滑稽富士詣

作者の仮名垣魯文(1829-1894)は幕末から明治に

かけての代表的な戯作者のひとりで、この滑稽富士詣は万延元年(1860年)に刊行され、魯文の出世作となった。 魯文は江戸京橋の魚屋に生まれたが長じて花笠

文京に戯作を学ぶ。 明治7年には横浜毎日新聞の記者となり、翌年には自ら編集長として仮名読新聞を主催している。 号は鈍亭、猫々道人など

この滑稽富士詣は江戸庶民の富士登山の行程をおもしろおかしく綴ったもので、弥治喜多の東海道中

膝栗毛と同じ系統だが、異なるのは話題毎に主役が次々と変わってゆく事である。

滑稽富士詣第三編叙

戯作の上を家作に譬喩(たとえ)バ趣向ハ土台の礎にて、筋書ハ水

盛なり、時代と地理の木口を選ミ、先発端の釿打して脚色(しくみ)の柱

を建前に画工傭書の手間を入、彫摺製本(ほりすりしたて)の造作も首尾能

出来ハ吉日を見合、貸店の貸本屋に間口何巻奥行数編の題

号(びら)を出して看官(みるひと)を招かバ見料店賃の利益に本家も潤ひ

なん、爰に左を達者に削るかんな垣魯文なる者、食にハ足ぬ

抄録の飯篭荷負(めしかごかつぎ)の童なり、近頃諸家の注文を請負と

迄叩きあげ、一場\/の滑稽物、長屋普請の長編を此度

一手に請取て、釘抜の抜さしならバ、鋸の歯の挽もきらぬ

火急(いそぎ)仕事に逼立(せりたて)られ、早土居残り工手間(くでま)を重ね、既に三棟

の三編迄建つゝけたる骨折に、木取の手際も全く見ゆれバ

取立甲斐も有丈の智恵を揮て仕揚よと、勧る余(おの)が老婆心

庇(ひさし)を貸て母屋までとらする分量(つもり)の矩規(さしがね)を当て作者の

棟梁となさバ、心も墨壷のその糸口を絵図板の端に

ちょつくり誌すのミ(鑿)

万延元庚申仲夏 梅素亭玄魚記

p2

土中胎内潜図

当山の裾野にあり、あなの中、はなはだ狭く

その石の色形、さながら胞衣(えな)の如し

実に天然の奇巧、人の目をおどろかしむ

こゝにハ概略を模写して有信の輩に示すのみ *思慮分別有る人

和訓栞二十六

甲州上吉田村大鳥居より山頂まで三百五十七町十七間云々 *38.6km

世事百談三

駿河の吉原宿より富士山の頂迄二百十六町二分十六中略里数に *一町=108m

すれバ六里○○六○となれり、山の高さハ三十

五町六分二一六三云々

○ 吉田口登山門より入て仙元の社あり、是より馬がへし

迄三里すぐ原小室仙元釜石は対し二合目より天地

界と云、常ハ是より女人禁制也

P3

小ぞう

「ヲヤ田の奴がきていると

おもつたらしんぞうのおきゃくだ

ばんとうさんがうかれてやすくうるだらう

ハイおちゃをめしあがりまし

ばんとう

「ヘイ\/まいどありがたふござります、イヤモウ

さくしゃめがなまけましたゆえ、大きに三べんが

おそふなりましたが、あとハつゝいてしゆつはんいたし升

むす

「このあひだから、ふじまうでのあとをまいにちきゝに

よこしたが、ようくの思ひで三へんを見るヨ、そしてけふ

うりだしたばかりなら、いたおろしとやらだねへ、ヲヽ

うれしいヨ ホホホ

下女

「ひざくりげやかねのわらじハ、モウ古風になりましたせへか

このふじまうでのはうがおもしらふござい升ハ

和訓栞:江戸時代後期の国語辞典 93巻

世事百談: 1844年(天保14)出版山崎美成随筆4巻

ひざくりげ: 東海道中膝栗毛

かねのわらじ:金草鞋

何れも十返舎一九による旅物語の滑稽本

富士山 石川丈山

仙客 来り遊ぶ 雲外の嶺(イタダキ)神竜 棲み老ゆ 洞中の淵雪は紈素(ガンソ)の如く煙は柄の如し白扇 倒(サカ)しまに懸る東海の天

百人一首 山部赤人

田子の浦にうち出でてみれば

白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ

順朝臣: 源順(911-983)平安中期 の歌人、学者

忠常:平忠常(975-1031) 平安中期の 関東の豪族、朝廷に謀反を起す

滑稽富士詣三編上之巻

日本坊 仮名垣魯文戯編

白扇さかしまにかける東海の天とハ富士に登りて我朝の鼻の高きをよろこぶ賦にして

人とハヽ、如何かたらんと詠ぜしハ詞に及ハぬ眺めを称せし琉球の王子が道の記なり、赤人が

白妙ハ歌道の黒人(くろうと)と世に称せられ、順朝臣の物語ハ不死の山擬名をとゝむ、頼朝公

ハ牧狩して山鯨の舗(ミチ)をふやし、曽我兄弟ハ狩家にしのびて十番切の振をつけ、常陸坊ハ仙

家に栖ミて丁稚となりて年季をつとむ、忠常ハ人穴の夜這に名高く、役の行者ハ木履にて

あゆミ、上宮太子ハ駒下駄にてはしり、空海・円珍ハ内職の石仏を鐫す、徐福秦帝をだまして

こゝにおのれが遊山を為す、名勝名産ハいひもつきねど一夜甘酒にふじ山の名を負せ、化粧

おしろい・水薬・茶店・茶づけや看板のれんにその名をかりてなりハふもの、幾万軒といふを

しらず、顔しろたへの新造もおふじとよべバ、三国一のお山と人に愛せられ、鹿のこまだらに

山出女のけはひのはげしぞ、いとおかし、かゝる名高き霊山のいはれ、縁年庚申の年に会しも

もつけのさひはひ、共にのぼれやくとホニホロ目がねの唐人めかしてささめききそふ同者の

ひとびと御師のかたより金剛杖・行衣わらじをうけ取て荷物を背負合力の案内に付て

吉田を出はづれ仙元の宮に詣んと境内にいらんとするに、あまたの子とも集りいて

p4

往来にこやしをぬりたる縄を張りてあゆミをとどめ、一同こえをふり立、「おん同者\/、お江戸

の同者おんどうしゃ、金持銭持、せんき持、黄金の花のちるやうに、しら鷺なんぞのまいづる

やうに百の銭の口を解いてばらりや、はつとおまきやれナ、同「エヽ喧しい餓鬼めらだ、跡から

くる同者にもらへ、ねへといつたら通せ\/、子「おまきやれ\/おまきやれナ、まかなか縄

おつこする、ト同者のからだへ彼縄をすりつけんとするほどに、同「アヽ待てくれ、その屎だらけの

縄をつけられちゃア大へんだ、亀公はした銭が有ならやつてくれ「おめへ昨日からはした銭\/

とよつぽど俺にださしているぜ、けふハだしてもよからうぜ、「はしたがねへからヨ、「なんの使ハ

なけりやアいつ迄もはしたにやアなりやアしねへ、早くだしてやらつせへ、同「エヽけちなやらう

だぜ、しかたがねへト百の鐚銭をすこしぬきとり、むかふのかたへばらりまけバ、子ども等ハ

あハてゝむかふへ欠行バ、此間に同者もさつさと逃だし、大鳥居をくぐりぬけ、ミな一同に参

けいなす、斯て男女の同行ハたどり\/て、行足の三里の灸のきゝめハ早く第一合目

馬返しの大日でらへ着くほどに、御師よりぢさんの切手をいだし取次のものにめい\/わた

せバ、やがておくより僧俗二人本堂のあがり口に立出て、同者にむかひ「サア\/ミなさんおか

けなさい、高麻原太夫殿の御講中衆めいく御判をおし升かね、「どうかわつちのをお頼

申やすト、行衣をぬいでさしだせバ、和尚ハとつて大きな御はんを行衣へおして同者にむかい

和「モシ御判ハ一ツでよろしいかね、なんならモ一ツおしてしんぜう、同「それじゃア賑やかに

モウ二ツばかりおしておくんなせへやし、和「ハアさやうかねト叉二ツへつたりおしてさしいだし

「ごはん料が一判に付て百文づゝでますぞ、「へいそうでござりやすかト百文だせば、「イヤおま

へのハ三ツでござるからモウ二百銅ださつしゃい、「なんだとへ一ツおしたつて三ツおしたつて

かくべつ肉がへりもしめへ、そりゃアあんまりあこぎだぜ、「イヤサこれハ古来から御一判

に付て百文ときまっているのじゃから、ぜひがござらぬ、「それでもあんまりばか\/しい

ナント一ツまけてくんなさらねへか、「なか\/まいらぬテ「そんなら半分まけて二百五十「いけ

ぬテね、「エヽとんだめにあつた、まからざアしかたがねへトふせう\/に三百だす、次の同者ハ

これにおそれて 「モシおしやうさんエ、わつちゃアちっと持合せがすくのふごぜへ升からちっと

ばかりでおきのどくでござりやすが、半分お頼ミ申シやす「ハヽア御半判かね、しからバ

さやう半ぶんおす、そのつぎへでる叉一人「モシエわつちもちやんころがおあひだになり

やして、じつにおだぶつでごぜへやすから、どうか三ツ割一ツを押ておくんさせへやし、「それハ

まゐりらぬ、同「なぜでござりやす、半分ができるなら三ツわりもできそうなもんだね、「御半割

の例ハござるが、三ツわりなどといふことハ古来よりござらぬ、「こらいよりなけりやア、けふ

ツから新規に、はじめなすつちゃアどうでござりやす、わつちがくちあけをいたしやせう

p5(行衣に判を押す挿絵書込み文)

