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2020/05/30
| by 管理者
神渡良平著「安岡正篤の人間学」第6回目です。第三章「運命と立命」から「第二の誕生」まで読みました。
◆「運命と立命」
自分の身に起こる我々が普段不幸に感じる運命とは宿命のことであり、その人次第でどうにでもなることだと書かれています。この章では「知名」と「立命」について書かれていますが、「知名」について、古典にいつ触れたかが影響しているとの話がありました。その例として、湯川秀樹、北里柴三郎、藤原正彦の例が挙がりました。古典に触れることで、変化に対応できる力、壁にぶつかったときに乗り越えられる力がついていくようです。
◆「無限なる可能性」
人間の生命についての考え方が述べられていますが、西洋と東洋で共通するものがあるようです。参加者からは、前節の北里柴三郎とのつながりから、神の霊が内に宿るという考えの対極の立場の福沢諭吉の話が挙がりました。福沢諭吉の幼少時代に神社の石を入れ替えるという悪戯をしたというエピソードも有名だそうです。
◆「天を相手とする」
西郷隆盛の人生の契機となったのが沖永良部での牢獄生活ではないかと参加者からは話が挙がりました。西郷の敬天愛人の思想はここでの生活で至ったという話もあります。過酷な牢獄での生活でしたが、自分の状況を恨まなかったそうです。窮地に立たされたり困難な状況に陥ったりすると、「なんで私が・・・」とつい嘆いてしまうところですが、「随処に主となれば、立処皆真なり」の心でありたいものです。
◆「第二の誕生」
ここでは、生物学的な人間ではなく、本当の人間として天命に目覚めることを「第二の誕生」と呼んでいます。そのためには、「自己の内面の至上命令」を発見することが大切なようです。参加者の話の中に、最近は何かと手を差し伸べることが多くなっているのではないかという意見がありました。受け身の態度では天命を知るという境地に達することは難しいのでしょう。自分で自分を救うこと、覚悟、気概をもつことが大事だということです。
09:24
2020/03/23
| by 管理者
神渡良平著「安岡正篤の人間学」第5回目です。第三章「天に棄物なし」から「『地の塩』たる人びと」まで読みました。
◆「天に棄物なし」
ここでは、「天に棄物なし」いわんや人間においてをやということが述べられています。しかし、「『命』を知らないものであるから、せっかくの人間に生まれて一生を台無しにする。」とも書かれています。「命」を知ることについては次の節で説かれています。ここでの説明に挙げられている「随処に主となれば立処皆真なり」について、竹内先生からは唯我独尊の境地ではないかとのご意見がありました。最終的には悩みを捨て自分を信じ切ること、無視するのではなくこだわらないことが大切だということだそうです。
◆「命を知る」
「命」を知ることについて言及されている節です。自分の人生に「絶対性」「至上性」を感じることが述べられています。死地に陥った人はそのことに覚醒することがあることも書かれています。読書の話題になった際、竹内先生が幼少期より読んで心に残っているものとして、石童丸やウィリアム・テルの話、「コーカサスのとりこ」などの戦記物が紹介されました。
◆「命を立てる」
ここでは、「知命」に対して「立命」について書かれています。失敗をポジティブに捉えて大成した例として、以前にも話題になった土光敏夫氏が挙げられています。
◆「『地の塩』たる人びと」
安岡正篤は有名無力、無名有力ということをよく話されたということですが、それに加え、沈思黙考の大切さが述べられています。
次回の師道塾は、5月16日(土)午後2時から、鳥取市教育センターで行います。
10:18
2020/03/16
| by 管理者
神渡良平著「安岡正篤の人間学」第4回目です。第二章「人を用いる」から「自ら靖んじ自ら献ず」まで読みました。
◆「人を用いる」
優れた人物は自分の出世よりも、人の用い方に表れるといいます。「南洲翁遺訓」の一節「廟堂に立ちて大政を為すは天道を行ふものなれば、些とも私を挟みては済まぬもの也。~夫れゆえ真に賢人と認むる以上は直ちに我が職を譲る程ならでは叶はぬものぞ。」に通じるものを感じます。この節では、前回も取り上げられていた「六中観」についても述べられています。その中の「壺中、天有り」の話題となった際、同じく六中観の「忙中、閑有り」と似ていると話がありました。要は心の持ちようが大切だということです。
◆「『論語読みの論語知らず』」
ここでは本来の「論語読みの論語知らず」の意味ではなく、碩学の安岡正篤にあっても論語を謙虚に学ぶ姿勢が書かれています。先ほどの六中観にある「腹中、書有り」が思い出されます。
◆「天に対する人間の使命」
天、宇宙と人間の概念について述べられている難解な節です。参加者からは古代ギリシャの時代より人が天体や宇宙の謎を解き明かそうとしていたことに話題が移りました。その中で数字によって天体を表すことを通して、構造を整理、理解していったとの話がありました。
◆「独りを慎む」
島津斉彬が福井藩主松平春嶽に西郷隆盛のことを話している場面が書かれています。西郷隆盛が郡方書役時代に農民の生活の苦しさなどを知り意見書を出したことから斉彬の目に留まったと話がありました。「人を用いる」の節でもあるように斉彬の慧眼に気づきます。
◆「逆境は人を鍛える」
先ほどの節より大学の「君子は必ずその独を慎むなり」の意味について述べられています。「『独慎』とは『孤独の自分』ではなく、『絶対的存在の意』と説明されています。この節では「只管打坐」についても述べられていますが、無心になることではなく、気にしない心構えが大切だと話がありました。
◆「君子は必ず自ら反る」
人を責める前に自身の行いを省みることの大切さが説かれています。関連することとして「六然訓」(①自処超然②処人曖然③有事斬然④無事澄然⑤得意淡然⑥失意泰然)が挙げられています。順境にあっても逆境にあっても普段からの心構えが大切ということでしょうか。参加者からは得意の時でも失意の時でも変わらずにいることが大事なのではないかと話がありました。
◆「自ら靖んじ自ら献ず」
人間学を学ぶものとしてのありようが説かれています。この節では山田方谷のエピソードを挙げて述べられています。同じく佐藤一斎の弟子である佐久間象山との言い争いは大変白熱したとのことです。
次回の師道塾は、3月21日(土)午後2時から、鳥取市教育センターで行います。
10:07
2020/02/26
| by 管理者
神渡良平著「安岡正篤の人間学」第4回目です。第二章「自己啓発の工夫」から「忘の効用」まで読みました。
◆「自己啓発の工夫」
精神生活が単調だと精神活動が鈍ることが述べられています。それを解消する工夫として、良い師や良い友を持つこと、読書の2つが挙げられています。参加者からは、日々の仕事に忙しく動き回っていても、それは充実した精神活動とは言えないのではとの意見が出ました。
◆「人物の見分け方」
この話に関連して安岡正篤が揮毫したという人生訓である「六中観」が述べられています。わかりやすく説明されているものとして、竹内先生から武田鏡村著「図解安岡正篤の行動学」(東洋経済新報社)が紹介されました。
◆「愚・素という人生観」
愚・素・樸・拙は自分を謙遜する言葉ですが、自戒するという意味もあり、そこに全体性・永遠性が現れるそうです。「素」は木でいうと葉や花ではなく幹となる部分といえるようです。見栄えの良さは外から見える葉や花にありますが、幹は派手さはないけれど揺るがない、枝葉末節に走ることを危惧しています。参加者からは無私の人として、元東芝社長の土光敏夫氏の話が挙がりました。
◆「人徳を磨く秘訣」
ここでは、人物学を修める秘訣として、人物に学ぶことが説かれています。この師道塾でも、今まで多くの人物や古典が取り上げられてきました。人物に学ぶことの意義を改めて確認するとともに、自身の生き方や授業での活用の仕方を考えることの重要性が考えさせられます。
◆「忘の効用」
忘れるということは時として、人を艱難辛苦から解放するという面もあるそうです。一方、参加者からは、においの記憶に関しては強く残るという話がありました。脳の構造上、嗅覚と記憶は関連づいている点があるようです。
次回の師道塾は、3月21日(土)午後2時から、鳥取市教育センターで行います。
18:10
2020/02/07
| by 管理者
2/1(土)
神渡良平著「安岡正篤の人間学」第3回目です。第一章「運命を拓く」の最後の節から、第二章「人物をつくる」の第6節まで読みました。
出席した参加者で次のような意見交換をしました。
◆「耳順(したが)う」
論語の中でも最も有名な言葉とも言える、「子曰く、吾十有五にして学に志す 三十にして立つ 四十にして惑わず 五十にして天命を知る 六十にして耳順う 七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず(為政第二)」から、60歳の部分が取り上げられています。
耳順(じじゅん)とは、自分が充実し、他を受け入れられるようになること、無我な気持ちで一切に耳を傾ける余裕と素直さを指す、とのことです。
参加者からは、「自分は60歳になるけれどもとてもとても...」とか「この前に50歳で『天命を知って』おかなければならないとあるが、それさえ難しい」といった意見が出ました。
一方で「孔子先生の時代は50?60歳で寿命を迎えただろうから、寿命が伸びた現代であれば10歳くらいは後ろにズラして考えてよいかも」という都合のよい(笑)解釈もさせていただきました。
指導いただいている竹内先生からは「私の年齢になると孔子が言った『心の欲する所に従えども矩を踰えず』の気持ちがわかってくるようだよ」との感想をいただきました。
◆「内面の工夫」
安岡先生が尊敬していたという中国清朝末期の政治家である曽国藩の心構えを学びました。功名の地位が上がってもますます慎み深く、日々自らを省みながら精進していたようです。早朝は朝日に向かって静坐し、夜は酒色に溺れることを戒めて、外出(宴会)の誘いを断っていたとのこと。
参加者からは「清末と言えばつい最近のことだが、こんな立派な政治家がいたとはね」という驚きの声が出ていました。
◆「私心を去る」
昭和11年(1936)に出版された「童心残筆」には、安岡先生の若き日の思索や求道の跡が率直に記されているそうです。後年の松岡先生のイメージからは想像しにくいので、ちょっと読んでみたい気がしますが、現在は神田の古書店でも入手困難と記されています。
しかし、参加者の一人が試みにスマホで調べてみますと、なんとアマゾンの中古本で安価に出品されているとのこと。便利な世の中になったものです。
◆「知識・見識・胆識」
大きな仕事をするためには、知識を見識にまで高め、見識が胆識にまでならなければならない、とのこと。知識は「アタマで理解しただけの機械的で薄っぺらな知識、講義を聞いたり本を読むだけでも得られるもの」、見識は「事に当たってこれを解決しようというときに、こうしよう、こうではならぬという判断を生み出すもので、人格や体験が反映されているもの」。
しかし、この見識だけでは実際に事をなすだけの力に欠ける。評論家ならいざ知らず、実際家には「反対や妨害があっても断固貫き実行する力」である胆識が必要だ、とのことです。
参加者からは「なんとか見識には行き着けても、胆識までは難しそうだ」との意見が出ました。著者はそういう読者があることを予想していたのでしょうか、「胆識は、道を学び先賢にならおうと切磋琢磨するなかで次第に身につくものだ」と書いて励ましています。
◆有名無力、無名有力
安岡先生は「君たちは決して有名になろうとしてはいけない。有名は多く無力になる。そうではなく、無名にして有力な人になることを考えなければならない。」と書いておられます。有名なことと力があることをついつい同視しがちですが、そうではないとのこと。
これを読んで私は、伝教大師・最澄が「国の宝とは何か? それは財宝のことではなく、世の中の片隅でそれぞれの一隅を照らす人のことである」というようなことをおっしゃったことを思い出しました。
著者の神渡良平さんは、無名有力の見本として「修身教授録」の森信三先生を挙げておられます。修身教授録は、致知出版社が平成元年に復刻して出版して以来、版を50回以上重ねているようです。無名どころか、心ある人々に読み継がれてロングセラー、いまや不朽の名著と言ってよいのではないでしょうか。
※致知出版社の特設サイト:https://www.chichi.co.jp/special/shushin/
◆喜神を含む
ここでいう神は心のこと。「喜神を含む」とは、どんなに苦しいことがあっても、心の奥に喜びを持っていること。
どんなに嫌なことがあっても、それが自分を練磨するきっかけになる。自分の欠点を自覚し、それを克服しようと努力し修養を積むと、欠点さえ善化されて、懐の深い人物になることができる。人間、良いときもあれば悪いときもある。どういう境遇であれ、それを甘んじて受け入れ、そこから再出発していくことが大切だ、とのことです。
淮南子にある「塞翁が馬」の故事のようですね。私は若い頃、こんな話は昔の人が説教のために作った寓話だなんて思っていましたが、最近はなんとなく本当にそうだなと思えてきました。
◆日本教と人間学
日本は無宗教の国だと言われるが、治安の良さ、信用を大事にする国民性など、諸外国に負けない「高度なモラル社会」を実現している。それはどこからきているのか? ヒントになるのは「あの人はできるけれども、人徳がない」という、すべてを人徳や人望に結びつけて評価する物差しを日本人が持っていることだ、とのこと。
参加者からは「諸外国では宗教的な戒律で人々を縛り付ける必要があったが、日本にはそれが必要なかったということではないか」という意見が出ました。
指導いただいている竹内先生から、西洋の考え方と東洋の考え方には根本的な大きな違いがあること、日本が外国と交渉するときなどは、日本人の「人の良さ」はかえってつけ込まれる隙になるため、十分に注意しなければならないことを指摘されました。
高い規範意識と的確な交渉力、人のあり方を学ばせる道徳教育の重要性がますます大きくなっていると言えるかもしれません。
以上です。次回の師道塾は、2月22日(土)午後2時から、鳥取市教育センターで行います。
17:21
2020/01/25
| by 管理者
先週より神渡良平著「安岡正篤の人間学」を読んでいます。
今回は、第1章から、「命を作すのは自分」「自己を徹す」「忘れるほど思う」「静粛なひと時」「転機をもたらすもの」の5節読みました。
