ハッカは中国から、日本の岡山県や広島県、そして山形県に伝わりました。
その後、山形県から北海道にハッカを持ち込んだのは、現在の天童市高擶の屯田兵である石山伝次郎です。
こうして北海道でもハッカ栽培が開始されました。
山形県では明治時代初期から戦前にかけてハッカの栽培が盛んに行われていました。
山形県は国内有数のハッカ産地でしたが、
年によって価格変動が激しい
他産地との競争
桑栽培の台頭
などを理由にハッカ産業は衰退してしまいました。
衰退してしまった山形県のハッカ産業ですが、ハッカは今でも田んぼの畦道などの道端に自生しています。
ハッカは、根が土の中に残っていれば栽培を終えた土地でも生えてくることができます。
ハッカの根の強さと、山形の豊かな自然が、山形のハッカを守ってきたのです。