「ねへさん今おしてくださるから、そつちへゆかずと

ここでおまちや

同者「わつちらアしやらのくげんハどうでも

いゝから、まいとしのものめへのくげんをたすかりてへわけ

でごぜへやす

同「わつちやアぜにかねハ、つかふだけありやア

  1. ほしくハねへが、女なんがねへから、どふかそれが

さづかりとうござりやす

僧「おまへがた、ごはんハなるたけおほくいただいておくがよろしいぞへ

一ツおせバふくをさづかり、二ツおせバわざわひをのがれ、

三ツおせバミらいえいくしゆらのくげんをたすかるぞよ

世話人「ごいつぱんについて一人まえ

百文づゝめいくおだしなさろ、しん

じん心のあるお人ハもちつとたんとでも

えんりょハいりませぬぞ

p6

同「カウ\/まね吉、あとにミんながまつていらア、ばかアいハずと半分なら半ぶん、さつさと

おしてもらふがいゝやナ、同「そんならしかたがねへ思ひきつて半分おしてもらひやせう、アイ

五十と銭をそへて、めい\/行衣をさしいだし、御はんをおさせて寺内を立いで、連れとつえ

とをちからあし、たがひにこえをかけ、ねぶつ「ナアヽ―イボアヽイダアヽンボウイ「イナアヽム

ボヲヽイだアハンボイ、チャラン\/\/、同「オイ\/団平、きさまのねぶつアどうもてうしが

はづれて、大勢のと声があハねへぜ、ミんなとつれぶしにやらつせへな、走り馬が屎をたれる

やうにはやくツていかねへぜ、同「それだつて欠だすやうにやらねへじゃア懸念仏のぎり

にかなハねへからヨ、同「そんならそつちハ俺のそバでやるのをよしてくれ、俺までこゑに釣

こまれて調子がはづれらア、同「イヤごたいそうな音をふくぜ、いつでも横丁の文字猫の所へ

いって、毎度てうしは外していながらヨ、同「ヘンてめへじゃアあるめへし、音曲にかけちゃア味

噌じゃアねへが、のど仏のでているおかげにやア、太夫まげへといハれるのだ、同「ハーしら

ぬが仏だ、爰だからら云て聞せるがおめへ江戸へけへつても俺がしゃべつたなんぞといつちゃア

いかねへぜ、同「何を\/同「此間手妻太夫が中村やでさらひをしたとき、おめへが将門をかた

つたらう、同「それがどうした同「すると師匠がけへつてきてあくる朝内々の咄に、艶二さんの浄

るりハなぜあんなにてうしがはずれるだらう、それに合の手をかまハずにかたるから、お釜〆を

三弦にあハせるやうだから、せゝこましくつてきいている人たちに気のどくでならねへの

のを当人ハあくまでいゝきで丸で一段かたるから、床にならんで弾いているつらさハくびの

座へなをつたやうだといつたぜ、同「コウ\/よくうそをつく男だぜ、師匠が普段おれに云にハ

あつたら浄るりを素人にしておくハをしひものだから、はやく名をとれくとすゝめていらア

そりやアほんの中口の岡焼餅といふもんだ、同「アヽあきれ\/金言ハ耳にさかい、良薬ハ

くちに苦しだ、そりゃアむかふハしやうべいだからだア、艶さん、おめへハ調子ツはづれで頓馬

で声がしほからだから、とても浄るりハむだであり升ヨ、三弦にハのらねへから、ばん木か半

鐘にあハせて、おんあぼきやアでもおやんなさいト、いつちやア今日身すぎにならねへハそ

こでわるいのもいゝサ、てうしツぱづれもうまいとほめるのがけいこじょのもちめへじゃアある

めへか、同「それだつてもまんさらなものを取立て、太夫にすりやア師匠の恥だハ、同「恥も外

聞も銭にせへなりやア、かまふやつらじゃアねへヨ、それを眞にうけているからよつぽどおめへ

ハ人がいゝぜ、同「こいつ師匠をべらぼうに悪くいふが、さてハ手を出て肘を決られたナ、同「は

アかなつらなお前ぢやアあるめへし、手を出したといやア師匠がこねへだ話した事が在が、夫を

いやアおめへの身におぼえのある事だから、今の一件も本当だといふ事がしれるだらう

同「身に覚えとは何のこつた話して聞せさつし、同「そんならついでにぶちまけやう、おめへあと

p7(浄瑠璃教室風景の挿絵書込み文)

しせう、さミせんをひきながら、心のうちにて

「ヲヤ\/いつもかハらずてうしツはづれのくせに

大きなこえをだすのウ、こつちハしゃうばいのことだから

しんばうしてひいてもいやうが、となりきんじよでハ

さぞこのこえをきいたら、ミうちがぞつとしてかぜをひく

やうな心もちだらうヨ、そしてむかふのびやうにんなんぞ

ハいちばいわるく * 一倍=倍

なるだらうと思ふと、きのどくでならないよ、

そのくせこえじまんだからわらうすのウ

えん「さがやおむろの花ざかり、うハきなてふもいろ

かせぐ、ウ・・エヘン\/

「えんさんの声ハこの二三日ハべつだんたつやうだが、モウ

すつはりふつきつたのだらうヨ、あのふしなんざアかんしん\/

だん「えんさん、しつかりならひこミねへ、となりうらの

しんぞうが、とうぞえんさんといふお人の浄るりをそハでしミ\/ *新造

きいてミてへと此ぢうおれにいつたぜ

いさミ「そうだらう、あのしんぞうのおやぢが

このごろおこりをふるつているから、えんさんのこえを

きかしておこりをおとすきだらう *おこり=熱

p8

月の上旬に、れん中へ内緒で師匠をつれて和田平へ行たらう、同「ハテナそうだつけカ、忘れて

しまった同「へン忘れたもねへもんだ、ミんな師匠がしゃべつてしまった同「エヽそれチトまじめに

なる、同「サアこゝにおいて目をさましな、そしてその時分銀を一ツうなぎへ巻こんで師匠の口へ

はさミこんで、きざな文句でからミかゝつて、しめへにやア手をにぎつたり、尻をつめツたい

首ツたまへかぢりついて、腕づくの気色があつたもんだから、師匠も餅について、けふハ月がワり

いから、きれいになつたらどふでもと、そのばをやうやく云抜て毒蛇の口をのがれて、けへつて

きたそうだが、二三日たつとおめへが人のねへ時にいふにハ、お師匠さんモウきれいに成た時分

だらう、どうだくとせつゝくから、うるさくつていけすかねへと思ふけれど、ふだんせわになつて

いるし、まんざらはじもかゝされねへから、わちきやアながちでまだ来月いつぱいハいけません

といったら、艶さんの云ふにハまちどほだが小の月だからしんばうするはりあひがある、しかし

おめへせへよけりやア、おらア赤くツても黒くてもかまハねへトいつたっけと、まんざのなかで

はなしたもんだから、ミんなが手をうつてわらつたぜ、トはなしのうちに艶二郎といへる同者ハ面

色かハり、同「ナニ\/アノこじき女め、大ぜいの中で俺が恥をならべやアがつたか、犬め猫め

狸め、狐め、うなア今でこそ文字猫だとか、どらねこだとか名札をかけやアがつておかいこ(蚕)

