バッテリーリサイクル論文紹介

環境規制強化の意図せざる帰結:アメリカとメキシコのバッテリーリサイクル産業の事例

手島健介


Tanaka, Shinsuke, Kensuke Teshima, and Eric Verhoogen. 2022. "North-South Displacement Effects of Environmental Regulation: The Case of Battery Recycling." American Economic Review: Insights, 4 (3): 271-88.


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週刊東洋経済に出版した簡略版はこちら

朝日新聞#論壇に研究を紹介して頂いた記事(環境規制の強化、移転する汚染)

紹介されている論文へのリンクはこちら(AER: Insights出版バージョン[本文][付録]WP最終版)

概要


近年の地球環境問題への懸念の高まりから、特に先進国では温室効果ガスや汚染物質等の排出により厳しい環境規制が適用されているものの、途上国では先進国と同じ水準の規制は必ずしも適用されていない。


豊かな先進国での規制強化は、環境汚染を引き起こす生産工程がより貧しい開発途上国に移転されるだけなのではないか?


この疑問に答えるため、田中、手島、Verhoogen (2022) は、アメリカとメキシコのバッテリー(蓄電池)リサイクル産業をめぐる動向に着目した。

そして、アメリカで規制が強化された結果、確かにアメリカのバッテリーリサイクル工場周辺の環境改善が見られた一方、アメリカから規制の緩いメキシコへの使用済みバッテリーの輸出が増大し、現地でリサイクル量も急増したことを実証した。さらに、リサイクル量が増加した工場の周辺では健康被害を引き起こしたという意図せざる帰結ももたらしたことを明らかにした。


この研究は、2022年にAmerican Economic Review: Insights誌に発表された。


背景:先進国での環境規制強化の落とし穴


先進国のみで環境規制が強化された場合、汚染物質を排出する産業は規制の緩い途上国へ移転してしまうのではないか?」という問題は「汚染逃避地仮説」と呼ばれ、従来から数多くの研究成果が蓄積されてきた [1]


また、先進国からの汚染産業移転が途上国で健康被害をもたらしている可能性はメディアでも指摘されていた [2]。


しかし、先進国と途上国の両方のデータを用い、先進国での規制強化が途上国に与える影響を追跡した研究は存在せず [3]、決定的な結論は得られないままであった。


ある国の国内政策が他国に及ぼす影響を追跡するには2カ国以上のデータを用いる必要があり、さらにどの国に影響するかも考慮しなければならないため非常に難しい。また、厳密に実証するには他国の中で特に影響を受ける(受けない)人や地域をみつけておかなければならないことも、これまで研究が行われてこなかった原因の1つである。



方法:なぜアメリカとメキシコのバッテリーリサイクルか?


本稿で紹介する研究は、まさにその問題に挑んだものだ。筆者らは、バッテリーリサイクル産業とアメリカにおける環境規制強化に着目し、先進国における規制強化が汚染物質を排出する生産を途上国に移転させたことを、先進国と途上国双方のデータを用いて実証した。さらに、途上国では移転により健康被害も起きていたという結果が得られた。


なぜバッテリーのリサイクルに着目したのか。その主な理由は、以下の2点である。


  1. 分析に適した状況が作り出されていたこと、

  2. 適切なデータが存在したこと、


第1に重要なのは、バッテリーと不可分な関係にある鉛への環境規制がアメリカで強化された一方、メキシコでは 強化されなかったという事実だ。アメリカでは現在、生産された鉛の9割は自動車や産業機械などのバッテリーに使用されている。そして、使用済みバッテリーはリサイクルを通じて、また鉛に生まれ変わる。このリサイクルを通じた生産は鉛生産量の9割を占めている。要するに、「鉛から新バッテリーが作られ、使用後にまた鉛になる」という循環体系になっているのである (ともに2010年時点)。


鉛は非常に有用な金属である一方、健康被害を引き起こすことも知られており、塗料やガソリンへの使用は世界各国で規制対象となっている。結果、規制強化前の段階ではバッテリーリサイクル工場は鉛の主要排出源となっていた。実際、健康被害の懸念から、アメリカは2009年1月に鉛大気排出規制 (鉛許容量) を、1㎥当たり1.5μgから0.15μgへと大幅に強化した。一方で、隣接するメキシコの排出基準は、筆者らが分析の対象とした期間中は一貫して1㎥当たり1.5μgのままであった。