自身で命を立てることの話題から、天の命は「情」であるという話がありました。「やむにやまれぬ」思いが人を動かすことにつながるということのようです。「情」に対して「理」を上位のものとする考えが近世の西洋からあるようですが、日本人には「情」の方が合うことを和辻哲郎著「風土」を交えながら話が上がりました。黒船の来航に際して外国への渡航を思った吉田松陰が「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」と詠んでいるように、理屈や損得勘定抜きで突き動かされるような強い思いを持つことが、結局は人を動かす力になるように感じられます。
次回の師道塾は、2月1日(土)午後2時から、鳥取市教育センターで行います。
15:55
2019/12/27
| by 管理者
『佐藤一斎「南洲手抄言志録101ヵ条」を読む』の言志耋録第216、241、251、266、267、244条を読みました。
<第216条>毀誉褒貶をきにするな
・毀誉得喪は真に是れ人生の雲霧なり。人をして昏迷せしむ。此の雲霧を一掃すれば則ち天青く日白し。
誰しも気にしてしまうものですが、日々の仕事に追われる生活の中では毀誉褒貶に振り回されてしまいがちになります。自分の力量を過大評価しているとその傾向が強いという話もありました。
<第241条>武も身につけよ
・歴代の帝王、唐、虞を除く外、真の禅譲無し。商、周以下、秦、漢より今に至るまで凡そ二十二史、皆武を以て国を開き文を以て国を治む。因って知る、武は猶お質のごとく、文は則ち其の毛彩にして虎豹犬羊の分るる所以なることを。今の文士、其れ武事を忘る可けんや。
空手の型や野球の素振りのように型から入ることは大切だそうです。茶道にも通じるようで、型を身に着けていく中で、心も鍛えられるということです。
<第251条>資源の収奪を慎め
・唐虞(とうぐ)の治、只だ是れ情の一字のみ。極めて之れを言えば万物一体も情の推(すい)に外ならず。
中世、近世から理性・知性の社会へと変化し、心情は邪悪なものが入るとされ下位として扱われていったとの話がありました。しかし、感性を批判されていくと人はおかしくなっていくということのようです。
<第266条>骨惜しみする魂胆がいけない
・遠方に歩を試みる者、往々征路を舍(す)てて捷経(しょうけい)に趨(おもむ)き、或は繆(あやま)りて林莽(りんもう)に入る。嗤(わら)う可きなり。人事多く此れに類す。特に此れを記す。
<第267条>床の中でも反省しよう
・知仁勇は人皆謂う「大徳にして企て難し」と。然れども凡そ邑宰(ゆうさい)たる者は固(も)と親民の職たり。その奸慝(かんとく)を察し孤寡(こか)を矜(あわれ)み強梗(きょうこう)を折(くじ)く。即り是れ三徳の実事なり。宜しく能く実迹(じつせき)に就(つ)きて以て之れを試むれば可なり。
広瀬淡窓は日々の善い行いや悪い行いをした数を万善簿という話がありました。論語に「我仁欲すれば斯に仁至る」とありますが、謙虚に仁を積み重ねていくことを日々意識したいものです。
<第283条>理想を失えば老いる
・身には老少有れども而(しか)も心には老少無し。気には老少有れども而も理には老少無し。須らく老少無きの心を執(と)りて以て老少無きの理を体すべし。
次回の師道塾は、令和2年1月11日(土)午後2時から、鳥取市教育センターで行います。
今回で「『南洲手抄言志録101ヵ条』を読む」は終え、次回からは神渡良平著「安岡正篤 人間学」を読みます。
09:16
2019/12/16
| by 管理者
『佐藤一斎「南洲手抄言志録101ヵ条」を読む』の言志耋録第114、140、141、202、210条を読みました。
<第114条>時代のニーズに応えよ
・凡そ人事を区処するには当に先ず其の結局の処を慮って、而(しか)る後に手を下すべし。楫(かじ)無きの舟は行(や)ること勿れ。的無きの箭(や)は発(はな)つこと勿れ。
<第140条>頑固では話にならない
・朝にして食わざれば則ち昼にして飢え、少にして学ばざれば則ち壮にして惑う。飢うる者は猶お忍ぶ可し。惑う者は奈何ともす可からず。
人は何かに頼るとダメになるという話がありました。より便利に快適になる世の中ですが、それに頼ると、自分で考えることが減っていきます。こんな時代だからこそ自分の頭を使う場を意識して持つことが大切でしょう。
<第141条>清貧を身につけよ
・今日の貧賤に素行する能わずんば乃ち他日の富貴に必ず驕泰(きょうたい)せん。今日の富貴に素行する能わずんば乃ち他日の患難に必ず狼狽せん。
<第202条>雑用のせいにするな
・雅事(がじ)は多くこれ虚なり。之れを雅と謂いて之れに耽ること勿れ。俗事は卻(かえ)って是れ実なり。之れを俗と謂いて之れを忽(ゆるがせ)にすること勿れ。
<第210条>我欲で掘る墓穴
・遊惰を認めて以て寛裕と為すこと勿れ。厳刻を認めて以て直諒(ちょくりょう)と為すこと勿れ。私欲を認めて以て志願を為すこと勿れ。
論語に「其の以てするところを視、其の由る所を観、其の安んずるところを察すれば人焉んぞ廋さんや人焉んぞ廋さんや」ともありますが、表面で判断せず、内面やその人の為さんとするところに思いを巡らしたいものです。また、逆にみると、感情で行動するなということも言えるかと思います。
次回の師道塾は、12月21日(土)午後2時から、鳥取市教育センターで行います。
18:12
2019/11/01
| by 管理者
『佐藤一斎「南洲手抄言志録101ヵ条」を読む』の言志晩録第172、175、189、246、275条、言志耋録第14条を読みました。
<第172条>独りを慎む
・慎独の工夫は、当(まさ)に身の稠人広坐(ちゅうじんこうざ)の中(うち)に在るが如きと一般なるべく、応酬の工夫は当に間居独処の時の如きと一般なるべし。
ここでは、中江藤樹の弟子大野了佐の話がありました。知能が低かった了佐に、中江藤樹は600ページのテキストを作り、熱心に教え続け、医者になったという話です。どんな状況でも不可能を可能にした藤樹と重なります。
<第175条>全力を尽くしたあと熟睡しよう
・心は現在なるを要す。事未だ来らざるにむかう可ならず。事已に往けるに追う可からず。纔(わずか)に追い纔にむかうとも便ち是れ放心なり。
年を重ねてこそ、熱心になるべきだという話がありました。能心理学では70歳を過ぎても脳は進化するそうです。
<第189条>天の持つ尺度は巨大だ
・物、其の好む所に集るは人なり。事、期せざる所に赴くは天なり。
<第246条>軽率やのろまでは嫌われる
・人は厚重を貴びて遅重を貴ばず。真率を尚びて軽率を尚ばず。
似て非なるものですが、人が受け取る印象は大きく違います。偏ることをよしとしない中庸の心得が話題に上がりましたが、中庸は思考力より行動の側面の方が強いといいます。
<第275条>人類よ、地上の模範たれ
・凡そ生物は皆養に資(と)る。天生じて地之れを養う。人は則ち地気の精英なり。吾れ静坐して以て気を養い、動行して以て体を養い、気体相資(し)し、以て此の生を養わんと欲す。地に従いて天に事(つか)うる所以なり。
<第14条>知識だけに走るな
・凡そ学を為すの初は、必ず大人(たいじん)たらんと欲するの志を立てて、然る後に書を読むべきなり、然らずして徒(いたず)らに聞見(ぶんけん)を貪るのみならば則ち或は恐る、傲(おごり)を長じ非を飾らんことを。謂わゆる「寇(こう)に兵を仮(か)し盗に糧を資するなり。」虞う可し。
この章から言志耋録に入りました。学問をする上での心構えが説かれています。明治の教育者として成城大学の創立者で文部官僚であった澤柳政太郎の話もありました。
次回の師道塾は、11月16日(土)午後2時から、鳥取市教育センターで行います。
17:53
2019/10/05
| by 管理者
『佐藤一斎「南洲手抄言志録101ヵ条」を読む』の言志晩録第126、159、162条を読みました。
<第126条>気の毒な人と思われているか
・相位に居る者は、最も宜しく明通公溥(こうふ)なるべし。明通ならざれば則ち偏狭なり。公溥ならざれば則ち執拗なり。
南洲の倹約なエピソードについては事欠きません。この倹約な南洲を作ったのが郡方書役助時代に薩摩の貧しい人たちを見てきたことがあるという話がありました。時が経ち地位が上がっても変わらないこの姿勢が人々を惹きつけたのでしょう。
<第159条>いずれははげるバケの皮
・果断は義より来る者有り。智より来る者有り。勇より来る者有り。義と智は併せて来る者有り。上なり。徒勇のみなるは殆(あやう)し。
正義は日本と欧米では違い、欧米は古代ギリシアの四元徳からきているとのことでした。
<第162条>許せないのは私欲
・公私は事に在り、又情に在り。事公にして情私なる者之れ有り。事私にして情公なる者も之れ有り。政を為す者、宜しく人情事理軽重の処を権衡して、以て其の中を民に用うべし。
広瀬淡窓の咸宜園は不便な所でも人が集まったことや福沢諭吉の「学問ノススメ」がベストセラーになったことから当時の人たちの向学心が高かったという話がありました。いかにして学ぶ気持ちを持たせるかは偉人を出すのが効果的だそうで、おすすめは二宮金次郎、リンカーンだそうです。学ぶ気持ちを持つことは、新しい時代にも対応できる力になるということで、予測不能な未来を生きる子どもたちには欠かせないものでしょう。
次回の師道塾は、10月19日(土)午後2時から、鳥取市教育センターで行います。
11:51
2019/09/13
| by 管理者
『佐藤一斎「南洲手抄言志録101ヵ条」を読む』の言志晩録第77、87、92、93、98、99、123条を読みました。
<第77条>宇宙の神秘に学ぶ
・人は地気の精英たり。地に生まれて地に死し畢竟地を離るること能わず。宜しく地の体の何物たるかを察すべし。朱子謂う「地かえって是れ空闕の処有り。元の気貫きて地中に在り。かえって虚にして以て天の気を受くる有り」と。理域は然らん。余が作る所の地体の図、知らず、能く彷彿を得しや否やを。
<第87条>虚心になれば的中する
・満を引いて度(と)に中(あた)れば発して空箭(くうぜん)無し。人事宜しく射の如く然るべし。
<第92条>自分にだけは甘い
・前人謂う「英気は事に害あり」と。余は則り謂う「英気無かる可からず」と。但(だ)圭角(けいかく)を露わすを不可と為す。
<第93条>勝ちを急ぐな
・刀槊(とうさく)の技、怯心を懐く者は衄(じく)し、勇気を頼む者は敗る。必ずや勇怯を一静に泯(ほろぼ)し、勝負を一動に忘れ之を動かすに天を以てして廓然として太公なり。之を静にするに地を以てして物来れば順応す。是くの如き者は勝つ。心学も亦此れに外ならず。
<第98条>わが身の安危より天下
・我れ無ければ則ち其の身を獲ず。即ちこれ義なり。物無ければ則ち其の人を見ず。即ち是れ勇なり。
南洲は「人を相手にせず天を相手にせよ」といいます。逆境の時ほど目の前のことしか見えなくなりがちなものですが、日ごろからどっしりとした心構えで、大局的に物事が見られるような心構えを持ちたいものです。
<第99条>自己愛にこだわるな
・「自ら反りみて縮(なお)ければ」とは、我れ無きなり。「千万人と雖も吾往かん」とは、物無きなり。
南洲のエピソードで、自分の家の屋根が雨漏りしているのを「日本中が雨漏りをしているのに。」と直さなかった話が挙げられました。権威者、成功者の立場となってもぶれないのが南洲の魅力なのでしょう。
<第123条>いい加減な妥協はするな
・三軍和せずんば以て戦を言い難し。百官和せずんば以て治を言い難し。書に云う。「寅(つつしみ)を同じゅうし恭しきを協(かな)えて和衷せん哉」と。唯だ和の一字。治乱を一串す。
「論語」にある「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」の和と同の違いは古典を勉強しているかどうかにあるという話がありました。古典を通して情緒が育まれ、理論はその上にくるのことです。
次回の師道塾は、9月21日(土)午後2時から、鳥取市教育センターで行います。
17:17
2019/08/19
| by 管理者
『佐藤一斎「南洲手抄言志録101ヵ条」を読む』の言志晩録、第38、44、45、55、63、76条を読みました。
<第38条>長いものにも巻かれない
・象山の「宇宙内の事は皆己れ分内の事」とは、此れは男子担当の志是くの如きを謂う。陳こう此れを引きて射義を註す。極めて是(ぜ)なり。
<第44条>四書に接する心構え
・論語を講ずるは是れ慈父の子を教うる意思。孟子を講ずるは是れ伯兄の季を誨(おし)うる意思。大学を講ずるは網の綱に在るが如く、中庸を講ずるは雲の岫(しゅう)を出ずるが如し。
<第45条>三経の註釈、性・情・心
・易は是れ性の字の註脚。詩は是れ情の字の註脚。書は是れ心の字の註脚なり。
第44、45条では四書五経(ここでは三経)を理解するための心構えが説かれています。古くから先人たちが読み、自分を磨いてきたものですが、現在は日常の中では自分から求めないとなかなか触れることの無いものになっています。コンピュータの基礎理論である二進法を確立したライプニッツはこの易経から発想を得たという話もあるようです。
<第55条>耳に逆う言でも聞け
・独得の見は私に似たり。人其の驟(にわか)に至るを驚く。平凡の議は公似たり。世其の狃(な)れ聞くに安んず。凡そ人の言を聴くには宜しく虚懐にして之を邀(むか)うべし。苟(いやし)くも狃れ聞くに安んずる勿(な)くば可なり。
聞きなれない意見、自分にとって不都合な意見はなかなか受け入れられないものです。虚心坦懐の心構えで、寛容さ、柔軟性、先見性等を持ちながら耳を傾けたいものです。
<第63条>バランスを取れ
・心理は是れ竪の工夫、博覧は是れ横の工夫、竪の工夫は則ち深入自得し、横の工夫は浅易汎濫す。
考えることと学ぶことのバランスが大事だということでしょう。論語の「学びて思わざれば則ち罔し。思いて学ばざれば則ち殆し。」でいうところの<学ぶ>が横、広げることであり、<思う>が縦、深めることになるようです。また、ここでの話題は読書の仕方になりました。何かに使おうと目的を持って読書するとなかなか身につかないと話が挙がりました。複数本を用意しておき、気になったものを手にとって読むことがコツなようです。
<第76条>上っ面だけ読むな
・経を読むには宜しく我れの心を以て経の心を読み、経の心を以て我れの心を釈(と)くべし。然らずして徒爾(とじ)に訓詁(くんこ)を講明するのみならば便ち是れ終身曽(かつ)て読まざるがごとし。
先ほど話題になった読書の仕方をしている者には耳の痛い話です。知行合一の陽明学では、いわゆる「論語読みの論語知らず」にはならないといいます。知識を得よう、何かに使おうという私心を取り払って静座して読書をしたいものです。知識や技術を追い求めることのみに事に当たれば苦痛を伴い、成果も出ないことがあります。仕事についても、困難なことがあっても、楽しみながら、喜びを感じながらできるかが大事なようです。
次回の師道塾は、8月31日(土)午後2時から、鳥取市教育センターで行います。
09:39
2019/08/05
| by 管理者
『佐藤一斎「南洲手抄言志録101ヵ条」を読む』の言志晩録、第17、19、22、24条を読みました。
<第17条>日本よ!しっかりせい!
