2006年4月5日(木)

大泉学園ゆめりあホール

プログラムは第1幕 「春は曙」、第2幕 「夏の夜」、第3幕 「芸術の秋」、第4幕 「冬のソナタ」、第5幕 「風雅の舞」で構成され、演奏者は自分のステージキャラに合った季節に属して構想を練り、選曲して取り組んだ。平日に開催(ホール抽選会のくじ運が左右)したので、残念ながら集客にかなり影響が出てしまった 。例年のような立ち見が出るほどのアノ熱気はなく、ライブ感溢れるミュージック・パフォーマンスらしさは何処へ…?という印象。「観客あっての演奏会」とは良く言ったものだ。コンセプトは充実し、出演者達の懸命な取り組みのお陰で舞台の質は非常に高く、聴き応え(見応え)は充分にあったものの、なぜか不完全燃焼…恙無く終演した感じだ。演奏会の成功は、正に集客率に比例するということなのだ!演奏者一人ひとりの集客に対する意識の薄さにも問題があったようだ。次回は必ずリベンジしたい。


第4幕「冬のソナタ」より、ローゼンブラット作曲「クリスマス・ファンタジー」の1シーン

第6回公演

2005年7月24日(日)

大泉学園ゆめりあホール

我々が「ダブル・ピアノ・デュオ(於:浜離宮朝日ホール)」を主催した、記念すべきローゼンブラットの年だ。それは超感動の渦に包まれながら幕を閉じた前代未聞の巨大なコンサートだったが、その興奮がまだ覚めやらぬ内に第二弾をやってしまおうと、「ダブル・ピアノ・デュオ」のプロデューサー・加藤麗子の呼びかけで、野口杏梨、村本江里子、サイケデリック座の植松洋史を含む16人の最強メンバーが集結し、ライヴを行った。CLASSICにしてROCKなコンサートだっただけに、立ち見客が出てしまったことは嬉しい悲鳴である。

プログラムには、ローゼンブラットの作品が8曲も盛り込まれたほか、ショパン、リスト、ラフマニノフ、ドビュッシー、ヤナーチェク、ガーシュイン、カプースチン、ミシェル・カミロなどの作品も演奏された。女性二人によるマリンバとピアノのセッションも絶好調。純クラシックからモダンまで、よくぞここまでク ロスオーバーなプログラムで彩られたものだ。これもひとえに、畑違いの異才が集結してくれたお陰だ。

コンサートのクライマックスは、有志12人によるリレーパフォーマンス「ローゼンブラット作曲/2つのロシアの主題によるコンチェルティーノ」。この曲は、ピアノ1台を2人でパフォーマンスする為に作曲された曲である。しかしこの日はピアノがせっかく2台あるのだから、12人の有志がソロ、1台4手、2台4手、2台6手、2台8手と変化しながら、みんなでこの1曲をスリルとノリとチームワーク で弾ききってしまおう、と考えた。このアイディアが功を奏して遊び心たっぷりのショータイムとなり、場内から笑いと圧巻の渦が湧き上がってトコトン楽しむことができた。予想以上の手応えに感無量!観客も出演者も共に燃え尽きてくれて本当~に良かった。皆さんのお陰で山のような収穫を得ることができ、またローゼンブラットの作品群 が無限の可能性を秘めていることを再確信することができた。将来これ以上のコンサートができるだろうか。。。 動画はこちら

第5回公演

2004年5月30日(日)

大泉学園ゆめりあホール

動く絵画を見ているような、そう、正にパフォーマンスアート(身体を媒体にした芸術表現)の舞台だった。28組の実力派がそれぞれ選曲にこだわり、響きや表現に命をかけ(ちょっと大げさかナ?)、お金をかけないでこだわりの衣装を身にまとい、舞台美術を制作し、舞台照明を使って幻想的な空間をつくり出し、イメ ージトレーニングや身のこなしを研究した。そして何よりも、聴きに来てくださった観客のために演奏することが出来た!