このように、先進国と途上国の間で環境規制の強さに差が生じたことで、筆者らの問題意識を検証するにはうってつけの状況が作り出された。すなわち、アメリカとメキシコのリサイクル工場の活動を同時に分析すれば規制強化の影響を追跡できるし、比較的重い物質で汚染源からあまり遠くまで飛ばないという鉛の性質を利用すれば、アメリカの規制強化前後でメキシコにおいてリサイクル工場付近に住んでいる人とそうでない人の健康状態等がどう変化したかを比較することでその影響を分析できるのである。


第2に、分析に適した詳細なデータが利用可能であった点も重要なポイントだ。特に、バッテリーリサイクルにとっても最も重要な投入物である「使用済みバッテリー」のアメリカ・メキシコ間の貿易量データ、両国におけるリサイクル工場の正確な場所、加えて両国の環境指標や人々健康に関するデータは、分析を左右する情報である。


これらのデータがあれば、アメリカでの規制強化後、メキシコへの使用済みバッテリーの輸出が増えたかどうか、メキシコでリサイクル量が増加したかどうか、そしてメキシコで環境被害や健康被害が生じたかどうかを分析することができる。


結果:汚染はアメリカからメキシコへ


筆者らは、まずアメリカで規制が強化された2009年1月以降、新たな基準である鉛許容量0.15μgを超えていた鉛排出企業の鉛排出が、以前から新基準を満たしていた企業と比べて急減したことをデータから確認した。また、そのような鉛排出企業のうちのほとんどがリサイクル工場であった。規制強化は、アメリカのリサイクル工場の排出量を確かに減少させていたのだ。


加えて、鉛排出量とリサイクル工場・大気汚染計測モニター間の距離を分析したところ、鉛排出は工場から約3km以内で特に減少していたこともわかった(この距離はメキシコを対象とした分析でも重要となる)。つまり、アメリ カでは規制強化の結果、環境が改善していたことが明らかになったのである。

しかしその背後で、アメリカからメキシコへの使用済鉛バッテリー輸出が急増したこともわかった。図1には、2005~08年の間は横ばいだった輸出額が2009年以降急拡大した様子を示している。

図1 アメリカからの使用済みバッテリー輸出量の推移:メキシコ or その他の国

(注)各点は、アメリカからメキシコ(青)、およびその他の(赤)への月次輸出量を示す。折れ線は、3カ月バンド幅で平滑化した局所多項式トレンドを示す。垂直線は、規制が強化された2009年1月12日を示す。なお、規制強化の実施に先立つ2008年5月1日に規制変化が公布され、その直後の2008年5月と6月のみ輸出量がジャンプしており、局所多項式トレンドの計算からは除外している。


加えて、メキシコにおいてバッテリーリサイクルの量が増加した様子も確認された。具体的には、類似産業に比べてバッテリーリサイクル産業の2003~08年の生産額の成長率は低調であったにもかかわらず、2008~13年では一番高くなっていた。つまり、アメリカでの規制強化以降、バッテリーリサイクル産業がメキシコに移転したことが明らかになったのである。


さらに筆者らは、メキシコにおける健康被害についても分析した。その際、データで利用可能だった新生児の体重を健康指標とし、低体重出生の割合に着目した。この指標は、環境汚染が健康に与える影響として従来からよく用いられてきた。また、新生児は被害が早期に現れることが知られている。そのため、2009年の規制強化以降の反応を確認するうえで適した指標である。


その結果、メキシコではアメリカの規制強化後、上述のアメリカの分析で環境改善が確認された距離であるリサイクル工場から約3km以内の地域の新生児の低体重出生の割合が、約3~6km離れている地域と比べて増加したことがわかった。


さらに、この傾向は主に社会的に不利な階層に含まれ、社会保険が適用されない人々が利用する「メキシコ保健省運営病院」という公営病院で生まれた子どもに集中していた。つまり、アメリカにおける規制強化の結果、リサイクル産業がメキシコに移転し、特にメキシコにおける貧困層の人々が健康被害を受けていることが明らかになったのである。



