境内散策

宮沢賢治

花巻は宮沢賢治のふるさとであります。昭和8年当社の御神輿渡御を病床から出て手を合わせ、その二日後に帰らぬ人となりました。絶筆となった歌が「方十里 稗貫のみかも稲熟れてみ祭り三日空晴れわたる」で境内に石碑があります。 

高村光太郎

一億の号泣

昭和20年、高村光太郎は賢治の弟宮沢清六宅に疎開しておりました。8月10日花巻の空襲にあい、その後当社すぐそばにあった北海道帝国大学初代総長佐藤昌介の甥にあたる佐藤昌宅に移りました。光太郎は8月15日の玉音放送をこの鳥谷崎神社の社務所で聴き、「一億の号泣」という詩を作りました。 

谷村貞治翁寿像

境内の片隅の銅像は新興製作所の創始者、花巻東高校の前身谷村学院高校の創設者谷村貞治氏(明治29年生)で、昭和42年千田正県知事が発起人となり建立された。製作は日本を代表する彫刻家の船越保武、鋳造は鈴木貫爾、表の揮毫は書家の太田孝太郎(盛岡銀行頭取)、裏側には渋沢敬三(大蔵大臣)と芦田均(第47代総理)による碑文がある。美術品としても一級品の価値がある。

北白川成久親王殿下御手植えの松

大正4年、北白川成久親王殿下は当社を参拝され松を御手植えされました。そして殿下は、完成したばかりの花巻電鉄の電車で志戸平温泉にご宿泊されました。当時の旅館主である久保田逸郎氏の案内により近辺を散策され、志戸平山の中腹にある滝を「薄衣の滝」と命名されました。

本小札藍革毛引威胴丸

南部家第14代大膳太夫義政公が足利将軍義教の命を奉じ、永享10年(1438)鎌倉管領足利持氏を討つ戦い「永享の乱」に着用した胴丸と伝えられる。前立ては鍬形に金鯱が置かれ、いまにも総大将の感をいだかせる甲冑である。【岩手県文化財】

花巻金勢神社

静かなパワースポット

境内末社として、金勢さまが祀られています。御礼の絵馬を見ると、子どもが授かった、宝くじが当選した等、願いが成就したことがうかがい知ることが出来ます。ご神体を直接手や購入した宝くじで撫でてご利益をお受け下さい。【公式】宝くじチャンスセンター (takarakujichance.jp)