ここで少々脱線して、演奏会は「誰のため」に行われるべきかについて考えてみたい。実は、意外にも多くの演奏家が、「自分のため」に演奏(表現)している。特にこの傾向は、幼少期から音楽の英才教育を受けてきたクラシック畑の人々によく見られる。専門的に学べば学ぶほど、逆に視野が狭くなっていくかのようだ(この 表現が正しいか分らないが、私の知る限りではそうである。)。専門的に学んだ演奏家の多くは、自分の演奏会に於いて観客にも専門的な耳を要求し、専門的な評価を求め、無意識のうちに観客と演奏家の間に壁を作っていく。有料コンサートでありながら、「演奏家のため」の研究発表会的な空気が漂っていて、会場は専門的な耳 を持つ人々の居場所となる。だから敷居が高いのだ。ポピュラー音楽のコンサートと大きく異なるところは、正にこの点ではないだろうか。

「演奏家のため」に開かれる催しとして思い当たるのが、ピアノリサイタルである。演奏曲目には、主役の研究対象となる作品が多く取り上げられることが多い。会場で配布されるプログラムには、楽曲分析などの専門的な解説文と、主役の輝かしい経歴のオンパレード。その経歴欄を読んだ観客は、それを頼りに生演奏を聴くこ とになる。終演後、専門的な耳を持つ友人知人は、「お疲れ様です、良かったよ。」と主役に当たり障りのない適当な言葉をかけるのも常である。一方主役は、来場した音楽評論家の批評を自分の評価として誇りにする。こうした慣習に対して、クラシック業界が少々麻痺していると感じるのは私だけだろうか。もちろんこの話は、 小澤征爾氏、坂本龍一氏、内田光子氏などのようなexcellentな音楽家に当てはまるものではない。

演奏者の人間性が公にさらされる演奏会で、観客は舞台から聴こえる『音』と共に、目の前にいる演奏者の『人物像』にも触れているということを忘れてはならない。人間は情報収集の約80%を視覚に依存しているということからも肯ける。したがって、演奏会で立派な経歴を過剰に書き並べる必要はないし、音だけで勝負できる 現場でもないだろう。この第5回公演では、絵画・文学・映画・オーケストラなどの分野からインスピレーションを受けて、創造的思考を働かせた上で制作された。しかし、決して奇をてらった安物になることはなく、出演者それぞれが一表現者として、芸術と、そして観客と、真摯に向き合うことができたし、演奏者の美意識と品 格が表れていた。観客も出演者も純粋に音楽を楽んでいたことが、何よりも気持ち良かった。なお、私達の舞台演出(照明、美術、衣装、音響)はあくまでも装飾であり、演奏会に必ずしも必要な要素ではない。演奏者自身に、表現意欲と人生経験と遊び心があれば、それで充分だと考えている。なぜならば、演奏する『人物』こそ が『見る音楽』だから!

(追伸)

個人的な話になるが、私はもともと子供の頃から人を喜ばせることが好きだった。冗談や物真似などで人を楽しませることに長けていた(お笑い芸人ほどではないが…)。幸いにしてその性質(私の強みだと思う)が自然に舞台演出でも活かされているだけであり、私自身が「観客のために」ということを強く意識してプロデュー スしたことは、実は一度もなかった。音楽に限らず勉強でもスポーツでもそうだが、「誰かのために」って思いながら取り組むことは必要かもしれない。(差替2009.11)

フランスのバレエ音楽風な演出によって、ドビュッシー作曲「小組曲」を演奏。

このデュオは、第28回ピティナ・ピアノコンペティションのデュオ特級Ⅰ部門において、

全国決勝大会へ出場した実力派である。

舞台美術のオブジェ「鳥の顔をした怪人」は、女子中学生の作品。

第4回公演

2003年1月19日(日)

大泉学園ゆめりあホール

2台ピアノに初挑戦したコンサートだったので、ここでは2台ピアノについて記述することにしよう。2台ピアノという形は、練習場所の確保が難しく、少なくとも私のような庶民にとっては「非現実的なジャンル」だったし、今後もそうだろう。二人がそれぞれにピアノを1台しか所有していない場合、2台のピアノでセッションしたい時はスタジオを借りなければならない。何と贅沢なジャンルなのだろう…。都内 で2台ピアノを所有するスタジオは数少なく、お目当てのスタジオは常時混んでいて空き状況も悪い。レンタル料は高価で経済的ではない。実際の演奏自体もやっかいである。連弾と違って奏者同士の距離が遠いため、異体同心の境地になることが非常に難しく、さらに会場の環境によっては響きのバランスをはかり難い時もあったりする。

