作/皇 巫琴
作/皇 巫琴
塗りつぶされたような灰色の荒野を、一本の線が西と東に切り分けている。線は手書きしたようにやわらかな真っ直ぐさで走り、その上を、三十両編成の世界縦断鉄道が一路南へとひた走っている。列車の、ジーゼル機関車、貨物車に続く普通席車両には、木製のベンチに茶色の硬いクッションを詰めた座席が二人分ずつ左右の窓に沿って並んでいる。八十ほどもある席はほとんど埋まっているが、みな腕を組んだり同行者や見知らぬ他人の肩や窓枠にもたれたりして眠っている。なかには隣人がいないのをいいことに、ベンチシートに乗り上げてまるまっている者もある。最後尾で黒いヴェールをすっぽりと被る少女も、そのひとりであった。
がたん、がたん、と車輪が線路の継ぎ目を乗り越えるたび、ヴェールからこぼれたまっしろな髪のひと束が揺れる。すう、すう、と繰り返されるかすかな寝息は、それとはまた違ったリズムを刻んでいる。薄暗い車内で味わう束の間の眠りを、少女は心から堪能しているのだった。
少女が見るのは淡い夢。立派なお城に住まうお姫様になって、何不自由なく気ままで享楽的な日々を過ごす夢。豪奢なドレスをブレックファストとランチとティーパーティーのごとに着替えて、それらの合間で庭の小鳥と戯れ――夢の中で少女は動物と会話ができるのだ――お呼ばれしたティナーに着たいドレスがなんだか髪の色に似合わないな、と不満を抱けば、目の中の悪魔が白い髪を鮮やかな朝焼け色に染めてくれる。
――エルム、見ろよ。朝焼けだ。
そう言う男の声が、少女の脳裏に響いた。
「ん……」
白い睫毛をはばたかせ、少女エルムは目を開ける。青い瞳があらわになり、右のひとつが、ぽっ、と青く燃え上がる。炎は一瞬で静まり、ぱちぱちと瞬き、目を擦り、ぐいと伸びをし、ヴェールを被り直す、一連の寝起きの仕草のうちで再び燃え上がることはなかった。
「あさやけ……」
寝ぼけた声が呼び寄せたかのように、そのとき朝日が列車の窓へ到達した。赤い光線とぬくもりが、遙か遠い地平からこの列車へと、荒野を暖色に色づけながら迫ってくる。雄大な大陸の夜明け。エルムはそれを、彼女だけに聞こえる声の持ち主とともに、食い入るように見つめた。
「綺麗ね。それに、なんだか世界が広くなったみたい」
――夜の間に渓谷を抜けたんだ。先頭車両に行けば、そのうち教団施設が見えてくる。
「教団じゃないってば。魔女の国よ」
次の目的地をそう呼んで、エルムは窓から離れ、椅子の上で姿勢を正した。足元に寝かせたリュックのサイドポケットから手鏡を取り出す。
顔の前にかざした鏡面に、ヴェールを透かしてやや気弱そうなエルムの顔が映る。そこへ重なるように、青白い青年の顔がひょいと覗いた。青年の顔はヴェールのごとく半透明にエルムを透かしている。
半透明でかつすこし古いタイプではあったが、青年はなかなかの器量よしだった。その薄い顔にむずかしい色が浮かぶ。
――なら、魔女の国教団だ。はあ、あんなところへなんだって行きたがるんだか。
「わたしだって魔女の端くれだもの。魔法あるところには足を運んで、長寿の悪魔の御し方について教えを請わなくっちゃ」
――なんて嫌なことを言う子だ。
エルムにしか聞こえない声でぼやき、鏡の中の青年はやれやれとかぶりを振った。
列車がゆるやかにカーブする。いつの間にか大地全体をあたためていた太陽が、線路の避けた巨岩に遮られる。車内が夜を取り戻したように暗くなって、エルムの目にはすべての窓に青白い青年の不満げな横顔が見えた。
この気むずかしく、昔風の男前の青年は、名をアキニレという。世には《蒼炎の悪魔》と呼ばれているが、危うく名を返上しかけたところをエルムに救われた。以来エルムは悪魔憑きとなった。唾棄のために《篝火の魔女》とも呼ばれたが、エルム自身はその名を、まだ名乗るに相応しい自分ではない、と感じている。
巨岩の作る影が切れた。窓に光が戻るとともに、エルムだけに見えるアキニレの姿も、手鏡のなかのひとつを除いて消える。
――しかしどうするつもりだ? 教団都市で降りたら、次の列車は二週間後だぞ。路銀は計算したか?
「大丈夫よ。アキニレのおかげでね」
――大したことはしちゃいないが……。
エルムの財布には二週間分の質素な宿と食事代を賄えるだけの金額が入っている。旅の間に学んだ魔法がささやかな仕事に結びつくこともあれば、魔女と名乗らなくても、青い炎を上げる右目を見せるだけでちょっとした小遣い稼ぎになる街もあった。
「とりあえず、最初のご飯はすこし贅沢して、宿は清潔なら狭くてもいいって条件で探すでしょう。公共施設はどこもお金がかからないらしいから、図書館とか、資料館とか、そういうところに行ってみましょう。あとは大きな商店街を歩いて、イイ感じの人探し!」
エルムには大きなため息が聞こえた。
――まだ言ってるのか。いらないよ、身体なんて。
「だーめ、身体がないなんて不便でしょ。魔女の国なら悪魔にも快く身体を貸してくれる人がいるかもしれないじゃない」
――それって魔女だろう。魔女は、手強いぞ。
「知ってるわ」
いつしか窓外の景色はまばらな低木に変わっている。列車にじわりとブレーキがかかる。一瞬だけ、エルムの席からも堅牢な城壁が覗けた。列車は速度を落としながら城壁のトンネルへと進んでいく。通路のランプが明るく見える。すべての窓にアキニレが青白く浮かぶ。
誰もそれを見ないまま、いくつかの席で乗客たちが降車の準備を始める。エルムも手鏡をしまってリュックを背負った。ヴェールを被り直して、
――やっぱり、リュックとヴェールは合わないぞ。
アキニレにそう文句をつけられながら、席を立って最寄りの降車口へ向かう。アキニレが映る暗い窓の外に、やがて光が差し込んで、列車は駅に到着した。
荒野の教団、巨大宗教都市、教えの砦、魔女の国。いくつもの名を持つ都市に、《篝火の魔女》エルムと《蒼炎の悪魔》アキニレが少女の身体ひとつで降り立つ。
《篝火の魔女》エルム
悪魔憑きの少女。幼い頃に両親を亡くし、親戚の家に引き取られるも窮屈な生活を送っていた。ある日、森の中で衰弱した《蒼炎の悪魔》アキニレを助けたことで悪魔憑きになった。結果、「魔女」として村を追われることになり、現在では悪魔と二人で自由気ままな旅をしている。
白髪青目、背はやや低め。