私は思考や行動の制御がうまくできなくなった状態の人を一人で世話した時期が短いながらあるが、その時間は地獄のようだった。なぜ自分が重荷を背負わなくてはならないのかと絶望した瞬間もあった。でも、私はその人のことが本当に大切で、それはずっと変わらなかった。私の絶望は誰に頼ればよいか分からない状態に追い詰められていたからであり、その中でも助けてくれる人々のおかげで私とその人は何とかその状態を脱することができた。
私が一番辛いし許せないのは、そういう困難を抱える人と共に生きることの難しさを引き合いに出し、そのような人々の存在を社会から排除しようと主張する人間がいることだ。
私たちは「きれいごとでないこと」も、「きれいごと」も両方を語るべきだ。きれいごとでないこととは、困難を抱える人とその周りの人々を、社会が根気強く泥臭く支え、選択肢を示し続け助け続けるための具体的な詳細を模索することであり、(大切にすべき)きれいごととは、特定の人間についてその属性を理由に生存を抹消すべきと主張することが決して許されないことであるという絶対に揺るがしてはいけないという理念だ。