・濁水も亦水なり。一たび澄めば清水と為る。客気も亦気なり。一たび転ずれば生気と為る。逐客の工夫は只だ是れ克己のみ。只だ是れ復礼のみ。
礼というと、礼儀や感謝等をイメージしますが、論語で「克己復礼を仁となす」といわれるように仁が外面に表れたものが礼であるといいます。礼が形となって表れるとき、その形が美しいものであるかどうかはその内面が仁であるかどうか、真心かどうかということだそうです。目に見える形として表すことは大切ですが、相手を思いやる心、自分に打ち克つ意思を持つことが重要となるのでしょう。
<第19条>星辰を仰いで宇宙を想う
・理は本(も)と形無し。形無ければ名無し。形ありて而(しか)る後に名有り。既に名有れば理之を気と謂うも不可無し。故に専ら本体を指せば、則ち形後も亦之を理と謂い、専ら運用を指せば、則ち形前も亦之を気と謂う、並(ならび)に不可なること無し。浩然の気の如きは専ら運用を指せり。其の実は太極の呼吸にして只だ是れ一誠のみ。之を気原と謂う。即ち是れ理なり。
理は形而上のもので、気は形而下のものを指します。理と気の関係は、朱子学と陽明学によって捉え方が違うそうです。陽明学では「心即理」、理はもともと人間が備えているものとし、実際に生活の中で働くものだとしています。吉田松陰も例に挙げられ、学ぶことだけでなく、学んだことを実際の行為へとつなげることにの大切さを再確認しました。「浩然の気」は孟子では、「義と道に配す」とあります。やるべきときに動く、然るべきときに然るべき行動をする、そのためには生きて働く学問をしなければならないとの話がありました。教える側としても、学ぶことの意味をよく考えたいものです。
<第22条>治乱をわけた南洲と海舟
・物我一体なるは即ち是れ仁なり。我れ公情を執りて以て公事を行えば天下服せざる無し。治乱の機は公と不公とに在り。周子曰く「己に公なる者は人に公なり」と伊川又公理を以て仁字(じんじ)を釈(と)き余姚(よよう)も亦博愛を更(あらた)めて公愛と為せり。并せ攷(かてが)う可し。
公事に携わるものは私情を入れてはならないということで、ここの話では江戸城の無血開城が挙げられています。この出来事といえば西郷隆盛と勝海舟が挙げられますが、二人の偉大さはもちろん、勝海舟の父小吉、無血開城の立役者山岡鉄舟や益満休之助にも話が及びました。南洲翁遺訓の第一条の「廟堂に立ちて、大政を為すは、天童を行うものなれば、些とも私を挟みては済まぬもの也。」という一節も思い出されます。
<第24条>論争のあげく残る虚しさ
・周子主静とは心の本体を守るを謂う。図説の自註に「無欲なるが故に静なり」と。程伯子此れに因りて天理、人欲の説あり。叔子の持敬(じけい)の工夫も亦此(ここ)にあり。朱陸以下各(おのおの)力を得る処有りと雖(いえど)も、而れども畢竟此の範囲を出でず。意(おも)わざりき、明儒に至り朱陸党を分(わか)ちて敵讐の如くならんとは。何を以て然るか。今の学者宜しく平心を以て之を待ち其の力を得る処を取るべくして可なり。
次回の師道塾は、8月17日(土)午後2時から、鳥取市教育センターで行います。
14:20
2019/07/31
| by 管理者
今回から『佐藤一斎「南洲手抄言志録101ヵ条」を読む』の中の言志晩録に入りました。第1、9、13、15条を読みました。
<第1条>他人の立場になれ
・学の為すの緊要は心の一時に在(あ)り。心を把(と)って以て心を治む。之を聖学と謂う。政(まつりごと)を為すの著眼(ちゃくがん)は情の一時に在り。情に循(したが)って以て情を治む。之を王道と謂う。王道、聖学は二に非ず。
知識の広さは人によって異なりますが、「情」という点で見ると大きくは違いません。自分が嬉しいと感じることは他人も嬉しいと感じ、悲しいと感じることは悲しい。道徳の学習も、「情」を中心に授業を進めていくといいようです。しかし、他人の感情、思いは正確に理解することは難しく、流動的で機微なものです。ですから、知識を広めたり高い地位についたりするための学問ではなく、学ぶことを通して、自分の心を磨き、労りの心や豊かな情緒を育んでいくことが大事なようです。
<第9条>従容として死ぬために
・「憤を発して食を忘る」とは志気是(か)くの如し。「楽しんで以て憂を忘る」とは心体是くの如し。「老の将に至らんとするを知らず」とは命を知り天を楽しむこと是くの如し。聖人は人と同じからず。又人と異ならず。
<第13条>運を天にまかせよ
・一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂(うれ)うること勿れ。只(た)だ一燈を頼め。
言志四録の中でも特に有名な一節の一つでしょう。暗夜の中でも自分を惑わせることない、自分の一燈となるものは何か考えさせられます。ぼんやりと日々を過ごしているとそれになかなか気づくことはできないでしょう。これを言い切ることのできる一斎の徹底した生き方が伺えます。
<第15条>口先だけでは意味がない
・倫理と物理とは同一理なり。我が学は倫理の学なり。宜しく近く諸を身に取るべし。即ち是れ物理なり。
陽明学に通じた一斎らしさ感じられる一節です。
次回の師道塾は、8月3日(土)午後2時から、鳥取市教育センターで行います。
08:56
2019/06/23
| by 管理者
『佐藤一斎「南洲手抄言志録101ヵ条」を読む』の言志後録第98、100、111、117、129、138、144条を読みました。
<第98条>明日は明日の風が吹く
・人は皆身の安否を問うことを知れども而(しか)も心の安否を問うことを知らず。宜しく自ら問うべし。「能く闇室(あんしつ)を欺かざるか否か。能く衾陰(きんえい)に愧(は)じざるか否か。能く安穏快楽を得るか否か」と。時々是くの如くすれば心便(すなわ)ち放れず。
反省も大事なことですが、些細なことでくよくよすしているのもよくありません。西郷隆盛は前向きで過去を引きずらなかったといいます。オランダの哲学者スピノザで「ある行為で後悔する者は二重に不幸あるいは無能である」という言葉もあります。
<第100条>スタンドプレーだけでは無様だ
・為す無くて為す有る、之を誠と謂い、為す有りて為す無き、之を敬と謂う。
現代は承認欲求が強くなってきているのではないかと話がありました。そんな時代だからこそ惻隠の情の心がけで、人知れずに善を行うことが大切だそうです。
<第111条>全員賛成あり得ない
・寛懐(かんかい)にして俗情に忤(さから)わざるは和なり。立脚して俗情に墜(お)ちざるは介なり。
論語にも「君子は和して同ぜず小人は同じて和せず」とあります。多勢に流されないために、真実、本質を見極めることを心掛けたいです。
<第117条>ニュースを前に胸が痛む
・誣(し)う可からざる者は人情にして、欺く可からざる者は天理なり。人皆之を知る。蓋(けだ)し知れども而(しか)も未だ知らず。
昨今のニュースでもよく見かけられる特殊詐欺の事件が思い起こされます。
<第127条>健常な身体になるためには
・知は是れ行の主宰にして乾道(けんどう)なり。行は是れ知の流行にして坤道(こんどう)なり。合して以て体軀を成せば則ち知行なり。是れ二にして一、一にして二なり。
<第138条>東西古今の先人に親しめ
・学は自得するを貴(たっと)ぶ。人徒らに目を以て字有るの書を読む。故に字に局して、通透(つうとう)するを得ず。当に心を以て字無きの書を読むべし。乃(すなわ)ち洞(とう)して自得する有らん。
<第144条>読書で人生を味わう
・読書も亦心学なり。必ず寧静を以てして躁心を以てする勿れ。必ず沈実を以てして浮心を以てする勿れ。必ず精深を以てして粗心を以てする勿れ。必ず荘敬を以てして慢心を以てする勿れ。孟子は読書を以て尚友と為せり。故に経籍を読むは、則ち是れ厳師父兄の訓(おしえ)を聴くなり。師子を読むも亦即ち明君、賢相、豪傑と相周旋するなり。其れ其の心を清明にして以て対越せざる可けんや。
前条と併せて読書の大切さが語られています。読書はテレビやインターネットなどの映像を視聴するのと違って能動的な活動で、読むには主体性が必要です。追われるように読書をしているとつい読むこと自体が目的化しがちですが、自分の身となる読書にしたいものです。読み切ろうと思わず、読みたいと思ったものをまず手に取ることが読書のコツだそうです。
今回で言志後録が終わり、次回から言志晩録となります。
次回の師道塾は、7月27日(土)午後2時から、鳥取市教育センターで行います。
17:50
2019/06/10
| by 管理者
『佐藤一斎「南洲手抄言志録101ヵ条」を読む』の言志後録第28、64、77、84、94、96条を読みました。
<第28条>知ればこその行動
・心の官は則ち思うなり。思うの字は只だ是れ工夫の字のみ。思えば則ち兪々篤実なり。其の篤実なるよりして之を行と謂い、其の精明なるよりして之を知と謂う。知行は一の思うの字に帰す。
佐藤一斎は「陽朱陰王」とも呼ばれていましたが、陽明学の根本命題である「知行合一」が説かれています。話は、大塩平八郎の乱で知られ、陽明学者でもある大塩平八郎まで及びました。
<第64条>権力を独占するな
・晦(かい)に処(お)る者は能く顕を見、顕に拠(よ)る者は晦を見ず。
<第77条>困るのは口舌の徒
・聖賢を講説して之を躬(み)にする笑わざるは之を口頭の聖賢と謂う。吾れ之み聞きて一たびてき然たり。道学を論弁して之を体する笑わざるは之を紙上の道学と謂う。吾れ之を聞きて再びてき然たり。
「論語読みの論語知らず」という言葉もありますが、ここにも「知行合一」の理念が見受けられます。ただ知識だけを取り入れるだけでなく、口舌の徒になっていないか自省をしたいものです。
<第84条>知見だけでは駄目だ
・学は諸(こ)れを古訓に稽(かんが)え問は諸れを師友に質すことは人皆之を知る。学は必ず諸(これ)を躬に学び問は必ず諸れを心に問うものは其れ幾人有るか。
ただ学ぶだけではなく、実生活で生かされて本当の学問となるという話がありました。簡単に多くの情報を手に入れやすい時代になりましたが、本当に自分が理解しているかよく考え、疑問を持ち、師友に尋ねるなどした上での表面的な理解ではない本当の自分の身になる学びの大切さを感じます。
<第94条>巧言だけでは感動なし
・天を以て得る者は固く、人を以て得る者は脆(もろ)し。
天からのものは変わらないが、人からのものは変わる、また、天は不動であり、人は欲得で動くという話がありました。特に多様化、複雑化する昨今、人の方は大きく動いているように思われます。その中で、自分自身が課題意識を持つということが大切だという話がありました。インターネットの発達等で簡単に問題の答えを調べることはできますが、自分が成長するためにはその得られたものから自ら課題を見出すことが重要ということです。「自分探し」という言葉が使われるようになって久しいですが、主体的、能動的に課題意識を持って行動すること、「自分探し」ではなく「自分づくり」が大切とのことでした。
<第96条>陰にこもれば嫌われる
・君子は自ら慊(けん)し小人は則ち自ら欺く。君子は自ら彊(つと)め小人は則ち自ら棄(す)つ。上達と下達とは一つの自字に落在(らくざい)す。
自信を持つことの大切さについて話が挙がりました。認められること、自分の居場所があるということが、自信となり、困難な状況でも改善の余地を見出すことにつながるということでした。
次回の師道塾は、6月15日(土)午後2時から、鳥取市教育センターで行います。
16:10
2019/05/19
| by 管理者
『佐藤一斎「南洲手抄言志録101ヵ条」を読む』の言志後録第12、18、19、25条を読みました。
<第12条>悪童には厳しく
・誘掖して之を導くは教の常なり。警戒して之を喩(さと)すは教の時なり。躬行(きゅうこう)して以て之を率いるは教の本なり。言わずして之を化するは教の神なり。仰えて之を揚げ激して之を進むるは教の権にして変なるなり。教も亦術多し。
学校現場でも、いろいろな先生、子どもがいるからこそより視野が広がり成長することが多いようです。同質の人間関係の中では、人間はなかなか成長できないとの話がありました。
<第18条>哲学を持てば迷わない
・閑想客感は志の立たざるに由る。一志既に立ちなば百邪退聴せん。之を清泉涌出すれば旁水の渾入するを得ざるに譬(たと)う。
自分の中から湧き出され続ける清泉、それが、誰から何を言われてもくじけない揺るぎない信念、バックボーンとなります。西郷隆盛や吉田松陰は古典を通して築かれていったようです。
<第19条>感情に流されるな
・心を霊と為す。其の条理の情識に動く。之を欲という。欲に公私有り。情識の条理に通ずるを公と為し、条理の情識に滞るを私と為す。自ら其の通滞を弁ずる者は即便(すなわ)ち心の霊なり。
人間は感情の生き物であるとも言われますが、自分の感情を制御することができるのも人間です。今日、自分にとって得か損かということが行動の判断基準になっている傾向もあるようですが、その場の感情で流されることの危険性も心に留めておきたいです。
<第25条>先の見えない労苦にも耐えよ
