山元先生インタビュー

山元先生について

——山元先生が大学時代に考えていた将来の夢はなんでしたか?

私は早稲田大学政治経済学部政治学科に入りました。大学時代に私が将来なりたいと思っていたのは、ジャーナリストと弁護士でした。学者がどのようなものなのかは当時よくわからなかったのですが、ちょっとだけ学者を目指したい気持ちもありました。早稲田大学政治経済学部は、法律が専門ではありませんが、法律科目の授業も多く、勉強しようと思えばできる環境でした。

当時、法科大学院はありませんでしたから、司法試験は自分で勉強するものでした。法律の勉強は政治学科でもできましたし、政治経済学科にも法律の科目が多かったので、自分でも勉強できると思ってこっちにしました。弁護士は小学校5,6年頃から、中学校のときにはもう法学部に行きたいと考えていました。

——すると、小さい頃に社会問題などに関心をもっていたのでしょうか?

そうですね。社会には困っている人がいる、その役に立ちたいと思っていました。素朴に社会正義へのあこがれがありましたね。特に、差別問題が気になっていました。男女差別、外国人差別とか。弁護士になって問題を解決したい、ジャーナリストになって社会正義の立場から報道したい、という思いがありました。

——山元先生はなぜ憲法を専攻することにしたのですか?

大学2年のとき、司法試験のために勉強し始めたのですが、そのとき憲法がすごくおもしろくなってきたのです。まさに人権、平和、民主主義など、社会正義のかたまりだと感じました。憲法の社会正義にふれたので、司法試験でする法律の細かい勉強よりも、憲法だけ一生勉強できるのなら、とてもよい進路じゃないかと思って学者を目指しました。

——山元先生が学生のときの授業はおもしろかったですか?

大学の授業は全然おもしろくありませんでした。ですが、樋口陽一先生の本を借りて読んだら、ただならないおもしろさを感じたんです。自分が興味あること、憲法の疑問が明快に議論されていて、すごく感銘を受けました。樋口先生の専門がフランス憲法だったので、樋口先生がそんなに一生懸命やっているなら、おもしろいにちがいない、と東京大学大学院の門戸を叩きました。そして、大学院では樋口先生のもとに直接ついて勉強しました。

樋口陽一先生の代表的著作

——フランス憲法とは、どのようなものなのですか?

フランスの古典、19世紀の終わりから20世紀のはじめのフランス憲法の書物をやりました。たとえば、「レオン・デュギ」ですね。フランスっていう国に行ったこともなければ、知り合いもいないので、本を読みながら異文化、違った社会をじっくり勉強してみようと思っていました。勉強していくうちに、フランスの面白さががわかってきました。

——フランスの面白さとは、どんなかんじですか?

学際的なかんじがしましたね。フランス憲法の古典「レオン・デュギ」というのは、法律学者なのに社会学の影響を受けた人なんです。どうやって法律と社会学の両方をむすびつけるのか、それがすごく新鮮でした。

——社会学とは、どのような学問なのですか?

社会はどういう論理で動いているかを研究する学問ですね。法は、その論理の後にでてくる分泌物です。ですから、社会の論理が分からないと、法律も分からないのです。

——山元先生のお仕事について教えてください。

最初に大学の先生になったのは新潟大学で,1992年のことでした。10年間籍を置きました。新潟大学で教えたゼミ生はすでに30歳を超え、先日OB会を自宅でしました。子どもを連れて会いに来てくれたOGもいました。1993-95年まで2年間、パリ第一大学に留学して勉強しました。留学は、とても楽しいものでした。本の上でしか知らなかったことを、検証したり、新しい出会いがありました。

比較的年の近い研究者仲間もできました。当時あまり上手ではなかったフランス語を話すのにつきあってくれて、フランス語も上達しました。

パリは、公園や街並みがきれいでした。パリでは、よく美術館を回ったりコンサートにいったりしました。

——パリ留学をすることで、なにか変化したことはありましたか?