にくるまって、鬼がぢうのうをかゝへたやうに、三弦を構へやアがつて、ながれ川のあめんぼうと

p9

どうしたといふのだらう、たとへバどんな意趣遺恨があるにもせよ、一ツ講中といひ同行して

めでたくお山を踏合中で、喧嘩をしなさる事もあるめへ、お前がたそういふ御了簡じやア中

々素直にやア登山ハできめへ、けんどん邪険の心をもちやお山荒しといふもんだ、若しものこと

でも有て見なせへ、おいらはじめ講中・同行の難義になって、御師へめいわくをかけたり、外講の

笑ひ種になる訳だから、爰ハお互ひにさつハりとして、跡へ心の残らぬやうに仲直りをしちゃ御呉

なさらねへか、ねへ皆さんそうじゃございませんか、同「さやう\/、何か只今艶さんの仰る事を

うけ玉ハれバ、団さんが世話なつた事を忘れて、蔭で悪くいひなすったとか、うけたまはり

ましたが、団「イエ\/ナニサ艶さんとわつちの喧嘩じゃアござりませんヨ、元を糺せバ女の事で

先「サアその女の事がいつもまちげへになるやつサ、此お山の御神体ハ姫命だから悪くハ

いハれねへが、彼あしたか山のあひだに妙な人穴があるのを、若いしゅたちが金剛杖をさし

こミたがるもんだから、しめへにやア騒動のたねサ、アヽついお山を譬に出してもつてへねへ

\/、南無仙元大菩薩様、ひとすじにおん赦し願上たてまつるチリン\/、同「アーイヤ先達

もまじめな顔をしても、なかくすミへハおけませんぜ、「なんでもいゝからチョン\/、と仲直り

のまねをして、たがひににつこりやらかすだ、先「さひハひこゝにある、瓢箪の水をおミきの

かハりにくるりとまハそう、猪口ハかさだ、年やくにおいらがはじめて、サア艶さんとぐつと

ほして艶二へさせバ艶二郎ハ身におぼえあるおのれが恥をあからさまに人中にて文字猫が

ふぃてうしたり、だん平のつぐるをきて大きにせきこミ、三十余里をへだちし事もも一向にうち

忘れ、夢中になつておこりたち、今の騒ぎに及びしを、先達はじめ同行ハ訳をしらねハ、だん平

との諍ひと思ひ違へ、中に入てあつかハれ初めて夢の覚たる如く、ばか\/しとハ思へども団

平とのけんくわでハなくて、合手ハ江戸にいる文字猫といふ女なると訳を話せバ、叉はぢの上

ぬりをする道理なれバ、手持ぶさたの拍子ぬけ団平に気の毒そうに口をつぐんでいたりける、団

平ハ是を察し、同行の人々に委細の事をハ再び話さず、先達が心任せに扱ハせしが、考へる

とばかげてをかしさをたへられず、艶二が貌見て吹出せバ、艶二も共に笑ひだす、同行ハ内証の

事ハしらねど、おたがひに心とけての事ならんと共に笑ひを催して打連立て登りゆく、後よりぶら

\/剛力も頼まぬ身軽の三人づれ、一人ハ肉食俗心の頭ばかりの青坊主、蝦夷(あぜち)服仕

立の帷子を着し、絵絹に自画賛の山水狂詩を薄墨にかきちらし、ちいさき頭陀袋をくび

にかけ、鉄如意をこしに帯、あかざの杖に筝笠、あとのふたりの居職と見えて、いなせでジミな

拵へなれど、いかなる事にや小さき旗を肩より斜に紐でかけ両人ながら一本づゝ振出の

繋ぎ棹をミぢかくたゝんでこしにさし、あたりをきょろ\/見まハして社祠に目付る、是なん

近世流行の千社まいりの張札れんといハねど、それとしられたり、題名は日本坊にほんぼう

いふ身ですましてけつかりやアがつたつて、この二三年前にやア親父がちりん\/の使やで

おふくろが糊うりばゝア、よるになると冬ハするめのつけやき玉子\/、夏ハ枝豆やア枝

まめツ、うぬハむぎゆへひとはん百のたちめへで雇われていきやアがつたり、さむしい時分

にやア葭簾ツぱりの茶めしやの手つだいでござ升サ、おれもすこしの意味あひで乗かゝつた

もんだから、ろくでもねへ浄るりで師匠どころか二せうにもならねへのを、名取とかねぎ鳥とか

いハしてやつたも、ミんなこつちの懐だぞ、初めにやア弟子もなし、銭といつちゃアかけ銭一文

はいらねへから、五合の米ハなか\/喰通されねへで、あハのうちへ薩摩芋をかてにして

おかずハひじきの塩煮ばかり、三度の食ハ二じきにしやアがった事もあつたのを、其時分

から目をかけてやった此お山より高ひ恩を、咽元すぎれば忘れやアがつて、人の事を何の

かのと影でうハさをしやアがつて、うぬ\/ばちあたりめと、金剛杖をふりあげて団平と

いふ同者目がけ打たんとする故その手を押へ「コレサ\/どうする\/お前俺をぶたうと

云のかアー、落着いて事をしねへト、とどむるうちに、後より続く同行の人々ハ二人のけんくわ

と心得て、訳も聞ずにわや\/と双方をおしとどめ、ごったかへせバ、いとせまき山路の往来

ふさがりて、もつての外にこんざつす、かくて講中の先達何某、これでハ道の妨げと、すこし

脇道の小高き所へ両人はじめ、同行をミな呼上げて、二人に向ひ、先「トキニ艶さんも団さんも

ちりん\/の使いや: 飛脚

p10(張り札の挿絵書込み文)

よしとら・ろぶん同行二人 *歌川芳虎 絵師、魯文

天愚孔平 *松江藩武士、千社札の始

青蝿も牛にひかれて善光寺

「おいらがなりハ、とりさしとひゃうばんのたまやを

一ツによせたようだと連外の

てあいがいうだらう

なんといハれもすきがやまひだ、これがせんしゃまんべつといふの *千差万別

だらうス、ヲヤくこゝのやねからにやア源加一や、うらじ五吉のふだ

があるめへ、はなしのたねにはがしていこう、イヤどつこいしょ

「すぎのうろからへびがでた、おにゝなつたよ、じゃになつた、こういふと

おめへがあんちんのやうだが、あんしんしなせへ、じゃにハならねへ

「アヽくハばら\/、せつかくひよぐりかけた小べんがとちゅうでなく

なってしまった、シイ\/\/

p11

普陀楽・ふら吉と納札にしるしたるを、おの\/取だし、往来のすこしとぎれし暇に傍の小社へ

手早く張つけ行過ながら、楽「ヲイ\/日本坊\/、そんなに逃ださずといゝ、といふに、気の柔い

和尚だぜ「ナニ逃てたまるもんか楽書でもじゃアしめへし俺ア小便がしたくなつたが場所がねへ

から見付やうと思ってヨ「かまアこたアねへそこらへ立てひょぐるがいゝやナ「ヲットある\/此木のうろへ

垂こまう、トうろのなかへシャア\/とひょぐりながら木のうろを見やるに、幹の皮をけづりナニやら

楽書してあるを見つけ、日「コウミな、この木に八九かつや龍浅の楽がして有が、アノ手あいハまだふじへハ

参詣をしやアしめへ、楽「アヽこりやア去年下谷の染七が登山した時彼奴が書たのだらう、吉「楽

がきをさせちゃアしば善や琴二ハうめへのウ、日「札の思ひ付や書やうの凄いのハ浅草の玄魚サ

楽「そうヨアノ先生も以前ハ札張の連中サ、吉「アノ田キサとしてあるのがそだらう、ト咄のうちに

日本坊ハなが小便をたれているに、うろの中より蛇いつぴき小便ぜめに苦しミてや、日本坊が股

ぐらへぬるくと這かゝれバ、大臆病の長虫ぎらひ、「ハツトいふてとびのくはづミに木の根につま

づき、あをむけにころびて、頭・尻ぺたをしたゝか打っていたさにたへかね、おきもあがらぬ胸の

あたりへ彼蛇ぬら\/はひかゝれバ、「キヤアートばかりに大声たて、痛さこらへて起上りふるひ

おとして顔色あをざめ、がた\/震へているをミて、吉「アハヽヽなによヲ騒ぐんだ、と思たら蛇か

蛇やアおらア大すきだ、お山へ登るがけでねへと、皮をむいて喰のだけれど、けふハマア助けて

やらうト、蛇の首すじむんずとつかミ、日本坊にさしつくれバ、日「アヽきびのわりい、後生だから

よしてくんねへ、どうぞごめんをかうむりたい、吉「ナニ和尚だからよせと、なるほど出家の身の上

じゃア活物をせつしやうするなア禁もつだらう、坊主御免をかうむりてへなら、もとのあなへ

をさめてやらう、トいぜんのうろへ投こめバ、普陀楽ハ草むらの中をゆびざし吉にむかひ、楽「ヲイ

\/、この草の中にも大きなやつがとぐろをまいているぜ、青だいしゃうだ\/、日「ナニまた

そこにもいるのか、そりやア大へん、恐れる\/、吉「エヽがき子のやうな意気地のねへ弱ひ音

をだすぜ、青だいしやうでもうわばミでも、人ハ万物の龍だ、蛇なんぞをおそれてなる物か

どれ\/ト草むらへ手を入て、とぐろを巻たる青だいしやうを叉かいつかめバ、ぐしゃりとする

ゆへ、こいつふしぎとよく\/ミれば、蛇にはあらで登山の同者がたれすてしひだりねぢりの

屎なれバ、吉ハあハてゝほうりだし、「サア\/大へんだく、日「それミた事か、くいつかれたらう

「それだからよせバいゝのに血止の代りにほくちを付ねへ、吉「ナニサ今度ハ蛇じゃあねへハナ

おめへがあんまり慌てるから俺もついその調子にのつて野屎をつかんだ、くせへ\/、らく「なん

だ、それじゃアとぐろをまいたへびじやなくって、くそか\/、日「アヽヽ野屎を蛇と見るものも

そゝつかしいが、掴むやつもあハてゝいるぜ、らく「のぐそいつものくだばかり、日「のぐそも悪いナ

はしかもかるい、吉「しゃれどころじゃねへ、紙をくんねへ、さつとふいてそしてあらふから

p12(野屎を掴む挿絵書込み文)

