多くの種類の植物プランクトンの中で,どの種が何時,赤潮をおこすのか,私達は予測できていません。東京湾においても未知のプランクトンがまだまだいます。私達は,赤潮がおきる過程,植物プランクトンが食べられる過程,これまであまり知られてこなかった小型の植物プランクトンや植物プランクトンを利用するアメーバ,寄生性原生動物などについて調べています。フィールド調査を行う研究テーマが多いですが,室内培養実験を中心とする研究も行っています。下に,一部についてお示しします。
東京湾は1960年代から80年代にかけて著しい富栄養化を経験した半閉鎖性内湾です.1980年代以降,湾内に流入する有機物,栄養塩の削減が図られ,実際に,東京湾内の栄養塩濃度は減少しました.ただし,東京湾でおきる環境変化は,そういった栄養塩等の流入負荷だけでありません.近年では温暖化,酸性化の進行も指摘されています.
東京湾では,栄養塩濃度が低下しましたが,現在でも赤潮は頻発しており,貧酸素水塊も毎年形成されています.一部の赤潮は,魚を殺すことがあり,貧酸素水塊が常態化すれば二枚貝などが壊滅的な被害を受けます.私達は,植物プランクトンと環境要因(水温,塩分,栄養塩濃度)を湾奥部の複数の観測点でモニタリングしています.このモニタリングは,東京湾の海域管理や将来予測のための基礎資料として重要であるばかりで無く,私達の研究室で行っている研究の基礎データとしても大切なものです.
Skeletonema属は,世界中の極域を除く沿岸域に普通に見られ,季節に関係なく冬にも夏にも赤潮を起こすことが知られています.東京湾でもほぼ年間を通じて出現します(Ueno et al. 2023).沿岸域で見られる他の珪藻,例えばPseudo-nitzschia属が冬には細胞密度が低くなることと対照的です.また,本属は,水の環境が生息に不適になると,休眠細胞となって海の底の泥に堆積します.底泥中の休眠細胞は,光が当たることによって復活して,再び栄養細胞となって水中で増殖します.
2000年代前半まで,Skeletonema属の殆どは,Skeletonema costatumと同定されてきました.しかし,2005年から2007年にかけてSkeletonema属の分類が再検討された結果,S. costatumには全部で8種の隠蔽種が含まれていることがわかりました.これまで規則性が無い様に見えていたSkeletonema属珪藻の季節的な変動や赤潮の発生は,隠蔽種毎に解析してみると,それらの変動の意味(根拠)が見えそうです.東京湾で,分子生物学的手法を駆使して,種毎に季節的な出現パターンを調べています.
これまでに,私達は,種毎にリアルタイムPCR法で定量するためのプライマーセットを開発しました(Enjoji et al. 2019).種毎のプライマーを用いて,東京湾で調べたところ,S. japonicumは1−6月に,S. marinoi-dohrniiは6−9月以外の全ての月で,S. potamosは,4月から10月に出現することがわかりました(Yoshinaka et al. 2023).上で,Skleletonema属珪藻は,冬にも夏にもブルームを起こすことを説明しましたが,季節によって違う種類がブルームを起こしていると考えられます.
東京湾の泥について調べたところ,主にS. japonium とS. marinoi-dohrniiが検出され,水柱で出現頻度の高いS. potamosは,殆ど検出されませんでした(Liu et al. in press).このことから,水柱に出現する種の全てが休眠細胞を作れるわけではないことが考えられます.種によって生活環が違う可能性があります.
海洋に豊富に存在する珪藻は,多くのプランクトンの餌となり海洋生態系を支える基礎生産者です。一般には植物プランクトンは自分よりも大きいサイズの生物に食べられます.しかし,東京湾から採集した珪藻を良く見てみると,珪藻に小さな生き物がくっついていることがあります.Skeletonema 属のような珪藻は細胞が繋がって糸状のコロニーを形成しますが,その途中に空っぽの細胞が見られることがあります.もしかしたら,珪藻は自分よりも小さな,寄生者やアメーバに消費されているかも知れません.私達は,珪藻に付いているアメーバ,鞭毛虫,寄生生物などの季節的な出現動向を調べています.また,それらを培養して,珪藻に対する捕食選択性や摂食速度を調べるとともに,顕微鏡観察と遺伝子を調べて種の同定や記載を進めています.