パリ留学の後、2002年に東北大学に誘われて仙台にいきました。それまで新潟大学では、学部生と少数の院生を教えていましたが、2004年から東北大学にロースクールができて、たくさんの学生さんを指導することになり、仕事がすごく増えました。

私が一番力を尽くしたのは、フランスの憲法学者との交流です。日本やフランスでシンポジウムを開催し、交流を続けてきました。このような活動で、本の裏にある人、どういう人達がどういう価値観を持って憲法を考えているのか、という舞台裏のおもしさを味わうことができます。

シンポジウムでは、日本人が日本のことを実はあまりよく知っていないことによく気付かされます。外国人にわかるように日本や自分の考えについて説明するのは難しいことです。語学力の問題でなく、考え方などはわかりやすく伝えないと、相手にわかってもらえません。語学とコミュニケーションは一緒ではないと気になるようになりました。

2008年に6年間籍を置いた東北大学から、慶應義塾大学のロースクールに来ました。ロースクールは、授業自体の準備が大変で、質問の時間もちゃんと割いて答えないといけません。ロースクールは少人数制で、40人くらいで1クラスなのですが、同じクラスを2クラス掛け持ちしたりします。授業はインタラクティブ(双方向に対話しながら)にやります。メインは憲法ですが、フランス法も2単位教えています。

——山元先生の研究テーマや得意領域について教えてください。

今まではフランス憲法の研究を中心にやってきました。が、ここ5年くらい、「グローバリゼーションのなかで憲法の理論はどのように変化していくべきか」というテーマに興味を持っています。

人権の捉え方、主権、民主主義の捉え方などは、社会が変化するのですから、法的考え方も同じではいられません。従来、人権は、憲法が守ってくれるものであり、違憲立法審査権によっておかしいものは裁判所が無効にする、というものでした。しかし、人権は、その言葉からわかるように、国境に関係なく、人だから持っている権利です。国境のこっち側とむこう側とで変わるものではありません。

近年、日本も国際人権規約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約、差別撤廃条約などを結んでいます。こういった状況を認識しながら、憲法の人権保障はどのようにあるべきか、国際社会ではどのように考えているか、差別とは何なのか、どういうふうに対処したらよいか、ということについて研究しています。国際社会の議論をふまえて日本の憲法学もやらなければなりません。これは、グローバル化の一つの側面です。

——では、日本の憲法学を国際的にみて、疑問に思うこともありますか?

たとえば、非嫡出子の相続分差別、公務員の政治活動の制限については、国際社会からみて問題があるように思います。国際社会では、権利を認めようとする方向にありますが、日本はそうではありません。

——逆に、日本の方が国際社会よりもゆるやかに認めている人権もあるのですか?

たとえば、差別言論について、少数民族を差別する言論は、ヨーロッパでは厳しく取り締まろうとしていますが、日本では表現の自由を権利として重んじようとしていますね。国ごとに特色もありますが、ミニマムな保障が人権にはあります。世界でこれだけは守るべきこと、というのがあります。

山元先生のお人柄

——山元先生の趣味はなんですか?

語学が趣味ですね。外国語の勉強が好きです。今は英会話の学校に行っています。ドイツ語を昔読んでいた時期もあります。アジアの言語もこれから選んでやりたいです。

フランス語が好きですから、フランス映画を見たりもします。フランス語は、ヨーロッパでは喋る人が多い言語で、通じやすいですよ。芸術もフランスで表現されたものが多いですし、ルソー、モンテスキューがフランス語で書いたものを生で読むこともできます。

ほかにカラオケも好きです。ミスチル(Mr.Children)の「名もなき詩」や「Sign」、ビートルのHey Jude(ヘイ・ジュード)をよく歌います。クラシックよりもジャズが好きですね。Bill Evans(ビル・エヴァンス)を通勤の時に聴いています。

映画は、深津絵里、妻夫木聡の「悪人」を最近見ました。

——山元先生が学生に薦めたい本は何ですか?

