デジタル・アーカイブを活用した総合的な優生政策史研究
なぜこの研究を行おうと思ったのか(研究の背景・目的)
研究の全体像
かつて日本では、「優生保護法」(1948〜1996年)のもとで、障害や病気があることを理由に、強制不妊手術(本人の意思に関係なく子どもを産めなくする手術)が行われていた。このような手術は、医学的知識に基づく医療行為が深刻な人権侵害を引き起こした点で、倫理的・法的・社会的課題(ELSI:Ethical, Legal and Social Issues)に関わる重大な問題である。
ELSI(エルシー)は、新しい科学技術が社会に導入される際に議論されることが多い。しかし、この研究では、これまで見過ごされてきた強制不妊手術と、その背景にある優生政策に関するELSIを歴史的に解明し、現代や未来の医療技術のあり方を考えるための手がかりとする。
海外では、強制不妊手術に関する資料の収集や研究が進んでいる。しかし、日本では当時の公的な文書や診察記録の多くが廃棄、非公開とされ、資料の調査や分析が非常に難しい状況にある。この研究では、日本の優生政策に関する資料を幅広く収集し、長期保存と公開を目的としたアーカイブを構築する。そして研究者が協力し、強制不妊手術の実態やその運用の仕組みを詳しく調べ、この問題が現代社会において持つ意味を明らかにする。また、研究の発展のため、集めた資料をデジタル化し、ウェブ上で活用できるデジタル・アーカイブを整備する。ただし、これらの記録には差別につながる内容が含まれるため、当事者(差別の対象となりやすい人々)の意見を取り入れながら公開範囲を慎重に検討し、適切な公開ルールを策定する。
この研究を通じて、日本の優生政策の歴史を記録し、資料をもとに総合的に分析する。そして、多くの人に知ってもらうことで、公正で開かれた歴史研究に貢献することを目指す。
本研究が挑戦する課題
本研究が取り組む3つの事業には、それぞれ重要な課題がある。まず、アーカイブの構築や資料の収集・整理・公開では、歴史的な診療記録・行政文書・公開された統計資料など、それぞれ異なる配慮レベルの資料をどのように取り扱うかについての倫理的指針を当事者の参画を得ながら定めることが必要である。次に、多角的な実証研究や地域ごとの実態解明では、医療技術のガバナンスを福祉や多様な関係者との関わりを考慮しながら、多面的に分析できる手法を開発しなければならない。最後に、データ活用の国際化や国際連携の推進では、国内外の情勢やアーカイブの運用状況を踏まえ、国際的にも適切な公開ルールの策定が求められる。
図1 本研究の事業と課題
この研究によって何をどこまで明らかにしようとしているのか
以上を踏まえて、本研究では「A アーカイブ構築」、「B 実証研究/当事者参画」、「C アーカイブと研究の公共化」の3つのグループを設定する。さらに、これら全体を検討し総括する「総合 ELSIの検討」グループを置く。
A アーカイブ構築
私たちが先行プロジェクトで集めた公文書の多くはマスキング(黒塗り)されていて、内容が分かりにくかった。しかし、その後公開範囲をより広げるべきだとする最高裁判決が出されたため、一部の資料を集め直すことによって、手術の手続きがどのように行われていたのかより明らかになる可能性がある。さらに資料の収集対象を広げ、優生保護法に関する裁判記録、強制不妊手術の文書公開訴訟の資料、障害に関わる政策に関する全国の公文書、関係団体の資料などを加える。こうして、優生保護法の前身である国民優生法が施行された1940年代から現代までの日本の優生政策を記録する大規模なアーカイブを作る。
B 実証研究と当事者の参加
優生保護法の運用は都道府県によって異なり、強制不妊手術の件数や政策の動きにも大きな差があった。そのため、特に手術が多かった1950〜70年代を中心に調査し、都道府県ごとの状況を詳しく分析する。研究チームごとに担当エリアを決め、集めた資料やデータを使って手術の全体像を解明する。また、ウェブサイトに一般の方々向けの分かりやすい説明を掲載する。さらに、病気や障害に関する歴史研究のなかで、当事者が参加できる仕組みを作っていく。
C アーカイブと研究の公開
この研究では、誰でも利用できるデジタル・アーカイブを作り、それを公開することを目指す。集めた資料や研究成果、一般の方々に向けた解説など、公開できるものはウェブサイトに載せる。また、イギリス、ドイツ、北米、韓国などの先進的なアーカイブを調査し、参考にして質を高める。さらに、国際会議を開催して優生政策について情報を共有し、議論を深める。これらの活動を通じて、優生政策史研究の国際連携を深める。医療情報の専門家の意見を聞きながら、どのデータを公開するべきか慎重に検討する。
総合 ELSIの検討
以上のA~Cの研究を総合的に評価し、研究そのものに関わるELSIを確認する。そして、強制不妊手術問題および優生政策史が現代社会において持つ意味を明らかにする。
研究計画
図2 研究計画