・人の一生遭う所には険阻有り、坦夷(たいい)有り、安流有り、驚瀾有り。是れ気数の自然にして竟(つい)に免るる能わず。即ち易理なり。人は宜しく居って安んじ、玩んで楽しむべし。若し之を趨避(すうひ)せんとするは達者の見に非ず。
次回の師道塾は、6月8日(土)午後2時から、鳥取市教育センターで行います。
19:30
2019/04/29
| by 管理者
本日は、今年度から八頭町の小中学校で使用されている道徳教材「八頭町の道徳」の紹介がありました。
この「八頭町の道徳」では、八頭町出身の“安藤伊右衛門”、“橋本興家”、“本田實”、“古井喜實”の4人の人物が教材として取り上げられているほか、八頭町の名誉町民が紹介されています。人物の職業や功績は様々で、それぞれの人物の生き方や知恵について深く広く学ぶことができます。地元の人物だからこそ、人物の魅力を強く感じることができるだけでなく、その人物に関わる場所やものを自分自身の目で確かめることができることは、より自分事としてその人物の生き方に迫ることができます。さらに、地元に対する愛情や誇りを持つことにもつなげられ、地元の人物教材を扱うことの大きな利点となります。
今回の師道塾では、小学校6年生対象の教材で、多くの彗星を発見したことでも知られる天文家本田實を扱った教材「星への情熱」と中学校3年生対象の教材で、生ワクチンの輸入や中国交正常化に尽力した政治家古井喜實を扱った教材「政治家は貧しく国民は豊かに」を読みました。
次回の師道塾は、令和元年5月18日(土)午後2時から、鳥取市教育センターにて行います。
12:32
2019/04/06
| by 管理者
『佐藤一斎「南洲手抄言志録101ヵ条」を読む』の言志後録第1〜3条を読みました。
<第1条>この人生に一大覚悟を持て
この学は吾人一生の負担なり。当に斃れて後已むべし。道は固と窮り無く尭舜の上善尽くること無し。孔子は志学より七十に至るまで十年毎に自ら其の進む所有るを覚え孜々(しし)として自ら彊(つと)め老いの将に至らんとするを知らざりき。仮(も)し其れをして耄(ぼう)を踰(こ)え期に至らしめば則ち其の神明不測なること想うに当に如何なるべきぞ。凡そ孔子を学ぶ者は宜しく孔子の志を以て志と為すべし。
一斎がこの言志後録の第1条を書いたのが57歳でした。年齢を重ねると悠々自適に暮らしたくなるものですが、頭を使うことが大事であり、そのために自らその環境を作ることが大切だという話がありました。
<第2条>日に日に清新に生きよう
自ら彊めて息(や)まざるは天の道なり。君子の以す所なり。虞舜の孳孳(じじ)として善を為し大禹の日に孜々せんことを思い成湯の苟(まこと)に日に新にする、文王の遑暇(いとま)あらざる周公の坐して以て旦を待得てる、孔子の憤を発して食(じき)を忘るるが如き皆是れなり。彼の徒らに静養冥坐を事とするのみなるは則ち此の学派と背馳(はいち)す。
スマートホンやカーナビ等の情報機器の発展によって便利になることが増える時代だからこそ、あえて楽な手段を取らずに自分で考える場を作っていきたいものです。
<第3条>生かされているという謙虚さ
自彊不息(じきょうふそく)の時候、心地光光明明なり。何の妄念遊思有らん。何の嬰累罣想(えいるいかいそう)有らむ。
「大学」には「小人閑居して不善を為す」とあります。感謝の気持ち、おかげさまだと思う心を常に持っておくと、ストレスを感じることも少なくなるようです。
次回の師道塾は、4月27日(土)鳥取市教育センターにて行います。
20:29
2019/03/31
| by 管理者
『佐藤一斎「南洲手抄言志録101ヵ条」を読む』の言志録第153・154・216・222〜225条を読みました。
<153条>独リヲ慎ム
意(こころ)の誠否は、須らく夢寐中(むびちゅう)の事に於て之を験すべし
孔子が、尊敬する周公旦の夢を最近見ないと言って嘆く話のことが話題になりました。
<154条>敬を失った官官接待
妄念(もうねん)を起(おこ)さざるは是(こ)れ敬(けい)にして、妄念起らざるは是れ誠(まこと)なり
南洲の精神のバックボーンはこの敬と誠にあって終生変わりませんでした。
<216条>忠と孝は両立する
君に事(つか)えて忠ならざるは孝に非ざるなり。戦陣に勇無きは孝に非ざるなり。曽子は孝子にして其の言かくの如し。彼の忠孝は両全ならずと謂う者は世俗の見なり
南洲は家格の低い武士の出身でひどい貧乏暮らしでしたが、兄弟仲睦まじく長男としての責を果たすのを忘れませんでした。中江藤樹の忠孝についても話題になりました。
<222条>明鏡止水の心境になれ
民の義(ぎ)に因(よ)りて以て之を激(げき)し、民の欲に因(よ)りて以て之に趣(おもむ)かしめば則ち民其(そ)の生を忘れて其の死を致さん。是れ以て一戦すべし
西南戦争を死に場所と心得た南洲のことが偲ばれます。盟友でありタイプの異なる大久保利通との比較の話になり、倒幕までが自分の役目で、維新後は身を引く覚悟ができていたと思われます。
<223条>よき友は「物くるる人」?
漸(ぜん)は必ず事を成し、恵は必ず人を懐く。歴代の姦雄の如きも其の祕を窃(ぬす)む者有れば一時だも亦能く志を遂げき。畏る可きの至(いた)りなり
<224条>誠意のあるなしを見抜け
匿情(とくじょう)は慎密(しんみつ)に似(に)たり。柔媚(じゅうび)は恭順に似たり。剛愎(ごうふく)は自信に似たり。故に君子は似て非なる者を悪(にく)む
<225条>何故性善が悪になる?
惻隠の心も偏すれば、民或いは愛に溺れて身を殞(おと)す者有り。羞悪の心も偏すれば、民或いは自ら溝瀆(こうどく)に経(くび)るる者有り。辞譲の心も偏すれば、民或いは奔亡して風狂する者有り。是非の心も偏すれば、民或いは兄弟墻(かき)に鬩(せめ)ぎ、父子相訴うる者有り。凡そ情の偏するは、四端と雖も遂に不善に陥る。故に学んで以て中和を致し、過不及無きに帰す。之を復性の学と謂う
人間の本性としてあるべき性善も極端に走れば悪に作用することを戒めています。
今回で言志録は終わり、言志後録へと読み進めていきます。
次回の師道塾は、4月6日(土)鳥取市教育センターにて行います。
11:25
2019/03/18
| by 管理者
『佐藤一斎「南洲手抄言志録101ヵ条」を読む』の言志録第144・148・149・150条を読みました。
<144条>学をひけらかさず
博聞強記は聡明の横なり。精義入神は聰明の竪(たて)なり
人格の横軸(博学なこと)と縦軸(天道を敬うこと)の調和が大切だと言っています。西郷南洲はどちらかといえば後者のタイプですが、前者を軽視したわけではなく、またけっして学をひけらかすことはありませんでした。
<148条>人の心の持ち方を見定めよ
信を人に配ること難し。人は口を信ぜずして躬(み)を信じ、躬を信ぜずして心を信ず。是を以て難し
<149条>信頼も日頃の心構えから
臨時の信は功を平日に累(かさ)ね、平日の信は、效(こう)を臨時に収む
<150条>約束は守れ
信、上下に孚(ふ)すれば、天下甚だ処し難き事無し
第148〜150条は「信三則」となっていて、南洲が強く惹かれた箇所だと思われます。南洲は郷中で、藩校造士館で、禅寺で徹底して自己修練した人でした。そして後に、藩主島津斉彬に認められるところとなります。
次回の師道塾は、3月23日(土)鳥取市教育センターにて行います。
09:00
2019/02/09
| by 管理者
『佐藤一斎「南洲手抄言志録101ヵ条」を読む』の言志録第134・137・138・141条を読みました。
<134条>贔屓の引き倒し
<137条>死にオドオドするな
我が身は天物なり。死生の権は天に在り。一に天に聴(マカ)すのみ。吾れ何ぞ畏れむ。
神とは違う、天の思想について話が弾みました。
<138条>まず〝人生如何に生くべきか〟
人須らく死を畏れざるの理を死を畏るるの中に自得すべし
天と死生観について話が弾みました。
<141条>真相見究めは慎重に
次回の師道塾は、2月23日(土)鳥取市教育センターにて行います。
18:53
2019/01/26
| by 管理者
『佐藤一斎「南洲手抄言志録101ヵ条」を読む』の言志録第124・125・127・130・132・133条を読みました。
<第124条>止むに止まれぬ心情は曲げるな
雲烟(うんえん)は已(や)むを得ざるに聚(あつま)り、風雨は已むを得ざるに洩(も)れ、雷霆(らいてい)は已むを得ざるに震(ふる)う。斯(ここ)に以て至誠の作用を觀(み)る可し。
<第125条>相手の身になれ
已(や)む可(べ)からざるの勢に動けば、則ち動いて括(くく)られず。枉(ま)ぐ可(べ)からざるの途(みち)を履(ふ)めば、則ち履んで危(あやう)からず。
第124条と第125条に関し、『孟子』では「至誠にして動かざるものは、未だ之れあらざるなり」といい、吉田松陰は「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」と詠みました。本書では、西郷隆盛が勤王僧月照と共に錦江湾に入水した際の心境が紹介されています。
<第127条>春風駘蕩に病気なし
聖人は強健にして病無き人の如く、賢人は摂生して病を慎(つつし)む人の如く、常人は虚羸(きょるい)して病多き人の如し。
<第132条>死ぬ時が来れば死ぬ
聖人は死に安んじ、賢人は死を分(ぶん)とし、常人は死を畏(おそ)る。
第127条と第132条は、病と死の違いはありますが、どちらに臨んでも安んじで受け入れられるようありたいものです。
<第130条>潮時を待て
急迫は事を敗(やぶ)り、寧耐(ねいたい)は事を成す。
急いては事を仕損じるといいます。リーダーの悠揚迫らぬ態度は安心感を与えます。
<第133条>生死は昼夜のごとし
賢者は歾(ぼっ)するに臨み、理の当(まさ)に然るべきを見て以(もっ)て分(ぶん)と為(な)し、死を畏るることを恥じて死に安んずることを希(ねが)う。故に神気乱れず。又遺訓有り、以て聽を聳(そびや)かすに足る。而(しか)して其の聖人に及ばざるも亦此に在り。聖人は平生の言動、一として訓に非ざる無くして歾するに臨み未(いま)だ必ずしも遺訓を為(な)さず。死生を視(み)ること真に昼夜の如く念を著(つ)くる所無し。
西郷隆盛は、遺訓はおろか写真も肖像画も残しませんでしたが、後の人々によってまとめられた南洲翁遺訓や手抄言志録によってその徳望を知る幸運に恵まれました。聖人と呼ぶにふさわしいかもしれませんね。
次回の師道塾は、1月26日(土)鳥取市教育センターにて行います。
18:21
2019/01/12
| by 管理者
今回より、『佐藤一斎「南洲手抄言志録101ヵ条」を読む』(福田常雄著・致知出版社)を読み始めました。『南洲手抄言志録』は、幕末の志士たちに多大な影響を与えた儒者・佐藤一斎の1133条に及ぶ大著『言志四録』(言志録・言志後録・言志晩録・言志耋録)の中から、沖永良部島に配流となっていた西郷隆盛が心に響く101ヵ条を選び出したもので、言志四録のエッセンスが凝集されており、西郷隆盛の人柄や行動の原点に思いを馳せながら言志四録に親しむことができます。それでは、はじめましょう。
<第3条>小細工はばれる
凡(およ)そ事を作(な)すには、須(すべか)らく天に事(つか)ふるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず。
西郷隆盛が好んで使い、よく揮毫した言葉といえば「敬天愛人」。戊辰戦争で敵対した「庄内藩」の有志らによって明治初期に編集された『南洲翁遺訓』には、「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己れを尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」とあります。ズバリ「お天道様が見ておられる」ということです。
<第5条>しっかりした目標を持て
憤(ふん)の一字は是(こ)れ進学の機関なり。舜(しゅん)何人ぞや、予(われ)何人ぞやとは、方(まさ)に是れ憤なり。
西郷隆盛が同世代を生き尊敬した橋本左内の『啓発録』には、「稚心を去れ・気を振え・志を立てよ・学に勉めよ・交友を択べ」とあります。
<第88条>目的がはっきりすれば迷わない
著眼(ちゃくがん)高ければ、則ち理を見て岐せず。
安岡正篤は、ものの見方について「1.長い目で 2.多面的に 3.根本的に」見よと言っています。
<第89条>気にしすぎてビクビクするな
当今の毀誉(きよ)は懼(おそ)るるに足らず。後世の毀誉は懼る可(べ)し。一身の得喪(とくそう)は慮(おもんぱか)るに足らず。子孫の得喪は慮る可し。
江戸城無血開城で西郷隆盛と渡り合った勝海舟は、元幕臣でありながら新政府に仕えたことなどを「痩我慢の説」で批判した福沢諭吉に対して、「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張。我に与からず我に関せずと存候」と言って動じなかったと伝えられています。
<第99条>性善だからこそ教育する
性は同じゅうして質は異なり。質の異なるは教の由(よ)って設(もう)くる所なり。性の同じきは教の由って立つ所なり。
