pixivファンタジアMOH

企画名 Mountain of Heaven pixivファンタジア外伝  (略称【PFMOH】)

企画目録 https://www.pixiv.net/artworks/87556705

主催者 :arohaJ 様

開催年 :2021

参加キャラクター名:牧童ティルバと霊牛バルー

pfmoh_oxherder.mp4

「旅する種子の詩」詞:オラノン 様/曲:とりにく

出典:【PFMOH】旅する種子の詩【シーディアン】 | オラノン https://www.pixiv.net/artworks/88004297 

【PFMOH】ティルバと仙人(SS)


「はがね人は古代人が造り出した」

古代文明ゆかりの地域にたびたび見られる伝説だ。一部のはがね人は今でも、ある種の信仰とともに偉大な創造主の時代を語る。

一方、そこから僻遠の地では逆の伝承がある。太古の昔はがね人が自らに似せて人間の祖を造り出したというのだ。

二つの伝承の分布が重なる地域は、そう多くはない。  


――民話採集家ユハ 


◆ 


砂が迫ってくる。


かつてこの地に栄えた文明の主人、この崩れかけの町の原型を築いた人々が時の彼方に去って久しい。 


ティルバの祖先が流浪を終えて町を再建したころ、周囲には耕地と小川と、豊かな牧草地帯が広がっていたという。 今は見るかげもない。茫漠とした荒れ野に草地の点在する光景がティルバの知る故郷の原風景だった。


共同体には古老のほかに、長命種であることから仙人とあだ名される錆びついた一人のはがね人がいた。町の外れ、ただ一基残されたいちばん新しい風車にその人物はずっと棲んでいた。新しい風車といっても、建てられたのは何百年も前のことだが。


「仙人」は古代文明の生き残りと子供らに噂されるようなおんぼろだった。会話が成立しているのか疑わしいほど寡黙で、いつも風車小屋のからくり椅子に腰をすえて、体幹にあるらしき原動機を延々と発条のように巻かせていた。風車の管理維持に携わる者は今ではこのはがね人だけだったし、粉を引かせてくれと頼めば気前よく応じたので皆さして邪険にもせず、これといって関心も持たずにいた。


この地方は日差しと並んで風が強い。テーブルマウンテンから降りてくる風はひっきりなしに砂を運び、徐々に人や家畜を潤す場所を奪っていった。いまや町の住民は、彼らの先祖と比べても明らかに貧しかった。


風はまた力強く吹き、噂を運んできた。遠方から知識を持ち込む人々、とりわけ栄光の国グローランの探検家が砂向こうの地に無数の遺跡のしるしを見つけたのだ。墓荒らしが大挙してやってきた。やがて町に住む大人も率先して墓荒らし、もとい採掘業に従事するようになった。


町の者が足しげく通える距離――といっても岩盤谷を超えて片道二日以上の旅になるが――にちょっとした規模の古代の廃棄場があった。地元民がここを占有できた理由は遺跡と呼ぶには保存状態が悪すぎたからだが、もとよりこの採掘ラッシュにおいて専門の学者の目が行き届いたことは一度もなかった。


男たちは色々なものを持ち帰った。

中身の分からない円筒の缶、まだ塗装の残る機械の義手、華頭の集落に由来するのではないかと思われる金銀玉枝、古代人の義歯、ミイラ、はがね人の義体あるいは亡骸、あるいはもっと近い時代の貝貨。

