幸福な王子をかこむ会:周囲
結崎剛
結崎剛
「幸福な王子をかこむ会」6/22土曜日、18時開場19時開演。場所は日暮里「工房ムジカ」。その周囲の記憶を拾遺する。
挨拶と紹介、ついで髙坂明良(葛原りょう)さんによる歌集『幸福な王子』から三十一首選が結崎によって詠まれた。プラテーロでの会、猪股ときわさんとの対談、カフェエチカでのトークショー、ゆとぴやぶっくすでの展示をふまえ、今回は初の試みとして歌会形式による歌集『幸福な王子』への包囲が行われた。参加者おのおのによる五首選を受け、得票が多いものから時間の許す限り意見を交換。二時間近くの談論、主に言及できたのは八首に過ぎなかったが、様々な角度から熱い言葉が交差した。最後、予告通り葛原りょうさんによる自身の三十一首選をバッハ「ゴルトベルク変奏曲」( Karl Richte)とともに絶唱、興奮は最高潮に達す。終了後宴会、参加者それぞれ永く祝杯を重ねあって深夜に及ぶ。
来てくれた方々、工房ムジカのスタッフ、葛原りょうさんに感謝します。ありがとうございました。
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歌会形式によるトークショーは、りょうさんをはじめ友人たちと相談し編み出した、初めての試み。
歌集を読むとき、本から歌を「選ぶ」(「選【せん】」する)ことは基本。選ぶことによっておのずと心と歌とともに歌集が編み直される。りょうさんの先導のもと、参加者が選することよって、歌へ直接入ってゆくことを期待した。学生時代の歌会の記憶、反歌会としての「塚本邦雄全歌集輪読会」、カフェエチカでの会などの経験を綜合した新展開。自著の司会を著者が担当する衒いは、澤直哉「ロシア語詩の夕べ」(於「shadore」毎月最終水曜)に励まされ、引き受けた。自著を自らの司会のもと参加者に読ませ、選ばせ、語らせつつ、挙句の果てに詩人に朗読までさせる、と身も蓋もなく書くことができ、鼻もちならない会ではある。「類の無い会、結崎さんだからできる会だ」と人は言う。いままでの様々な試みのうえを踏むさらなるあらたな更新―行進(何処へ?)である。
まず驚いたのは、はじめにわたしが自らの歌を声に出したときの、その空間に顕れた「人が聞き取っている(聞き取られている)」という感覚だった。いままでの会でも歌を声に出して読むことにしているが、今回もそれを感じることができたことは歌人を励す。声が届いていない感覚に人が敏感なことをあらためて不思議に思う。声が届く、それはどういうことなのだろう。
歌は、どのように発声されるか。その点に関心が集まる。朗読してくれた葛原りょうさんは歴戦の朗読者でありベテランの詩人だが、「剛の歌は声に出すのが難しい」と言い、剛もそう肯く。だがしかし発音が困難であるというのはさらに巧みに読みうる存在の可能性を予感させて楽しいではないか。詩は人間の為にのみあるのではない。
そう言いながらも会の最中参加者の談論を浴びつつ最後決然と朗読を決行し、あの独特なイントネーションで、ほとんど閊えることなく歌集を読み上げてくれた葛原りょうの声は、緊張感にみなぎっていて、聴く者に昂揚を与えた。いままさに皆で囲んで読んでいた歌が、一人の傑れた朗読者によって声に出されること。その瞬間に立ち会った或る人は、途中から先刻読んでいた歌の記憶が蘇って声を聴きつつ映像が脳裏に搖曳したと語った。
歌会とLIVEの交感。わたしの声、参加者の声、りょうさんの声、それぞれが歌集をかこんだ。
「この本はほんとうに『幸福な王子』だね」とだれかが言った……
都和子(ラッパー)筆。その真下には呪縛フェスの文字……