「そゝつかしい、ひる日なか、へびとくそをまちげへるものもねへもんだ、おめへの

やうなものハいんでんのきんちゃくだと思って *印伝 鹿皮

ひきがへるをつかむのだ、「アヽたいへんだ、とぐろをまいた

へびだと思ったらひだりねぢりののぐそだ\/、へびハ屎とも思ハねへ

が、くそじゃア大きにくそとも思ふぜ、エヽくせへく、くさいわれらハお江戸のうまれダ

「なんのつよいふりをして、へびをつかむ事もねへ、くそのやくにもたゝねへ

じまんをする男ダ

ひょぐる:小便をする

「おすな\/、まへにやア大きなほあながあるぜ

{ナアヽンホヲほイい、たアヽんぼヲい、チリン\/

左大便堅捻

野雪隠はこしの松の下かけに、いきみたしたる名ところの歌

p13

らく「その杉の木へこすりつけねへ、日「清水がこゝにながれているから、はやくあらいな鼻もちが

ならねへ、吉「洗つたばかりじゃアくさミがとれめへ、日「蛇の皮であらうといゝ、吉「手のあれたの

じゃアあるめへし、しかたがねへ、つちでこすらうト、くそをそこらへなすりつけ、土をつかんで

清水であらひ、三人連だちのぼりゆく、 ○遠近のたつきもしらぬ初山の同者ハ友を呼

子鳥、ましらのさけび、山彦にひゝき、常ハさびしき深山路も往来しげき笠じるし、杖突

ならす足なミハ百足のあゆミに異ならず、斯て同者の男女等ハ小むろの社を拝礼

して、登山をいそぐもおほかれど、叉その中に講外の気らく連中さしあひくらず、仁太「ヲイ

\/加二さん、爰が小むろの仙元さまだ一服やらう、くたびれた、加二「コウ今ツからそんな事を

いつちやア、小ミたけへ参詣して七合目のむろへとまるのハ難しいぜ、仁「むづかしけりやア

五合目へとまるぶんだナ、やすんでいかう、ヲットミなきめうく、加「なんだぎやうさんな、どうした

といふんだ、仁「とこらがアレ\/、おミやの前にむすめの巡礼がたったひとりでやすんで

いるぜ、「そう\/、こいつハよつぽどふめるハへ、ナント弄つてやらうじゃねへか、仁「それ見たこ

とか、どんなにいそいだとって女を見りアぢきにおミあしが止らア、加「そりやそつちも同然

だト、やしろの前へつか\/いたりて「アヽうんとこなー芝原へ二人ひとしく両足なげだし、すり

火打してたばこに移しぱく\/きせるを吸ながら、加「トキニ巡礼のねへさん、お前一人で登山を

するかへト問れて、娘ハにつこりうちえミ、「ハアイといつてわらっている、仁「イヤとしはもいか

ねへ身で巡礼をしたり、富士へ登ったり、なか\/気丈なむすめツ子だ、それに美しいときて

いるから、道中で馬士や雲助がからかふだらう、お国ハどこエ、「ハアうらア阿波の徳島サアで

でござりやす加「そんなら爺さんの名ハ十郎兵衛かゝさんの名ハお弓とハいハナンダか、「イエイと

つさアハ九郎兵衛と云ましツケ、仁「それじゃアたつた一郎兵へたりねへのだから、あつたら知た

人かもしれねへ、「アニハアちくのウぶんめきなさる、かアさまもお的といひまつサア、「アハヽお弓

とおまとなら、まんざらはづれた名じゃアねへ、あねさんおめへ腹ハどうだ、「腹けへ、はらアふく

れつけへツてい申が出臍でござるノシ、「ナニサその腹がへりやアしねへかと云事ヨ、「ハアすき

まうしてござるノシ、「それじゃアけさ吉田でかってきた餅が有から食ハせやう、「それかたじけねへ

おごツそうになりますべい、くださろヨ、加「サアくいなト、たもとからもちぐわし十ヲばかり、かミに

つゝミたるを、そのまゝだして与ふれバ、娘ハいちどに二ツぐらいぺろりくとやらかすゆへ、目ば

たきする間に喰しまへバ、二人リハすこし興さめて、むすめの顔を見ていれバ、「ハアもうござん

ねへか、もつとくんせへ、「アヽもつとやりてへがそれぎりだ、コウあねへ、おめへ本当に一人旅か

「そうでござるヨ、仁「とほいところをよくお山までやつてきたの、むす「アニわしらア国さアじゃア

六十一年目にめくった女の子どもハふじへのぼらなけりやア、よめいりがアできやし

人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」

巡礼娘 お鶴

父十郎兵衛、母お弓

p14欠 追加

ねへから御縁年にぶちあたった女の子ハ庄屋どんのおしゃらくでも、おでへくわんの

おじやうでも、のぼらねへものハござんねへ、加「ハヽアそれじゃふじへのぼらなけりや

をとこをはらへのぼすことハできねのだの、むす「アニハアそでもござんねへ、ないしょじや

アはらへものぼすが、角力どりもしもうサねエ、仁「アハヽヽそうだらう、おめへなんぞは

さだめしすまふの手とりだらうヨ、むす「きゝなさろ、わしサアくにイでるめへかた、むぎかり

にのらへつんでたとき、となりののらに新家のせなこどんがおりやい申シて、すまふのヲ

とるべいといふから、うらアもてうどとりたく思っていたんだア、とるべいといって

たげへにまつはだかになり申シて、くミやつたところ、アニがたげへにあせミづくで

夢中になってとったもんで、ころ\/とおつころげて、がけのヲふミすべらかして

下谷チウ領分ざけへの麦畑へ組だなりでおっこちになったとミなさろ、そのはたけにやア

おほぜいがいあハしたもんだから、きも玉のヲぶっつぶして、ミんなのものゝいふにやア

是ことだア、天ぢょくからあたまの二ツある人間がふったア、とつてその村中のさハぎになって

うらたちをむぎだハらへおつぺしこんで、お地頭さまへもちだしたもんだから、づねへ

そうどうになって、うらが村の庄屋どんとしんるい五人組がかゝりやつて、しめへによう\/

ひきとられ申シたでござる、トまじめになってしゃべるにぞ、加二郎仁太八はらをかかへ

加「イヤよっぽどき

p15 (挿絵書込み)

「うらがむすめをあのどうしゃたちが、きでもあるかして

もちなんぞをくれて、手なづけているが、もちぐれへでウンといふ(か)

「コレザあねへ、おめへそんなにもちがすきなら、

おいらハ江戸でもちやがしゃうばいだから、いつ

しょにきな、あさからばんまで、かしわもちのふとんで

ふたりねもちをして、あぢのいゝきねをおめへのきうすへ、

ぺんたらこくとしてやるからヨ

づねへ:たいへんな

さくでもおもしろいあねへだ、ナントこんやハおいらたちといつしょに、むろへとまりとしねへか

仁「しかしむろじゃす相撲もとれめへ、加「座り相撲ぐれへハ構うめへ、仁「イヤはやあきれた助の

字だぜ、おめへのやうな者が鼻高さまにやられるのだ、加「べらぼうめへ、そんなきの効ねへせん

さくがあるもんか、此お山のせんげんさまハにゝぎの帝さまといふお人のおくがたで、この花

さくやひめさま、といふ女神さまだ、天地陰陽自然のどふりだから、女と角力をとるのハ

お咎めハねへわけだ、ノウあねへ一緒に泊らうぜ、「それかまハねへが、いま先へいつた人が

うらといつしょとまるなら二朱くれべいとおいやつたから、おなし事んなら金のヲ貰う方へ

とまるべいサ、加「イヤその人が弐朱やるといつたらおれのはうハ、ほうびをそへて弐朱と百

はづむベイ、「そんだらそうしますべいが、ちくのウぶんぬかねへやうに先へださつしゃろ、加「ヲ

ット現金せうちの介サア、弐朱ヨそれ百ヨトだしてやれば、かのむすめハ手ばやくふところへ

押こんで、「サア行ますべい、たゝつしゃろ、「どれいかう仁太公たちねへ、「へん面白ろくもねへ自分ばかりだんごつてヨ、晩にやアおめへたちと一ツむろへハ泊らねへぜト、不肖不精に立