これらの宝に町の衆は老いも若きも目を輝かせたが、ティルバはどこか正しくないものを感じていた。



日の沈む前、風車小屋に持ち込まれたのは豆や穀類ではなかった。


「私たちはこれから古代の遺物をさらって生きるようになる」

少女は口を開いた。


「死者は意に沿わないことがあれば亡霊になって生者に抗議できる。でも、ずっと生きているはがね人は口をはさむ機会がないでしょう」


風車小屋の仙人は顔を上げた。砂塵で磨耗したかんばせに鈍い光沢がきらめく。

ティルバが持参したもの。それは見る人が見れば、はがね人の身体の一部あるいは交換パーツと鑑定されるであろう遺物だった。


「あなたたちの身体を道具や売り物にすることを許してほしいの」

仙人は何も言わなかった。ただ、その場に広げられた遺物を手に取って代わる代わる眺めている。

「外の人たちはあなたに興味がないみたい。あなたがどこから来たのか誰も知らない。でもこの中にあなたの仲間がいるかもしれないでしょう」


「……この中には私のための物がある」

おんぼろの身体の内側で響くような、くぐもった声が答えた。

「少女よ、もし私のことを思ってくれるのなら……」

ティルバは注意深く耳を澄ます。



それから二人は数日をかけて、遺物の山からある部品を探し当てた。聞くに、これははがね人の知恵を維持する力の元なのだという。

ボビンのようなものを取り上げて、仙人は首の後ろを指す。ティルバが然るべき場所を探り当てると、それはぴったりと嵌め込まれた。仙人はしばらく静かにしていたが、身振り手振りに語りだす様子から次第に意識が明瞭になっていく様子が見て取れた。覚醒した仙人は問答好きだった。まるで百年の眠りから覚めた獅子女(スフィンクス)のようだ。


「はがね人と一口に言うが、私の身体は型さえ合えば部品交換が可能だ。だから同族の肉体が道具のように扱われても心は痛まない……私の場合はな。なぜこの地に私のような者がいるのか、お前は知っているか」

「学校で習ったよ。はがね人には華頭のように自然に生まれる人もいれば古代に作られた人もいるって」

「お前は牧童なのにそんなことを学ぶのか」

「だって栄光の国が、この世の知識を集めているんだもの。外の大陸では宝とされるような物を、私たちに捨て置かれたら困るでしょう。自分たちだけで財宝を見つけられなかった以上、今は王様もあの国に頭が上がらない」

「また騒々しい時代が来るのか……」


抱えていた疑問を、ティルバは初めて口にしようと思った。町の人々にこのことを問うのは馬鹿げたことではないかと怖れていたのだ。

「この町のことはどう思う? あなたにとってこの土地はどんな思い出があるの?」


仙人は不意を突かれたように黙り込んだ。昨日までのおんぼろの頭に戻ってしまったかのようだ。

「私は……私を生みだした古い時代のことは忘れてしまった。遠い昔のことほど分からなくなるのはお前たちと同じだ。朽ちる速度に差があるだけ」

「今の町はどう? 私たちはこの間まで水源を使い果たしそうになっていたけれど、遺跡の発見で命をつなぐことができた。でも同じことをしていれば古代の遺物もいつか掘りつくされる。町の人みんなが冒険者のお供になったら、家畜の水場や風車小屋の面倒は誰がみるの?」

「この風車小屋は私の命綱さ。動力が生きている限り自分で維持していく」

「遺跡に棲む悪霊だっていつまた出てくるか分からない。外の人の知識の糧や素材にされて、いつまでも息を潜めていられるとは限らない。そんな時、この土地の子として仲介に立つ方法はないのかな」


「お前は牧童だ。そして魔女でもあるな」

そんなことを言うのは町に居ながら人間を外から見ているからだ、と仙人は続けた。


世界の外側から、物事の内側に触れようとすること。

「それが魔術というものだ」

既知の自然の法則を覆し、灼熱の道をも切り開く。

砂漠の中に道を知ること、人はそのために自分の座標を知ろうとする。

仙人は語る。

「私を生んだ文明では、はがね人が人間の祖を生み出したと信じられていた。だから彼ら人間は私を作った。自分たちの来たところを逆向きに探求するためだ」


彼ら古代人がどの程度目的を果たせたのか、被造物である仙人にはもはや預かり知らないことだった。古代の魔術的試みから生まれたはがね人は長い年月を生きた。代々の土地の住人から生き字引と重宝されもしたが、やがて記憶の古い順から知識を失っていった。はがね人と人間はお互いに過去を忘れた。

私はもうここから動けない、と仙人は言う。

私だってここから動けないよ、ティルバは返した。

「大人はよく勉強しろと言うけれど、学校を出た後に都会で勉強を続けられるのはお金持ちの男の子だけだもの」

「ならばお前は魔術師になれ。あまり昔のことは語れないが、この地方に伝わるまじないなら教えられる」

こうして二人は師弟になった。



ティルバが風車小屋に通うようになってしばらく経ったある日、仙人が告げた。

「三日後に大きな市に行き、持っている牛を売って箜篌を一台買いなさい」


仙人は頭部から小さな札のような物を取り出す。

「それからこの記憶の欠片を私の代理で売ってほしい」

このはがね人の持つ人知れぬ叡知や洞察力、ときに見せる反応の鈍さはこうしたパーツによって知覚や記憶を拡張しているからだとティルバは聞かされていた。

「中にある記憶はとうに抜け去っているが、媒体にはそれなりに値がつくはずだ。これを売った金で、その日もっとも遠方から売られてきた生き物をお前自身のために買いなさい」


