歌の効果
土左日記ノート
歌の効果
土左日記ノート
歌の効果
土左日記ノート①
土左日記でわたしが最も気になっているのは、短歌との書き手の距離感かもしれない。この日記は、つねにその場でだれかが歌を詠んでいるのをそばで聴いているというていを採っている。そしてそれがその場に、人々に、ある人に、日記の書き手に、詠み手自身に、どのような印象を与えたかが書かれている。それはつまりこの本が、歌の効果を主題に扱っているということだ。
わたしはつねづね、短歌について作者みずからがなにかを書くということを難しいことだと考えてきた。歌がだれかに読み取られること。単純な話で、短歌にかぎらず、つくられたうたは、だれかにうたわれてはじめてなにかになる。それはもちろん作者自身によって歌われても、だが。まあとにかくざっと思ったことを走り書きしていくことにしよう。
旅のはじめは、様々な人にもてなされ、酒や米などが贈られる。そこではいつも「思い差し」が重視されているが、ごく初めのほうに、いかにも土左日記らしい文が見える。二十二日の段。
旅が上々の首尾に進みますようにと願をかけ、はなむけまでしてもらいながらも、宴会が盛り上がり、その場にいたあらゆる人々がぐでんぐでんに酔っぱらっているところからこの旅は始まるのだから、雲行きはあやしい。上中下【かみなかしも】、酔【よ】ひあきて、いとあやしく、鹽海【しほうみ】のほとりにてあざれあへり。身分の上中下のものみな、酔っぱらってしまって、まあ変ねえ、塩のきいた海のほとりでふざけ腐りあっておったわ。この文章はじつに土左日記らしい一文で、以降しばしば身分境界の溶解が現れる。祝祭的な雰囲気のなかで旅は進むのである。もう一つ、「あざれあへり」のごとき掛詞がいかにものんきに、のびのびと使われていることにも注目しなければならない。「あざる」には腐るとふざけるという意味があり、ここで漢文では表現できない大和言葉の洒落が、喜びをもって用いられている。「いとあやしく」もまた「まったく不思議」という意味と「まったくみっともない」とがかけられていて、簡潔な一文のなかに重層的なイメージを織りこみまるで和歌のようだが、かような和歌的な文体でつまんねえことが書けていることに、画期的な書き手の喜びを見るべきではないかと思う。さらに言えば、海中ならいざしらず、ほとりにいるのだから、いずれ腐るのは当たり前ではないか。そこに疑問をもつとその直前の「船路なれども馬のはなむけす」というのも気になってくる。馬のはなむけを人がしてくれたけど、船の旅なんだけどなあ、ということだが、このあたりの言語先行の取り違えのようなものにも注目したい。土左日記には言語が主役になるところがあるのが見逃せない。
翌々日も、宴会で大人や子供までもが酔っぱらっている始末。一文字【ひともじ】をだにも知らぬもの、しが足は十文字【ともじ】に踏みてぞ遊ぶ。一という漢字も知らない者がその足では十字を書いて遊んでやがらあということだが、これは洒落を言っているというだけにとどまらない。字を書くことができない者が自らの身体で字を書いている様を字が書ける者の眼で見ているということが、ここには書き取られているのである。
ことほどさようにのっけから様々な興味深い言語との距離感を扱いながら、またもや宴がくりひろげられるなかに、とうとう和歌が現れる。注目すべきなのは、和歌だけではなく、そこでは漢詩も声をあげて詠まれていたことである。しかしこの書き手は、それを伝えながらも、漢詩のほうは書き記すことをしようとせず(「唐詩はこれにえ書かず」)、和歌のみを書き写す。漢詩と和歌とが共立していたなかで、わざと男世界の詩である漢詩を排除してみせるのは、極めて政治的な戦略のもとに、漢詩ではなく和歌についてわたしは書くのだという強烈な意志を感じずにはいられない。ところで、漢詩のほうがおそらくは公の場で格が上に見られていたのだとしても、このような様々な身分の者がいる場での漢詩の音読は、どれほどの響きをもって受け止められたのだろうか。紀貫之は、様々な人々があいあう場で、みずからの声が、漢詩を歌うとき空しく響いたことを身をもって知ったのではないだろうか。現にそうであったことを「唐詩はこれにえ書かず」(女のわたしにはよく聞き取れず書き取らない)という一人の女の意見として書き記すほどに。
さらにこうして漢詩をゾーニングして詠まれた和歌の応酬にも、紀貫之のものをそれとなく書きしるすだけで、他にもいろいろ詠まれたことを書きながらただ一言「さかしきもなかるべし」と言い添えるだけなのも可笑しい。大したものはなかった、というのではなく、大したものはなかったらしいと、書き手の主観ではなく「人との話」として批評してみせているところが愉快だ。いろんな歌が詠まれたけどつまんねえ歌ばっかりだったと夫が言っていた、といったところだろう。その日は「心よげなる言【こと】して(つまらないおあいそを言いあって)」などと書いて日記は終る。
漢詩を排除しつつも、和歌もまた時にはごみのように扱われているのが、土左日記の面白さだ。
ステキだなあと思うのは、旅も七日経って「鹿児の崎」というところまで着たところで新任の国守のきょうだいたちがわざわざ船で追いかけてきて別れを惜しみ、歌を詠んでくれるくだり。もうそれだけで大変なことなのに、「口網ももろもちにて、この海邊にてになひ出せる歌」と言って和歌を贈るというのがグッとくるではないか。大きな口をあけた朽ちた網だけれどもこれだけたくさんうちそろった口の網でなら、よい歌がきっと揚がるはずだと、この海へ投げるのだと言うのである。歌を詠むまえの前置きが可憐すぎる。をしとおもふ人やとまると葦鴨【あしがも】のうち群れてこそわれは来にけれ。惜しいと思って、止まってくれると願って、カモのようにぞろぞろと来てみたよ。おしどりのあなた!