しかし、2台ピアノで見事に演奏できた時は、たちまちその迫力と豪華な音世界の虜になってしまう。2台ピアノの方が連弾よりも人気があるのも納得がいく。2台4手と連弾(1台4手)は全く別物だが、今回はそれぞれの面白さや大変さがよく分った。しかし、日本では両者をひっくるめて「デュオ」と言い、 大手のコンクールでも同一ジャンルの扱いで審査を行うケースがある。何かがおかしい…。二人で演奏するという共通点はあるものの、ジャンルは全く違うはずである。日本はまだまだ「デュオ後進国」ということなのだろう。

本公演で演奏された2台ピアノのプログラムは、ガーシュイン作曲の「キューバ序曲」と「アイ・ガット・リズム変奏曲」、ストラビンスキー作曲の「春の祭典より、大地礼賛」の3曲だ。「キューバ序曲(演奏/加藤麗子&岡本美緒里)」は、ラテン系の楽器を鳴らしながらノリの良いテンポで楽しく演奏した。「アイ・ ガット・リズム(演奏/野口杏梨&H氏)」は、コンクール歴のある 実力派デュオが、日本人離れした洒落た音色とリズム感で観客を魅了した。「春の祭典(演奏/加藤&Y氏)」は、内部奏法を取り入れて、オーケストラの色んな楽器の音色を忠実に再現した。書道で使う文鎮、定規、米を入れた袋、公園の砂を入れた袋、フエルトで包んだ分厚い辞書など 色々な小道具をピアノ線にのせた音色実験で、‘大地の声’を生み出そうと試みたのが功を奏して、かなり独創的な趣きに仕上がったのではないだろうか。

2台ピアノのほかに、ソロ、連弾、ハンドベルの演奏も盛り沢山あり、ミュージック・パフォーマンスとしては過去最大規模のコンサートになった。今回初めて使用した大泉学園ゆめりあホール(東京・練馬区)は、ピアノの音もホールの響きもとても素晴らしく、良いホールとの出合いにも感謝したい。皆さんお疲れ様でした。

第3回公演

2001年9月9日(日)

保谷こもれびホール

第1幕、第2幕合わせて23組のピアノパフォーマンスが行われ、前年度より更にレベルが高く、聴き応えのある演奏ばかりだった。有志によるハンドベル合奏の曲目は、山田耕筰作曲「赤とんぼ」、シューベルト作曲「野ばら」、映画「昼下がりの情事」の名曲「魅惑のワルツ」。

第3幕では第2回公演に引き続き、ダンサー・野口奈美氏と加藤&岡本のピアノによるコラボレーション「越境者その時代」を上演した。 この演目で、私(加藤)はプロコフィエフの戦争ソナタ第7番の一部分を弾いたのだが、暴走し、崩壊…まるでX-JAPANがピアノを破壊してるようになってしまった。方向性としては合っていたけれど、ホントに音を破壊してはだめだった。。。(注:楽器本体を物理的に破壊したわけではありません。)

第2回公演

2000年9月10日(日)

保谷こもれびホール

ピアノのほかに、ハンドベルの合奏にも初挑戦したコンサート。ハンドベルは岡本氏が購入し、楽譜は私達二人でアレンジした。曲目は岡野貞一作曲「ふる里」、モーツァルト作曲「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、映画「サウンド・オブ・ミュージック」のドレミの歌」。全員が集合して練習できたのは本番当日を 含めて3回だけだったので、少ない時間でハンドベルの奏法をマスターするのは難しかったが、ピアノという孤独な楽器を扱う者にとって、複数と交わってハーモニーを重ねていくことは、とても新鮮だったようだ。ピアノ演奏は20組あり、たいへん充実していた。

第3幕では、ジャズダンサー・野口奈美氏とその仲間達を招き、加藤&岡本のピアノとダンスのコラボレーションを行った。衣装を自分達で作り、舞台美術にも目を向けることができ、今まで経験したことのない貴重な体験をすることができた。中核の三人(野口奈美、加藤麗子、岡本美緒里)で意見を出し合いながらも、 舞台演出に詳しい野口氏が総指揮をとり、未知なる世界へと導いてくれた。野口氏との出会い、そして彼女の情熱に心から感謝したい。この公演が、未来のまだ見ぬ『時の幻燈』へと繋がって行くことになろうとは…。人生何があるか本当に分らない。

(追記)

私は洋裁が全くできないので、この公演の衣装は図画工作風に作っていた。糸はほとんど使用せず、ホッチキスで布を留めながらボリューム感を出していき、幻想的で舞台栄えするピンクのドレスを完成させた。後に出場したコンクールの全国決勝大会や『時の幻燈』などの正式な場でも着ており、評判は大変良かった。ただ、洗濯できないのが唯一の弱点である。このドレスは今でも健在。まだまだ着れそうだ♪(差替2009.11)