『論語(陽貨第十七)』では「性相近し、習相遠し」と言い、『学問のすゝめ』では福沢諭吉が「人は生まれながらにして貴賎・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は、貧人となり下人となるなり。」と言っています。
<第121条>一人立ちして他人を頼るな
士は独立自信を貴ぶ。熱に依り炎に附くの念起すべからず。
福沢諭吉が『学問のすゝめ』を通して強く訴えたかったのは、日本の(日本人の)独立自尊だったことを思い出します。
<第122条>自分には厳しく
本然(ほんぜん)の真己(しんこ)有り。躯殼(くかく)の仮己(かこ)有り。須(すべか)らく自ら認め得んことを要すべし。
「知行合一」の難しさを常日頃から意識して慎まなければならないということです。
今年は亥年、そして平成最後の年です。新しい時代へのジャンプの年にしたいと思います。どうぞよろしくお願いします。安岡正篤の年頭自警に「年頭新たに一佳書を読み始むべし」とありますが、今回はまさにそんな気分でした。
次回の師道塾は、1月26日(土)鳥取市教育センターにて行います。
18:17
2018/12/08
| by 管理者
『決定版・菜根譚』前集154~158「小手先の芸」「隠退の潮時」「恩を施す相手」「山奥の老人を友としたい」「事業を発展させる基礎」を読みました。
155.隠退の潮時
事を謝するは、当(まさ)に正盛の時に謝すべし。身を居くは宜(よろ)しく独後の地に居くべし。〔全盛を極めているときこそ、隠退の潮時だ。人の行きたがらない所にこそ、身を置くべきだ。〕
158.事業を発展させる基礎
徳は事業の基なり。未だ基の固からずして棟宇(とうう)の堅久(けんきゅう)なるものはあらず。〔事業を発展させる基礎になるのは、その人の徳である。基礎がぐらぐらしているのに、建物が堅固であったためしはない。〕
テキストには、劉邦の天下統一を補佐した軍師・張良の引き際や、三国志の劉備の遺言が紹介されています。今話題の日産自動車のカルロス・ゴーン氏のことを思い出しました。NHK朝ドラ「まんぷく」の立花萬平さんと比較しながら、近江商人の三方良し「売り手良し、買い手良し、世間良し」に代表される日本の商人道のすばらしさを再認識しました。
156.恩を施す相手
徳を謹しむは、須(すべか)らく至微(しび)の事を謹しむべし。恩を施すは、務めて報いざるの人に施せ。〔人の気づかない細事についてこそ、行いを慎むべきだ。報恩を期待できない相手にこそ、恩を施すべきだ。〕
人が見ていようがいまいが、人知れず善を施す「惻隠の情」の話になりました。東井義雄先生の言葉にも、「お地蔵様にあいさつしようとしたとき、ハッとした。お地蔵様は私が手を合わせるよりさきに、私に手を合わせていらっしゃる。拝むものだけを拝まれているのではない。お地蔵様は、さっさと素通りしていく者、他人の悪口を大声でしゃべりながらいく者も、拝みつづけていらっしゃるのだ。」とあります。
その他、男女の脳の働きの違いから、教材で扱う人物の性別・教師の性別・児童生徒の性別による多様な意見が道徳の授業を活性化し得ること、平和教育は反戦教育に限定したものではなく国防教育も含めて広く捉えなければならないこと、夢と志の違いについて「夢はぼんやりとした個人の願いであり、志は個人の願いを超えて多くの人々の夢を叶えようとする強い意志」というソフトバンク社長・孫正義氏の言葉、神功皇后・石田梅岩・二宮尊徳・西郷隆盛・大久保利通・渋沢栄一・御木本幸吉・松下幸之助など多くの人物のことが話題になりました。
次回の師道塾は、12月22日(土)鳥取市教育センターにて行います。
18:47
2018/11/24
| by 管理者
『決定版・菜根譚』前集150~153「誠実で円満な生き方」「無理をしない」「たったいちどの失敗で」「自発的な変化を待つ」を読みました。
152.たったいちどの失敗で
一念にして鬼神の禁を犯し、一言にして天地の和を傷(やぶ)り、一事にして子孫の禍いを醸(かも)すものあり。最も宜しく切に戒むべし。〔ふとしたでき心が神の怒りを招き、うかつな失言が社会の平和をぶちこわし、たったいちどの過失が子孫の幸せまで台なしにしてしまうことがある。くれぐれも慎重に対処しなければならない。〕
長い年月をかけて築き上げた信頼が不謹慎な言動で一瞬にして崩れ落ちることがあります。大事をなすには思い切りとともに気配りが大切です。大胆にしてかつ細心にということです。
153.自発的な変化を待つ
事はこれを急にして白(あきら)かならざるものあり。これを寛(かん)にせば或(あるい)は自(おのずか)ら明らかならん。躁急(そうきゅう)にして以ってその忿(いか)りを速(まね)くなかれ。人はこれを操(と)りて従わざるものあり。これを縦(はな)てば或は自ら化せん。操(と)ること切にして以ってその頑(がん)を益すなかれ。〔あまりせっかちに事情を知ろうとしても、かえってわからなくなることがある。そんなときは、のんびり構えて自然に明らかになるのを待ったほうがよい。むりやり攻めたてて相手の反感を買ってはならない。人を使うさいにも、なかなか使いこなせないことがある。そんな場合は、しばらく放っておいて相手の自発的な変化を待ったほうがよい。うるさく干渉してますます意固地にさせてはならない。〕
今回は、いかに人をやる気にさせるか、仕事で育てるかということが話題の中心でしたが、結局この文章に帰結するようです。〝人を感化する力〟が備わっていて、「この人のためならば…」と部下をその気にさせる人もいますが、多忙な現代社会にあっては〝待つ〟ということがなかなかできないものです。せめて、ビジョンを示し物事の着地点をある程度見据えた上で、機が熟するのを平静な心で待つことができればと思うのですが、そんな境地に至ってみたいものです。
その他、語学や古典の習得には文章を目で追うより繰り返し耳で聴くのが効果的であること、文章が巧みな人はたいてい非常な読書家であること、などが話題になりました。
さて、『決定版・菜根譚』の輪読は今年いっぱいとし、来年1月からは『佐藤一斎「南洲手抄言志録一〇一ヵ条」を読む』(福田常雄著・致知出版社)を読み始めようと話し合いました。(古本でしか入手できないようです)
次回の師道塾は、12月8日(土)鳥取市教育センターにて行います。
20:34
2018/11/10
| by 管理者
『決定版・菜根譚』前集146~149「理性の光で心を照らす」「反省のできる人、できない人」「滅びるものと滅びないもの」「人間の知恵」を読み進めました。
146.理性の光で心を照らす
一燈蛍然(いっとうけいぜん)として、万籟(ばんらい)声なし。此れ吾人(ごじん)初めて宴寂(えんじゃく)に入(い)るの時なり。暁夢(ぎょうむ)初めて醒め、群動(ぐんどう)未(いま)だ起こらず。此れ吾人初めて混沌を出ずるの処なり。此れに乗じて一念廻光(えこう)し、烱然(けいぜん)として返照(へんしょう)せば、始めて耳目口鼻は皆桎梏(しつこく)にして、情欲嗜好(じょうよくしこう)は悉(ことごと)く機械たるを知らん。〔灯がひとつ、かすかにまばたき、物みな眠りにつくころ、私の心にも安らぎが訪れる。暁の夢から目覚め、物みな眠りからさめやらぬころ、私の心はようやく混沌から抜け出す。こんなとき、理性の光で静かにわが心を照らし出せば、あらゆる感覚によってがんじがらめにされ、みにくい欲望によってつき動かされていることに気づくであろう。〕
こんな一時を持つことができれば、迷いや惑いから解放されることができるかもしれません。詩人の坂村真民先生の日常生活はこのようなものだったそうです。
147.反省のできる人、できない人
己を反(かえり)みる者は、事に触れて皆薬石と成る。人を尤(とが)むる者は、念を動かせば即(すなわ)ちこれ戈矛(かぼう)。一は以って衆善(しゅうぜん)の路(みち)を闢(ひら)き、一は以って諸悪の源を濬(ふか)くす。相(あい)去ること霄壤(しょうじょう)なり。〔自分を反省する人にとっては、体験することのすべてが自分を向上させる栄養剤となる。人に責任を転嫁する人にとっては、思ったり考えたりすることがそっくり自分を傷つける凶器となる。前者は善に向かう道を開き、後者は悪に走るきっかけをふやす。その違いは天と地よりも甚だしい。〕
世の中には、他人を攻撃することで生きるエネルギーを得ているかのような生き方をする人がいますが、それで本当に幸せな人生を送れるのでしょうか。とてもそんなふうには思えません。
私たちは予期せぬことが起きたとき〝想定外〟という言葉を用いることがありますが、深く古典に学んでいれば、世の中で起こる大概のことは〝想定内〟に収まるとも聞きます。古典を読んで人間を磨き肚を据えることの大切さをしみじみと感じました。古典を学ぶ際の心がけとして、日頃の行動にリンクさせる実践性が必要で、教条的になってしまってはいけません。
次回の師道塾は、11月24日(土)鳥取市教育センターにて行います。
20:07
2018/10/20
| by 管理者
『決定版・菜根譚』前集139~145「才能は人格の召使い」「逃げ道だけは残しておく」「楽しみは相手に譲る」「君子の一言」「人情紙風船」「軽々しく態度を変えない」「まず見識を高める」を読みました。
きょうは、武士道の話から入りました。武士道の第一は「義」、第2が「勇」。この二つが両輪となって武士道の真価が発揮される。また、武士道はともすれば武士だけに限ったものと受け取られてしまうが、新渡戸稲造が指摘しているように「武士道は武士のみにあらず。日本国民全体の精神性の基盤に武士道は存在する。すなわち日本人の精神性は武士道にあると言ってよい。」と。同じことが山岡鉄舟の武士道にも言える。といった話から、本日の師道塾が始まりました。
141.楽しみは相手に譲る
当(まさ)に人と過ちを同じうすべく、当に人と功を同じうすべからず。功を同じうすれば、則ち相忌(い)む。人と患難を共にすべく、人と安楽を共にすべからず。安楽なれば則ち相仇(あだ)す。〔失敗の責任は共有すべきだが、成功の報酬は人に譲ったほうがよい。それまで共有しようとすれば、必ず仲違いが生じる。苦しみは共有すべきだが、楽しみは人に譲ったほうがよい。それまで共有しようとすれば、ついには憎み合うようになる。〕
越王勾践に仕えた范蠡(ハンレイ)の処世が明哲保身の見事な例として紹介されています。その勾践を歌に引いた児島高徳の話を竹内先生に伺いました。後醍醐天皇が隠岐に流される前、美作で休まれたときに、児島高徳が天皇をお慰めするために「天、勾践を空しうすること莫れ。時に范蠡も無きにしも非ず」という漢詩を松の幹に刻んだという話を紹介していただきました。
145.まず見識を深める
徳は量に随って進み、量は識に由って長ず。故にその徳を厚くせんと欲すれば、その量を弘めざるべからず。その量を弘くせんと欲すれば、その識を大にせざるべからず。〔人格は、包容力が高まるにつれて向上し、包容力は見識が深まるにつれて高まる。人格を向上させようと思うなら、包容力を高め、包容力を高めようと思うなら見識を深めなければならない。〕
「識」→「量」→「徳」(見識→包容力→人格)安岡正篤氏の「知識」→「見識」→「丹識」という考え、さらには呼吸のあり方にまで話が進みました。「肺呼吸」→「腹式呼吸」→「丹式呼吸」(丹田呼吸)。腹式呼吸まではできても、丹式(丹田)呼吸にまで至るのはなかなか難しいとのことでした。
次回の師道塾は、11月10日(土)鳥取市教育センターにて行います。
20:19
2018/10/06
| by 管理者
『決定版・菜根譚』前集132~138「節操と経綸」「肉親の情愛」「美醜、清濁を超越する」「骨肉の争い」「部下に対する心情」「やりすぎることのマイナス」「悪事と善行と」を読みました。
「133.肉親の情愛」
父は慈に子は孝に、兄は友に弟は恭に、縦(たと)い極処に做(な)し到るも、倶(とも)にこれ合当(まさ)に此(かく)の如くなるべし。一毫(ごう)の感激の念頭を着け得ず。如(も)し施す者は徳に任じ、受くる者は恩を懐(おも)わば、便(すなわ)ち是れ路人、便ち市道と成らん。〔親は子をいつくしみ、子は親に孝養をつくす。兄は弟をいたわり、弟は兄をうやまう。これは、肉親としてきわめて当然の情愛である。どんなに理想的に行ったとしても、感謝したり感謝されたりする筋合のものではない。もし、そのことで恩着せがましい態度をとったり、施しを受けたような気持になるならば、それはもはや他人同士の関係となり、商人の取引きと変わりがない。〕
小学校中学年の道徳教材の「お母さんの請求書」を思い出します。教育勅語にも謳われている精神です。
「135.骨肉の争い」
炎涼の態は、富貴更に貧賎よりも甚しく、妬忌(とき)の心は、骨肉尤(もっと)も外人よりも狠(はなはだ)し。此の処、若し当たるに冷腸を以ってし、御するに平気を以ってせざれば、日に煩悩障中(ぼんのうしょうちゅう)に坐せざること鮮(すく)なからん。〔ころりと態度を変えるのは、貧乏人より金持ちのほうが激しい。ねたみそねみは、他人より肉親同士のほうが深い。こんなとき、冷静、かつ穏やかな気持で対処しなければ、毎日を悩みと苦しみの中で過ごさなければならない。〕
