倫理学・日本倫理思想史研究会
倫理学・日本倫理思想史研究会
倫理学・日本倫理思想史研究会は、上野太祐氏の求めに応じて、私を代表として設立されました。(2018/10/13)
途中から大胡高輝氏もメンバーに加わりました。
コロナ禍以前は月1回の研究会(伊藤仁斎『童子問』を読む)を行っていました。
以下に「倫理学・日本倫理思想史」の意味について補足しておきます。
吉田真樹「倫理学・日本倫理思想史の観点からみた「日本意識」」より抜粋
「倫理学・日本倫理思想史」という研究分野名は、二単語をつなぐ「・」を「なかぐろ」と読ませ、そこに強い意味をもたせている点に特徴がある。この「・」は決して複数分野の並記を示す記号なのではない。「倫理学・日本倫理思想史」という名辞は、相良亨(大正10年-平成12年)によるものと伝えられている。近世日本儒学の研究から出発した相良の学問モデルの原型は、儒学における経学的ありよう―儒者がテキストを読む際に読みが己れの特殊性(歴史性・社会性)に還元され尽くしてしまうのではなく、テキスト読解を通じて朱子や孔子に遡ることができ、また普遍そのものを捉えることができるとする方法的態度―にあった。相良は儒者と同様の方法によって「日本のテキスト」に向かおうとしたのである。
相良は師であった和辻哲郎(明治22年-昭和35年)の『日本倫理思想史』を引き合いに出しながら、「倫理学的研究といわゆる思想史的研究との関係」について次のように述べた。
「和辻哲郎氏の『日本倫理思想史』は、すでに和辻『倫理学』ができ上がった後にかかれたものである。少なくとも、その執筆姿勢は『倫理学』の上に立った『思想史』である。倫理学的思索途上において書かれたものではない。和辻氏ももちろん、日本のテキストとのかかわりの中で倫理学的思索を深めたであろう。しかしあの『日本倫理思想史』は、そうした営みそのものを表現したものではない。私にとって、思想史論文は、未だ倫理学を持ちえない、そのテキストとの対話の中で倫理学を模索する人間のものであって、いささか質を異にする。……倫理学があっての思想史というありようが、倫理学と思想史との関係の基本的なありようを示すものであるとの理解を私はとらない。」(「伝統」『日本の思想』)
和辻の『日本倫理思想史』は、「思索」として、『倫理学』とのあるべき連動を欠いている。すでに「でき上がった」『倫理学』から、事後的に、一方的に、整然とまとめられたものにすぎないと相良は捉える。思索のあるべき連動として、「いわゆる思想史的研究」(強調吉田)は「テキストとの対話の中で倫理学を模索する」ものでなければならない。即ち、それ自体が「倫理学的研究」でなければならないと相良はいう。和辻の『日本倫理思想史』は、先に著された『倫理学』の再考・書き直しを本質的に要請しなかったという意味において、「倫理学的研究」になり得ていない。そう相良は批判するのである。
本稿の課題に即していいかえれば、相良の批判は、和辻の『日本倫理思想史』に「・」構造が欠落していることの端的な指摘である。相良がここで提示している「倫理学・日本倫理思想史」の「・」構造とは、「日本のテキストとのかかわりの中で倫理学的思索を深め」る「営みそのもの」としての「(倫理)思想史的研究」というありようである。
理解を助けるために、相良が自らの方法としての「伝統との対話」について述べる箇所を引いておこう。
「伝統との対話の中に、その可能性を引き出すこと、いい換えれば伝統に流れるものを、私がそれに賭けうる絶対的な普遍性をもつ思想にまで昇華させることが必要である。……私は「問い」をもった研究者としてある。その問いは、究極的には、人間とは何か、私はいかにあるべきかという問いにつながる問いである。……この伝統に問いかけることは、私の普遍的な問いに伝統が重大な示唆を示してくれることを期待してのものである。伝統の喚起触発によって、真理に接近することを求めるものである。」