可愛すぎる。大の大人たちがいてもたってもいられずしてしまった思い深き愛の所業を、物や動物に仮託して、歌にして人に贈ること。歌がしかるべき位置をしめ、歌の現場での、歌の効果が、ここまで描かれてある散文と出会って、歌人のはしくれであるわたしは興奮を隠さない。
参考文献
堀江敏幸訳『土左日記』河出文庫
三谷榮一訳注『土佐日記』角川ソフィア文庫
歌の効果
土左日記ノート②
土左日記を読んでいるとその主題が贈与であるのがわかる。餞別に多くの贈り物と返礼をくりかえしながらすすむ一行の舟は、もう一つの贈与をも内蔵している。それは歌である。くだんの歌にもうたは返されている(「をしとおもふ人やとまると葦鴨【あしがも】のうち群れてこそわれは来にけれ」)。棹させど底ひも知らぬわたつみの深き心を君に見るかな。棹をさしても底知れぬ海の深さ。それと同じものをそなたの深情けの心にもみた。われわれはその海を渡るが、そうと思えば怖くもない。励ましてくれてありがとう。上手だが、一見大仰陳腐にも見えるこのうたは李白の漢詩「桃花潭の水深さ千尺 及ばす汪倫の我を送るの情に」(「汪倫に贈る」)を踏まえたもの。和歌が送られれば漢詩を引いて返歌する、あたらしい国の司と前国司との、心ある教養の交流がさらりと描かれている。
しかしこここそ土左日記のおもしろいところ、このすぐのちに、梶取(船頭)が、「もののあはれも知らで、おのれし酒をくらひつれば、早く去【い】なむとて、「潮満ちぬ。風も吹きぬべし」と騒げば、船に乗りなむとす」くだりで、かような心深いやりとりも知らねえ梶取どもが、てめえの酒をのみつくすと、さっさと船を出しましょうやと騒ぎたててくるのである。和歌や漢詩の雅な、都人の文化のやりとりも、一つの舟のうえでは、特権的な事物であることをたちどころに辞めさせられ、「潮が満ちてきた、風も吹いてくるでしょう」との酔っぱらった掛け声とともに中断されて、かれらは舟に乗りこまざるをえなくなる。ここには、「歌の効果」の確かな、しかしはかない作用が的確に描かれている。様々な文化レベルの人間が一堂に会するときの、微妙な力関係の入れ替りが、舌打ち交じりに書き込まれているようで可笑しい。
自然と一行は漢詩を吟じはじめるが、ここでもまた「ある人々、折節につけて、唐詩【からうた】ども、時に似つかはしきいふ」などと言って、漢詩を詠むような人は季節や時宜にふさわしい歌を選んで朗々と吟じたが、いっぽうでは「またある人、西国なれど甲斐歌などいふ」と、ここが西国であるにもかかわらず東国の甲斐の歌などを歌うと書きつけて、いかにも教養のありどころが現場によって乱れてゆくさまを描いてみせる。風流を解しない梶取へのあてつけにも見える漢詩の朗吟から始り、時節に適ったお行儀のよい歌声に呼び出されて、場があたたまり、けっきょくは歌いたいうたを唄う。かくうたふに、船屋形の塵も散り、空ゆく雲も漂ひぬとぞいふなる。美しい声を聞いて梁の塵も舞い、また別に雲が去りかねて漂っていたというそれぞれ唐の故事を、その場に合わせて梁から船屋形とあらためて、なにやらうまいことを言った気になっているようだわと、しりえに書きつけているのは小気味がよい。土左日記は、なにか歌い合わなくてはすまない動物を記録しようとしているようではないか。