名古屋大学卒業。数多くの事業立ち上げに参画し、ゼロベースから軌道に乗せるまでを総合支援。現在は主に企業や自治体での研修講座コーディネート、経営再建請負人として活動の幅を広げている。更に東京都社会教育団体や一般社団法人の代表を務め、コミュニティ形成・日本文化振興に向けた公益活動にも積極的に取り組んでいる。公共政策や経営、イノベーション、未来テクノロジーなど、定まった答えの無い「未知課題」探究をライフワークとする。首都圏を中心に全国の大学にてキャリア系講座を実施(登壇実績約70大学)。国家総合職講座、東大講座、医系講座など常に最高峰の講座を担当。
日本は「ライフ」=「ワーク」
「ライフワークバランス」の前提には、「ライフ」と「ワーク」は別のものである、と言う発想があります。
「ワーク」の領域が過度に大きくなってしまうと、「ライフ」を圧迫してしまう。だから、「ワーク」の領域を調整して、「ライフ」を充実させよう、と言う考え方ですが、ここでは「ライフ」と「ワーク」は対立するものとして定義されています。
しかし、日本の伝統的な価値観で、「ライフとはワークそのもの」ではないでしょうか。「ワーク」に一生懸命取り組むことが、その人の「ライフ」として誇りになるのです。
日本における「ワーク」は手段ではなく目的
欧米において「ワーク」とはお金を稼ぐための手段としての意味合いが強く、その結果、より良い待遇を求めて転職も盛んです。
一方、日本において「ワーク」は「ライフ」そのものであるため、賃金はあくまでも付加的なもので、「ワーク」自体に価値が置かれます。転職は「自殺して来世に生まれ変わる」ようなものであり、あまり好ましい生き方とはされません。
少ない「ワーク」で「ライフ」を楽しむ人は
欧米で、ほとんど働かずにお金を手にし、好きなことをやって暮らしている人は、成功者として羨まれます。
一方、日本では、ほとんど働かずに好きなことをやっている人は、「怠け者」として軽蔑されます。
逆に、割に合わない賃金で重労働をしている人は、欧米では蔑まれますが、日本では、「真面目」「堅気」と、かなりカッコイイ印象です。
以上のように、欧米と日本では「ワーク」の捉え方が正反対であり、西欧かぶれの学者が、「ライフ」「ワーク」の対比を日本に無理矢理押し付けようとしているのが現状です。
勿論、どちらの考え方が良い、とか決めることはできませんが、そろそろ、「ワーク」=「ライフ」と言う、日本の伝統的な生き方も再評価されても良いのかもしれません。
「ワーク」と「ライフ」を対立させてしまったせいで、「ワーク」に対してネガティブになってしまう人が多い昨今、「ワーク」=「ライフ」の考え方は、ワークに追われる生活を送っている人の支えになるのではないでしょうか。
仕事に愛を
仕事のストレスにより、体調を崩す人が多くなっています。
これは企業側の責任であるかのように言われますが、企業側の体制は何十年も前から変わっておらず(寧ろ改善してきている)、要因は別のところにあるのではないでしょうか。
労働意欲を削ぐ世の中の風潮
最近は、やれプライベートを充実させる、とか、ブラック企業だとか、労働者を不安にさせるような話ばかりが出ています。
ただ、実際には因果が逆で、このような風潮が出回ってしまったが故に、「自分は不運な環境にいる」と思い込んでしまう人が大勢いるのです。
職場環境が劣悪で、転職したら、もっと酷かった、とはよく聞く話ですよね。
労働環境優先主義者の理想
利益を追求するのを悪として、労働環境を弛くするように唱えるのは、一見、正論に見えますが、それは、労働環境を弛くしても経営が磐石であることが前提になっています。
ところが、世の中、そんなに甘いものではなく、労働環境を弛くすると、すぐに競合相手に追い抜かされてしまう可能性が高いのです。逆に、労働者のために環境を弛くできる企業は、大手に限られてくるのでしょう。
さて、労働環境を弛くした結果、会社が潰れ、失業し、一家は路頭に迷う、、、こうなっては元も子もありません。
残された道はただ一つ
労働環境を弛くすると倒産の危機に直面する、となれば、我々は生きるために必死に働くしか道は残されていない訳です。
そのためにも、やはり「会社のために働く」と言う愛社精神が大切です。
下手に世の中の噂に足を引っ張られ、「うちの会社はブラックかも」と思い込んでしまったら最後。労働意欲は無くなり、会社のお荷物になってしまうのです。
「家族のために働く」のと同じぐらいの気持ちで「会社のために働く」家族を愛するのと同様に、会社を愛する。
愛があれば、どんな困難でも乗り越えられる!、、、、はちょっと言い過ぎかもしれませんが、前向きに毎日を送れることは確かです。
人生のほとんどは仕事に費やすのですから、仕事に愛を見出だしましょう!