相良のいう「伝統」とは、実質的には総体としての「古典」を指している。相良が「研究者」として提示する方法は、「研究者」である前からすでに存在している「古典」を読む「私(自己)」における「古典」と「私(自己)」との往復深化の構造を、近代学問として引き受け直し方法化したものである。したがって、相良の考える「倫理学・日本倫理思想史」とは、個々の「古典」テキストを個々の「私(自己)」が読む(総体に到達するまで読む)ことにおいて、「絶対的な普遍性」ないし「真理」へと向かおうとするものであったといえる。
相良にとって、「倫理学」とは普遍そのものを捉えようとする古代のソクラテスや孔子以来の学問であったのに対し、「日本倫理思想史」は、「日本のテキスト」と限定されているように、日本という特殊な国家の領域内での諸思想―もちろん「絶対的な普遍性」や「真理」への可能性を孕む「古典」―を考察対象とするものであり、その意味で近代特有の学問であった。
その両者を「・」で繋ぐ「倫理学・日本倫理思想史」という名辞は、絶対的な普遍性ないし真理の探究を目的とする学問分野であること、その探究のためには特殊性の媒介が不可欠であること、そしてさらにいえば特殊性のみに偏った歴史学としての思想史とは全く異なるものであり、あえていえば解釈学的哲学の一形態であるということを含意している。以上から「倫理学・日本倫理思想史」が日本研究ではないということは、少なくとも明らかとなったであろう。
以上の文章は、私が著書『平田篤胤ー霊魂のゆくえ』(2009)において初めて「倫理学・日本倫理思想史」を自分の専攻名として示すようになって以後に書かれたものです。それまでは単に「日本倫理思想史」としていました。「倫理学・」の部分が重く、それまで採用しませんでしたが、著書を出すに当たり、重くてもこの専攻名は引き受けなければならないものであると考え直しました。
「倫理学・日本倫理思想史」と示すときには、どうしても相良先生の顔が浮かんできます。そして、佐藤正英先生の顔が浮かんできます。また、師である菅野覚明先生の顔も浮かんできます。
上野太祐「和辻倫理学における基礎としての存在について」より抜粋(2018年、ドイツ Universität Hildesheim にて発表した英語原稿の日本語草稿)
はじめに.
本稿では、和辻哲郎(1889-1960)の倫理学の方法論それ自体に、日本の倫理思想における特質が影響していることを明らかにする。同時に、和辻の『日本倫理思想史』の脱構築を図り、日本倫理思想史の新たな方向を考える。
和辻は大著『倫理学』(1937-1949)並びにその序論とされる『人間の学としての倫理学』(1934)の前提となった初稿論文「倫理学――人間の学としての倫理学の意義及び方法」(1931)第二章第一四節の中で次のように述べている。
だから学問的研究として人間を問題にする時には、すでに学問以前の理解が二重の意味に於て基礎となっている。第一は間柄としての人間の存在であり、第二は存在論以前の存在の理解である。かく見れば人間の学は人間の存在から存在論以前の存在理解を通じて存在論を取り出すことである。(和辻哲郎『初稿 倫理学』、苅部直編、筑摩書房、2017、141頁)
周知の通り和辻のいう「倫理学」とは「人間の学」であるが、これは「学問以前」の人間存在の理解が二重の意味で基礎になるという。その一つは「間柄としての人間の存在」であり、もう一つは「存在論以前の存在理解」である。前者は和辻特有の概念として注目されてきたが、後者はこれまでさほど注目されていない。実はこの箇所は三年後の『人間の学としての倫理学』において「存在論以前の存在論的理解」(和辻哲郎『人間の学としての倫理学』、岩波書店、2007、213頁、傍点引用者)と変更されている。この変化自体きわめて重要な点だが、ここでは初稿の表現に和辻が「倫理学」を構想した際の生々しい感覚が含まれているとさしあたり考えることで、「存在論以前の存在理解」の内実を掘り下げたい。
