由緒

 花巻市城内地区の高台は地名が示す通り、中世から近世にかけて稗貫・南部両氏の城郭だった。この地に鎮座する当社は古くから「お三社さん」の名で親しまれ、9月の例祭「花巻まつり」は花巻市を代表する風物詩として毎年多くの人出で賑わう。当社はもともと三つの神社だった。本流ともいえる鳥谷崎神社と八幡神社・稲荷神社の合祀により「三社」となったのが通称の由来。八幡神社は、前九年の役の頃に源頼義・義家父子が現在の吹張町に勧請し、正和2年には鳥谷崎城に奉遷。天文5年には城内の稲荷神社を合祀し、「鳥谷崎座三柱神社」と改称。天正19年、鳥谷崎城は花巻城に改称。城代となった北信愛(松斎)は、慶長6年豊臣秀吉の名代浅野長政との連署によって当社を稗貫和賀2郡の総鎮守に定めた。その翌年に社殿を新築し、両郡内の人々が盛大な祭りを行い、これが現在に伝わる「花巻まつり」の始まりとされる。明治に入り御祭神が6柱となり、社名も「鳥谷崎神社」となった。