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このページでは私が行ったメキシコ麻薬紛争についての研究に関して一般向けに書いた文章を掲載しています。

「仕事がないと「悪人」に? メキシコ麻薬戦争の経済学」拡充版


(元記事は週刊東洋経済2019年4月27日・5月4日号掲載。元記事へのリンク)

※情報は執筆時(2019年初め)のものです。

時折ニュースで、「メキシコ麻薬戦争」という言葉を見聞きすることはないだろうか。2006年末に始まる同国の麻薬密輸組織への掃討作戦、いわゆる麻薬戦争は、組織間の抗争を激化させた(注1)。米国との国境がある北部地域が主戦場で、沿岸部や南部の一部にも及ぶ。それらの地域では、麻薬密輸組織が抗争で殺し合い、市民、政治家、ジャーナリストにも被害が及んでいる。メディアではたびたび、見せしめにさらされた凄惨な死体の写真が取り上げられる。06年末以降、メキシコにおける麻薬犯罪がらみの殺人件数は12万人に上るともいわれる。

筆者は、麻薬関連犯罪の経済的要因に関して研究するため、米ハーバード大学のメリッサ・デル博士、米イリノイ大学シカゴ校のベンジャミン・ファイゲンバーグ博士らと、メキシコ都市部で雇用機会の喪失が麻薬関連の凶悪犯罪増加にどれほどつながるのか調べた(Dell, Feigenberg and Teshima, 2019, 論文へのリンク)。

雇用機会と犯罪の両者の間の因果関係を示すことは、簡単ではない。仮に、雇用が減ると犯罪が増えるという「雇用と犯罪の負の相関関係」を見つけたとしよう。だが、それだけでは雇用機会が減ったから犯罪が増えたのか、犯罪が増えたから雇用が減ったのかを区別できない。このようなとき、雇用機会には影響するが犯罪には直接影響せず、また犯罪に影響する観察不能な要因とは相関しない変数を「操作変数」として使うのが、経済学の実証研究で有力な方法の1つである。

雇用が密輸や殺人と関係?

そこでわれわれは都市部の雇用機会の中でも製造業に注目した。メキシコの輸出産業の中でも、非熟練労働者が雇用に占める割合が大きい産業は、米国市場で中国との競争にさらされてきた。そのため、中国との競争にさらされるような産業に依存する都市とそうでない都市で、製造業の雇用および犯罪の変化にどのような違いが生じたかを分析した。言い換えれば、メキシコ各都市の製造業雇用に対し、中国による対米輸出の増大のうち、中国による供給で説明されそうな部分を「操作変数」として用いた。

主要な結果は次の3つである。

①製造業労働者の減少の度合いが大きい都市では、コカイン密輸、麻薬関連殺人の増加が見られた。ただし、この効果は全体としては強いものではなかった。②国際密輸を行っているような非合法組織が活動する地域において、製造業労働者の減少、とくに非熟練男性労働者の雇用減少がコカイン密輸、殺人を増やしていた。その一方でマリフアナ密輸には影響が見られなかった。③国際密輸を手がけているような非合法組織が存在しない地域においては、雇用と犯罪の関係はまったく見られなかった。

このように、都市の特徴において大きな違いが見られた。こうした地域ごとの効果の特徴を考慮したうえで、中国との競争要因による雇用の喪失がまったくなかったとすると、07~10年の麻薬犯罪がらみの死者数の増大のうち、26%は起こっていなかったであろうという試算になる。

なお、07~10年の中国との競争激化による製造業の雇用の変化と、07年以前の殺人件数やコカイン密輸の増加との間には、何の相関も見られなかった。仮にここで両者に負の相関が見られると、07~10年に中国との競争激化で製造業労働者数が減った地域では、すでに何らかの事情で犯罪が増加傾向にあったことになる。このことは、犯罪に影響する観察不能要因が雇用機会の変化とも相関してしまい、操作変数が使える条件の1つを満たさなくなってしまう疑いが強くなる。これは、操作変数を使った分析に対して、経済学者が真っ先に思いつく問題点である。しかし、そうした問題点は排除することができ、分析の説得力を上げられた。

これらの結果は、マリフアナ密輸に比べてコカイン密輸は、米国向けビジネスで利益率が高い一方、対他組織、対警察、また自組織内監視用に、より多くの見張りの人手を必要とすることと整合的である。非熟練男性労働者の製造業雇用機会の減少によって、麻薬密輸組織がそうした雇用を吸収し、その労働力を生かす方向にコカイン密輸を増やす。その密輸活動が活発化する結果、縄張り争いが生じ殺し合いが起きたと考えられる。