和辻は同じ節の別の箇所で「……人間の『学』の目ざす『こと』が表現による理解よりも更に根柢的な直接の(意識以前の)理解」(『初稿 倫理学』、129頁)であるとも述べている。「存在論以前の存在理解」とは、具体的にはここにある意識以前の理解のことなのである。このことは、和辻の説く「間柄」と深く関わっている。たとえば初対面の相手と挨拶をするとき、そこで発された言葉は、初めて出会ったということの表現である。和辻はここで、間柄が挨拶に先立っていなければ、表現は意味をなさないという。間柄は表現される前に(つまり意識以前に)すでに与えられており、表現はその所与の内容の客観化なのだと和辻は考えている。ここで重要なことは、和辻が表現の客観化による把握とそれに先立つ了解とをはっきりと区別していることである。彼はこの二つを、「『こと』が分かる」ことと「『もの』が分かる」こととして区別する(同前、139頁)。「意識以前の理解」とは後者を指す。「人間の存在をかく『こと』として分けるのが存在論的と呼ばれるならば、間柄は存在論以前であって単に存在的と呼ばれるべきであろう」(同前)と彼は続けて語っている。
この説明は、ハイデガーの『存在と時間』序論第一章第二節を思い起こさせる。しかし、それは必ずしもハイデガーの影響でこの問題の構造の着想を得たことを意味しない。もちろんハイデガーは和辻に、この問題の構造を的確に表現するための言葉を与えた。しかし、それはまさしく、表現を伴う前からすでに間柄があることと同様に、和辻によって表現される以前からすでにあった日本思想の特質なのではないか。
この点に関して興味深いのは、「普遍的な倫理」を捉えようとする努力が時代ごとに成されてきたことについて、和辻が『日本倫理思想史』緒論で語った次の言葉である。
この努力は、その時代においては倫理思想の特殊的限定を超えて普遍的倫理を把捉したものとして倫理学を形成するであろうが、しかしあとから見ればその時代特有の倫理学として時代的限定を受けることになる。(和辻哲郎『日本倫理思想史』一、岩波書店、2011、22頁)
和辻は続けて、長い目で見れば「時と処と」に制約された特殊な「倫理思想」よりも、普遍に迫ろうとした「倫理学」の方が多様になるかもしれないとも語っている。ここで考えるべきなのは、和辻「倫理学」もまたこの制約の例外ではないということである。すなわち、和辻のこの主張が首肯されるとすれば、彼の「倫理学」もまた、普遍を目指して立ち上がったものでありながらも、近代日本という特殊な「時と処と」によって制約された「倫理思想」の一表現に過ぎないはずである。「だからわれわれは、この倫理学の摂取をも倫理思想史の中の一つの現象として取り扱い、学問の歴史をたどることを断念したのである」(同前、23頁)という言明には、西洋からの「倫理学の摂取」が「倫理思想史」の「一つの現象」であることが示されている。これはまさに和辻自身の思想に、そのまま当てはまる言葉なのである。
すると問題は、日本倫理思想史と倫理学との関係へと移る。われわれは和辻が見出した方法論に注目しながらも、和辻とは違った仕方で日本なりの倫理学を立ち上げることはできないか。本稿では、和辻の日本倫理思想史理解への批判を通じながら、その見通しを考えたい。
二.
重要なことは日本倫理思想史という表現の「史」の中味である。倫理学は普遍を、日本倫理思想史は特殊を目指すというのが、和辻の理解である。しかし、残念ながらわれわれが『日本倫理思想史』を読むときに抱く印象は、結局これが時系列に従った日本の思想の陳列に過ぎないということである。もちろん、それ自体が偉業ではある。だが、和辻が人間の学の基盤として大切にした「存在論以前の存在理解」の生き生きとした感覚はそこにはない。倫理学と日本倫理思想史との間には、その意味で明らかな隔たりがある。
これについて、木村純二(2011)は倫理学の普遍性と日本倫理思想史の特殊性とは、「双方向に補い合うものとして機能する」、つまり部分の理解と全体の理解とが解釈学的に循環するはずでありながら、それが機能不全を起こしていると推察する。木村はこの理由を、和辻が国民道徳論批判というモチーフを執拗に持ち続けていた点にみとめる。木村の説明は「時と処と」にまつわる分析として首肯されるが、おそらく国民道徳論批判を取り除くだけでは機能不全は十分には解消されまい。