おわりに:汚染被害が途上国の弱者に集中することの意味


ただし、今回の分析結果が一般的に当てはまるか否かはまだわからないという点には注意が必要だ。


従来の研究で汚染逃避地仮説の分析結果が定まっていなかった原因の1つとして、汚染産業はたとえば化学工業など資本集約的な産業に多く移転費用が高いため、実際には移転しにくいことが指摘されている。それに対して、使用済バッテリーと非熟練労働があれば運営可能なバッテリーリサイクル業は、特に途上国に移転させやすい産業だとみなすこともできるため、例外的な結果と言えるかもしれない。


とはいえ、本論文の結果は汚染逃避地仮説に関する研究の方向性を変える可能性を秘めているとも考えている。というのも、アメリカでもメキシコでもバッテリーリサイクルには個別の産業コードは付与されていないため、産業レベル、あるいは企業・工場レベルであっても、通常の産業分類しか付されていないデータでは今回のような分析の実施は非常に困難だ。筆者らの研究は、鉛とバッテリーリサイクル産業に関する背景知識があったからこそ可能となったものである。他の汚染産業でも同様に汚染と移転可能性に関する背景知識に基づいてより詳細な分析を行うことで、新たな発見があるかもしれない。


汚染逃避地仮説は環境政策の先進国・途上国間の協調を正当化する論理の1つでもあり、政策的にも極めて重要だ。本研究は、汚染逃避地仮説のより詳細な実証分析の必要性を強く裏づけていると言えるだろう。


最後に、「環境被害の影響を受けていたのが新生児や貧困層の人々であった」という結果をふまえて、政策的な論点を提示したい。途上国がどの程度の環境汚染を許容するかは、「汚染産業の発展が自国に与える経済的なメリットと、環境・健康被害などのデメリットを比較考量して、途上国自身が決めるべきだ」という主張も考えられる。

極端な話、ローレンス・サマーズは、世界銀行チーフエコノミストを務めていた当時、「ここだけの話、世界銀行は汚染産業をもっと発展途上国に移転させることを促進すべきでないのか」[4] と発言して大きな批判を浴びた。しかし彼の発言に基づけば、「途上国の住民はきれいな大気よりも経済成長を望んでいる可能性が高いから」という理屈も考えられるため、途上国の自主性を尊重した1つの立場であるともみなせる。


これに対して、途上国における環境汚染の被害が新出生児や貧困層の人々に偏っていたという筆者らの研究結果は、「環境汚染をどれだけ許容するか」について議論する際に、「次世代の人々や社会的弱者の声が反映されているか」を考慮すべきではないか、という問いを投げかける意味でも重要だと言えるだろう。

[1] このトピックは、次のようなサーベイ論文の中で大きく取り上げられる重要テーマである。Cherniwchan, Jevan, Brian R. Copeland, and M. Scott Taylor (2017) “Trade and the Environment: New Methods, Measurements, and Results,” Annual Review of Economics, 9: 59–85. Copeland, Brian R. and M. Scott Taylor (2004) “Trade, Growth, and the Environment,” Journal of Economic Literature, 42: 7–71. Copeland, Brian R., Joseph S. Shapiro, and M. Scott Taylor (2022) “Globalization and the Environment,” Gita Gopinath, Elhanan Helpman, and Kenneth Rogoff, eds., Handbook of International Economics, Vol. V: 61-146, Elsevier. など。[本文に戻る]


[2] Rosenthal, Elisabeth (2011) “Lead From Old U.S. Batteries Sent to Mexico Raises Risks,” New York Times, Dec. 9, 2011. [本文に戻る]


[3] たとえば、アメリカの環境規制がアメリカ企業の海外直接投資に与える影響を分析した次の論文では、途上国への直接投資を見た分析は、1つの表のみであり、しかもそこでは統計的に有意な影響を見られなかった。Hanna, Rema (2010) “US Environmental Regulation and FDI: Evidence from a Panel of US-based Multinational Firms,” American Economic Journal: Applied Economics, 2: 158–189.[本文に戻る]


[4] “Just between you and me, shouldn’t the World Bank be encouraging MORE migration of the dirty industries to the LDCs [Least Developed Countries]? ” The Economist, “Let Them Eat Pollution,” Feb. 7, 1992.[本文に戻る]


*本研究紹介執筆の際に、尾崎大輔さんから非常に質の高い編集上の助力を頂いた。