「それは霊牛だ――あるべきものをあるべきところへ導いてくれる。お前に預けよう」


町にいる牛の放牧には通常数日かかる。泥棒や悪霊を避けて牧草地まで連れて行くのが大変なのだ。ましては霊牛、仙人の身体の一部と引き換えにして預かるというのだから、どんなことが待ち受けているか全く未知数だった。

これは魔術師としての試練の旅なのだ。



市場には遥か金塊門から売られてきたという珍獣がいた。東方では仙界の霊牛として珍重されていたというが、預かった業者の一人が無理にものを食べさせたせいで長らく不思議な力を発揮せずにいるという。

「不思議な力って?」

東方の商人が答える。

「霊牛は牧草の代わりに黄泉をとらえて、現世を恋しがる有象無象を地上に連れてくるのさ。蘇った衆生はたとえ生い先が短くとも、姿を現す機会を得たことを有難がるのだと」


ティルバにとっては初めて見る生き物だが、仙人の言いつけを守りティルバはこの動物――彼女はバルーと呼ぶことにした――を世話することにした。

牛が草を食んでいないのと同じ状態であればきっと弱っているはずだ。市場を離れた広い場所に連れ出して木陰に座らせる。牛の体にそうするように濡らしたブラシをかけていると、周囲の地面からねじを巻くように何かが上へと伸びていく。


ねじ曲がった茎、綿毛のような花……見たこともない背の低い草花が二人の周りにぽんぽんと芽生え、咲き始めた。商人の言っていた現世を慕う植物のようだ。


異界というものがあればこのようだろうか。

ティルバは少しおそろしく感じたが、バルーをともない移動を重ねるうちに地面から現れるものには土地柄があることがやがて分かってきた。

エメラルドの低地では海底の真珠貝が干上がった姿をさらし、愚か谷のか細い流れの付近では豊かにたなびく川藻をバルーは出現させた。まるで重ね合わせのもう一つの世界、あるいは大地が懐かしむ可能性の姿を見ているようだった。


ティルバは牧童としてバルーと旅を続けた。

彼女の故郷のような問題を抱えた土地では、バルーは土壌を改変する存在として有難がられることもあった。運が良ければ、求めに応じて一定の範囲を放牧して謝礼を得ることもできた。だけど豊かな土地であればこの力は忌み嫌われるだろうと考え、ティルバはおおむね野辺や荒れ地を選んで踏むことにした。


霊牛バルーの足は未踏の霊峰ヘヴンに向かっていく。

ティルバは仙人の言葉を反芻した。

 ――あるべきものをあるべきところへ導いてくれる。

日々世話をしてその意思を確認していれば分かる、バルーの歩みには何かしら指向性がある。跳ね狂うこともなければ梃子でも動かぬということもない、だけど辛抱強く頑固な牛の性質をバルーも備えているのだろうと彼女は思った。


ヘヴン山に踏み入ることの意味にティルバは思いを致す。

覚悟をしなければいけない。

前人未踏の地に挑むということ、それは二人が冒険者になるということだ。



【PFMOH】バルーと荷馬(SS)


砂が迫ってくる。

バルーは触角をそぞろかした。

総毛を撫でていく砂嵐の感覚。ティルバと出会った日照りの地の、文明の重みがじっとり積もったあの空気ともまた違う、虚ろな大自然の声なき叫びがヘヴンの山麓に満ちていく。村の宿泊所に灯る明りが一つ二つと瞬くのが見える。


その魔法に、バルーは覚えがあった。

大地の記憶――「無」にたたずむ者たちの遺思を食んで「在る」を排出する虚実の反転した身には、生命を食らっていた頃とはまた別の慎みが要る。

地中にも垣間見ることのできない記憶はある。誰にだって暴けない過去、望むことも野暮な先行きがあることを思う。


山頂で出会った少年たちの一人は同族の行方を捜していた。彼の見つけた遺物はヨラの助けを借りて、自ら進んで世を捨てた男の顛末を雄弁に語った。しかし材質不明の仮面の欠片は、それ自身の由来するところを頑なに秘匿してもいた。少年の一族が仮面に施した魔除けは、バルーのような怪異の働きかけを拒絶するらしい。