では、機能不全に陥った倫理学と日本倫理思想史との連関を立て直すには、どうすべきであろうか。その鍵は、おそらく日本倫理思想史の「史」の内実にある。和辻の「倫理学」の目線から見いだされる「史」は、単なる事実の時間的陳列、すなわち歴史学的時系列に従った思想のカタログとしてのみ理解されるべきなのだろうか。「倫理学」における「史」には、人間の「存在論以前の存在理解」に付帯する生々しい生が、たとい不十分ながらでも、語り取られていなければならないのではないか。言い換えれば、「存在論以前の存在理解」から出発し「間柄」を見出そうとするなかで人々が直面した苦悩と葛藤の思想の堆積こそが、「人間の学」の「史」となるはずではないのか。それこそが、思想家の語りを抽象的な干乾びた言葉で整理して象る歴史としての思想史ではなく、いのちを持って“この生”を生々しく生き抜いた人々に寄り添ってその内から言葉を紡ごうとする倫理としての思想史の姿ではないのか――言わばそれは、既知の徳目を過去の思想に当てはめて整理することで描かれるものでは決してなく、生きた人間それ自体に重なって語ろうと試みることで初めて触れうるはずのものである。
実は、初稿において和辻はハイデガー批判を通じ、この問題を率直に語っている。
ハイデッガーが自他の主体の対立を前提として他人が出て来るのでないことを力説したのは正しい。……然しあくまでも有の理解を介してのみ他人が出て来ると考えたところに、現有の存在構造の分析の著しい限界がある。……人間の存在は死すべき我の存在であって、生命を生産する間柄としての存在でなく、またその〔ハイデッガーの――引用者注〕存在の特徴は単に有論的たることにあって、実践的・行為的・創造的・生産的たることには認められない。(『初稿 倫理学』、153-4頁、傍点原文ママ)
さらに興味深いのは、和辻が初稿で間柄の現れを論じた箇所――「人の間柄に於てその間柄自身が間柄を通じて現れるのである」(同前、109頁)――に打たれた注である。
例えば読者がこの著を読むのは著者と問を共にするのである。この関係はすでに一つの人間関係であって、ここに問われているものにほかならぬ。(同前、200頁、傍点引用者)
われわれ読者はここで、思わず和辻の内へと寄り添う通路、つまり「間柄」に気付かされる。これは「読む」という実践的行為により、彼と問いを共にすることで自覚されるのである。「を共に」という在り方こそ、「間柄」が「存在論以前の存在理解」に立ち現れる具体的なかたちである点は非常に重要である。これが手がかりとなって、「存在論以前の存在理解」と「間柄」とが内側から理解されるはずだからである。
それにしても、われわれ読者が和辻と共にする問いとは究極的には何であろうか。それは『人間の学としての倫理学』第一章第一節冒頭に端的に示された「倫理とは何であるか」という、倫理学の最初にして最後の重大な問いである。この問いが重大である理由は、単に倫理学の根本問題だからというだけではない。この問いは、先に木村が指摘した倫理学と日本倫理思想史との解釈学的な循環を機能させる唯一の問いだからである。すなわち、われわれはいまこそ、和辻の『日本倫理思想史』に対してこの言葉を投げかけよう――「倫理とは何であるか」と。
……(中略)……
おわりに.
日本倫理思想史には対象を己の内に引き込み、それと重なり合うことで、その「もの」と共にあることが目指される構造が通底している。こうして、「間柄」が「存在論以前の存在理解」に対して、実践的に現れてくるわけである。そして、ここで重要なことは和辻の倫理学の構想もまた、この構造をとっているということである。
我々はここに『こと』のわけが分かるという意味の理解と、実践的に分かっているということとを截然区別しなければならぬ。後者は主体的なる人間が相互に分かっているということ、即ち行動的にかかわり合うことである。そこでは単に『こと』が分かるのではなく『もの』が分かるのである。(『初稿 倫理学』、139頁)
和辻はここで「存在論以前の存在理解」を「『もの』が分かる」ということだと述べる。これは「主体的なる人間」が「『もの』」に重なることを意味する。これは、初稿論文の読者が和辻と問いを共にすることで和辻に重なり、そこに「間柄」を見出す形と同じである。このとき「『こと』のわけ」を「『もの』」の内から語る通路が開かれるのである。和辻は日本の倫理思想に受け継がれてきたこの方法を、「学」として立ち上げようとしたのであった。それは、西洋から「倫理学」を摂取した一人の日本人による、日本の倫理思想のひとつの近代的表現に他ならない。