骨肉の争いは、昔から激しいものと相場が決まっていました。地位・名誉・財産は厄介なものです。よく聞かれる世襲の大企業の醜聞はみなその類のようです。足利将軍の跡目争いが応仁の乱を引き起こしたという古い話も思い出されます。
「138.悪事と善行と」
悪は陰を忌み、善は陽を忌む。故に悪の顕(あらわ)れたるものは禍(わざわい)浅くして、隠れたるものは禍深し。善の顕れたるものは、功(こう)小にして、隠れたるものは功大なり。〔悪事は人目につくほうがよいし、善行は人目につかないほうがよい。なぜなら、人目につく悪事は害が小さく、人目につかない悪事は害が大きいからである。また、人目につく善行は値打ちが小さく、人目につかない善行は値打ちが大きいからである。〕
善行は人知れずするから善行なのかもしれません。ニュースでは悪いことばかりが取り上げられ善いことは意外と取り上げられないのもうなずけます。でもお天道様は見ていらっしゃいます。小学校中学年の道徳の教科書に乗っている「花さき山」のお話を思い出しました。
その他、学力観に関し、日本人には「引き戸」「のこぎりの歯」のように〝引く〟という発想があり引き算が発展したのに対し、西洋人にはそれがなくお釣り計算などの場面で非常に時間がかかること、インドで発見された「ゼロ」は仏教の〝無〟に由来していること、などが話題になりました。竹内先生より『零の発見―数学の生いたち―』という本を紹介していただきました。
次回の師道塾は、10月20日(土)鳥取市教育センターにて行います。

21:06
2018/09/25
| by 管理者
『決定版・菜根譚』前集122~131「心を許せない人」「心のバランスをとる」「変化の跡を留めない」「自覚する能力と意志力」「怒りを表に現さない」「人間を鍛える溶鉱炉」「平和な世界」「思慮深く、円満な人格」「やってはならないこと」「ほめるも不可、悪口も不可」を読みました。
「124.変化の跡を留めない」
霽日(せいじつ)青天も、たちまち変じて迅雷震電となり、疾風怒雨、たちまち変じて朗月晴空となる。気機何ぞ常あらん。一毫(いちごう)の凝滞なり。太虚何ぞ常あらん。一毫の障塞(しょうそく)なり。人心の体も、また当(まさ)に是(かく)の如くなるべし。〔晴れわたった青空も、にわかにかき曇って、激しい雷鳴がとどろく。どしゃ降りの大雨も、たちまちやんで、雲ひとつない青空にもどる。このように、大自然も天空もめまぐるしく変化してやまないが、いささかも変化の跡を留めない。人間の心もこうありたいものだ。〕
日本人は自然を克服すべきものとしてではなく、共存すべきものとして相対してきました。大災害が起こったときでも秩序を保てるあたり、日本人の気質はこの文章を地で行っているようなものにも思えます。四大河文明と比べ文明が比較的ゆっくり進化したことや戒律の厳しい宗教が必要でなかったこととも深い関係がありそうです。
どの文章にも、明哲保身のための中庸の精神がにじみ出ています。国政に目を向けると、折しも自民党総裁選挙直後とあって、いろいろな政治家の顔を浮かべながら、「ここに書いてあること、~さんに聞かせたいものだなあ」などと話が盛り上がりました。
次回の師道塾は、10月6日(土)鳥取市教育センターにて行います。
14:45
2018/09/15
| by 管理者
今回はテキストを使わず、特別の教科道徳の教科書採択のこと、指導と評価のことなどについて、意見交換しました。
昨今の教育には〝教〟があって〝育〟がない。学習指導要領・特別の教科道徳に「道徳的価値の理解をもとに…」の部分には「まずは教材をもとに価値理解を押さえてから」との誤解があるようだ。そうではなく「子どもの生活経験・生育歴により形成された価値観を前提に」という意味にとらえなくてはならないという認識で一致しました。
次回の指導塾は9月22日(土)鳥取市教育センターにて行います。
18:26
2018/08/25
| by 管理者
『決定版・菜根譚』前集109〜121「全盛期には慎重に」「新しい友人より古い友人」「危うきに近寄らず」「信念を貫くこと」「肉親の不幸、友人の過失」「立派な人物の条件」「わずかな施しでも」「狡兎三窟」「順調なときこそ」「浅知恵」「二人の自分」「願い下げにしたいこと」「やんわりと対処する」を読みました。
「111.危うきに近寄らず」
公平正論には、手を犯すべからず。一たび犯せば則ち羞を万世に貽(のこ)す。権門私竇(けんもんしとう)には、脚を着くべからず。一たび着くれば、即ち終身を点汚す。〔公平な意見や正当な議論には、反対してはならない。いちどでも反対すれば、末代まで恥をさらす。権勢をふるい私利をはかる者には、近づいてはならない。いちどでも近づけば、生涯の汚点となる。〕
「114.立派な人物の条件」
小処に滲漏(しんろう)せず、暗中に欺隠(ぎいん)せず、末路に怠荒(たいこう)せず。 纔(わず)かにこれ個の真正の英雄なり。〔細事の処理にも、手を抜かない。人目のないところでも、悪事に手を染めない。失意のときでも、投げやりにならない。こうあってこそ、初めて立派な人物といえる。〕
これらの文章を通して、日本の他国への経済協力における誠実さ(ただ投資するだけでなく後々まで面倒見のよいこと)や、日本社会の安心・安全性(紛失した現金が持ち主のところへ返ってくることや自動販売機の多さ)が話題になりました。最近あまり言われなくなりましたが、日本人が大切にしてきた「お天道様が見てござる」の戒めをもう一度思い起こしたいところです。
竹内先生から、古典の学習は心を育てることを主眼とするのに対し、現在の学校教育は知(知識)を教えることに終始している。ここにこそ大きな課題があるとの指摘を受けました。道徳教育に関してもしかりです。
次回の師道塾は、9月15日(土)鳥取市教育センターにて行います。
20:18
2018/08/11
| by 管理者
『決定版・菜根譚』前集103〜108「真実の世界」「楽しみはほどほどに」「他人への思いやり」「落ち着きと闊達自在」「ムダに過ごすことへの恐れ」「水に流してもらう」を読みました。
「103.真実の世界」
幻迹(げんせき)を以って言えば、功名富貴を論ずるなく、即ち肢体もまた委形(いけい)に属す。真境を以って言えば、父母兄弟を論ずるなく、即ち万物も皆、吾と一体なり。人、能(よ)く看得(みえ)て破り、認め得て真ならば、纔(わずか)に天下の負担に任(た)うべく、また世間の韁銷(きょうさ)を脱すべし。〔現実は仮の世界である。功名富貴はもとより、この肉体さえも幻に過ぎない。真実在の世界では、父母兄弟はもとより、万物が自分と一体になる。この道理を会得したものだけが、社会に対する責任を果たすことができるし、また世間の束縛から解放されることができるのである。〕
万物一体の説は荘子や王陽明などが唱えました。西郷隆盛の〝敬天愛人〟(道は天地自然の物にして、人は之れを行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふゆゑ、我を愛する心を以て人を愛する也。)とも重なります。
「105.他人への思いやり」
人の小過を責めず、人の陰私(いんし)を発(あば)かず、人の旧悪を念(おも)わず。三者は以って徳を養うべく、また以って害に遠ざかるべし。〔小さな過失はとがめない、隠しごとはあばかない、古傷は忘れてやる。他人に対してこの三つのことを心がければ、自分の人格を高めるばかりでなく、人の恨みを買うこともない。〕
人間関係がうまくいく要諦であると同時に、人材育成においても大切な視点であるように思えます。
竹内先生より『風土―人間学的考察』(和辻哲郎著)を紹介していただき、日本人の精神構造について、戦い終えたあと敵も味方も同じように処遇する〝怨親平等〟や敵の駒を活かすという日本独自の将棋のルールのこと、外国の仏教やキリスト教とは一味違う宗教的情操などが話題になりました。
次回の師道塾は、8月25日(土)鳥取市教育センターにて行います。
16:13
2018/07/14
| by 管理者
今回は、6月16日に続き、研究大会の公開授業の学習指導案の検討を行いました。当日は、水木しげるを取り上げた中学年児童向けの教材を使用して授業を行います。
次回の師道塾は、8月11日(土)鳥取市教育センターにて行います。
16:56
2018/06/23
| by 管理者
今日は竹内先生の急なご予定があり、30分ほどの塾となりました。新学習指導要領「特別の教科道徳」について、意見交換しました。
次回の師道塾は、7月14日(土)鳥取市立面影小学校にて行います。いつもの会場と異なりますので、ご留意ください。
20:15
2018/06/16
| by 管理者
『決定版・菜根譚』前集101「人間の一念」と102「最高の人格」を読みました。
「101.人間の一念」
人心一たび真なれば、便(すなわ)ち霜をも飛ばすべく、城をも隕(おと)すべく、金石をも貫くべし。偽妄(ぎぼう)の人の若(ごと)きは、形骸徒(いたずら)に具(そな)わるも、真宰已(すで)に亡ぶ。人に対すれば則ち面目憎むべく、独り居れば則ち形影自(みずか)ら媿(は)ず。〔人間の真心から発する一念は、夏の夜に霜を降らし、堅固な城壁を突き崩し、金石も貫くほどの力をもっている。いつわりの多い人間は、肉体はそなわっていても、心は失われている。これでは、人にも嫌われるし、自分でも自己嫌悪に陥るにちがいない。〕
吉田松陰の口癖であったと伝えられている「至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり」(『孟子』離婁上)という言葉を思い浮かべます。南アメリカの先住民に伝わる17行の物語『ハチドリのひとしずく』に通じる話でもあります。
「102.最高の人格」
文章は極処(きょくしょ)に做(な)し到(いた)れば、他奇(たき)あるなし。只だこれ恰好(かっこう)のみ。人品(じんぴん)は極処に做し到れば、他異(たい)あるなし。只だこれ本然(ほんねん)のみ。〔最高に完成された文章は、少しも奇をてらったところがない。ただ、言わんとすることを過不足なく表現しているだけだ。最高に完成された人格は、少しも変わったところがない。ただありのままに生きているだけだ。〕
私達はどうしても文章や挨拶で上辺を取り繕うとしてしまいがちです。そして徒にだらだらと…戒めたいものです。最高に無駄のない文章と聞いて「俳句」を思い浮かべました。
今回は、研究大会の公開授業の学習指導案の検討に時間をかけました。当日は、水木しげるを取り上げた中学年児童向けの教材を使用して授業を行います。7月14日(土)にもう一度検討会をもちます。
次回の師道塾は、6月23日(土)鳥取市教育センターにて行います。
20:02
2018/05/26
| by 管理者
『決定版・菜根譚』前集92〜100「人の値打ちは後半生で」「私恩を売るだけでは」「祖先の苦労」「偽善と変節」「家族が過ちを犯したとき」「自分の心しだいで」「信念をむき出しにしない」「逆境は良薬、順境は凶器」「欲望は自分を焼き尽くす」を読みました。
「94.祖先の苦労」
祖宗の徳沢を問わば、吾が身の享(う)くる所のものこれなり。当(まさ)にその積累の難きを念(おも)うべし。子孫の福祉を問わば、吾が身の貽(のこ)す所のものこれなり。その傾覆の易きを思うを要す。〔祖先の恩沢とは何か。現在、自分の享受している幸福がそれである。それを残してくれた祖先の苦労に感謝しなければならない。子孫の幸福とは何か。現在、自分が積み重ねている努力によってもたらされるものだ。崩れるのも早いので、しっかりと積み重ねておかなければならない。〕
この「恩送り」の考え方、とても気に入っています。
「96.家族が過ちを犯したとき」
家人、過ちあらば、宜しく暴怒すべからず、宜しく軽棄すべからず。此の事言い難くば、他の事を借りて隠にこれを諷(ふう)せよ。今日悟らざれば、来日を俟(ま)ちて再びこれを警(いまし)めよ。春風の凍れるを解くが如く、和気の氷を消すが如くにして、纔(わずか)にこれ家庭の型範なり。〔家族の者が過ちを犯したとき、声を荒げてどなりつけてもいけないし、黙ってみない振りをしているのもよくない。他のことにかこつけてそれとなく戒めるのがよい。それで効果がないときは、時間をおいて、別の機会にまた注意を促すことだ。要は、春風が氷をとかすように、おだやかな態度で臨む、これが家庭の和を保つ秘訣である。〕
学校での生徒指導も全く同じです。
「97.自分の心しだいで」
此(こ)の心常に看(み)得て円満ならば、天下自(おのず)から欠陥の世界なし。此の心常に放ち得て寛平(かんぺい)ならば、天下自から険側の人情なし。〔自分の心をいつも満ち足りた状態にしておけば、この世に、不平不満は存在しなくなる。自分の心をいつも寛大公平に保っていれば、この世から、とげとげしい雰囲気は消えてなくなる。〕
京都の龍安寺には、「吾唯足るを知る」と書かれた蹲踞(つくばい)があるそうです。(写真)
「98.信念をむき出しにしない」
澹泊(たんぱく)の士は、必ず濃艶なる者の疑う所となり、檢飭(けんちょく)の人は、多く放肆(ほうし)なる者の忌む所となる。君子は此に処して、固(もと)より少しもその操履(そうり)を変ずべからず、また太(はなは)だその鋒芒(ほうぼう)を露(あらわ)すべからず。〔質素な人は派手好きな人から煙たがられる。厳しい人はだらしのない人から嫌がられる。だからといって、いささかも自分の信念を曲げてはならないが、同時に、それをむき出しにしないことが望まれるのである。これが君子の生き方だ。〕