あがり、加二郎・娘があとにつゝいて小むろのもんをたちいづる、後からとしごろ五十ばかり

のひげだらけなじゅんれいおやぢ、むすめをヤイ\/よびかけれバ、娘ハあとへ小もどりして

むす「とつさん、あにヨウしていさしつた、げいにおそいからこのお人とむろへいつしょに泊るつも

いびたれ:寝小便

p16

りでさきへかけてきまうしタ、父「おれ、けさツかたはらのウうちくだつて、とろばへたび\/ゆく

のがめんだうだアから、いちどにしまうつもりで二タ時ばかり、いきんでいたんぞ、加「ハアそんなら

おめへがこの女子の親父さんかへ、ふしぎなごえんで御同行いたしやす、父「ハアハアうらアも同

じに泊り升べい、加「ナニおめへもむろへ一緒にかへ、父「アハそれでねへと、娘のいびつたれノヲ

ぶちぬくしまつをするものがござんねへ、加「ヤアなんだと、このおほきななりで、いびツたれをや

らかすとハ、そいつハしまったいめへましい仁太公行うサツサトきやアな、「だんなへうらもつれて

いんで室へとうしに泊てくださろ、「エヽこぎたねへ、いびったれハごめんだ、「そんなら弐朱と百御

はうしゃにあづかり申ス、とつさまお礼のウいハつせへ、父「なむふじせんげん大菩薩様、今日の

お心ざし、巡礼親子の御はうしゃの御めぐミ有難や\/、「どうでもいゝワへすきにしろ、仁「アハヽ

イヤ大笑だ、弐朱と百の手の内じゃア、先祖代々のくどくになるだらう、一首うかんだかうもあらうか

じだらくや ふじゆく 加二ハじゅんれいのむすめのお穴にひけた手のうち

加「えんぎなほしにおれもやらう

石むろの かたきちかひも いびたれと きいてハきふにいやになりんこ

仁「アハヽ 加「アハヽと、たがひにわらひをもよふして、あしばやにこそ、たどりゆく

滑稽富士詣三編上之巻了

滑稽富士詣三編下之巻

日本坊 仮名垣魯文戯編

上の巻ハ小室仙元の社に詣る滑稽を以て筆を止しが、胎内潜の条を漏せり

そハ登山の順路ならざれバ、脇道に入るをいとふて登山門より編次(かきつぎ)来れり、去とて

其所も漏しかたく、此条に述る也、看官(けんぶつ)道の後へもどるをあやしミ給ふ事なかれ

当山の胎内くゝりハ吉田より北にあたりて、川口の湖と相対す、岩窟の奇巧さながら鑿を

もて、うがつが如く刀して削るに似たり、造化のたくミにあらざれバ、人力の及ぶべきに

あらず、さる程に同者等ハ直路を登る群もあれバ、未初山の地理めづらしく、且ハ罪障

消滅のためとしきけバ、峡阻もいとハず先達古参の後に属、はや入口に近付ハ、仮屋にひさ

ぐ蠟そくと手燭をもとめて手に手にともし、ほていの十吉、十「ヲイ久太先達がさきへ這入た

大丈夫ダはいこまツし、久「おらア後でもいいからおめへ先へへえんナせへ、「おらが後押へにな

るんだから、勘次も金太もいつしょにへえれナト入口にてもんちゃくするゆへ、穴の中にて先

達こえかけ「コレサ\/おめへがた何をそこでぐずくするのだ、外の講中衆がお待どうだナ、いや

な者ハよしにして、はいるものハ這入ナせへ、らうそくがたつてしまハアト云ハれて、十吉詮方

なく、十「エヽこいつらア弱い奴等だ、仁田の四郎ハ人穴へせへ這入たハ、手めへツちやア穴ツ

ぺえりが上手だから、胎内くぐりなんざアなんとも思ハずにへえるかと思ったら、こハがるやつら

ばつかりだ、俺がへえるなア訳ハねへがさつきから股がすれて痛くつて堪へられんへト、いぢかり

股にて顔をしかめ入口にたゝずめバ、ちりけの久太、「ヲイ十さん、おめへハ大黒の屎をミたやうに

あんまりからだが太っているから、それで股がこするのだ、ふんどしとさるもゝ引ヲはづして見ねへ

大きにらくだ、十「あんまり苦しい、そうしゃう、しかし行衣がミぢけへから、ぶら下ると極りがわりい

久「ナニまつくらやミへへえるのにきまりも何もいるもんか、夫で途中を歩いたつて人かえてきち

とハおもやアしねへ、十「なぜ\/、久「おめへのハあんまりながいから金剛杖だと思っていらア

十「アハヽばかアぬかすぜ、アヽいてへやつけやうト股のすれるにこらへがたく、久吉がすゝめに

十吉ハふんどしおよび半股引もはずして、こわごわはいこめバ、これにつづいて跡より三人おな

じく穴へはいこむに、十「コウ\/誰だ、跡から押ちゃアいけねへぜ、静かに\/、久「おれだ\/俺ハおしやアしねへが、おれの跡からおすのだハナ、アツヽヽ足の先へ蝋燭をながしかけたナ、や

けどをするハへ、だれだ\/といへバ、おさきの金太、「誰もかれもあるもんか、こんなせめへとこ

だ、ちつとの事ハしんばうしろ、アツヽヽヲヽあつい、おれにもだれかあついやつをじわじわとなが

しかけたな、かん「エゝぎやうさんなやつらだぜ、さるのけつへハ牛蒡をやいておつゝけらア、足へ

らうそくがながれたつて、なんの事があるもんか、たかがやけどをするぶんのこつた、金「じゃう

だんじゃアねへ、爰でうしろから火ぜめにあつちゃア蓮華往生どうぜんだ、ヲツトはひの

ぼりにかゝつてきたぞ、久「こいつア亭主のある女のとこへ夜這に出かけるよりハせつねへ

りくつだ、おしゃべりかん治「とんとむぐらもちのよめ入ときているぜ、金「ぜんてへ此穴へへえりやア

何かいゝ事でもきたるのかノ、久「そうヨ女ができるまじないだとヨ、十「そのかハりかゝアのやきも

ちで内にいられなくならア、かん「たいないくぐりをくぐった御利益で、かゝアに角がはへちゃア

大へんだ、久「その時やア、たいないくぐり角だせ槍をだせといふがいゝ、「やつぱりかゝアにやア

たいないでいるがやからう、「そりやアそうだけれど、夫婦の中だから、たいないな事ならはな

すがよからう、きん「イヤごたいないに前置きのあるしゃれだぜ、ヲヤふつてきたワへ、十「ばかア

いふな、天井うハ岩だ、ナニ雨がふるもんか、久「あアめハふれども雨漏りせエず、アヽホン\/ト

うかれて手燭で十吉のしりをたゝけバ、あかりハきへて、おのれが手元がさつパりわからず

久「十さん大へんな事をやつゝけた、「どうした\/、「明りが消えた火を貸ねへ、「どうして後ろへ

ふりむかれるもんか、阿弥陀前までがまんしろ、おれのあかりをすこし高くもつたらてめへの

はうもあかるからう、久「ナニさつぱりあかるかアねへ、またぐらからその火をだしてちょつくりかし

ねへ、十「色ンなことをぬかすぜ、そんなら早くつけヤ、消ちやアいけねへ、そつとつけろ、と四ツ

ばひになつた股座から手燭をそつとさしだせバ、久「ヲツトしめ\/いんのこ\/ト、つけに

p18(人穴中の挿絵書込み文)

「アイタヽヽヤイ\/、どうするのだ、じょうだんもまゝにしろ

こんなきゅうくつなとこで、しゃあちほこ立ちをやらかすのか

ばかもほうづがあるもんだわ、あかりがきえてしまった、はやく

あしをひかねへか、せつねへハヘ、このべらぼうめ、はなせ\/

「なにいてへもねへもんだ、うぬが初手におれのけつをたゝいたもんだから

あかりがきへてしまったのだ、ヲイ\/、さきの十あにイ、さぞあつかったらう

わざとじゃアねへ、かんにんしねへ

アレ叉あとからおしやアがる、おすなといったら、こじれってへ

「アツヽヽあつ\/\/、此やらう

おれがはんもゝひきを取ってふりでいるのを知っていやアがって、なぜきんたまへ

あかりをおっつけやアがった、アヽひり\/してたまらねへ、うぬせがれの

毛もやいてしまって、よくぼうずにしやアがったナ

p19

かゝるをうしろのかたより、金「早くしねへか、どうしたんダト久太が尻をぐいトおせバ、おされて

頭を十吉が尻へしたゝか打付るに、十吉やゝト驚きてべったり尻を下へさげるに、元来(もとより)股

引・ふんどしまではづしていたる事なれハ、彼またぐらの手燭の灯がきん玉の毛へチリ\/トもへ

うつるに、再び驚きキャツトいつて股をすぼめ、十「アヽ人殺しくト大声あげて騒ぎいだせバ、久太

も金太もあハてふためき、何事やらんとうろたへまハり、身うごきをしてじたばたするゆえ

三人ながらあかりハ消へていよく前後まつくらやミ、先達古参の人々ハ阿弥陀の像へ近付

て曲りくねりの穴の中ゆえ、一向にこのさわぎをしらねバ、外の同行ハなにしているぞとまつ

うちに、こなたハ十吉金玉をさすりながらむくりをにやし、大声あげてちうツぱら「ヤイ久

太、此べらぼうハ人が親切にあかりをかしてやりやア、冗談に事をかいて何故きんたまア

焼きやアがつた、遺恨が有なら、こんなせめへとこでしずと、ひろばへでて、男らしく何故

しねへ、サアおらアモウこゝから出るから手めへもでろ、久「ナニサ\/おめへのきん玉をやいたと

つてまさかかしう玉のかハりに喰へもしねへハな、金太のやらうがまちどほがつて跡から

ぐい\/おしたもんだから、おれのあたまがおめへの尻へひどくぶつかつて、おめへが腰をさげ

たによつて、それでやけどをしたんだ、堪忍しねへナ、「それだつてあんまりだ、アヽひり\/して

いてへ\/、金「アハヽヽとんだこつたつけ、俺もそうとハしらなかつた、したが十兄イ、おめへきん

玉へつぶじらミがたかつているといつたツけが、やけどハしたらうが、つぶじらミの根だやしに

なるから、それで埋めあハせておきねへ、十「このやらう、人にやけどをさせやあがつて、おつう馬

鹿もしやアがるぜ、うぬミろお山へあがると、つらア紺屋のあいがめのやうにしてやるぞ、其時

手をあハせて弱い音をだしゃアがるな、久「ヲットこゝに銅仏(かなぶつ)様がござる、ヲヤ先達や年寄

でえへハどこへ行たらう、「もつとあつちに大日さまがあるそうだが、そこへ行つて待ているだらう

十「ミんなが何とか云て拝おがミやアナ、金「何といつて拝もう、久「なむ銅仏如来ごしんごんにハ

じんばらはらばりだぶつ、かん「おんあぼきゃア法蓮華経\/、これでそう名代としやう、サア\/這たり\/ト、やう\/の事にて奥の院まで一本の手燭のひかりで這付に、先達ハ声を懸

「ミんなア何をしていさしったヨ、ホンニせわのやけた手合だそして灯りハ一本か、十「イヤおせわを

やかしてあいひすミませんが、わつちがきん玉をやかれた一件で、灯りを三本消やしたから、まつ

くらでつい遅くなりやした、先「ナニきん玉をやかれたとへ、そりやアとんだこつたが、だれがきんへ

つけ火をしたのだね、久「ナニサわつちのあかりが消やしたから、十兄イの火をかりやうと思つ

たところが、せめへから上からじゃアうけとれやせん、そこで十兄イがまたくらから、らうそくを

だしたもんだから、つけやうとすると、金太のやらうがおしやしたので、わつちのあたまが十さん

のしりへぶつつかると思ひなせへ、十さんハもゝがすれて痛へといつて、もゝひきもふんどしも

p20(道普請人の挿絵書込み文)