研究者が出来ることには限りがあります.関心のある市民の皆さんと一緒に赤潮を観測して,研究者だけでは為しえない,多くのデータを収集し赤潮発生の実態を明らかにしていきます.得られた結果は,市民の皆さんと赤潮を考える題材としての活用が見込まれる他,今後の予測,沿岸域管理の基礎資料にしたいと考えています.右はリンクです.
赤潮について,一般の方向けに電子書籍を作成しました。
本書籍中の画像の無断転載,本書籍の営利目的利用は固く禁じます。また,本書籍の利用により生じた苦情,遺失,損傷に対して一切の責任を負いかねます。東京湾の水柱には,6種のSkeletonema種が出現します(Yoshinaka et al. 2023).2017年8月から2020年2月まで,湾奥部の1カ所で,泥中のSkeletonema属の季節的な出現を調査しました.泥中には,S. japonicumとS. marinoi-dohrnii complexとS. ardens が出現しましたが,塩分の下がる夏季によく出現するS. potamos,S. costatum,S. menzeliiは,泥からはほとんど検出されませんでした.全ての種が休眠細胞を作るわけではないのかもしれません.夏季に出現する3種は,何処からやってくるのでしょうか.冬にはどこにいるのでしょうか?今後調べていきたいと思います.
Liu et al. (2025)
Seasonal changes in Skeletonema species in the sediment of Tokyo Bay evaluated with real-time PCR assays.
Plankton and Benthos Research 20:17-28
https://www.jstage.jst.go.jp/article/pbr/20/1/20_P200101/_article/-char/ja
2016年から2020年までの間、東京湾内湾部の3地点でクロロフィルa(Chl. a)濃度を調査しました。夏季(5–9月)には湾の北西部(St. AO)で栄養塩濃度が高く、高いChl. a濃度が観測されました。Chl. a濃度の変動は水温と強い相関が見られました。一方、冬春季(1–4月)には北部(St. CB)で高濃度が見られました。St. CBは水深が浅く(8m)、光が水底まで届くため、底泥からのプランクトンの発芽・復活が促進され、さらに水柱の混合も加わり、プランクトンの増殖が促進されたと考えられます。では、プランクトンの種組成や影響因子にも地域ごとの違いがあるのでしょうか?今後の調査が楽しみです!(Jiang,博士課程)
Jiang et al. (2024)
Spatiotemporal changes in chlorophyll a concentration in the inner area of Tokyo Bay from 2016 to 2020.
Journal of Oceanography 80:353–363
https://link.springer.com/article/10.1007/s10872-024-00730-y
主要な海洋基礎生産者であるピコシアノバクテリアSynechococcus属は沿岸から外洋、熱帯から極域付近まで幅広く分布しています。本属は光合成色素タンパク質の中に、青色の光を吸収するPhycourobilin(PUB)と緑色の光を吸収するPhycoerythrobilin(PEB)という発色団を持ち、この割合(PUB:PEB)が属内で多様です。この特徴が、海における様々な光環境での増殖を可能にしていると考えられていますが、野外群集が持つPUBとPEBの割合についてはまだよくわかっていません。青色と緑色のレーザーを搭載したDual laser フローサイトメーターを用いて野外群集のPUB:PEBを測定した結果、沿岸域におけるSynechococcus属群集はPUB:PEBが多様であることがわかりました。この理由が、光なのか、他の環境が影響しているのか、今後明らかにしていきたいと思います。(文・田中)
Tanaka et al., (2024)
Dual-laser flow cytometry reveals Synechococcus pigment type diversity
Marine Ecology Progress Series 751: 13-21
4年間Skeletonema属の細胞密度と出現種を調べました.Skeletonema属細胞密度は1-5月と6-9月に2回ピークがありました.Skeletonema属は6種が出現し,季節によって出現種が異なりました.1-5月には主に,S. japonicumとS. marinoi-dohrnii complexが,6-9月には,S. ardens, S. potamos, S. costatum, S. menzeliiが出現しました.Skeletonema属は東京湾でほぼ周年出現し,夏にも冬にもブルーム(赤潮)を起こしますが,夏と冬のSkeletonema属によるブルームは別の種によって起きていることがわかりました.
