※よく知られた産地は、採集集中のため、採集禁止や絶産になっています。
昔は火打石に利用された。
※違い石(ちがいいし)の産地(弘法山 こうぼうやま)は上田市天然記念物。計算記号に見立て「かけ石(いし)」等とも呼ばれる。明治初めに政府に蒐集され、明治28年 比企忠(ひきただす)が中性長石であることを報告した。(実際は中性長石は全国各地で産出している。)
※武石(たけし)地域の緑簾石の焼餅石(やきもちいし)は上田市天然記念物(平成元年指定)。「うぐいす餡」は現代の見立てで、古い資料には無い。(緑色のうぐいす餡は昭和にできた?) 保科五無斎が発見したというのは嘘。
黒色頁岩中にあり、イカ石(ikaite)の仮晶とされる。雲根志に神代石の石戈(越後産)がある。玄能石と呼ばれるようになったのは明治29年の保科百助の報告から?(※この産地は現在は採集禁止)
火山灰層に含まれ、土器の混和材に利用された。(写真は縄文土器の表面)
砂岩や泥岩に含まれる緑色粒状の塊り。見た目での識別は難しく、他の粘土鉱物(セラドナイト、イライト、緑泥石等)の可能性もある。
※独鈷山 郷土環境保全地域(沢山など)は岩石採取禁止。明治初めに政府に蒐集され、明治31年 神保小虎は「ソーダ沸石の部類に属するものならん」とした。
集塊岩の隙間にできた沸石などの塊りが、母岩の風化・破砕で現れたもの。不定形。沸石類、方解石等、複数の鉱物(石英を除く)の共生も普通に見られる。伝説で鞍が淵の大蛇の遺骨と言われる。霊的な力(ご利益 等)の話は無い。傷薬として利用された。