橋づくし2:東海道から見る富士山
六郷橋からの山岳展望(PeakFinderによる実写合成画面)。富士山、丹沢では蛭ヶ岳、ほかに雲取山、武甲山などが見えていそう。この日の天候だと南アルプス(塩見岳)は雲の中だろう。山並みは実際よりも上にもち上げて表示しており、座標・方向も完璧を期してはいない。
六郷橋北詰から富士山方向(カシミール3DによるCG描画)
大山(左)と塔ノ岳(右)の間に挟まって美しい姿をみせていることがわかる。
江戸時代のほとんどの時期、六郷は舟渡となっていました。
眺望地点は限定されますが、主として多摩川の東京側から、いまも(よく晴れた日には)富士山を眺めることができまする。東海道本線や京浜急行の車窓からも見えます。
現在の旧東海道を、東京から出発して歩くと、初めて富士山が見えるのは、六郷橋であろう。ギリギリの地店でようやく、都内から旧東海道からの富士山が見える、ということになります。
歌川広重『東海道五拾三次之内(保永堂版』 川崎 六郷の渡し(New York Public Library)
歌川貞秀「東海道六郷渡風景」(1863)(Museum Fine Arts Boston)
さすが鳥瞰図を得意とした”五雲亭”貞秀、富士山の前山を想像ではなくリアルな山容で描いている(なお山名の注記はたぶんまちがっている。この方向にある「高尾山」は長津田の東工大(東京科学大)すずかけ台キャンパス構内の小山のことかもしれないが、そもそも見えない。この山は丹沢 蛭ヶ岳だろう)。
現在の六郷橋からの眺望(2025/1/10撮影)
京浜急行電鉄本線の向こう、ビルの谷間に見える山なみ。左側に富士山、右側に丹沢(やや尖った三角の山容が蛭ヶ岳)
六郷渡船着き場から川崎宿方向 東海道 : 広重画五拾三次現状写真対照 秋好善太郎 編 東光園(大正7年4月)
国会図書館デジタルコレクションより https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/12395147/1/23
広重 五十三次之内 川崎宿(後刷りか?)東海道 : 広重画五拾三次現状写真対照 秋好善太郎 編 東光園(大正7年4月)
国会図書館デジタルコレクションより https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/12395147/1/22
品川橋から富士山方向(カシミール3DによるCG描画)
現在の鶴見川橋中央付近からの富士山の眺望(2025/1/10)
https://www.mfa.org/かろうじてではあるが、富士山の山頂付近を見ることができる
3世歌川廣重『東京横浜名所一覧図会 鶴見川の景』(1872)、Museum Fine Arts Boston
歌川広重『五十三次名所図会(竪絵東海道)』川崎 鶴見川 生麦の里(Museum Fine Arts Boston)
(現)新鶴見橋=旧東海道鶴見橋から富士山方向(カシミール3DによるCG描画)
頂上のみが顔を出すのは、近隣の丘に隠されている影響。江戸時代と今とで、富士山の眺めは大きく違わないようだ。
江戸名所図会を着色「市民グラフヨコハマ」101号、1997年9月
現在の鶴見川橋(2025/1/10撮影)
江戸時代の名称は鶴見橋、現在は20世紀末に掛け替えられた「鶴見川橋」が旧東海道にかかっています。
江戸時代には橋の江戸側(市場村側)に「米饅頭(よねまんじゅう)」の茶店が並び、景勝の場所として知られていました。現在も橋のほぼ中央あたりから富士山を眺めることができます。江戸時代の旅行記には「大山が見える」ことも注記されていました。
歌川広重『東海道五十三次之内』保土ヶ谷 帷子橋(PublicDomainQ)
帷子橋跡から富士山方向(カシミール3DによるCG描画)
目の前の高台に富士山が隠されています。江戸時代初期の東海道はこの高台の上を通りました。
江戸名所図会を着色「市民グラフヨコハマ」101号、1997年9月
天王寺駅前公園内の帷子橋跡地(2018/7/8撮影)
保土ヶ谷宿西入口、現在の相鉄本線天王町駅前に帷子橋跡がある。この付近は江戸時代は船着き場で陸海輸送の拠点として賑わった。なお、富士山は今も昔も見ることができない
現在の国道1号線 馬入橋 東詰から富士山の方向をマゼンタの線で示す。江戸時代も、同じ位置で相模川をわたったとすれば、富士山をほぼ前方に見ながら川を渡ったことになる
馬入橋=現在の国道1号線から富士山方向(カシミール3DによるCG描画)
ここから富士山の山容がきれいに見える。
現在の馬入橋(2023/12/16/撮影)
江戸時代は舟渡し。現在は国道1号線 馬入橋がかかっている付近が旧東海道。相模川左岸からはどこでも富士山がよく見える。馬入の渡しでは、ほぼ富士山を目標に川を渡ることになる。現在の言葉でいう「山アテ」である。
(東海道本線は相模川鉄橋で高来寺山山アテだが、国道1号線はどちらかというと富士山の方を向いている)
現在の国道1号線 酒匂橋東詰からの富士山の方向をマゼンタの線で示す。
(現)酒匂橋から富士山方向(カシミール3DによるCG描画)
