シャロ「こんばんは、シャロよ」
シャロ「今回のこの話はどうやら私が主人公らしいわ。えっと内容は……(カンペを見ながら)……カフェインでドーピングして……ゾンビをたおさせる⁉ ななな、なにそれ⁉ 聞いてないわよ!」
シャロ「ねぇ、コレってさすがに冗談よね? わ、私がお化け嫌いなのをわかっててやってるんでしょ……?」
シャロ「お、お願いだから冗談って言ってよ!」
シャロ「ぴやっ! 今何か冷たいものが……」アワワ
(シャロ、振り向く)
シャロ「いやあああぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁ‼」
(シャロ、逃走して画面外に消える)
千夜「あらあら、こんにゃくをぶつけただけなのに……もしかして、うちにあったこの般若の仮面が悪かったのかしら? シャロちゃんこういうのが好きそうだと思ったのに……」
(鬼畜和菓子、般若の仮面を取る)
千夜「さて、『ご注文はゾンビですか?』は全部で10羽構成よ~。今回はその初回」
千夜「それでは、1羽の始まり始まり~」
ドアをドンドンと何かが打ち付ける音で、シャロは目が覚めた。枕元の時計を引き寄せると、その二つの針は午後十一時を示していた。まだ寝床に入ってから一時間弱しか経っていない。ぼーっとした頭で、シャロはゆっくりとそれを理解した。
ドンドンという音は収まらない。かなりの強さで家の玄関のドアが叩かれていた。
「こんな時間に……いったい何の用なのかしら……」
ベッドで待っても音が収まらないので、シャロは仕方なくベッドから出る。寝始めてから一時間という中途半端な時間に起こされたので、眠気がひどい。目を擦りながらシャロは玄関へと向かう。
「はーい……」
シャロは自分の寝癖も直さず、パジャマの格好のまま、ドアを開ける。
もしもいたずらだったら思いっきり怒ってやろう、と呑気なことを考えながら。
だが、そんなシャロの目の前に現れたのは……。
土気色の顔をして、白目を剥いた大柄な男性だった。
シャロは寝ぼけた眼で、彼を見つめる。そして、その男性が普通の人間でないことをその寝ぼけた頭で理解し始めていた。徐々にその緑色の目が見開く。
「……へ?」
予想外の訪問客に、シャロが間抜けな声をあげる。
「ゔあああぁぁぁ……」
そして、目の前の人間――ゾンビが、低く呻き声をあげたことが、最後の一押しとなった。
「いやゃあああっ! 来ないでぇぇえええ!」
シャロは思い切り叫ぶと、勢いよくドアをバタン! と閉めた。そのまま鍵をかけて、ドアを背にする。
次の瞬間、締め出されたゾンビがドンドンドンと再びドアを叩き始めた。その振動がドアを伝ってシャロの背中まで伝わる。そして呻き声が小さくドア越しに聞こえてきた。
シャロはへなへなと力なくドアを背にして座り込む。恐怖のあまり力が抜けてしまったのだ。同時に彼女の視界があまりの恐怖にぶれ始めた。
それでもとにかく、扉の外にいる得体のしれない存在から離れようと、シャロは玄関の扉から離れてベッドへ向かう。力が入らないなりに床を這うようにしてベッドまで戻ると、シャロは布団の中に身を包む。そしてさらにその中で身を縮こまらせて目をきつく瞑って耳を塞いだ。
(お化けなんかいない、お化けなんかいない、お化けなんかいない……!)
シャロは心の中でひたすらそれを繰り返した。今さっき玄関で見たものを思い出さないよう、ひたすらそのことだけを考えて意識を逸らす。数分もすると、うまい具合に自己暗示にかかったのか、シャロはようやく落ち着きを取り戻し始めていた。
(……だいたい、ゾンビなんていう怪物が存在するはずないのよね。ゲームの中にしかそんなものは出てきっこないわ。そう、あれは幻想、ただの見間違いよ)
もしも、さっきのゾンビが見間違いだとしたら、今、窓の外を見ても誰もいないはずだ。そう思い込めば思い込むほど、今度は、どんどん窓の外が気になり始めていた。耳を塞いでいるのでゾンビがドアを叩いているかどうかはわからない。
(窓の外が気になる……! でも、もし外にゾンビがいたら……)
シャロは自分の好奇心と理性の間で揺れ動いていた。板挟み状態。本当にあのゾンビは思い込みだったのか。それとも、あれが見間違いでないのか。だが、窓の外を見れば全てがはっきりと白黒がつく。いないと確信できる一方、いることが確信に変わってしまう。
(……あぁもう! 見ちゃえ!)