『論語』にも、「君子は和して同ぜず」とあります。自分を出す、出さないの加減はなかなか難しいものです。日本独特の「忖度文化」のことが話題になりました。
次回の師道塾は、6月16日(土)鳥取市教育センターにて行います。
20:18
2018/05/12
| by 管理者
『決定版・菜根譚』前集89〜91「返礼を期待しない」「天の意志をはね返す」「天の意志は霊妙である」を読みました。
「89.返礼を期待しない」
己を舎(す)ててはその疑いに処(お)るなかれ〔人のために犠牲になろうと決意したらいっさいの打算を捨てなければならない〕。その疑いに処れば、即ち舎つる所の志、多く愧(は)ず。人に施してはその報いを責(もと)むるなかれ。その報いを責むれば、併せて施す所の心も倶(とも)に非なり〔最初の動機まで不純になってしまう〕。
「91.天の意志は霊妙である」
貞士〔節操の固い人物〕は福を徼(もと)むるに心なし〔進んでしようとはしない〕。天は即ち無心の処に就いてその衷(ちゅう)を牖(ひら)く〔幸福の窓を開いてくれる〕。憸人(けんじん)〔陰険な人間〕は禍を避くるに意を着く〔そればかり考えている〕。天は即ち着意の中(うち)に就いてその魄(はく)を奪う〔容赦なく不幸を下す〕。見るべし、天の機権の最も神なるを〔天の働きはなんと霊妙なことか〕。人の智巧は何の益あらん〔人間の知恵などまるで歯が立たない〕。
89と91を読んで、見返りを求める〝Give and Take〟(幸せになるためにがんばる)ではなく、恩送りの〝Take and Give〟(幸せだからがんばる)を心がけたいと思いました。風呂のお湯は向こうに押し遣ればこちらに返り、こちらに引き寄せようとすると向こうに逃げる様を思い浮かべます。
「90.天の意志をはね返す」
天、我に薄くするに福を以ってせば〔冷遇して幸福を授けてくれなければ〕、吾、吾が徳を厚くして以ってこれを迓(むか)えん〔勝ち取ると良い〕。天、我を労するに形を以ってせば〔苦役を課して肉体を苦しめてくるなら〕、吾、吾が心を逸にして〔楽にして〕以ってこれを補わん。天、我を阨(やく)するに遇を以ってせば〔苦境に突き落として行く手をはばむなら〕、吾、吾が道を亨(とお)らしめて以ってこれを通ぜしめん〔わが道を守って初志を貫徹するがよい〕。天且(か)つ我を奈何(いかん)せん〔これなら、天といえども、どうすることもできまい〕。
森信三先生の「逆境は神の恩寵的試練」という言葉を思い起こします。ピンチはチャンスと捉え、感謝の念を持つようにしたいものです。
竹内先生より、『山田方谷のことば―素読用 』(山田方谷に学ぶ会・登龍館)という本を紹介していただきました。政治家の皆さんにもぜひ読んでいただきたい本です。
次回の師道塾は、5月26日(土)鳥取市教育センターにて行います。
17:10
2018/04/28
| by 管理者
『決定版・菜根譚』前集80〜88「将来の失敗に備えよ」「バランス感覚」「影を留めず」「甘すぎず辛すぎず」「貧しいなかに風情あり」「ふだんの心がけ」「ちょっとした迷いでも」「自分の心を認識する」「動中の静、苦中の楽」を読みました。
「80.将来の失敗に備えよ」
未だ就らざるの功を図るは、已に成るの業を保つに如かず。既往の失を悔ゆるは、将来の非を防ぐに如かず。〔見通しの立たない計画に頭を悩ますよりも、軌道に乗った事業の発展をはかるがよい。過去の失敗にくよくよするよりも、将来の失敗に備えるがよい。〕
エリート養成にふさわしい時期は、失敗を恐れない30代後半から40代前半だという話を聞いたことがあります。それより遅くなると、人間というものは〝守り〟に入り、思い切ったことをやろうとしなくなるというわけです。
「82.影を留めず」
風、疎竹(そちく)に来たるも、風過ぎて竹は声を留めず。雁、寒潭(かんたん)を度るも、雁去りて潭(ふち)は影を留めず。故に、君子は事来たって心始めて現れ、事去って心随って空し。〔風が起これば竹の葉は騒ぐが、吹きやめばもとの静寂にもどる。雁が渡るとき淵はその影を映すが、飛び去ればもはや影を留めない。君子の心も、事が起こればそれに対応し、事が過ぎればまたもとの静けさにもどるのである。〕
〝明鏡止水〟剣道の構えのようです。その境地に至るには、次の85・87が必要になるでしょう。
「85.ふだんの心がけ」
閒中(かんちゅう)に放過(ほうか)せざれば、忙処に受用有り。静中に落空(らっくう)せざれば、動処に受用有り。暗中に欺隠(ぎいん)せざれば、明処に受用有り。〔暇なときでもぼんやり時を過ごすことがなければ、その効用は多忙になったときに現れてくる。休んでいるときも時間をムダにすることがなければ、その効用は仕事にかかったときに現れてくる。人目につかないところでも良心をあざむくことがなければ、その効用は人前に出たときに現れてくる。〕
「87.自分の心を認識する」
静中の念慮澄徹(ねんりょちょうてつ)なれば、心の真体を見る。閒中の気象従容(きしょうしょうよう)なれば、心の真機を識(し)る。淡中の意趣冲夷(いしゅちゅうい)なれば、心の真味を得る。心を観じ道を証するは、この三者に如くは無し。〔静かな環境で思考が透徹しているときには、心の本来の姿が見えてくる。のんびりとした環境で気持が落ち着いているときには、心の働きが見えてくる。淡々たる心境で感情が平静なときには、心の働く方向が見えてくる。自分の心を認識し、真の道を会得するには、この三つの方法によるのが、もっともよい。〕
今回は、本年度はじめての師道塾でした。8月7日(火)の鳥取県道徳教育研究大会の概要をホームページに掲載しました。「特別の教科」となった道徳教育の充実・発展のため、気持ちを新たにがんばりたいと思います。
次回の師道塾は、5月12日(土)鳥取市教育センターにて行います。
18:41
2018/03/24
| by 管理者
『決定版・菜根譚』前集76〜79「水清ければ魚すまず」「やる気があれば進歩もある」「無欲こそ宝である」「内外の賊」を読みました。
「76.水清ければ魚すまず」
地の穢(けが)れたるは多く物を生じ、水の清きは常に魚無し。故に君子は、当(まさ)に垢(こう)を含み汚(お)を納(い)るるの量を存すべし〔汚いものもあえて受け入れる度量を持ってこそ君子と言える〕。潔(けつ)を好み独り行うの操を持すべからず〔独りよがりの潔癖は避けるべきだ〕。
これはそのとおりで、心しておきたいと思います。その一方で、いい加減な人にとっては言い逃れのために使える便利な言葉のようにも思えてきます。
「77.やる気があれば進歩もある」
泛駕(ほうが)の馬も駆馳(くち)に就くべし〔手におえない暴れ馬も、慣らし方ひとつで乗りこなせる〕。躍冶(やくや)の金も終(つい)に型範(けいはん)に帰す〔鋳型から飛び跳ねた金も、いずれは型におさまる〕。只だ一に優游(ゆうゆう)して振るわざるは、便(すなわ)ち終身個の進歩無し〔のらくらしてやる気のない連中は、いつまでたっても進歩が望めない〕。白沙(はくさ)云う、「人と為り多病なるは未だ羞ずるに足らず、一生病なきはこれ吾が憂いなり」〔人間として欠点が多いのは恥ずべきことではない。むしろ欠点のない人間のほうが案じられる〕。真に確論なり〔これこそ達見だと思う〕。
『論語』(衛霊公第十五)には、「子曰わく、之を如何、之を如何と曰わざる者は、吾之を如何ともする末きのみ」とあります。下手でもやる気さえあれば何とかなるということでしょう。やる気はあるけど糸口が見つからない人にヒントを与えてやることが大切です。子どもをいかに学ぶ気にさせるか、そこにこそ教師の最大の役割があるといえます。
そのほか、今回は、星取県の星空写真から宇宙の神秘の話になり、ホーキング博士の話になり、ホーキング博士の葬られたウェストミンスター寺院の話から一神教と寛容な日本の宗教の対比の話へといった具合に、連想ゲームのようにいろいろなことが話題になりました。
21:09
2018/03/10
| by 管理者
『決定版・菜根譚』前集66〜75「ものは考えよう」「善行のなかに悪の芽」「安きに居りて危うきを思う」「幸せをもたらすには」「幸福を呼び込む」「多弁の落とし穴」「心の温かい人」「真理の道に遊ぶ」「持続する幸福」「心は虚にし実にする」を読みました。いくつか取り上げてみます。
「67.善行のなかに悪の芽」
悪を為して人の知らんことを畏るるは、悪中に猶お善路有り(まだ見所がある)。善を為して人の知らんことを急にするは、善処即ちこれ悪根なり(すでに悪の芽を宿している)。
手柄を立てても鼻にかけたりしないのが分別のある大人の態度です。偉人と呼ばれる人はたいがい黙して語らずの人たちでした。「惻隠の情」「清明心」「恥の文化」など、日本精神を言い表すいくつかの言葉が浮かんできます。
「70.幸福を呼び込む」
福は徼(もと)むべからず。喜神を養いて(常に喜びの気持ちをもって)、以って福を召くの本と為さんのみ。禍(わざわい)は避くべからず。殺機(さっき)を去りて(人の心を傷つけないように心がけて)禍に遠ざかるるの方となさんのみ。
後も不幸も結局、自分で呼び込むもの。「お陰様で」「有難う」という気持ちを普段から持てるかどうかにかかっているようです。
「73.真理の道に遊ぶ」
天理の路上(真理の道)は甚だ寛く、稍(やや)心を遊ばしめば、胸中便ち広大宏朗なるを覚ゆ(広々と晴れやかな気持になる)。人欲の路上(欲望の道)は甚だ窄(せま)く、纔(わず)かに迹(あと)を寄すれば(一歩踏み込んだだけで)、眼前倶(とも)に是れ荊棘泥塗(けいきょくでいと…茨やぬかるみに足をとられてもがき苦しむ)なり。
真理と欲望を並べて書いてみたとき、書物でいうところの古典とHow to本を比較しているようです。人間を磨くには広い裾野が必要です。
四書の『大学』に「心ここにあらざれば視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず」という有名な言葉がありますが、そもそも〝心〟はどこにあるのかということが話題になりました。大久保利通は「頭にある」と言い、西郷隆盛は「腹にある」と言ったそうですが、近年の研究によると、人の心は〝脳〟にあるということになっています。脳が健全であると心も健全になり、脳を鍛えることでうつ病も治るのだそうです。竹内先生より、脳を鍛えるには神渡良平氏の『安岡正篤人間学』という本がいいと紹介していただきました。
16:42
2018/02/17
| by 管理者
『決定版・菜根譚』前集59〜65「同じ花でも」「百年生きても」「春の暖かさが必要」「大巧は巧術なし」「満つれば欠ける」「名誉欲と功名心を去れ」「心が澄んでいれば」を読みました。
「59.同じ花でも」
富貴名誉の、道徳より来たるは、山林中の花の如し、自らこれ舒徐繁衍(じょじょはんえん…自然に枝葉が生い茂る)す。功業より来たるは、盆檻(ぼんかん…鉢植え)中の花の如し、すなわち遷徙廃興(せんしはいこう…他所に移されたり捨てられたりする)あり。権力を以って得るものの若きは、瓶鉢(へいはつ…花瓶)中の花の如し。その根植えざれば、その萎(しぼ)むこと立ちて待つべし。
盆栽の松より、岩頭に立つ松といったところでしょうか。
「60.百年生きても」
春至り時和らげば、花なお一段の好色を鋪(し)き(あでやかに咲き乱れ)、鳥また幾句の好音を囀(てん)ず(楽しげにさえずる)。士君子、幸いに頭角を列(つら)ね、また温飽に遇う(高い地位と快適な生活に恵まれる)。好言を立て好事を行うを思わざれば、これ世に在ること百年なりと雖も、 恰(あたか)も未だ一日も生きざるに似たり 。
「ノブレス・オブリージュ」(高貴なる者に伴う義務)を連想します。
「61.春の暖かさが必要」
学ぶ者は、段の兢業(きょうぎょう)の心思(厳しく姿勢を正す)あり、また段の瀟洒(しょうしゃ)の趣味(物事にこだわらない洒脱な精神)あるを要す。若し一味に斂束清苦(れんそくせいく)ならば(ひたすらわが身を苦しめるだけのことなら)、これ秋殺(しゅうさつ)ありて春生(しゅんせい)なきなり。何を以ってか万物を発育せん。
『言志四録』にある「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛む」コツを述べているようです。
「62.大巧は巧術なし」
真廉(しんれん)は廉名なし(ほんとうに清廉であったら、清廉の評判など立たない)。名を立つるは、正に貪(たん)となす所以なり(評判が立つのは、顕示欲が強い証拠である)。大巧は巧術なし(ほんとうに最高の技を身につけていたら、妙技など見せびらかさない)。術を用うるは(妙技を見せびらかすのは)、乃(すなわ)ち拙となる所以なり(未熟な証拠である)。
剣術の達人は、やたらチャンバラには及ばないそうです。剣術の達人であった坂本龍馬や勝海舟の名前が出てきて、明治維新の話で盛り上がりました。
「63.満つれば欠ける」