第1回公演

1999年9月5日(日)

保谷こもれびホール

1999年は、加藤麗子と岡本美緒里がピアノデュオ『ミュージック・パフォーマンス・デュオ(MPD)』を結成し、パフォーマンス(=身体を媒介とした芸術表現)の真髄を究めたいと意識し始めた年でした。

第1幕と第2幕では、ピアノソロとデュオ(連弾)の18組が出演しました。中には自作自演がいたり、スピーカーから音楽を流しながら演奏した人(この彼女は後に音高・音大へ進み、現在芸能界で声優&歌手として活躍中)もいて面白かった。第3幕は私達のピアノとダンスのコラボレーションでしたが、実はダンスとコラ ボするのはこれが初めて。メインダンサー1人、サブパフォーマー4人、ピアニスト2人が全員白いお面をつけて、モノトーンの照明と黒くて細長い背付き椅子だけを使ったシンプルなセットでパフォーマンスをしました。メインダンサーは、身体表現するために脱サラしてダンサーになってしまった友人の後藤太志君(写真)でした 。坂本龍一作曲「戦場のメリークリスマス」とサティ作曲「ジムノペディ」のピアノのメロディに寄り添うように、美しく舞ってくれました。ありがとう!

この舞台をきっかけに私達(加藤×岡本)は奮い立ち、人生の転機を迎えました。「ピアニストがピアノ椅子に座ったままではもったいない。」「絵のような美しい舞台にしよう。」「我々のとりえである巨大なエネルギーで爆演しよう。」「音楽は楽しくなきゃ意味がない。」などと、二人が同時に同じことを考えるようになっ ていました。西洋クラシックの伝統を否定したかったのではなく、互いに自分らしさを求めていたのでしょう。加藤(ロシア系)&岡本(インド系)は、「今」演奏したいと思っている曲も音楽以外の物事の考え方もほぼ一致していて、更に演奏のバランスも呼吸も良く合っていました。 お互いの性格は全くもって正反対でしたが、大学時代からの悪友であり、藝大遺伝子を受け継いだ同士ゆえに、上野の森の妖気で互いを惹きつけ合っていました。

ここで類似する話を書かなければなりません。この公演から約5年後の2004年12月、私(加藤)はロシアへ渡りました。ローゼンブラットというアーチストとコンサートの打ち合わせをする為でした。その際、彼にインタビューを行いましたが、彼は自身のピアノデュオについて次のような興味深い話を語ってくれました。

「二人とも同じ世界観と時間感覚、そして同じ物事の受けとめ方ができなければ良いデュオにはなりません。私達の間にはそれがあります。また日常生活にも表れています。物事を一緒に同じような反応で同じ言葉で評価します。」と…。

偶然か必然的な巡り合わせなのかは分りませんが、私達のデュオ(MPD)が、ローゼンブラット氏のデュオ(偶然にもこちらもMPD)と正に同じであると知り、言葉では言い尽くせないほど驚きました。

あれから更に5年経った今(2009年)も、この取材エピソードを思い出すとやっぱりドキドキしてしまうのです。私達が、遠く離れたローゼンブラットの作品「2つのロシアの主題によるコンチェルティーノ」と出合うことができたのは、きっと1999年から膨張し続けた私達ふたりの活動エネルギーが、巨大な‘引力’となって引き寄せてしまったからで、それによってローゼンブラット氏と巡り逢うことになってしまったのだと、やっと理解することができました…いや、そうとしか思えないのです。

話をもとに戻しましょう。加藤×岡本の奏でる連弾(=1台のピアノを二人で演奏する形)は、演奏を簡略化するための妥協音楽ではありませんでした。『ピアノ1台で、二人いるからこそ可能な芸術』を純粋に追求し続けた結晶です。今思えば、その意識がいつの間にか、ピアノという楽器の可能性をどんどん膨らませていった のかもしれません。私達のこのような方向性に賛同してどこからともなく集結するミュージック・パフォーマンスの出演者は、ピアノソロやアンサンブルなど様々なスタイルによって『自分らしさ』を表現し、トッテオキの舞台を作っています。ミュージック・パフォーマンス・コンサートへ参加を希望される方や、ご興味のある方はご連絡ください。(差替2009.11)