シャロは自分の好奇心に負けた。耳を塞いだまま器用に布団をどけると、ゆっくりと立ち上がって、ベッドわきの窓の外をそっと覗く。
次の瞬間、窓の外で、月明りの下で暗い大柄な影がうようよしているのがシャロの目に映った。間違いない、玄関にいたのと同じゾンビだ、
「いやああぁぁああああぁぁぁぁぁ……」
シャロは思わず叫び声をあげた。そして目にもとまらぬ早業で再び布団を被るとベッドの上で再び丸くなった。あまりの恐怖にシャロの体が震える。
「だめ、だめ……もうだめぇ……」
口ではそうつぶやくが、窓の外の光景が目に焼き付いて離れない。
見間違いなどではなかったことが証明されてしまった。今が、シャロの考えていた最悪の事態であることが、もうどうしようもなく否定できなくなったのだ。
耳から手を外せば、今でもドンドンとドアを叩く音が聞こえるはずだ。だが、そんなことは意地でもしたくはない。シャロの思いはただ一つ、即ち、早く朝になってゾンビがいなくなってほしい、それだけだ。
(今、悪い夢を見ているのよ……そうよ……)
そんなことをシャロが思っていたときだった。
ピロロロロロロロロ
「いやああぁぁぁああああああぁぁ! お化けええぇぇぇええ!」
近くで突然大音量を流されたシャロは、反射的に叫び声をあげてしまう。それはそうだ、ただでさえ家の周りをゾンビがウロチョロして心が恐怖一色なのに、そこに音が流されたら堪ったものではない。
だが、数秒間経っても鳴りやまない音で、シャロはそれが一体何の音なのか気づいた。
「……なんだ、電話の音だったのね」
幽霊の正体見たり枯れ尾花。ただの電話の音だったのだ。正体がわかってひとまず安心したシャロは、ベッドから這い出て、震える手で鳴り続ける電話を取った。
「……も、もしもし?」
『シャロちゃん? 千夜よ』
電話の相手は千夜。シャロの家の隣に住んでいる幼馴染の少女だ。千夜の家は、『甘兎庵』という和菓子屋を営んでいて、彼女はその次期女社長なのだ。いつもと変わらない彼女の声がシャロの耳に届く。
「もう、脅かさないでよ……!」
『……?』
「……で、こんな夜中に何の用?」
『あのね、シャロちゃん、今家の外でゾンビみたいなものがウロチョロしてない?』
「なななななななんのことかしら? そそそそそそそそんなの見てないわよー」
せっかく紛れていた恐怖心が再びぶり返してきた。恐怖でカタカタ震えながらシャロは何とか返答する。
だが、これでゾンビが家の外にいることは、決してシャロの妄想ではないことが証明された。千夜も同じものを見ているのだから。
千夜も、シャロの幼馴染を伊達にやっているわけではない。シャロの声音で全てを察したうえで本題へ入っていく。
『それでね、シャロちゃん。今夜は、うちに泊まりに来ない?』
「……え?」
『一人だと寂しいじゃない? それに、二人でお泊りっていうのも、いいかな~って』
「う、うん、そうよね。……久しぶりにそれもいいわね」
シャロだって、伊達に千夜の幼馴染をしているわけではない。突然のお泊りのお誘いの言葉、その裏にある千夜の思いを、シャロは電話口で感じ取っていた。
だが、そのお誘いを受けるには、一つ問題が残っていた。
「……でも、どうやってあんたの家に行けばいいのよ? その、なんか変な奴らがうろついているし……」
『ああ、それなら大丈夫よ。とっておきの秘策があるの』
「秘策?」
『そう、秘策よ。キッチンの戸棚を開けて右の奥の方を見てみて』
「うん」
シャロは電話を器用に肩と耳で挟みながら、千夜の指示通りにキッチンの戸棚を開け、その右奥を探る。すると、何か固いものが指先に当たった。円筒形をしたそれを引き寄せ、シャロは自分の前にその姿を曝け出す。
それは、B〇SSの缶コーヒーだった。
「あんたいつの間にこんなものを私の家に忍ばせておいたの⁉」
『やっぱりまだ残っていたのね~』
「ねえ、ちょっと! 千夜!」
だが、シャロもうすうす千夜の意図が分かり始めていた。そして、それが千夜の家に行くことができる唯一の方法であろうことも。
『シャロちゃん』
「……なによ」
『それを飲んで、私の家に来なさい』
「…………わかっているわよ」
シャロはカフェインに酔う珍しい体質だ。しかも、コーヒーの香りを嗅いだだけでも酔ってしまうほどカフェインに弱い。もしも酔ってしまうと、自分でも考えられないくらいハイテンションになって性格が変わるのだ。さらに質の悪いことに、そのときの記憶がきっちり残ってしまうのがさらに恥ずかしさを倍増させてしまう。
だが、それでもシャロはコーヒーを嫌いになれない。それに、カフェイン酔いのときの自分も、嫌いではない。それでも普段の自分と乖離してしまうのは少し怖い。だが、千夜はそれもまた自分として受け止めてくれる。
『甘兎庵の入り口のドアは開けておくわね。それじゃあ、待ってるわ』
「あ、ちょっと!」
プツッ、と電話は突然切れた。あとはツー、ツー、と話中音が流れるのみ。
シャロは耳から電話を離すと、元の場所に置いた。
もう、やるべきことは一つに決まった。
シャロはパーカーを羽織ると、右手で握りしめているB〇SS缶に視線を落とした。
(……やるしかないわ)
彼女はプルタブを開けると、一気に中身を飲み干した。舌には慣れないコーヒーの苦みと、仄かな香りが口の中に広がる。そして、すぐに身体がふわっとした、あの形容しがたい感覚に襲われた。
シャロはそれを感じながら、勢いよく玄関のドアを開け放つ。
「さあ、千夜の家にお泊りよ~!」
そして、シャロは目の前にいたゾンビの顔に勢いよく、空のコーヒー缶を投げつけたのだった。