「このくそばいめら、そツくびをひんねぢツて、あわもちのきょくつきにしてくれるぞ

うっちゃっておきねへ、こつびどいめにあハしてやらア

「アヽサ\/、あんなものにかまtっちゃア江戸っ子のつらよごしだ、じょせへもなくって

どうしたものだ

道「アレあのつらのウ見さつせへ、目と口のウいつしょにしやアがって、ミられたざまかへ

きちげへヨウ、はうせへヨウ

道「きちげへよう、はうせへよう、あはうよ\/、アハヽヽ

はづしてなかへ這入ているのだから、びつくりしてけつをさげるひゃうしに蝋燭の火がきん玉へ

うつったのでごぜへます、先「アハヽヽぜんたい十さんも、何ぼ穴へはひこむとって抜身とハ

あんまり用心がよすぎるからサ、それでももらひ火でお仕合だ、久「これがほんの金火と

いふのだ、一軒焼けでまアよかつた、「きん火見舞がくるだらう、「まだこいつらアひやかしやア

がる、金剛杖をしょハせるぞ、先「これサ\/、金火すぎてのぼうちぎりだ、十さんかんべん

してやんな、金「きんくわをせずになかよくしねへ、先「きん火について一首うかんだ

きん玉の皺のバさんとらうそくの火のしをかくるあついしんせつ

斯うちきやうじて下向道より、もとの入口にくぐりいで、これより本道にさしかゝるに馬がへ

しを打過ると、往来中に髭むしゃくしゃと、いとむさくるしきひとりの親父、樹木の枝に

ふごをつり、鍬を杖に立はだかり、「ハイ当所の道普請、ごめい\/に\/ト同者に向て呼かけ

れバ、おの\/銭をふごに投こミ、そこをすぎれバ叉先に二人か三人たゝずミて、「ハイ当所ミち

ぶしん、乗合ハなりませぬぞ、めい\/にだしゃつしゃい、トいちく笊をつきつけれバ、中に気ミ

ぢかなひとりの同者、「なんだこいつらア、五六間もはなれねへのに、ひとりづゝ立ていやアがつ

て、いろんな事をぬかして、銭ヲとりやアがる、道ぶしんなら今ふたりにくれてやつたばかりだ、出

ねへ\/「あんだとへ、でねへとハどうじゃい、おめへらア道がわるけりやア登山が難義だん

p21

べい、そりよヲもけへりミづに、あたじけねへ事をいハつしゃんな、いくらでもおかつしゃい、同「ナニ

あたじけねへとハあんのこつた、コレ聞け、わいらアミちぶしんくとぬかしても、どこにふしんがして

あるのだ、むぐらもちが身ぶるひをしたやうに、はう\/ちつとばかりづゝ土ほせりをしやア

がつて道普請もねへもんだ、まゝにしろ此せいづちめ、「イヤ此わろめハ銭もだしおらねで、せい

づちとハどうじゃい、おらがせへづちなら、わりやアとつくりやらうだ、、目もはなもあきおら

ねへ、おへねへのっぺらほんめが、同「なんだとごもつてしごくもねへ、このわらじ虫めら、本名を

なのってきかせりやア、うぬらア目がつぶれて腰がたつめへ、かたじけなくもそも\/これハ

日本ばしのまんなかでふじの山アいながらながめて、いきた魚をおかずにして、日に三度

焚立の上白で、紫檀の箸で蝶足の膳へむかつて、いきな女に給仕をさせてめしあがる

黒飛の侠太さまとおつしゃる江戸っ子の氏神だ、ぐず\/ぬかすと、どてっばらアけや

ぶって、臓腑を引ずりだして、屁をひりこんではしやうふうをわづらハせるぞ、だれだと思ふ

つがもねへ、道「アハヽヽ茂邪六どん、きかつせへ、牛が水飴のヲかツちゃぶるやうにぺら\/と

あんだかさっぱりわかんねへ、大かたきちげへであんべいぞ、道「エヽサらつちもねへ、きちげへ

にかまつてどうさつしゃる、ほヲつておかつしゃい、だめのうハナ、同「イヤきちげへだとぬかし

たな、たびだと思って口でいってかんべんすりやア、いゝやうにおひやらかしやアがる、此


*近火見舞い

*あたじけない: ケチ

*方々

p24(虻に襲われる挿絵書込み文)

ごうリキ「このちくせうどもめが、叉さしにうせやアがったナ、たゝきころしていりつけにして

くってしまうぞ、シイ\/\/

女「アレサわちきのまたのなかへ一匹入ったやうだヨ、どうしたらよからう

なんボ蜂の巣のやうなところだって、あぶにすまハれちゃアだいへんだねへ

女「アレどふしたらよからう、やはくおっておくれといったら

「虻のはりとがずといへども、これをさゝバいたからんダ

しかしこれじゃアことぜめのもんくじゃアなくってあぶぜめだ

いまにさゝれるかと思ふとあぶ\/すらア、けんのん\/

「あぶくハ\/、のほよほ\/\/

あろかいな、ついtでに日よりをミてたもれ、アヽあぶねへぞ、ゆるせ\/

P25

どうしたらよからうなア、いてへ\/、一「おめへなア鼻だからまだしもヨ、おらアお日さまと

お月さまにたとへた目をつぶされたんだから、しまつにおへねへ、目なしのげん関や

じゃりのうへゝ出たところが相手があふだから、あぶもとらず蜂もとらずだ、トキニ

おかまさんやおなべさんやおわんさんもさされたのう、かま「さされたどこらか大へんだヨ

わちきのハとんだところへ飛こんでサ、したゝかさしたあげくのはてに、おくのはうへもぐ

つたやうだハ「イヤそりやアとんだこつた、はやく引だすくふうをしなせへ、かま「だすく

ふうといつたってそんなことがどうして出来るもんかね、わちきやア虻に見込まれ

たのかね、どうしたらよからう、ワアイ\/ト大声あげて泣わめけバ、なべ「ヲヽいたい\/

わちきやアおいどをしたゝかさゝれて、すぐにそこがはれあがつて、いたくってくなら

ないようワアイ\/トこれもなく、わん「わたしのハ、えりのはうからとびこんだと思った

から、からだへ手をやってさゝれるのもかまハず、つかまへて見たら松ぼっくりのちいさい

のであったから安心したが、おまへがたア大へんだね、しかしなんぼひどいあぶだって

女を見こむほどでもあるまいから、気をおちつけてよくお見よトいハれて、お釜ハ

心をしづめ、おさへた前の手をはなし、きものをふるへバ、ばったりとおちたるものを能

ミれバ、あぶにハあらで小ミたけの社にいたらバ、あげんものと紙にひねりてこしらへ

おき、おびにはさミし、さいせんを今のさわぎでまたぐらへ入りしを、あぶとおもひし

なれバ、はじめて笑顔をつくろひぬ、かゝりけれども、おなべがしりと一瓢・茶雅丸の目

はなのいたミハなおもさらずにくるしめバ、剛力ハ首にかけたるちいさき筒を取いだし

「モシだんながた、そねへにいたかア、これつけなさろ、じきにいたミがとれまさアト、筒の中

より手のひらへ水をたらして三人の目鼻と尻のいたミ所へ二三べんすり込めバ、茶「ヲヤ

\/こいつア妙だ、いまゝで鼻がとれたかと思ったいたミが、きれいさっぱりほうきで

はいてとったやうに、なをってしまった、ふしぎ\/、一「そういへバおいらの目も日月明星

北斗のひかり、なべ「わちきのおいどもさつぱりしたヨ、茶「なにゝしても、ごんめうごてれつ

おだぶつ、おてちん、かんてうらい、きめうほうれんけぶきたいダ、一「エモシ剛力先生そのお

くすりやアあぶのめうやくかね、ごう力「アニハアあぶのめうやくちうが、ごいせう、コリヤアお山

の絶頂にごいス、金明水銀明水といふでごいス、茶「ハヽアなアる、さてハきゝ及んだ御霊

水だね、だうりこそ、そくざにこうのうの見へたのだ、これとおもやアお山ハなを\/

ありがてへ、なむふじせんげん大ぼさつさまく、一「ならびに剛力大明神、こん日のおん

功徳あぶちさいなん、けんのん除すくハせ給ふた、そのかハり酒手の寄進につき

やせう、ごう力「アハヽヽそりやアハアありがたうごいス、これがほんのあぶ酒のごちそうだモシ

p26(大きな鈴と錫杖の挿絵書込み文)