そういうことはある。

ヘヴンの山頂に残された、冒険者たちの真新しい足跡。なかでも、一面に咲く勿忘草の原からは――それが生まれて間もないにも関わらず――遠い太古の残滓がバルーには嗅ぎ取れた。


この花はここではない土地に由来し、その土地は火山の口をくぐり抜けてこの地上に産み出された。大地の奥底から湧き出でた融けた岩石の意思は、地上の土となってからも長く寡黙を貫いた。土のうえで繁茂する生物のどんな感傷も呑みこんで、それらの死後もあらゆる魔術的干渉を強靭に拒み続けた。

……地底の岩とはそういうものである。地上の私たちには語りえないその声は、静寂として聞き取るしかない。


熱砂の嵐は溶岩とは似て非なるものだ。

勿忘草の沈黙に触れた青年は彼の叫びを魔法にした。声に声を重ねて歌うように、砂漠の無言の静けさを真似て。

ティルバの抱える箜篌の絃が、大きくわなないてから急に振動をやめた。バルーが嗅ぎ取った嵐を、彼女も聴いたのだろうか。


(誰かを悼むことに作法は要らないのね。弔おうとするのはいつも生者の側だから)


少女が目を閉じるのに合わせて、のっぽの荷馬が首を垂れる。

心が篭もっているか否かを問わず、魔法の力はこの生物の糧だ。とりわけ石と火に由来する魔法は、荷馬の魂に馴染むものだった。



荷馬は人に喜ばれたくて生きていたわけではない。ただ側にいれば何かと快適だったから、世話をくれる存在には懐いていた。二本足たちは荷運び馬のために道をひらき、骨組みだけで構成された身体の節々を火や魔法で温めて、今もこうして覆いを用意してくれる。


火の谷はいつも下流から上っていき、道中でアカヤニをつついたりしながら採掘所で待機する。当世では遺跡の一部と化している集積所で石を積んで、つづら折りのなだらかな階段を下って戻るのが通常ルートだった。谷へ降りていくのも下山するのにも街道を要したから、災害で道が崩れてしまえば一行はもう帰れない。

人界の保護を失ってそれきりになった荷馬たちの空白の過去が「今、在る」荷馬の性向を形作っている。


肉のない背高の体躯は外敵の捕食に対しては恐れ知らずだったが、ヘヴンの変わりやすい天気、とくに強い風雨は大の苦手としていた。のっぽの荷馬を「今ここ」に引き上げた多足の生き物たちが荷馬のことを気にかける様子を見せたから、荷馬はおとなしく高層で彼らの戻りを待った。

人の仲間は本来、道をひらくことに執念を燃やす生き物だ。彼らについて行けば悪いことはないだろう……。

そうして荷馬は、永い永い歳月を一足でまたいで山からの帰還を果たしたのだった。


荷馬は今、学問の街の研究所にいる。

「人造生物の多くは製作者の元を離れない。彼らの身体のメンテナンスができるのは造りを知る者だけだからね」

たしかに仙人は風車小屋を、スフィンクスの調査員たちは錬金術師の工房を家としている。ティルバは思った。

「つまり。この生物を研究して最も理解した者が――彼、で良いだろうか。――の帰るところとなるだろう」

街で教鞭をとるケムリ・カエレスティス氏は、スフィンクス冒険者保険の営業員と同様のことを言う。彼の解析によると、のっぽの荷馬は動物を模した骨格に目に見えない筋肉を張り渡したゴーレム系の生物ということらしい。


「何であれ魔力の補給で動く、という点では典型的な魔法生物だ。運搬目的で生まれた使役獣なら運用する過程で気質も見えてくるかもしれないな」

「危地を脱するためとはいえ、私たちはこの子をヘヴンの高層まで連れまわした。だからまた働かせるのは悪い気がするの……」

ティルバが荷馬の様子を見やる。

魔法の家の指輪を嵌めて子犬サイズになったのっぽの荷馬は、突如巨大化した周囲の環境に落ち着かない様子だった。今は長い脚を延ばして研究所のテーブルの上で寛いでいる。街はずれの馬繋ぎ場からそのまま連れてくるには体躯が大きすぎたのだ。

