離れることを生きている
綿田友恵歌集『赤鉛筆、父、母……。』(皓星社)について
結崎剛
離れることを生きている
綿田友恵歌集『赤鉛筆、父、母……。』(皓星社)について
結崎剛
綿田さんはわたしが大学時代江古田短歌会という学生短歌会を始めた時からの友人である。短い活動期間ながら会は盛会、毎週議論風発、才気ある歌がいくつも生まれ、後に歌集を出す者もそろそろ十指に届きそうだ。綿田さんはその中でも才能抜群、不穏な冷気のある歌は時折なぞなぞのようにわれわれを試した。わたしは綿田さんといったらこの歌だと思ってまず歌集に探したものだった。
眼窩には氷の痛み シベリアンハスキーの瞳のどちらが義眼
出会ってより二十年近い歳月の摩きに耐えていまだに唇に登るのがこの歌。緊張の糸がぷつんと切れたような中句から四句へかけての韻律。無邪気で無為な問いかけのように見える口ぶりの奥に、その義眼の冷たい痛みを想像する。異様な迫力のある歌として記憶していながらもその謎をなぞのままにしていまようやく歌集を読み、綿田さんの母上が義眼だったことを知った。あの働きものの犬の美しい眼をじっと見ているうちに、どちらが義眼かと思わず考えるほどに、母への思いは深い。母の瞳を、しかも義眼であるその顔を、そう凝視することはし難い。その代りにシベリアンハスキーの眼を見つめることによって、歌人は母の瞳を見つめようとする。その先の氷の痛みを慈しみながら。ここでこのシベリアの用務犬が選ばれているのは、佐々木倫子の名作『動物のお医者さん』を思わせて、やはり優しい連想を導かずにはおれない。歌集の出現によってながいわたしの謎は解けたが、安堵の呼吸ができるわけでもない。犬のあの純粋な瞳のうちに歌人は母と真向かおうとしているではないか。
老年を母はそのまま生きていてわたしは娘ねえお母さん
いくつもの人生保管資料館手に染みついた小銭のにおい
遠き川光って人は助からぬほどの高みになぜ行きたいの
竹林に木漏れ日揺れる永遠よ 綿毛となりてわたし漂う
あんたに初めに言うと受話器越したったふたりの姉妹と思う
海水浴に行く道だった父さんが白い大きな犬轢いたのは
私たち離れることを生きている 宇宙が広がりつづけるいまも
波音の記憶に建ちてしずかなり登るためにある非常階段
この歌集は仄めかしに満ちているように見えるかもしれない。しかし人はここに小説的興味で関わるべきではない。生まれ育った生家の周辺に、気づくともなく漂っていた空気を、永い生によって知覚し、歌によってたしかめてゆくこと。綿田さんが歌いだしているのは突き止めるべき事実ではなく、無意識と知覚のあわいで搖れるみずからの感覚の現実なのだ。見ないふり、気づかないふりをすることによって気づき、見て感じていたことの、ヴェール越しのたしかな手ざわり。もうすでにすべてを彼女は解っている、すべてを知っている。あるいはなにも解らない、なにも知らない。
裏庭の枇杷の実を喰むハクビシンのようにわたしも許されていた
*
わたしはながらく歌人たちがじぶんの歌を読んでいないことを不審に思っていた。じぶんの歌が、その当の歌人自身によって、読まれていないのではないか。読んでいる形跡がないではないか。
しかし、韻律が呼び出す記憶と、勇気をもって対峙しようとする歌人たちもいる。わたしが気になるのはそのような歌人たちであり、綿田さんも苛烈なその一人である。このような歌をうたうのは、なかなかできることではない。
じぶんが何度も思い出す記憶が歌われている歌に、何度もその人当人によって読まれている形跡があるはずはない。その時にあるべきなのは、歌っている当人の胸にみずからの歌が響いているか。
むしろ歌人にとっては、定型とその記憶こそがくりかえし暗誦されてある詩なのかもしれない。じぶんではどうしようもできないみずからの不定形な生を定型によって支えること。じぶんが何度も思い出す記憶を歌うこと、さらにはその歌を歌い続けることによって、すなわち歌を共有する人とともに、その固有の記憶は、「詩」になってゆくのではないだろうか。ゆかなければならないのではないか。
生は不条理であり想起するのが不愉快で思考するなど時に以ての外なわたしの記憶のことを、たった一人で対峙することは至難である。短歌はその杖になりうるのだろうか。短歌は生ではない。生が短歌とどこまで行ったか。
生は、口遊むものになるのだろうか。わたしはあらためてシベリアンハスキーの歌を見て、これは歌人の鳴り響く生が一度外部のものの姿をとって現れたのだと思われてならない。あるいは「詩」が出現したと言うべきなのかもしれない。わたしはこの珠のような歌を歌人が愛することを望む。
歌集には歌人がボクシングを始めたとある。拳よ、願わくはわが友の歩みにさらなる力を。
ここまで書いてきて、ふと、この歌集はわたしが短歌を書いてきて初めて短歌と出会ってよかったと思えた歌集である、という言葉が浮かんだ。短歌とはなにか、ということを、この歌集によって教えられたような気がする。この一言を書くために、この一文を発信する。