さらに製造業の雇用減少が、地域の政策・政党の変化や地域政府の支出減少、あるいは麻薬の需要変化を通じて犯罪に影響したわけではないことも示した。これらの代替仮説の排除により、密輸組織の雇用吸収という仮説の妥当性が強化された。

経済的な負のショックが、犯罪活動に関わることの機会費用を下げて犯罪を誘発する──。この考えは、ノーベル経済学賞を受賞した故ゲーリー・ベッカーらが提唱した。ただし、この考えが、殺人のような凶悪犯罪に関して説明力があるか、経済学者の見解は分かれる。その経済学者が先進国の文脈で仕事をしているか、途上国の文脈で研究をしているかによって正反対と言ってよい。先進国では(増えるとしたら窃盗のような犯罪であって)殺人のような凶悪犯罪は増えない、という結果がほとんどである(注2)。他方途上国では、凶悪犯罪、反乱が増えるという研究が多いが、農村の文脈が中心で殺人の大多数が起こる都市に当てはまるかがわかっていなかった(注3)。

われわれの研究結果は、メキシコのような相対的に貧しく非合法組織での仕事が見つかりやすい文脈では、先進国の実証結果はそのまま適用できないことを示している。また、ベッカー理論に非合法組織の活動の観点を入れることの重要性を示すものでもある。

経済政策が治安対策にも

結果は、社会・経済政策が犯罪減少に果たしうるという含意もある。分析した11年までに麻薬戦争の犠牲となった死者の大部分は、犯罪組織間もしくは組織内の殺し合いによるものだった。これは一見すると悪人同士の殺し合いに思えるかもしれない。ところが研究結果は、職の機会があれば彼らは「悪人」にならず死ななかったかもしれないことを示唆する。昨年12月に就任したロペスオブラドール大統領は、経済、社会政策を通じた犯罪組織の採用力低下を治安政策の1つとしている。われわれの研究は、その政策の大きな方向性と整合的である。

もちろん、研究結果には留意が必要だ。分析期間が終了した後、麻薬の密輸組織は分裂を繰り返し、密輸以外の活動にも手を広げている。また、メキシコの主要輸出産業も変化している。そのような状況では、国際競争による雇用喪失が犯罪、殺人へ与える影響は異なるかもしれない。しかし、労働市場の状況が殺人件数の重要な要因でありうること、それには非合法組織の活動と非熟練男性労働者との補完代替関係が重要な役割を果たしていることは、一般化できると考える。メキシコ新政権の政策にも、こうした視点が取り入れられることを期待したい。


注1:この点に関しては、私の紹介論文の共著者のMelissa Dell氏が、政権与党と同じ党出身の市長が当選後、密輸組織間の抗争を激化させ、麻薬紛争関連の死者数を増やしたという論文を執筆している(Dell , 2015)。また、メキシコ麻薬紛争の要因についての研究は馬場香織「メキシコの麻薬紛争に関する予備的考察 」星野妙子編『21 世紀のメキシコ:近代化する経済、分極化する社会』調査研究報告書 アジア経済研究所 2017 年 でサーベイされている。論文ファイルへのリンク

注2:例えば先進国の研究を中心に犯罪と経済的動機についての論文をサーベイしたDraca and Machin (2015)は凶悪犯罪については経済的動機が重要であることはないであろうとそもそもサーベイの対象外にしている。

注3:例えばメキシコの文脈であれば、Dube, Garcia-Ponce and Thom (2016)はメキシコ農家のマリファナ栽培インセンティブがトウモロコシ価格の変動によってどう変わるか、その結果、農村地域での麻薬紛争関連殺人がどのような影響を受けたかを分析している。

参考文献

Dell, Melissa. 2015. Trafficking Networks and the Mexican Drug War. American Economic Review, 105, 1738–1779. 論文関連ファイルへのリンク.

Dell, Melissa, Benjamin Feigenberg, and Kensuke Teshima. The Violent Consequences of Trade-Induced Worker Displacement in Mexico. American Economic Review: Insights, 1(1) 43-58, 2019. 本文付録、ともにダウンロード可能。出版バージョンもダウンロード可能。

Draca, Mirko. and Stephen Machin. 2015. Crime and Economic Incentives, Annual Review of Economics, 7, 389–408. 論文ファイル(ワーキングペーパー版)へのリンク

Dube, Oeindrilla, Omar Garcia-Ponce, and Kevin Thom. 2016. From Maize to Haze: Agricultural Shocks and the Growth of the Mexican Drug Sector. Journal of European Economic Association, 14, 1181–1224. 論文ファイル(ワーキングペーパー版)へのリンク


追記

安田洋祐さんに朝日新聞上で2019年5月の「今月の論考」の3本のうちに選んでいただきました。