鷲原八幡宮について
鷲原八幡宮について
✿御祭神✿
主祭神
誉田別尊(ホンタ"ワケノミコト=応神天皇)
息長帯比売命(オキナカ"タラシヒメノミコト=神功皇后)
玉依畏売命(タマヨリヒメノミコト=神武天皇母)
配祀神
菅原道真公(スカ"ワラノミチサ"ネコウ=学問の神)
吉見頼行(ヨシミヨリユキ=吉見初代領主)
迦具土之神(カク"ツチノカミ=火伏の神)
事代主命(コトシロヌシノミコト=恵比須)
佐侘比古命(サタ"ヒコノミコト=猿田彦命)
天宇受売命(アマノウス"メノミコト=岩戸神話の女神)
大己貴命(オオナムチノミコト=大国主命)
大山祇命(オオヤマス"ミノミコト=山の神)
水波乃女命(ミス"ハノメノミコト=川と水の神)
国常立尊(クニノトコタチノミコト=天神の第一神)
素戔嗚尊(スサノオノミコト=農業と疫病の守護神)
稲脊脛命(イナセハキ"ノミコト=疱瘡の神様)
市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト=航海と陸の交通の守護神)
新田義興(ニッタヨシオキ=南朝方の武将)
✿由緒✿
天暦年中、郷士山根六左衛門が宇佐八幡宮を勧請して、家臣鈴木佐太郎およびその子孫が神事役となります。弘安5年源範頼の末裔、吉見頼行当地に入部により源氏の氏神鎌倉の鶴岡八幡宮の分幣を木部の徳永山に勧請し、三本松築城後の嘉慶元年、三代直頼が現在地に遷宮したと伝えられますが、一説に19年間柿木福川村に鎮座あって応永12年に鷲原に遷宮という説もあります。
天文23年、陶晴賢の三本松城包囲の兵火により、 山麓社寺が焼失しましたが、11代吉見正頼が永禄11年に社殿の改築を行いました。その後亀井家によって幾度か改築され、 本殿の覆屋は明治14年になされたものとなります。楼門、拝殿、本殿を一軸上に置き、いずれも弁柄塗りの社殿は、昭和47年3月、県指定の文化財となり、平成23年11月には国の重要文化財に指定されました。
楼門本体は入母屋造り茅葺きで、壮麗な建築であり本殿は三間社流造り、柿(こけら)葺きです。大内文化の影響を受け室町時代の神社建築様式をとどめています。
社前の広場は鶴岡八幡宮の馬場を模した流鏑馬(やぶさめ)馬場で、原形を残す貴重なものであり、県指定史跡になっています。現在、境内一帯は鷲原公園として、サクラ、ツツジの名所となっています。社殿の裏山には樹齢約千年の大杉が大空に突立しています。
✿年中行事✿
秋季例祭
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暴れ神輿
毎年11月20日前後の土日に執り行われます。菅原道真公を祀っていることからこの日は鷲原天満宮のお祭りとなり、神輿の担ぎ手が「迎え火」を蹴散らし火の粉をあげて神様を迎え入れる光景は大迫力です。
✿境内社✿
津和野百景図をもとに、鷲原八幡宮境内に鎮座する社や祠をご紹介いたします。
津和野百景図・第三十五図「鷲原八幡宮其の他」
①下山神社跡
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下山神社の本源は鳥取県大山大神山神社奥宮の末社として鎮座されています。鷲原八幡宮の下山神社は、亀井政矩氏が元和2年に遷宮したものです。正保3年亀井三代能登守茲政の時、ここに祠宇を造営下山大神を祀りました。明治4年に亀井家が上京した際にともに東京亀井邸へ移転となり、鷲原八幡宮には跡地だけが残ります。
②稲生社
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百景図ではこの場所に金毘羅神社があったとされます。慶応年間に風呂屋橋稲荷神社を移したものが現在の稲生社です。全国にも20社しかない珍しい神社です。
御祭神は、宇迦能魂尊(ウカノミタマノミコト=食糧の神)です。
③愛宕神社跡
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百景図では大杉の隣に鎮座しておりましたが、八幡宮に合祀されました。現在は跡地だけが残ります。
④天満宮跡
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百景図の時代は天満宮が鎮座していました。津和野百景図作者栗本格斎の説明によると、「天満宮は八幡宮へ合祀され、その跡に風呂屋橋稲荷神社(現在の稲生社)が移転となった」とあります。しかし実際には天満宮は跡しか残っておらず、稲生社は金比羅神社跡に鎮座しています(➁)。
⑤淡嶋神社
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安永3年(1774年)亀井能登守矩貞が紀州より勧請しました。御祭神は、少彦名命(スクナヒコナノミコト=国造りの神)。配神は、婆梨采女(ハ"リサイニョ=婦女・雛の守り神)です。
⑥詳細不明の祠
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百景図では鷺大明神が描かれた場所ですが、現在は詳細不明の祠があります。
⑦嚴島神社
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百景図では写真のあたりに鎮座していたようですが、八幡宮に合祀されました。現在は跡地すらうかがえません。
⑧詳細不明の祠
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詳細は不明ですが、おそらく喜時雨地区から移したとされる祠があります。
✿大杉✿
津和野百景図・第三十七図「鷲原愛宕神社の大杉」
現在の大杉
稲生社の左にある道を進むと、胸高周囲8.7m、樹高約40mの大杉がそびえたっています。
津和野の歴史を見てきた最長老の生証人として、千年以上の風雪に耐えて現在に至るもなお限りない生命力を発揮しつづけるこの大杉は、鷲原八幡宮の御神木として人々に長く敬われる名木です。
天文23年山口の陶晴賢が津和野城攻めの折、鷲原八幡宮とその裏山が焼かれました。裏山には大きな杉の木が幾本もありましたが、この1本だけが焼け残り、山中には現在も杉の古株が朽ち残っています。また、この場所にはかつて愛宕神社が鎮座しており、今もその跡が残っています。