私が学生時代に読んで感銘を受けたのは、田中克彦さんの『ことばと国家』岩波新書です。

国家は、言葉をルールにはめようとします。正しい表現、文字、たとえば「ら抜き言葉はよくない」みたいな、そういうのを批判している本です。言葉は生き生きしたもので、人や時代によって使い方が違うのは悪いものではありません。言葉は生き物ですから、ルールで抑えつけても実は無駄。そういうことを歴史的に語っています。読んでくれたら嬉しいです。

田中克彦『ことばと国家』

——山元先生はお子さんとよく遊んだりするんですか?

あまり公園とかで遊ぶことはありませんでしたが、子供を保育園に車でよくつれていったのが、懐かしい思い出です。私が長男と次男を車で送る係で、合わせて10年くらい、けっこう大変でした。

そういえばこの前、次男に頼まれて幕張メッセに行ったときはひどい目にあいました。ポケモンとか、漫画のキャラクターとかがあって、たしか次世代ワールドホビーフェアでした。ゲームとかカードが大好きなんですよ。ものすごく並んで大変でした。


山元ゼミについて

——憲法ゼミならではの特徴を教えてください。

憲法という学問分野は明瞭ですが、その分野を選り好みせず、トータルに、全体的にちゃんと勉強するゼミでありたいと思っています。ゼミの理想は、ものすごくよく勉強して、ものすごく仲のよいゼミです。

たとえば、アルバイト先なら、仕事を通じて人と人が通じます。サークルに入っていれば、野球、テニスなどを通じて仲良くなっていきます。それと同じようにゼミも考えています。憲法のいろいろな興味を持っている人が勉強を通じて、すごく仲良くなったら楽しんじゃないかと思いますよ。

ゼミは、資格を目指して勉強するサークルとは少し違います。専門家の先生がひとりいるっていうのは大きな違いですね。困ったらアドバイスをもらえるし、こんなことを勉強したらいいよって言ってもらえる。気楽に質問することができますよ。

——山元先生の政治経済学部でのゼミ活動はどんなかんじでしたか?

早稲田大学では、清水望先生の憲法ゼミに所属していました。そんなに大変なゼミではないので、のんびりとしたかんじです。3年生の夏までは司法試験のために勉強していましたが、3年の秋に考えを変えて、学者を志望するようになり、大学院の勉強をするようになりました。清水先生は、ドイツの政治制度が専門の先生で、そのとき私が興味持っていたこととはちょっと違いましたが、1学年20人くらいなのは山元ゼミと同じで、人気のあるゼミでした。

——山元ゼミの運営方針はどのようなものですか?

学生には、憲法の中で自分の興味持ったことを、しっかりと調べてほしいです。参考資料1冊2冊で終わりにするのではなく、そこについてはきちっと答えられるくらい勉強してほしい。学部生として出来る範囲で、精一杯勉強してほしい。

たとえば、表現の自由に興味を持ったら、どのような問題点があるのか、判例はどうなっているのか、とことんまで調べてほしいです。憲法をトータルに学ぶことができ、自分の興味をもったことにもとことん打ち込める、そんなバランスを重要にするゼミです。

——山元ゼミの学生には、将来どんなふうになってほしいと思いますか?

学生には、バラエティーに富んだ進路にいってほしい。学者、弁護士、出版、公務員、メーカー、銀行など何でもよいが、そのあとで、久しぶりに会って、意見交換とかができるのが理想です。

東北大学のゼミは、1年で終わりだったり、掛け持ちをするので上下のつながりうすくなりがちでした。その点は、学校の伝統によって、結構ゼミは違います。新潟大学のゼミの学生は、今でも家族を連れて会いに来てくれたり、集まったりしていますね。

慶應は、2年間ゼミを続けられますから、OB会のある結びつきの強いゼミにしたいと思っています!

——山元先生がゼミ生に求めるものは何ですか?

積極的に何でも動いてくれる人を求めます。勉強でも、スポーツ大会でも、飲み会の仕切りでも、リーダーとして能動的に活動してください。 また、人間は個性がみんな違いますから、自分と違う個性を大切にしてくれる人を求めます。どんなゼミ生の個性でも、あたたかく見てくれる人がよいです。

——山元先生から、2年生に一言メッセージをお願いします。

山元ゼミは、入って後悔のないゼミなので、ぜひ入ってください!