シャロ「こ、こんにちは、しゃしゃ、シャロよ……」
シャロ「(周りをちらちら見まわしながら)今日はあの鬼畜和菓子来ないわよね……大丈夫よね……」
(カンペを取り出して広げながら)
シャロ「さて、今回は私が千夜の家に行く話ね。幼馴染とはいえ、千夜の家でお泊りするなんて、かなり新鮮だわ」
シャロ「……でも、なんか嫌な予感がするのよね。千夜の家に何か恐ろしいものがあったような……」
(シャロの視線の先から、何か黒いものが猛スピードでやってくる)
シャロ「あっ、あれは何かしら……? なんだか見覚えがあるような……」
シャロ「千夜の家のあんこだわ! そういえばあいつの家にはあんこがいるんだったわ!」
(あんこ、猛スピードのままシャロの顔面に飛びつく)
シャロ「いやああぁぁあああああぁぁ! あんこ来ないでぇー‼」
(シャロ、前が見えないまま逃走して画面外へ)
千夜「あんこー? どこにいっちゃったのかしら……またカラスにでも攫われたのかしら……心配だわ……」
千夜「ご注文はゾンビですか? 2羽、始まるわよ~」
「千夜~っ! 来たわぐへっ」
カフェインハイテンションのシャロが、甘兎庵のドアを開けると同時、シャロの顔に何か黒いものが飛びついた。視界が真っ黒になり、前が見えなくなる。慌ててそれを引き離そうとするも、強い力でしがみつくので全然離せない。
「あら~シャロちゃんいらっしゃい。あんこが顔についているわよ~」
ここでいうあんことは、食べ物の餡のことではない。シャロの顔に引っ付いているもの―即ち、甘兎庵で飼っている真っ黒な兎のことだ。
「ひぃ~! 張り付かないでぇ~!」
そのことを知らされたシャロは叫び声をあげる。シャロはお化けと同じくらいうさぎが嫌いなのだ。まあ、その原因を作ったのが今顔に張り付いているのだが。このあんこ、幼少期のシャロによく齧りついたので、シャロに嫌われることになったのである。
だがあんこはそんなことを全然気にしない様子で、シャロの前髪を一房口にくわえると、足をバタバタさせながらもなんとかシャロの頭の上に到達する。そして、あんこはそこで丸くなり、居候を始めた。
「ほら、あんこもシャロちゃんに会えて嬉しそうよ~」
「全然嬉しくないわ! むしろ怖い~!」
(あら~、もうカフェイン酔いから醒めてしまったのね……。いつものシャロちゃんだわ)
千夜は甘兎庵の入り口ドアがまだ開けっ放しなのに気づいて、後ろ手でそっと閉めた。次の瞬間、中に入ろうとしたゾンビがドンッと激突する音が人のいない店内に響く。
シャロはその音に、うさぎが怖いと騒ぐのを中断した。兎よりも怖いものが自分たちの外を改めてウロチョロしているのだと思い出して、顔を青くする。
「……とりあえず、席に座って一旦落ち着きましょう?」
「……そ、そうね。話したい事なら山ほどあるし」
シャロは、一番近いテーブル席に腰を下ろす。千夜はちょっと待ってて、と店の奥に引っ込み、数分後にお盆に湯呑みを載せて戻ってきた。
「はい、煎茶よ」
「あ、ありがとう……いただきます」
シャロは熱々のそれを少し飲む。身体の中にじんわりと温かさが広がった。
コトン、とシャロの向かいに座った千夜が湯呑みを置き、口を開いた。
「どう、落ち着いた?」
「……うん。だいぶ」
「ならよかった」
シャロちゃんの為に、緑茶の中でもカフェイン含有量の少ない煎茶を選んだのよ、とは言わないでおく。そうやって感謝を求めることは無粋なのだ。
「でね、シャロちゃん。本題に入るんだけど……」
「う、うん」
「あのゾンビたち、一体何なのかしら……?」
シャロは小さくひいっ、と怯えた声を漏らす。だが煎茶の効果もあってか、自宅にいるときよりも体の震えはかなり小さくなってきている。
「わ、わからないわ……寝るときまではそんな奴いなかった……それで、午後十一時に起きたらもうあいつらが……」
「そうよね……。私もシャロちゃんと同じくらいの時間にゾンビを見たわ……」
シャロは震えながらも、千夜に尋ねる。
「ね、ねえ……あれっていつになったら落ち着くの……?」
「どうかしら……たぶん、明日の朝には落ち着く、と思うけど……」
壁に掛かっている時計は、十一時十分を指している。日の出まであとおよそ六時間。長い長い夜はまだ始まったばかりなのだ。
「いつ落ち着くか、実際に聞いてみましょう。何かわかるかもしれないわ」
そういうと、千夜は席を立つとさっき自分が閉めた甘兎庵の入り口のカギを開けようとする。
「ちょちょ、ちょっと待ちなさいよ! やめなさい!」
「どうして? そうした方が手っ取り早いじゃない?」
「そういう問題じゃない! あんた分かってんの⁉」
シャロは必死にドアを開けようとする千夜をとどめる。どこまでも天然な千夜だった。
千夜はシャロにとどめられて、ドアを開けるのを諦める。そして、元の席に座りなおす。
「もう、シャロちゃんたら、強引なんだから……」
「強引なのはどっちよ……」
シャロはため息をつく。いつの間にか、頭の上からあんこはいなくなり、木の小さな台の上の定位置に座っている。
そして、シャロはもう一度だけ、今度は大きくため息をついた。
「やっぱり無理よ……あと六時間も……」
「大丈夫よ、シャロちゃん。私がいるでしょう?」
