構 造 の 夢
結 崎 剛
構 造 の 夢
結 崎 剛
ふと、ずいぶん長いこと夢を見なくなっていたことに気づいた。見てはいるのだろうが書き留めておきたいと思うほどの夢や余裕がなくなっていたのかと思う頃にはしかし、わたしはちらほら夢を見るようになっていた。夢によって、ようやく夢の不在を知るほど、しばらくわたしは胡乱だった。
みずからの不調は、それが解けてきてから初めて察しうるものなのか、俄かに夢が兆しはじめたとき、既に次作は眠りを主題に短歌を書くつもりでいた。
書き留めていた夢を見返すと二〇二三年十月、死んだ二匹の猫を夢にみて、翌朝祖母が旅行へ行ってずいぶん経つのに連絡がないな、電話しないとなと思う夢を最後に見てから、二〇二四年の六月までとりたてて書き留めるほどの夢見がなかったことを知って驚く。さらにこう書き、同居していた祖母にわたしは電話などしたことがなかったことにも。
「久しぶりに祖母と夢で話した。両手をつないで、子供の頃どんな運動をしていたのか訊ねた。穏やかな夢」(2024,6,18.02:06)
旅立った祖母が帰ってきたのか、健やかな優しい夢である。さらに翌朝、スケボーにのって散歩へ出かけようとしたら、死んだボストンテリアのかつらがやってきて、リュックに入れてやる夢をみているのだから、出発の準備は万端である。眠りのなかで、睡眠者たちが眠ったまま動き出したのだ。
歌集『幸福な王子』は、永く介護していた祖母の死、犬たちの死、年少の親友の死が歌われている。低空飛行の歌集だと友人は評したが、道端のささやかなものに心を動かしているのがやっと。生きてあるかぎり眠れるものたちは濃密にわたしとともに眠り続ける。そのことがいよいよ了解されてくる。
いまわたしはあらゆるものは眠りこそが常態であり、目覚めてあることは睡眠の一形態に過ぎないと観じる。眠れるものの深いエネルギーの横溢。昼の牛舎のような幸福。愛する者が眠る部屋は、力に充ちていて、どれほどわれわれを励ますことか。
わたしの次作の題は「構造の夢」となることだろう。
珈琲の一啜りとともに豊かな眠りを夢見てほしい、と願います。
初出|Shadore「歌の展開」20240717