太極拳の本質は変化&転換である
太極拳套路は自分自身を知るためにあります。
どんな動きの時でも心の静を保つことができるか?
いつも身体の重心安定と平衡を保てるか?
適応性を鍛える為の修練のひとつです。
太極拳は友を作る拳法であり自身の人格教養を高める拳法である
太極拳は武術です。
武術の根本理念は、他人を攻める為のものではなく、相手から攻められた時に自身を護るためのものであり、平和を護ることにあります。
太極拳は護身術とも言われますが、自分を護るための術であり、相手を倒す事を重要な目的としてはいません。
磨かれた自身の感覚で相手の力を判断し、相手の攻撃を避けます。また相手の力を自身に有利に転化させます。
(天野老師講義より)
太極拳は武術のひとつなのですね?
そうです。太極拳が心身一如の1元論を基本とするのはまさしく武術だからです。東洋(古典)医学の発展の影には、武術の影響もかなり大きかったと思います。
武術というと「戦い」「勝負」のイメージが強いですが?
もともと武術は、生死をかけて自分や誰か他人を護るために命やプライドをかけて戦う技術として発生したものなのです。
この点で一定のルールのもと一対一で行う「格闘技」という認識からは一線を隔して考えた方がいいでしょう。
そしていかに効率よく相手を倒し、自分は傷つかないようにする為にはどうすればいいのか、人間の身体と意識(心)を古来から徹底的に研究してきたのです。
武術とは歴史や文化など奥深いものなのですね
生と死を見つめるその武術が、「一つの身体と精神」という文化として今に醸成されてきました。それをもって日本では武道と「道」の字をつけるわけです。
ただ中国では「タオ」の意識はあまりに一般的なため武術、武芸という言い方のままです。
しかし現在ではそうでないものまで「道」をつけて表現されている事もあり疑問を感じることもあります。
厳しいご意見ですが、具体的にどういう意味ですか?
一部の武道は精神性をクローズアップし過ぎて身体を離れてしまっています。
また一部は身体に偏りすぎいわゆる近代スポーツになって心と身体を分ける2元論に戻ってしまい本末転倒になっているものもあります。
武術太極拳として私自身にどう捉えたらいいでしょうか?
まず自分の身体全体の状況を冷静に見つめながら相手との攻防をイメージあるいは実践する。動作の目的を明確にしながら自身を省みる(フィードバック=還元)。
その訓練を通して脳、神経系、肉体などの身体全体の機能を向上させることができる精神と身体活動という捉え方がいいでしょう。
解りました。太極拳は護身(護心)術とも言われるのは何故ですか?
太極拳の教えの中に<捨己従人>という言葉があります。読んで字の如く己を捨てて相手に従えという意味ですが、それは自分を犠牲にして相手に従うという意味ではありません。
自分の<我>を捨て去る事によって相手(や状況)を冷静に受け止めて対応できるのです。
例えば相手がゆっくり出てきたら自分もゆっくり出る、相手を正確に判断または読みとることができます。結果的に自分の意のままの状況へ誘導できる(又は持ち込める)のです。ただ<自分の我を捨て去る><無私、無心になる>というのは難しいですが。
まるで人生や生き方の教えのようですね!
捨己従人の教えを頭だけではなく身体全体で感じなくてはいけませんよ。鍛錬&練拳を通して体得できた自分の感覚を信じる事が出来て、初めて現実の生き方にも通じてくるのでしょうから。
(聞き手・文:藤澤惠子)