幸福な王子による
幸福な日々 人の別れの
甘美と劇に戦慄しつつ
拝読。それにしても、
蕩児のなんと生真面目な
作歌への専心一途。
血まみれのブルドックや
おくるみの赤ん坊へむける
無垢の視線。
何という純一ないつくしみと
愛の偏在だろう。
ユクスキュルの環世界を描く
短歌集。
虫になり、熊
になり、たまに
ニンゲンであること
を思い出すかの
ような放心と
没我。
王子は、この先、
王としての苦渋
をどのように生き、
息きし歌うのか。
20 JUN 2024 Saēki
歌人、結崎剛のことを語る任ではないが、知っている剛のことなら話せる。
彼と会ったのは、鎌倉の小町通りにあるエチカでだった。
店主の千田哲也さんをサポートしていて、きびきびと若鮎のようにうごいていた。
そのうちに歌人だと知った。
いったいいくつだったのだろうか、紅顔の少年剣士の趣だった。
千田さんを囲んで、シモーヌ・ヴェイユの「根をもつこと」の講読というのをやって、剛もくわわっていた。
この本は、ヴェイユの私的憲法案というべきもので、千田さんの先導がなければ出会わなかっただろう一冊だった。
当時、文化学院で講師をやっていたが、
両国に移転しての一年間、剛は鎌倉から欠かさず聴講にかけつけてくれた。
彼にも講義をしてもらった。
塚本邦雄の歌についての講義は、歌人への想いが滾って白熱した。
短歌の王位の笏は、この青年の手にわたされたのだと感じた。
毎週の講義のあと、民生食堂の「下総屋」でビールで喉をうるおして、その日たずねるべき角打ちの店を相談した。
そんなふうに、一年で八十軒をこえる店をはしごした。
今にして思うと、夢のような日々だった。
さて、剛だが、独力でランボーの全詩篇を翻訳していると知っておどろいた。
さらには、
マラルメの詩篇も。
そのときには、ささやかな讃を書いてせめてもの敬意をあらわした。
疑うべくもないブリリアントな才能。
これを時代がどう遇するのかはあずかり知らない。
ずいぶん会っていないが、新しい歌集をおくってくれた。
剛がながいあいだ、祖母の介護をしていたこと、
一匹の犬を溺愛していたこと、
そのどちらをも失ったことを、
歌によって知った。
「基本的に僕は短歌は自己表現ではなくて、見たこと経験したことを歌ってはいるんだけど、
気持ちとしては人の歌、誰かが読んで嗚呼これ自分のことを書いているなとか、
こういう瞬間面白いなとか、
そういうふうに歌ってます。」(「放蕩する短歌」結崎剛+猪俣ときわ)
幸福な王子の、幸福な日々への訣別。
その自恃のつよさ、甘美と悲傷にうっとりした。
虫になり、熊になり、たまにニンゲンであることを思い出すかのような放心と没我。
千年のことばの財宝を自在にあやつって、なおそれに自足することをしない。
一途に短歌のいく先を照らす閃光の歌集だ。
2024.6.26 update