「これ喜十、この鈴のウミろサ、日だか川のあんちんどのがなかにかくれていやうも、しれねへ

うらがだんなでらのつりがねほどあらざア、おとろしや\/

「これハアでへかいしゃくじやうだ、てんぐさまのヲもたつしゃるちうこんだが、うらアがもっちゃア

しまつにおへねへ

「ヤア\/ミんながあにヨウのらアかハいていめさるだア、そんなものヲなぶったら、はなたか

さまにつまゝれるぞ、このばっかやらうめ         当百: 百文の天保銭

p27

茶「あぶざけお山のまんなかで、ごうりき荷持にすくハれた、一「こんないたいめにあつたことア

ねへト、財布の中より当百三枚取いだしてあたふれバ、力「酒代三百ただもろた、トコとんやれ

すつとことんト、足拍子をしておどりだせば、ミな\/どつとうちわらひ、早小ミたけへ

さしかゝる、そも\/小御嶽の社ハ山中樹木のかぎりにして、こゝよりうへハ樹木なし、老松

古栢繁茂して、天津日の光りかすかに、昼さへ小ぐらき霊地にして、寂膜としてもの

すごし、境内にハ天狗の錫杖、天狗の鈴(れい)とて、その長サ一丈ばかりの錫杖と、ひとかゝへ

あまりなる鈴(れい)を左右に建すへたり、こゝにまうでる一組ハ下野辺の同者と見えて

同行おゝよそ七八人、若者のうしろミに先だつかねたる、はげあたま、いつてつおやぢの

六郎べえ「コレザ喜十、あにイしているだアヨ、どうしにおめへりのヲしねへでどうす

るだアヨ、アレそのおしやくぢやう、ウツふるふナ、とつたら天狗様につまゝれるぞ、此

ばかやらう、サア\/きせへ\/トさきへ立て社檀にさしかゝるト、跡より喜十ハ小声

にて「やかましい、ふるやかんめが、くにサアでるときから小言のヲぬかしおつて、メシイくふ

ひまもやすミツこなしだア、ノウのら作ヨ、の「いつてエアノおやぢイ、くちからさきイうま

りやアがつたア事と見える、歯もねへくせをしてかツちゃべつてばけへ(計り)けつかる、喜「コレヨ

えゝ事があらア、あしどめかハりに、おやぢイくちどめの法のヲおこなつてくれべエサ

のら「そりやアエヽが、あんとして、喜「あんとしべい、ならこうだムシ、おれエはだまもりに

日光のはしり大黒さまのヲぢさんしてあるから、くちぺたへ針のヲさしたら、かつちゃべる

ことアなるめへサア、のら「ばかアつくな、はしり大黒といふから、足止にやアなるべいが口どめ

の法にやアだめなこんだア、喜「そんだらあしどめのほうノヲおこなって、あるかれねへ

やうにして、爰へぶつちゃっておかざア、のら「アハヽヽけへツて同行が難義するでハトかたらひ

ながら、大ぜいのあとにつづいて、社前にまうで、しバらく爰にあしをやすめて、二丁計り

もとの道にもどりて、それよりわきミちにかゝり、登山におもむきつゝ、はやくも五合

目にいたりぬればバ、さすがにいきほひつよかりし江戸のいさミも、何とやら心くぢけて、そこ

きミわるく、山に酔しか顔色あをざめ、身うちハぶるく歯の根もあハず、兎角あゆミの

はかどらねバ、ともだちのしかミの治郎ハふりかへり「ヤイ安や、てめへなんだかよハつたやうだ

ぜ、はらでもくだるのか、どうしたんだ、なるほどともだちがおくびやうやす、とあだ名をつけたも

むりじゃアねへ、安「エヽなんとでもぬかしゃアがれ、アヽモウたまらねへこゝろもちだ治郎やおら

アとても登山ハできねへからそこらの室へ泊てくれ、アヽせつねへ、くるしい\/、次「このやらア

山に酔たナ、げへぶんのわりい、五合目まで登って、お山ができねへなんぞと、よハいねをふく

なエ、江戸っ子のつらよごしだ、がまんして歩け\/、安「エヽくるしい、じゃけんなことをいつて

P28(山酔いで反吐を吐く挿絵書込み文)