「彼が実のところ何を喜び、苦しむのか。そうしたことを知るには実際の運用と同じ状況に置いた方がいいと思うがね。まあ君が決めたまえ」


研究所に住むタテガミヤマイヌのレガトゥスが、卓上のクルミを鼻先でつついている。

「このひと、固いものをあげると割ってくれます」

レガの押しやったクルミを、荷馬は首を伸ばして捕まえるなり嘴でぱちりと砕いた。消化器官はないものの殻の割れる音が快いらしい。火炎石の弾ける音に似ているのか、あるいは魔力の補給に固い木の実を使っていたのかもしれない、とケムリは推察してみせた。

「こうして見るとクルミ割り人形のようだな。一家に一頭は欲しい」



ケムリはバルーにも興味を示したが、研究室での解析はティルバが丁重に辞退した。

「霊牛の不思議を感じて、読み解くのも修行の一環なの」

「じゃあ幻獣の生態観察は既に経験しているわけだ。この魔法生物にも同じことをすればいいだろう」

「同じじゃないよ、バルーは自分で行き先を決めるもの」

二人の目線を追って、荷馬はバルーを眺めた。

二列に並んだ足をやや丸めて二人の会話に角をそばだてている。荷馬の過去を知ってか知らずか、バルーが当初から荷馬を気にかけているのは伝わってくる。とはいえ多脚の霊牛バルーと二本足たちの関係は荷馬にはよく分からなかった。


「君に地形を読む目と地質の知識があれば、霊牛による『食事』の内容も予測できるかもしれないな」

「そんなの覚えたら宝探しに利用されそう」

「君だけで秘かに探してしまえばいい」

それもそうだった。

図書館の使い方は分かるかね、とケムリは続ける。

学問の街にあるような立派な図書館をティルバは利用したことがない。まずは知を求める旅人の一人として、申請の列に並ぶところから始める必要があった。

「急ぐことはないさ。冬が来る前にヘヴンの山麓にフィールドワークに行くといい」



物資を満載して登りを行くのは、のっぽの荷馬にとってあまり経験のないことだった。バルーは初めのうち心配そうに足元にまとわりついていたが、蹄の硬さと長い脚が絡まる危険を理解してからは遠巻きに見守るようになった。

麓の商人に登山用品や生活物資を卸すと、三人は山の低層を巡った。

大草原に転がる石たち、不帰でなくなった洞窟の岩肌。それらはティルバとバルーのそれぞれに語りたいことを語った。


(あのドワイトさんも冒険と向き合うためにこうしたことを学んだのかな)

嵐の壁での出会いをティルバは思い返す。彼は山頂に何を求めていたのだろうか。そもそも、秘境に何を探しているのか。孤高の求道者と二度も道が交わるというのは得がたい奇跡なのかもしれない。

(ヘヴンの近辺にいれば、冒険を共にした皆ともそのうち再会できると思っていたけれど……)

気候に恵まれた季節が遠のき、秋が深まるにつれて麓の滞在者は減る傾向にあった。


冬の前夜、灯火祭りの時期が近付いていた。動くもの全てに沈黙を強いる時季を前にして、その夜は山の魔性が活性化するのだという。

ティルバ、バルー、荷馬の三人は灯火を掲げて麓の村に入った。


この夜にだけ現れる魔物の目をごまかすのもまた、異界に働きかける手管といえる。ティルバは襟巻きの下に布切れを巻いてマミーの扮装をした。のっぽの荷馬は、積み荷が燃えないよう背のコンテナから離れたところにカンテラを吊るしている。骨組みの胴部に灯りを入れた荷馬の体は遠目にも温かな光を放射した。


麓では冬の訪れを「山が眠りにつく」と言い慣わしている。寝入りばなのヘヴンはその身から魔力を放出させ、今を好機と山中の魔物や亡霊が暴れまわるのだという。本格的な冬が来てしまえば、亡者は再び厳粛な眠りにつくほかない。ヘヴンの悪霊にとってこの一夜は天の采配した逆襲の時とも言えた。