涙目になって震えるシャロを千夜は励ます。そして、おもむろに立ち上がると、腕まくりをしてキリッとした表情をすると、
「お姉ちゃんに任せなさ~い!」
「……何それ、全然似てないじゃない」
「そうかしら?」
「……そうよ。ココアならもっと、自信満々に言うわよ」
千夜が同級生のマネをしたことで、シャロの顔に少しずつ笑みが浮かぶ。
(シャロちゃんはやっぱりこうでなくちゃ。怯えた顔なんて見たくないわ)
と、少し安堵する千夜だった。
「それにしても、ココアちゃんとチノちゃんが心配ね……。ラビットハウスさんの周りもこんな感じなのかしら……」
「それを言ったらリゼ先輩も……大丈夫かな……」
「ちょっと連絡を取ってみましょう」
そう言うと、彼女は携帯電話を取り出して、ココアに電話をかけ始める。
(私もリゼ先輩に電話しなきゃ)
シャロも、パーカーに入っていた携帯電話を取り出すと、リゼの携帯電話の番号を選択して電話をかける。
プルルルル……プルルルルル……
(先輩、出ないなぁ……)
三十秒以上待ったが、一向に電話の向こうにリゼは出ない。今は何か手の離せない状況にあるのかもしれない、いや、そもそも今は寝ている時間なのだから、電話に出ることの方がおかしい、と思ってシャロは一旦電話を切った。
「千夜、そっちはどう?」
「……ダメね。繋がらないわ」
千夜の電話にも誰も出なかった。
「ま、こんな時間だから普通はみんな、寝ているわよね」
「そうね……。でも心配だわ……何かに巻き込まれていないか……」
それは二人の不安の種だ。例え、もう寝ている時間で出ない、という可能性が九十九パーセントでも、残りの一パーセントでゾンビに襲われてしまった、かもしれない。
「考えたくない……!」
シャロはそれ以上の思考を拒否した。もしそんなことを考えてしまったら、もしそれが本当だったら……自分がどうなってしまうか分からないからだ。
「そうね……とりあえず、ラビットハウスとリゼちゃんの様子を見に行ってみましょう」
「……けど、外には化け物がはびこっているのよ? それに、甘兎庵を開けてしまうのも危険だわ!」
「それは大丈夫だよ、あんたたち」
すると、店の奥から突然声がした。千夜とシャロは一斉にそっちの方を見る。
先に正体に気づいたのは千夜だった。
「……おばあちゃん!」
「話は聞かせてもらったよ。家の外が大変なことになっているそうじゃないか」
「え、ええ……周りにゾンビみたいなものが……」
戸惑いながらもシャロがそう言うと。
「甘ったれるんじゃないよ!」
鋭い一喝。二人とも動きが止まる。
「友達が心配なら、さっさと行って確認してきな! 今、危険かもしれないんだろう」
ただのいい人だった。
「甘兎庵は気にせず行って来な! あたしゃ番をしておくから」
「おばあちゃん……!」
千夜は思わず立ち上がる。嬉しそうな表情だ。
千夜の祖母からは友達を助けるよう、激励があった。また、甘兎庵の店番は千夜の祖母がやってくれるという。
「もし外に出るんだったら、それなりの武器が必要よね……」
「でもそんなものあるの?」
「ちょっと待ってな」
その言葉に千夜の祖母は一旦奥に引っ込んだ。そしてすぐに、両手に何かを持って戻ってくる。
「これを持っていきな」
そういって机に置かれたのは、ハリセンと木刀だった。
(こんなものを武器に持っていくの⁉)
「じゃあ、私はこっちね~」
驚きを隠せないシャロをよそに、千夜はさっさとハリセンを手に取る。材質は紙ではないようで、手に軽くたたくとパンパンと固い音が響く。
「ちょちょっと、木刀は私が持つの⁉」
「私じゃ重すぎて持てないわ」
(そういえば千夜は極度に体力が無いんだったっけ……)
シャロはそのことを思い出して仕方なく木刀を手に取った。ずっしりとした本物の重みが手に伝わってくる。
こんなものが本当に振れるのか、という不安と同時に、これならゾンビを倒せそうだ、という安心が同時にシャロの中に湧いてきた。
「あ、それと……」
千夜は何かを思いついたようにポン、と手を打つと、飲み終わった湯呑みを回収して向こうに持っていく。数十秒後に戻ってきたときには、千夜は何かで大きく膨らんだ風呂敷を右手に下げ、左手で器用にお盆を載せて戻ってきた。
「最後に、これを飲んで落ち着きなさい」
「ありがとう」
これから化け物がうようよする外に出る。それを落ち着かせるために、千夜はもう一杯だけ、シャロのために緑茶を持ってきたのだ。シャロは好意と受け止めて、ゆっくりと一口で飲み干す。
だが、そこに千夜の別の狙いが隠されていたことまでは、シャロは気づかなかった。
「それじゃあ、シャロちゃん、行くわよ」
「ふぇ……」
「シャロちゃん?」
「よーし! 外に行ってゾンビをジャンジャン退治していこー!」
シャロは勢いよく立ち上がった。その顔は少し赤く、目の焦点は若干あっていない。
(同じ緑茶といえども、抹茶には、コーヒー一杯と同じくらいのカフェインが含まれているのよね……)
「千夜―! ほら、早く早く―!」
「は~い」
「あんたたち、気を付けるんだよ」
そして、シャロは木刀を抱え、千夜はハリセンを携えて、彼女たち二人はココアとチノのいるラビットハウスへと出発するのであった。