Yoshinaka, Liu and others. (2023)
Temporal niche partitioning of Skeletonema: Seasonal succession of the community composition in surface water of Tokyo Bay.
https://www.int-res.com/abstracts/ame/v89/p87-98/
2003年から2017年まで1ヶ月に1度の頻度で,植物プランクトンの種組成について調べました.珪藻のSkeletonema属,Thalassiosira属,Pseudo-nitzaschia属の3属が優占しており,3属を合計すると,植物プランクトン全体の細胞密度の75%を占めていました.植物プランクトン種の経年変化を見てみると,7月から10月にPseudo-nitzschia属が増加傾向にあることがわかりました.この研究ではPseudo-nitzschia属の増加を説明できる環境要因を見つけることはできませんでしたが,夏には栄養塩濃度が低濃度になっています.今後の植物プランクトンの量と組成の推移を見守るとともに,その変化と環境要因の関係について検討していきたいと考えています.
Ueno et al. (2023)
Succession of three dominant diatoms, Skeletonema, Thalassiosira, and Pseudo-nitzschia in the inner area of Tokyo Bay from 2003 to 2017.
https://doi.org/10.1007/s10872-023-00684-7
富栄養化が進行した東京湾では,水質総量規制により栄養塩の流入負荷が削減されました.その結果,窒素やリンなどの栄養塩濃度も低下しています.しかし,その一方で現在でも赤潮は頻発しており,栄養塩濃度が低下している効果は不明です.本研究では,植物プランクトンの制限栄養塩は何か,植物プランクトンの増殖速度が栄養塩濃度によって制限を受けているか,について培養実験によって調べました.その結果,現在の東京湾では,ほとんどの場合,植物プランクトンの増殖速度は栄養塩による制限を受けていないと考えられました.また現存量を制限している栄養塩は,これまでリンと考えられてきましたが,季節によって窒素に変わっているかもしれません.
日髙ほか(2023)
東京湾奥部における植物プランクトンの増殖に対する栄養塩制限の検討
Acartia omoriiは,冬から初夏にかけて出現する東京湾の主要なカイアシ類の1種です.この種は,通常,急発卵と呼ばれる卵を産みますが,休眠卵を作って海底に沈んで夏を越します.通常の卵から休眠卵に切り替わりに及ぼす水温と植物プランクトンの種組成の影響を調べました.A. omoriiは,水温約20度を上回ると休眠卵を生み始めました.また,急発卵は小型の食べられる大きさの珪藻が多いと卵生産速度が高まり,食べられない大きな珪藻と渦鞭毛藻が増えると休眠卵生産速度が高まることがわかりました.水温だけでなく植物プランクトンの組成もA. omoriiの卵生産に影響している可能性があります.
Tsunashima et al. (2021)
Effects of temperature and phytoplankton community composition on subitaneous and resting egg production rates of Acartia omorii in Tokyo Bay
https://www.nature.com/articles/s41598-021-86976-8
Skeletonema属は,光学顕微鏡では種を識別出来ません.私達は,種特異的なPCRプライマーを開発しました.リアルタイムPCR法によって,水中,泥中のSkeletonema属を種毎に定量出来る様になりました.
Enjoji et al. (2019)
Development of primer sets for a multiplex and a qPCR assays targeting Skeletonema species and its application to field samples
Skeletonema属の増殖速度は,殻径(細胞サイズ)が減少するに連れて高くなることを示しました.Skeletonema japonicum とSkeletonama dohrniiは,どちらも東京湾で冬に出現し,競争していると考えられます。この2種を同じ条件で培養しても、その競争の結果は,殻径の大小関係によって、変わることを示しました.環境条件だけでは,競争の結果は予測できないことがわかりました.
Ando and Katano (2018)
Effect of cell size on growth rates of two Skeletonema species and their competitive interactions
https://doi.org/10.1111/jpy.12782
ひよどりでの観測や実験室での活動の様子を動画にしました.
東京湾に出現するプランクトンの写真です.(綺麗に撮れてないけど..)
Alexandrium fraterculus
Karenia mikimotoi
Prorocentrum triestinum