鈍亭贅

酒ならで 五合目まひ 立くらみ

山に酔たる 頭痛 鉢まき

「なむふじせんげん大ぼさつさま

ひとすぢにおんたすけねがひあげたてまつります

これサ安さん にくまれ口をきかずと、せんげんさまをいつしんにおがまツせへ

「しミづをちっとばかりしゃくってきた、こいつをいっぺいのミねへな

「アヽせつねへ、アヽくるしい、ぜんてへおらアいやだといふのに、むりに

さそってつれてきたんだから、モシおれがこのまゝ死にやア、てめへ達にとりくぞ

くるしい\/、ゲロ\/\/

「このやらうハ江戸にいりやア、友達に酒のせわをやかせヤアがって、ふじへ登ってまで

へどのやつけへをかけやアがる、いめへましい

「ふだんハつえゝ事ばかりぬかして、よハいものいぢめをしやアがるが、山によつちゃア

どぶろくにくらいよったよりか、くるしからう、いゝきみ\/

p29

くれるナ、けんくわや、うでづくなら、いままでひけをとった事のねへ安さんだけれど

なぜかこゝまでのぼってきたら、あたまがわれつけへるやうになって、むねがこミ上て

からだがぶる\/ふるへてきたんだ、しょせんこれじゃアのぼられねへ、次「それ見ろ

おれがふだんいハねへこっちゃアねへ、手めへがあんまり人に義理のわりい事をした

り、むやミにいんねんもねへものに、けんくわをしかけたりするから、はなたかさまが夫を

おにくしミで、そんなめにあハせるのだ、はやくわりい事をしたのをぶぢまけて

おわびを申しやアナ、ノウ捨公といへバ、そバから五もくの捨が「そうヨ\/、そこへいつ

ちゃア、ふだんからおらツちやア、おとなしくして人にかあいがられるから、つミア

ねへぜ、安「モウ\/、ミんながそんなにおれの事をがや\/いつてくれるナ、なほのぼ

せてたちきれねへ、おれだってもなにも格別罪をつくったおぼへハねへけれど

こねへだむかふよこ丁の福本へ、惣治とふたアりで呑にいって、勘定がたりねへから

すいものゝなかへわらじ虫をさらいこんで、かんぢやうをミんなふんだうへに、金を弐分ふん

だくった事があるが、そんなばちがあたったのか、アヽくるしい\/、次「まだそればかりじ

ゃアねへ、ほかになんぞ罪をつくった事があるだらう、安「コウトこのはる、吉原へひやかし

にいったとき、とまるにやア、ちゃんころが一文なしで、しかたねへからぶら\/土手を

けへツてくると、むかふから黒ちりめんのおはをに、お太刀をきめたやつがすた\/と五十

けんのはうへまがらうとするから、つれの三治をおだてて、そのやらうにけんくわを仕

かけて、いゝかげんのじぶんにおれが中へ這入て仲人と事をこしれへて、はりまやへひき

ずりこんで、さんざんのミくひをしたあげくに、女郎屋へ引ぱつていってうわで女郎を

かったうへに、小づりをとった事があったっけ、すて「そんな事をするから、お山ができねへのだ

ともかくも先達に此訳をはなして、おわびをしてもらふがやからうぜ、安「アヽモウしぬ

やうな心持だ、くるしくってたまらねへ、ゲロ\/\/ト小間物ミせをそこらいっぱいひろ

げだせバ、次「エヽ穢ねへ、大へんだ、始末にいけねへ事ができたぜ、すて「とんだ厄介なしろ

ものだぜ、次朗やてめへしまつをしてやりやアナ、次「べらんめへ、居酒屋の前の犬じゃア有

めへし、へどの始末ができるもんか、モシく先達さん、安のやらうがお山に酔やして

大へんでごぜへやす、先「いましがたまでいきほひのよかった人が、にわかによわったのハふし

ぎな事だ、すて「いま当人にきゝやしたら、でへぶいろんなつミをつくった事がござりやす

から、そのばちでござりやせう、どうかおわびをおたのン申やす、先「ハヽアそんなことで

ござらう、どれ\/おがミをあげませうト、じゅずさら\/とおしもミて、鈴をふり

たて、お山にむかひ、先「ふウじイのヲやアまア、のヲぼヲりイてミイれバア、なアにイもの

p30

同者

「アヽまんざいらく\/、くハばら\/、たすけぶね\/

「次郎ヤイ、おれがこしをしっかりおせ、おらアやせているから、そらへふきあげられそうだ

「人どころのせんぎか、おらなんざアくそぶくろがこれほどおもくってせへ、とばされそうだハ、

こんがうづえにしっかりととっつかまってしのげ\/

小ミタケトリい、泉タキ、ヨコフキミチ、五合スナハライ、日レンドウ

ムロ、中ミヤ、経ガタケ、天地界トイフ

p31

なアしー、よヲきイもヲあしきイもヲ、わアがアこヲこヲろヲなアリイ、なむふじせんげん

大ぼさつさま、木の花開耶姫のおん命、小ミたけせきそん大ごんげん、大天狗・小てんぐ

ざいせう消滅六根清浄、一筋におんたすけ頼ミ上たてまつる、みな\/「たいそく明王そくたい

十方虚空しんこヲくう\/\/、チャラン\/\/といのるをりしも、裾野の樹木ざわ\/

と鳴動き、大風颯と吹起り、山の上より砂ふきおろし、降くる小石ハあめあられ、同者は

これにふたゝび驚き、金剛杖にしつかとつかまり、頭をたれて屈む者あれバ、あハてゝ欠だし

たをるゝあり、大ごえあげてうめくやら「くわばら\/、まんざいらくト道にひれふしとのふ

るありて、一同いきたるこゝちもなく、気もたましいも身にそハず、なきかなしミて、おほこん

ざつ、半ときばかりさうどうせしが、やがて疾風しずまりけれバ、先達さきへおき

あがり、あたりを見れバ、講中同行ミな\/そこにひれふして、頭をあぐる者もなけれバ

いち\/これらをゆすりおこして、たがひに無事を祝しつゝ、たちあがらんとするほどに

山に酔たる安五郎の姿がみへねバ、ミな\/いぶかり、「ヲヤ安公がミへねへぜ、「今まで

そこにたをれていたんだ、「いまの風にびっくりして下のはうへにげやアしねへか、「ナニ\/

なか\/逃だすどころか、くるしがってあるかれなかった、「ヲイ\/、こゝにきゃツの嵩がばら

\/になっていらア、「こゝにも安が着こんでいた襦袢の袖がすてゝあらア、「どふしたと

うわで女郎:上等な女郎

いふンだらう、こりやア大方いつけんにさらハれたに違へねへぜ、「アノこれにかト、鼻へ手を

あて互ひに顔を見あハせて、いろ青ざめてきミわるげに、ひつそりとしてものいハねハ

先達ハあたまをかき\/、「ときに同行の衆、いま安さんが見へなくなったとて、爰まて

のぼってお山をせずに引かへす事もなりますめへから、今夜ハ八合目のむろへとまって

夜があけたら剛力どのをたのんで、吉田のお師へこの事をはなしあって口どへ人をだして

て、せめて死がいでもたづねませう、こゝでひやうぎをしたとって、これがほんの小田わらだ

から、ちっともはあやくのぼりませう、次「さやう\/、おめへさんのおっしゃるとほり、安の

やらうも不憫だけれど、ふだんりやうけんのわりい野郎だから、こんな目にあったのでござり

やせう、チョツ仕方がねへどうなるもんか、捨「あいつももまだ親がゝりの身の上だから親父や

おふくろが、うぬががきのわりいのハたなへあげて、さそったものをうらむだらう、次「うらむ

なら、はなたかさまをうらむがいゝ、友だちをうらまれちゃア、それこそはなたかめいわ

くだ、先「なにしろ、ぢこくがうつるからさつサと登山にかゝりませう、とすゝまぬ同者

をせり立て、姥がふところ、経ヶ嶽を右手に見やりて登る程に、えぼし岩など打越て杖を

力の走り道、大行合の前をすぎ、日の蔭薄くなるころに第八合目の大室に、つきな

らしたる杖の手をやすめて、わらじをぬぎくつろげ、ひとしくこゝろをやすめける

口ど :口留番所か?

〇第四編ハいよ\/八合目のむろどまりに、姦とよむ女中連も霊山に恐れて

多弁をつゝしミ、大小便にまごつくをかしミ、その夜あまたの同者たち、蚤にせゝら

れ、寝られぬまゝに、蚤いさかいの闇仕合、ごったかへした立まハり、未明にむろを立

出て、御来迎を拝す事、夜あけて後おはちりやうをめぐりをはり、頂上のおあなの

中へおさいせんを投込まちがひ、めでたく下山の一群ハ砂走の宿に下り、宿屋泊の

大ざかもり、はうた、どゝいつの大さわぎ、立茶番の趣向ぐりはまとなりて、連中一等

大なんぎをひきいだしたる滑稽づくし、腹をかゝゆる奇々妙案、作者のこゝろを

用ゆを事、此編より十へん迄の内に流行目前をうがちしその骨折を御らんの

上、しらせたまへと伏てまうす〇第五編ハ三島より箱根の駅にをはる

〇 第六七編ハ箱根山中の滑稽七湯巡りのとうちのをかしミ〇第八へんハ

小田原道了参詣より、蓑毛ごへ、大山石尊さんけい、道中ミち\/の奇談〇第

九編より以下ハ藤沢山参詣、江の島・かまくら・金沢めぐり、横はま遊覧の

事まで引つづき出板仕候間、何卒不相変御もとめの上、弥増御高評の

程ひとへに奉希上候、以上

滑稽富士詣三編下之巻終

ぐりはま:はまぐりの蓋が合わぬ事

でちぐはぐを云う

藤沢山(とうたくざん): 遊行寺

毛唐人め、道「アニ、うらたちが毛唐人なりやア、わりやアけだものだ、跡のどうしゃのじゃま

にならア、うせろ\/、同「こいつらア大そうな事をぬかしやアがる、そつぽうをまつりつけるぞ

道「エヽうつならうつてミろ、うらも手も二本、足も二本あんべいぞ、同「ぶたなくつてどうるすもんか

トとびかゝらんとするところへ、跡より追つく一人の同者、「コレサく侠太さん、どうしたもんだ、かん

べんしねへナ、同「ナニうつちゃって置ねへ張殺さア、「ハテいゝハナ分っているよマア\/此方へ

きねへく、同「うぬら覚へていやアがれ、道「われこそわすれねへやうにしろサ、道「きちげへヤアイ

狂人やアイ、アハヽヽトゆびざし笑ヘバ身をもがき、あとへかへさんいきほいなるを、連の同者が

むりやりに手をとり、先へ引立るに、はやくも二合目にさしかゝりぬ、 さなきだに常ハ是より

女人きを禁ずる当山の掟なるも、今年ハさらにその事なく、男女をえらばぬ登山の賑ハひ

「ヲイおなべさん、わらじの紐が解ているぜエヽいくじのねへ、な「わちきやアくたびれて\/足の

さきにたハいがないハ、「なんのいまツからそんなよわいねをだすやつがあるもんか、お釜さんを見

ねへ、平気だよ、な「そりあアおかまさんなんぞハ、去年の夏も草津の湯治場へ挊にいつて、やま

坂をふんできたンだから旅なれているハね、ねへお椀さん、わ「そうサわちき達とお釜さんとハいつ

しょにやアならないヨ、か「ヲヤいやになつてしまふヨ、わちきだつてたびへでたのハ去年はじ

めてであり升ハね、そんなにいちめておくれでないヨ、なべ「それでも茶雅丸さんがなんぞと

p22(女の登山風景挿絵書込み文)

「イヤはや、いくじのねへ、おめへいまツからそんな事をいっちゃいけねへぜ

「おなべさん、わちきやアモウこゝからおりたくなりましたハ、アヽくたびれた

「アレ\/あっちをちょいとごらんヨ、ゆきがつもっているンだハ

「エヽコウ、おいらたちハからミであるいてせへ、いくじやアねへのに *空身

おめへがたア、なれたとハいひながらたっしゃなもんだぜせ、ごうりきたア

よくいったもんだ

「なにおめへさんこれしきに、モシこれからが小ミたけ道でごぜへますにヨ

p23

いふとお前のひいきばかりするから、ツイやけるのだヨ、茶「コウく人ぎきのわりい、おいらが

おかまさんのかたばかりもつといつちゃア、なんだかきざにきこへるぜ、▲「随分女の方へ懸ちゃア

孝行なおめへだから、そう思ハれるももっともだヨ、□「しかし女のはうぢやアいつてもなんとも

おもやアしめへス、茶「思ったところが及ハぬ恋だ、今業平か源氏の君かと世にうたハるゝこの

はうだから、三十二相うちそろツた婦人でなけりやア相手にしねへ、▲「イヤごたいそうな

ねつをふくぜ、かほの黒びかりに光るところが、なりひらじゃなくツてなりん坊だらう、□「あた

まの薬缶がひかる君の見立とミへるぜ、▲「三十二相どこらか、三十二文の夜鷹でもかまハ

なからう、茶「へヽン碧眼の小児紫髭の鼠輩、燕雀なんぞ大鵬の心をしらんツ、「茶雅丸さん

色男ハいぢめられるのハあたりまへだから、辛抱なさいヨ、茶「おまへがたもせいだしていぢめ

なさるが身のおつとめ、ヤデヽン、オヤばかアいひ\/こゝハモウ日蓮堂だぜ、これからこつちが

小ミたけヨ、▲「これより右小ミたけの社としるしてあらア、なべ「なんだかたいそうさむくなったよ

わちきゃア半天をひっかけやう、□「さむくなるはづだ、五合目からさきやア雪があらア、ま「ヲヽ

こわい、下を見ると足がすくんであるかれないよ、茶「こゝからさきがよこふき道よ、あなたに

見へるが泉の瀧、アレ\/彼所が花ばたけ、のこらずお目がとどきますれバ、せんさまハおか

ハりく、トむだぐちまじり、だん\/にうちつれあゆむをりからに、ブン\/とおおきなる

虻四五疋とびきたり、茶雅丸が鼻の先をちよいとさせバ、「アイタヽヽアヽいてへ\/、こいつア

大へんだ鼻の頭がもげるやうだ、一瓢子見てくんねへ、腫れたか\/、一「ナニたいそうらしい虻ぐ

れへにさゝれたってなんとあるもんか、どれ\/ト見にかゝると、叉一疋ブンと来て一瓢が目

のふちをつよくさして飛ゆけバ、「アヽさうどうだ叉おれまでさしやアがった、目がつぶれた

どうせう\/トころげまハりて、痛がるうち叉一人の目のふちをさゝれて、これも両手を

貌へおしあてがいて、痛がれバ、つれの女の三人ハあつけにとれて茫然と佇む、お鍋が

おほきなしりを、きものゝ上からら強くさゝれて、「アレアツトいひながらしりをおさへ

そのまゝそこへたばれハ、おかま・おわんハこれにおろどき、介抱なさんと立よるところを

ブン\/飛くる数多の虻、ふたりの女のまたぐらへ二三びきづゝとびこめバ、「アレヨ\/ト

狂気の如く肌もあらハにしどけなく、きものをまくりてふるふやら、まへをおさへてかけ

だすやら、さうどう大かたならざれバ、半丁ばかりゆきすぎたる剛力はこれを聞つけ

とってかへして斯と見るよりかたへの樹の枝へし折、数多の虻を薙はれへバ、やうやくにあぶハ

四方へとびちりて一ツもあらずなりけれど、さわぎハいまだしずまらず、茶「アヽいてへぞ\/ぜんてへ格別高くもねへ鼻をもがれてしまつちやア、めし盛やおしつくらでも旅へ

でてもかつたんだらうと、おやぢの小言が思ひやられて此まま江戸へハかへられねへ、アヽ