野中 潤
ちょうど私が浪人生活を送っていた1980年に、「児童の発見」を収録した柄谷行人の『日本近代文学の起源』と、フィリップ・アリエスの『〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』の邦訳が出た。大学で文学研究というものに出会う中で、さまざまな事柄の自明性を疑い、問い直すことを学んでいくことになった1980年代はじめ、柄谷行人やアリエスに導かれながら「子供」というものの自明性をカッコにくくることを知った。
横光利一の文学に初めて触れたのも、ちょうどそういう学びのステージのさなかであった。ところが、横光利一を「子供」という観点を念頭に読んだことは、どうやらこれまでなかったようだ。ただ、あらためて思い起こしてみると、「火」(1919)、「面(笑われた子)」(1922)、「蝿」(1923)、「御身」「頭ならびに腹」「赤い着物」(1924)など、初期小説には「子供」たちが印象深い表象としてしばしば登場する。また、後年の「機械」(1930)に登場する「主人」や「微笑」(1948)に登場する「栖方」の「無邪気さ」の中にも、「五つになった男の子」や「童顔」を見出すことができる。そしてそれらには何かしら、横光利一文学ならではの特徴がありそうな気がする。とは言え、横光利一の文学全体を「子供の表象」という観点から読み直すというのは、今の私の手に余る。そこで、今回は、一つの短編小説に焦点をあてることで、「横光利一文学のなかの子供を読む」という試みに結びつけたい。(今のところ、「面」を取り上げる予定である。)
近年は、「文学研究」というものから距離を置き、国語教育、とりわけ教育ICTの活用に関しての取り組みで月日を過ごしてきたが、こうした機会をいただいたので、文学や教育をめぐる環境の変化をも視野に入れ、「読むこと」や「発表すること」のあり方にも一石を投じる「小特集」の「発表」にするつもりである。
大会当日の発表とおおむね同じ内容です。
日時 2023年3月18日(土)13:00-18:00
会場 武蔵野大学武蔵野キャンパス Zoomによるオンライン併用
プログラム
研究発表(13:10より)
中村 梨恵子(同志社大学大学院) 『花園の思想』論―〈空間〉と〈人物の移動〉から―
小特集 子どもの表象(14:00頃より)
小川未明と横光利一―少年の悲哀と憧憬― 重松 恵美(梅花女子大学)
横光利一文学のなかの子供を読む 野中 潤(都留文科大学)
ディスカッサント 藤本 恵(武蔵野大学) 司会 小林洋介(比治山大学)
公開インタビュー(16:00頃より)
作家・翻訳家 アンナ・ツィマ 氏 ――話題作『シブヤで目覚めて』の著者に訊く――
インタビュアー 田口 律男・中井 祐希・芳賀 祥子