私の精神病の原因は、私の性格と家庭環境にあります。
「通院再開までの人生録」の補足説明として、私の育ってきた環境や当時の感情について記載いたします。
あくまで私の視点や感じたことであり、未熟ゆえに見えなかった部分や親が見せないようにしていた事もあったと思います。私より苦しい思いをしている方がたくさんいらっしゃることも承知しております。
暖かい目でご覧いただけますと幸いです。
★子ども時代の家族構成
祖父(父方)、父、母、私、弟
★経済面について
家計が苦しいと感じるようなことはなく、父は会社員、母は内職やパートをしていました。
★祖父
父と母は歳が離れていて、母が成人して間もない頃に両親は結婚しました。
同居していた祖父は祖母を早くに亡くした寂しさもあったのか、毎晩お酒を飲み、シラフの状態でも母に八つ当たりするのが日常でした。母は「男を立てる」タイプではないので、明治生まれの祖父とは相性が悪かったのかもしれません。
祖父は母を女中のように扱い、夕方4時帰宅でも「遅い!」と言われ、買い物をすることすら大変だったそうです。
近所の方の葬儀のお手伝いで遅くなったときですら、怒鳴り散らすような人でした。
幼いころから、祖父の母に対する理不尽な扱いを見ながら生きてきました。
私は祖父に対して敵対心を抱いていたため、反抗的な態度をとることも多かったです。
私と祖父もあまり良い関係ではありませんでした。
★父
父は残業の日々で帰りが遅く、平日に顔を合わせて話をすることは滅多にありませんでした。
祖父のこともあり、父と母は大きな声で言い合いをすることが頻繁にありました。
父は悪気なく失礼な発言や人を不快にさせる発言をしてしまうタイプで、何か言えば否定されてばかりの日々に傷つき自分の必要性を感じなくなっていきました。父のその性格は昔からのようで、叔母は「あんた(父)に子どもができても可愛がってやらない!」と言っていたそうです。(叔母に大事にされておりますので、ご安心ください。)
そんな父ですが、母に叱られたときは優しく励ましてくれたこともありました。
★母
母は大きな声で叱り、叩くのですが、八つ当たりだと感じていました。言葉で言われれば理解できるからです。ただ、母に悪気はなく、母方の祖父も怒鳴り散らす人で、母の育ってきた環境では普通のことなのでしょう。
大人になってから、父に「お母さんは愛情を受けて育ってないから仕方がないんだよ」と言われましたが、「お母さんは、おじいちゃんのせいで辛いから、私は我慢する!絶対、お母さんの味方になる!」という強い気持ちで子ども時代を過ごしてきたので、私の感情は複雑でした。
母は弟のほうが可愛いと明確にわかるような態度を示し、私も「自分の進路より弟の進路(学費)が優先」となり、母の指示に従い進路を決めて、自分の希望を叶えようと努力することはしませんでした。数年前には「男の子のほうが可愛いものよ」とハッキリと言われたので、間違っていなかったのだと思います。
★弟
幼い頃は一緒に遊んでいましたが、八つ当たりで叩いてしまうこともありました。
家族の中で「弟」だけは私のせいで迷惑をかけている被害者だと思っていました。
弟の存在が、私のストッパーとなり、今、生きていることができています。
弟に嫉妬をして、弟に攻撃をするパターンになっていた未来もあったかもしれません。
運よく、「弟を大事に思う道」を選べただけだと考えております。
★精神病悪化の原因と考えられる出来事
父も母も自分の発言を覚えていないことが多々あり、自己保身を優先する姿を見ていくうちに両親を信じられなくなっていきました。
「自分の味方はどこにもいない」
その感情は強い怒りや殺意、希死念慮となり、膨れ上がりました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。