タップダンス日本の歴史

日本で最初にタップを持ち込んだ(指導した)のがジョージ堀という人。
1931年、新橋に日本で最初のタップダンス教室を開校。

もともとSKD(松竹歌劇団)の前身である松竹楽劇部を立ち上げる上で”何か新しいものはないか”と松竹から坂東十助という人が頼まれニューヨークに渡り、そこでジョージ堀と川畑文子のタップを見て”これだ”と思い、ジョージ堀をスカウトして日本に連れて来た事が始まりです。SKDとは宝塚歌劇団と同じで女性だけのレビュー集団だが、当時は(楽劇部では)男性が5人所属(出演)しており、その内の1人が吉田タケオ先生でした。最初は女性だけが対象のレッスンでしたが後ろの方で見よう見真似で覚え、それからジョージ堀先生に目をかけてもらったそうです。(吉田タケオ先生より)ジョージ堀先生は様々なタレントの指導にあたり、大船撮影所などに出張で指導に行かれ、後進の指導、日本劇場のこけら落としに川畑文子と共演され素晴らしいステージを行なったそうです。

現在、大先生の中でジョージ堀先生の指導を受けていないタップダンサーは日本にはいません。
また、その先生方から若い先生へと日本のタップの歴史が受け継がれています。


ジョージ堀(堀常次郎)

日本に初めてタップダンスを持ち込んだ人。

それ以前にタップをしていた人もいたらしいがタップの指導者として日本の今の基礎を築き上げた人。

お弟子:林時夫・白幡石蔵・稲葉実・荻野幸久・中川三郎・吉田タケオ その他多数


林時夫(鈴木啓次郎)

ジョージ堀の一番弟子。日本人で始めて映画でタップを踊った人。

お弟子:稲葉実・中村弘高他


白幡石蔵

新派の大部屋俳優からジョージ堀門下生になる。川畑文子に気に入られてコンビを組み全国巡業に同行した。

お弟子:横田米子他


稲葉実

社交ダンスの教師からジョージ堀門下生になる。日本で始めてタップダンスの教則本を出した人。一万五千部という大ヒットになった。

 

川畑文子

日系三世でハワイ生まれ。17歳で日本劇場の柿落とし公演の主役をつとめる。歌・モダン・タップと何でもこなし、戦前のトップアイドルスターだった。

お弟子:チェリー・ミヤノ他


荻野幸久

日本劇場のトップスター、タップとコミカルなもの(ジャグリングなど)を組み合わせて様々なことを行い、足さばきの早さに定評があった。

お弟子:杉本幸一他


中川三郎

アメリカから帰国後、一躍スターになり、当時のタップダンサーでは”横綱”と一番高い評価を受けていた。吉本興業に入り、姫宮節子とベストカップルと言われていた。

帝国劇場のトップスター。

お弟子:寺嶋清・牛丸謙・佐々木隆子 他


秋月恵美子

OSKの花形スターで、日本ではNo.1の女性タップダンサーだった。

 

姫宮接子

日活映画の銀幕スターとして活躍。中川三郎とのコンビで人気を得た。

 

吉田タケオ

SKDにジョージ堀が教えに来ていたときに子役として出演しタップを学び、9才の頃よりタップを教え始める。米軍キャンプやキャバレーなどで活躍する。

お弟子:中野ブラザース・じん満他 

新しい情報が入り次第更新していきます。

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