旧東海道は、東海道新幹線や東海道本線よりも海側にあり、酒匂川をわたる橋上から富士山の山頂を眺めることができた。旧東海道を歩いていくと、ここより小田原側で富士山が山裾に隠れてみえなくなる。
酒匂橋東詰(酒匂川左岸サイクリング場)付近から(2022/12/7撮影)
江戸時代は徒渡し。
旧東海道の富士川側出口。富士山の方向をマゼンタの線で示す。
(現)富士川 旧東海道登り口から富士山方向(カシミール3DによるCG描画)
日本橋から豊川まですべて同じ設定(300mmレンズカメラ)のシミュレーションで富士山を描画した。富士川では富士山が大きすぎて設定したカメラに収まらない。
富士川橋中央付近から(2022/12/12撮影)
江戸時代は舟渡し。日本三急流といわれた富士川を渡るため、舟は上流に向かって流れに逆らって勢いよく漕いだことだろう。
旧東海道吉原駅付近の現・河合橋。富士山の方向をマゼンタの線で示す。
(現)河合橋南詰から富士山方向(カシミール3DによるCG描画)
日本橋から豊川まですべて同じ設定(300mmレンズカメラ)のシミュレーションで富士山を描画した。富士川では富士山が大きすぎて設定したカメラに収まらない。
河合橋北で東海道屈曲点、旧東海道はここから左にそれる。正面の「富士山アテ」の道は現代の道で、旧東海道ではない(2019/3/24撮影)
古絵葉書 河合橋(Oxford University Library)
古写真 依田橋(Oxford University Library)
F. Beato 依田橋(New York Public Library)
左富士になっているので明らかに場所が違う。何かの間違いだろう。
安倍川橋西詰から富士山を望む線をマゼンタの線で示す(カシミール3Dによる)。
旧東海道から大井川渡場に入る時に、富士山の方向が「山アテ」となっていることがわかる。
丸子側の安倍川橋西詰跡から富士山(カシミール3DによるCG描画)
(上)広重『隷書東海道』府中(Musuam of Fine Arts Boston)(下)広重『東海道五十三次之内』府中(Art Institute of Chicago)京上り方向での安倍川渡しで、富士山は描かれていない…。
現在の安倍川橋、西詰付近 (2023/2/6撮影)
江戸時代は徒渡し。丸子側から府中側へわたるとき、富士山を目標に川を渡ることになる。現在の言葉でいう「山アテ」である。
大井川渡場跡から富士山を望む線をマゼンタの線で示す(カシミール3Dによる)。
旧東海道から大井川渡場に入る時に、富士山の方向が「山アテ」になっている。
大井川渡場跡(右岸金谷側)から富士山(カシミール3DによるCG描画)
現在の大井川橋西詰から富士山(カシミール3DによるCG描画)
一つ上の図から北へ僅かな距離を移動しただけだが、富士山が手前の山裾に隠れがちになり、展望が俄然悪くなる。
葛飾北斎『富岳三十六景』東海道金谷の不二(PublicDomainQ)
葛飾北斎『東海道五十三次・絵本駅路鈴』 金谷(PublicDomainQ)
北斎の五十三次は人物絵主体の物が多いが、上図は風景画といってよい構図になっている。
大井川緑地公園から大井川橋と富士山を望む(2022/12/20撮影)
江戸時代は徒渡し。金谷側から島田側へわたるとき、ほぼ富士山を目標に川を渡ることになる。現在の言葉でいう「山アテ」である。金谷川の大井川の渡し場は、比較的富士山がよく見える場所に設定されていたことがわかる。
新居関所前、船着場跡跡からの富士山(カシミール3DによるCG描画)富士山右側の目立つ山容は大日(881m)、左側の最高地点は大谷(1009m)
歌川広重『五十三次名所図会(竪絵東海道)』新居(Museum of Finae Arts Boston)
江戸時代は船渡し。浜名湖付近は現在も新幹線や東海道本線から富士山をきれいに展望することができる。上図の竪絵東海道では渡し船が富士山に向かっているように描かれているが、あまり信用できない。
葛飾北斎『富岳三十六景』東海道吉田 不二見茶屋(PublicDomainQ)
豊橋(当時も橋)から富士山は見えないが、それから数十分西に歩いたあたりが、東海道の富士山再遠望地点で、富士見茶屋が数軒あった。
余談かつ邪推になるが、このあたりからは南アルプスの聖岳がよく見える。富士山が見えることは(江戸時代当時といえども)多くなかっただろうから、聖岳を富士山と間違えて見て喜んでいたこともあったかも知れない。
2025/1/10-2025/8/24 眞田則明
カシミール3D、”山旅地図”によるCG描画。地上約2m、300mmレンズ、富士山剣ヶ峰直下標高1000mを画像の(左右、上下の)中心目標に設定、”残雪の山々”風景設定
「市民グラフヨコハマ」101号、1997年9月
『東海道 : 広重画五拾三次現状写真対照』秋好善太郎 編、東光園(1918年4月)、国立国会図書館デジタルライブラリー
『東海道変遷史』建設省道路局、交通毎日新聞社(1959年12月)
『東海道五十三次』岩波写真文庫187(1956年5月)
『東海道』角川写真文庫
『五街道細見』岸井良衛、青蛙房(1959年2月)