バルーもこの日ばかりは「食事」を放棄していた。大地を丁寧に嗅ぎ取るまでもなく、山肌に染み込んだ無念の生命がそこかしこで一夜限りの生を謳歌して居るからだ。バルーは通常の飲食はできない身だが、焚き火を囲む輪にもぐりこんで村の賑わいに加勢することにした。全身に藁を被ってうねうねと練り歩く姿は、傍目には矮躯の種族の獅子舞のようにも見える。


亡者が生者同然となる今宵はまた、生者が魔物化した虚実反転の異界と繋がってもいるという。仮装した人。蘇った悪霊。生きている人が亡者と化した、もう一つの可能性の姿。ひとたび入り混じってしまえば皆同じ化け物だ。

生死も人魔も混然一体となる雑踏から離れたところに、ティルバは見覚えのある人影を認めた。

いつも一緒にいる二人の兄こそ魔力の影響で肥大化しているが、狼の耳を生やしただけの彼女の風貌は共に冒険したときと変わらない。

「ヨラ!」


ヨラは呼び声にすぐ反応を示したものの、ティルバが人込みをかき分けて近付くまでは慎重に相手を見定めていた。

「……ティルバか! 声と匂いがなければ分からなかった」

ティルバは持参した積み荷から赤いローブを引き出す。

「これを着て。夜の間は変装して悪霊の目をごまかすの。ドット家のお父さんみたいになりたくないでしょう」

「ああ……。ありがとう」

狼の耳がひこひこ動く。ヨラはおもむろに切り出した。

「ティルバ、私は今から山に行こうと思う」


ヨラの横顔は遥かな夜闇を見つめていた。

「麓の人間は行くなと言うけれど……魔物や悪霊にやられて死んだものを、残したものを拾ってあげたいんだ」

ヨラに寄り添う二人の兄たちにティルバは目をやった。皮の兄さんは山の魔力を帯びて雪山のように大きく膨らみ、骨の兄さんは大蛇の姿を得てすばしこく這うことができる。


ヘヴンの麓と学問の街を行き来するようになってから思う。のっぽの荷馬が居ることで街道の旅がずいぶん心強くなった。大きな体、色々な体、そして土地になじむ体。ヨラは護られている、とティルバは思った。

「これは売り物になる服だから……今は貸すだけだよ。無事で戻ってきて、後で返してね」



ヨラは山におもむく。あまねく死者の骸を拾うために。亡霊の復権するこの夜に、打ち捨てられたままの亡霊がまた増えないように。


ティルバは風上を探した。魔の渦巻く山中にまで加護の音色を届けたい。

この時期は山から吹くおろし風が強い。だから荷馬の掲げるカンテラの前に立ち、音の代わりに灯の光を箜篌の演奏に乗せる。もとより大きな音の出る楽器ではない。それでも魔法が届くとしたら、それは呼びかける声の高さと調子がちょうど合ったときだ。


師の言葉が蘇る。

「動けなくなった物を拾うのは動けるものの特権だよ」

利用するのか、弔うのか、それとも掬い上げるのか。みんな拾った側の心にゆだねられている。この一方的な関係に開き直るのも、おそれて埋め合わせをしようとするのも、しょせんは生者の性向なのかもしれない。でも。

私たちは亡きものたちの骸を連れ帰り、身元を調査し、素材を加工し、記憶を味わい、遺物を発掘し、忘れられた技術を研究する。

それを双方向に近づけようとすること。

(魔術にはそれができる。きっと)

ティルバは奏で続ける。人里のほとりで灯台となって。


バルーは舞う。生と霊との喧噪のなかで。

ヘヴンの中層に生きる始祖たる同胞に、生きている限りは出会い続ける衆生に思いを馳せて。

山頂の祠で祈りを捧げたとき、内心にはティルバともっと旅をしたいという思いがあった。ゆえに願望の石はバルーの祈りを聞き届けなかった……石が聞き入れるのは祈りではなく、望みなのだ。

大願成就の機会を失ったと悔いている余地はなかった。道行きを共にした仲間が、出会った多くの生命が教えてくれた。全ては大きく円を描いて、回り道をしなければいけないのだと。


かがり火は燃え盛り、いくつもの影が周りを巡る。

地面では誰かのばらまいた菓子が、そのまま地の底に呑まれるときを待っている。

地上にばらまかれた我ら「在る」もの。

おのおの互いに弧を描いて、出会うものたちを拾い集める。