欹器(いき…写真参照)は満つるを以って覆り、撲満(ぼくまん…銭を貯める土器)は空しきを以って全(まった)し。故に君子は、寧ろ無に居るも有に居らず、寧ろ缼(けつ)に処るも完に処らず(満ち足りた状態を求めず、無の境地に身を置くようでありたい)。
飽くなき向上心が大切であることを、欹器の構造に例えうまく説明しています。孔子も欹器に目をとめ、「ああ、いずくんぞ満ちて覆らざるものあらんや」と慨嘆したといわれています。
「64.名誉欲と功名心を去れ」
名根(名誉欲)未だ抜けざる者は、縦(たと)い千乗を軽んじ一瓢(いっぴょう)に甘んずるも(高い地位に見向きもせず清貧な生活に甘んじていたとしても)、総(すべ)て塵情(じんじょう)に堕つ(単なる俗物にすぎない)。客気(功名心)未だ融けざる者は、四海を沢(うるお)し万世を利すと雖も(国家社会に大きな功績があったとしても)、終に剰技(じょうぎ)となる(評価に値しない)。
名誉欲や功名心が抜けないうちは、人間としてまだ未熟なのだといいます。なかなか難しいです。
「65.心が澄んでいれば」
心体光明なれば(心が澄みきっていれば)、暗室の中にも青天あり(良心をくらまされることはない)。念頭暗昧(ねんとうあんまい)なれば(よからぬことを考えれば)、白日の下にも厲鬼(れいき)を生ず(悪魔の虜になる)。
打算を廃し真心を込めること、誠心誠意が大切であるといっています。
次回の師道塾は、3月10日(土)鳥取市教育センターにて行います。
18:30
2018/01/27
| by 管理者
『決定版・菜根譚』前集52〜58「感謝を期待するな」「自他を見比べる」「古人に学ぶさいには」「割りに合わない」「役に立たないもの」「真価をそこなう」「失意は得意のなかに」を読みました。今回も、本文に関連して、多彩な話題で盛り上がり、竹内先生や参加者から、多くの書籍が紹介されました。
「52.感謝を期待するな」
「受けた恩は石に刻め 施した恩は水に流せ」ということです。
「53.自他を見比べる」「55.割りに合わない」
バランス感覚の大切さを述べています。「方便の法門」という言葉が出てきますが、「嘘も方便」「建前と本音」が話題になり、ヴァージニア・オハンロンというアメリカ人女性が9歳の時に新聞社に送った手紙が元になって掲載された「サンタクロースは実在するのか」という世界的に有名な新聞社説のことが話題になりました。
「57.真価をそこなう」
読書不見聖賢、為鉛槧傭 居官不愛子民、為衣冠盗 講学不尚躬行、為口頭禅 立業不思種徳、為眼前花(書を読みて聖賢を見ざれば、鉛槧の傭(えんざんのよう…文字の奴隷)となる。官に居りて子民を愛せざれば、衣冠の盗(いかんのとう…官吏の給料泥棒)となる。学を講じて躬行(きゅうこう)を尚(くわ)へざれば、口頭の禅となる。業を立てて種徳(しゅとく)を思わざれば、眼前の花となる。)
「心地乾浄」雑念や打算を拭い去り、無の境地で人間学(聖賢の教え)に学ぼうとしなければならないということが書かれています。ハウ・ツー本や虎の巻の類に飛びつこうとせず、試行錯誤を繰り返しながら体得した知恵を大切にすべしということでしょう。「54.古人に学ぶさいには」「56.役に立たないもの」も同様のことが書かれています。
「58.失意は得意のなかに」
苦心中、常得悦心之趣 得意時、便生失意之悲(苦心の中に、常に心を悦こばしむるの趣を得、得意の時に、便ち失意の悲しみを生ず)
中国・明の崔後渠(さいこうきょ)の「六然訓(りくぜんくん)」にも、「得意澹然(とくいたんぜん)失意泰然(しついたいぜん)」のくだりがあります。陽明学者の安岡正篤師は、「私はこの『六然』を知って以来、少しでもそうした境地に心身を置きたいものと考えて、それとなく忘れぬように心がけてきたが、実に良い言葉で、まことに平明、しかも我々の日常生活に即して活きている」と述べています。
次回の師道塾は、2月17日(土)鳥取市教育センターにて行います。
21:54
2018/01/20
| by 管理者
平成30年最初の師道塾は、「私塾」の話題でスタートしました。
吉田松陰の「松下村塾」、緒方洪庵の「適塾」、大塩平八郎の「洗心洞」など、幕末・明治維新の人材の多くがこれらの私塾から輩出され、日本の近代化を推し進めました。共通しているのは、藩校の多くが官学であった朱子学を中心としたものであったのに対し、陽明学を重視している点です。
その中で、『日本の私塾』(奈良本辰也・淡交社)、『洗心洞箚記(上・下)』(吉田公平・タチバナ教養文庫)、そして以前このコーナーでも紹介した『私塾の研究』(童門冬二・PHP文庫)といった本が話題になりました。洗心洞箚記は新本で入手できますが、他は古本でしか入手できないようです。
また、日本人の多くが英語を苦手とする理由として、
・アラビア語と並んで、日本の文法構造が英語から最もかけ離れていること
・翻訳本が多く、母国語で外国の文化を学べる環境にあったこと(それだけ日本人の知的レベルが高かったということ)
・欧米諸国による植民地支配を受けていないこと
等が挙げられました。これらを根拠に、数学者の藤原正彦氏などは、「外国人としたたかに渡り合うには、まず母国語である日本語をしっかりと学び語彙力を身につけ、議論できるようにならなければならい」と言って、早期の英語教育導入に批判的です。現在、学校現場は小学校での英語教育改革のただ中にあり、非常に興味深い話題です。
『決定版・菜根譚』は、前集47〜51「善人と悪人の違い」「人の目のとどかない所でも」「幸せと不幸」「時代によって」「忘れてよいこと、わるいこと」を読みました。
詳細は省略しますが、これらの内容に参加者一同大いに賛同しつつも、若い頃には理解できなかったかもしれないという感想を持つ内容もありました。作者の守屋洋氏自身が前書きで述べているように、菜根譚は、読む年齢、人生経験の度合い、置かれた境遇によって、反発を覚えたり、多くの示唆を汲み取れたりと、不思議な魅力をもった本です。
次回の師道塾は、1月27日(土)鳥取市教育センターにて行います。
20:36
2017/12/16
| by 管理者
『決定版・菜根譚』前集41〜46「極端は避ける」「天地をも動かす」「一歩高みに立つ」「一つの目標に集中する」「至るところに楽しみ」「木石の心境で」を読みました。
「41.極端は避ける」
君子は、居常の嗜好、太(はなは)だ濃艶なるべからず、また宜しく太だ孤寂なるべからず。(行きとどきすぎてもいけないし、あっさりしすぎてもいけない。君子はそのような生活態度を貫くべきだ。)
中庸思想を説いています。しかるに現代日本は、多くの方面に細かい配慮が行き渡り過ぎていて、必要なものを自分で作り出す発想力が乏しくなっているようです。日本のモノづくりは大丈夫でしょうか? NHKで放映されている〝マチ工場のオンナ〟に出てくるベテラン職人〝かっちゃん〟のことをふと思い浮かべました。
「42.天地をも動かす」
彼は富、我は仁、彼は爵、我は義。(相手が財産を振りかざしてくれば、こちらは〝仁〟で対抗する。相手が地位を振りかざしてくればこちらは〝義〟で対抗する。)
〝仁〟と〝義〟には中庸がなく、確たるものがないといけません。
「43.一歩高みに立つ」
身を立つるに一歩を高くして立たずんば、(中略)如何ぞ超達せん。世に処するに一歩を退いて処らざれば、(中略)如何ぞ安楽ならん。(自分を陶冶するには、人よりも一歩高みに立たなければならない。さもないと、とうてい人格の向上は望めない。人と交わるには、相手に一歩譲る心構えがほしい。さもないと、安楽な生活など望むべくもない。)
佐藤一斎の名言「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛む」を連想します。
「44.一つの目標に集中する」
学ぶ者は、精神を収拾し、一路に併帰(へいき…歩み続けること)するを要す。如(も)し徳を修めて意を事功名誉に留むれば、必ず実詣(じっけい…成果)なし。
昨今は研究データの改ざんなど、真理追究にあるまじき行為が跡を絶ちません。学問においては、打算を廃し常に王道を歩みたいものです。
「45.至るところに楽しみ」
処々に種の真趣味あり。金屋(きんおく)・茅簷(ぼうえん)も両地に非ざるなり。(この地上には、至るところに人生の楽しみがある。立派な邸宅に住もうが粗末なあばら屋に住もうが、まったく変わりない。)
人生の楽しみ方は〝心ひとつの置き所〟です。何事にも「有難う」の気持ちを持つようにすれば、ストレスの解消にもなります。
「46.木石の心境で」
徳を進め道を修むるには、個の木石の念頭を要す。(修養によって人格の向上をはかろうとすれば、何ものにも動じない木石のような心境を必要とする。)
論語にある「剛毅木訥、仁に近し」と同じことを言っています。また、木鶏の故事を連想します。相撲の大横綱・双葉山は、自身の連勝記録が69でストップしたとき、「われ未だ木鶏たりえず」という名言を残しています。
次回の指導塾は、1月20日(土)鳥取市教育センターにて行います。
21:14
2017/12/09
| by 管理者
『決定版・菜根譚』前集27〜40「顕著な地位についても」「大過なく過ごす」「淡泊すぎるのも考えもの」「引き際」「富貴、聡明な人物は」「立場を変えて見れば」「道徳仁義にとらわれぬ心」「独善と知ったかぶり」「人に譲る心がけ」「相手によって」「華美を排して」「自分の心に勝つ」「若い人の教育にあたって」「道理は一歩も譲るな」を読みました。
菜根譚は、儒教・道教・仏教の三つの教えを融合したところに特徴があります。すなわち、
老荘流の悠々自適の心境を語りながら、必ずしも功名富貴を否定しない
厳しい現実を生きる処世の道を説きながら、心の救済にも多くのことばをついやしている
隠士の心境に共鳴しながら、実社会に立つエリートの心得を説くことも忘れない
といった感じで、読む人の境遇に応じていろいろな読み方ができるのです。言い方を変えれば、自分に都合のいいように読めたりするともいえます。論語などの代表的な古典を読んだあとに読むと、味わい深いようです。
中国生まれの菜根譚は、当然漢文で書かれています。前回も触れましたが、韻を踏んでいてリズミカルであり、原文は白文で書かれていて慣れないと上手に読めませんが、何となく意味がわかってくる場合があります。例えば、「36.相手によって」の原文・書き下し文・訳文は、次のようになっています。
待小人 不難於厳 而離於不悪(小人を待つは、厳に難からずして、悪まざるに難し)
待君子 不難於恭 而難於有礼(君子を待つは、恭に難からずして、礼あるに難し)
「小人に対しては、厳しい態度で臨むことはやさしい。むずかしいのは、憎しみの感情を持たないことだ。君子に対しては、ヘりくだった態度をとることはやさしい。むずかしいのは、過不足のない礼をもって接することだ。」
原文はみごとに韻を踏んでいます。むしろ、訳文よりも、ひらがなで書かれた助詞・助動詞が省かれている分、ダイレクトに入ってきそうな気がするのです。ちなみに、本書は、訳文→書き下し文→原文→守屋氏の寸評という構成になっています。
「33.道徳仁義にとらわれぬ心」
功名富貴の心を放ち得下して、便(すなわ)ち凡を脱すべし。道徳仁義の心を放ち得下して、纔(わずか)に聖に入るべし。
学校では、いよいよ道徳が教科化されますが、道徳を学ぶ先にあるものを目指さなくてはならないというふうに聞こえます。道徳的価値を云々するレベルに留まっていてはいけないということでしょう。
「39.若い人の教育にあたって」
弟子を教うるは、閨女(けいじょ…箱入り娘)を養うが如し。最も出入を厳にし交友を謹むを要す。若し一たび匪人(ひじん…よからぬ者)に接近せば、これ清浄の田中(でんちゅう)に一の不浄の種子を下すなり。便(すなわ)ち終身、嘉禾(かか…良い稲の種)を植え難し。
〝朱に交われば赤くなる〟人は環境によって良くも悪くもなるということです。道元も「霧の中を行けば、覚えざるに衣しめる。よき人に近づけば、覚えざるによき人となるなり」と言っています。ここは、参加者の間で少し意見が分かれました。良からぬ輩と出会ってもそれを跳ね返す力を身につけることも大切だというわけです。どちらにも理があります。八対二くらいの割合がいいところでしょうか。いずれにしても、人との出会いは人格形成の決定的な要因になるといえます。
次回の指導塾は、12月16日(土)鳥取市教育センターにて行います。
19:00
2017/11/25
| by 管理者
『決定版・菜根譚』前集15〜26「三分の侠気、一点の素心」「四つの戒め」「進むためにはまず退く」「功績も帳消し」「名誉は独り占めしない」「何ごとも控え目に」「和気と語らい」「静寂のなかに活力」「人に多くを期待するな」「汚物のなかからも」「から元気と迷いの心」「事後の悔恨に思いを致す」を読みました。
「16.四つの戒め」
寵利(ちょうり)は人前に居るなかれ。徳業は人後に落つるなかれ。受享は分外に踰(こ)ゆるなかれ。修為は分中に減ずるなかれ。
利益は人より先に飛びつくな、善行は人に遅れをとるな、報酬は限度を越えてむさぼるな、修養はできるかぎりの努力を怠るな、という社会人の努力目標とすべきことが、原文・書き下し文では、人前⇄人後、分外⇄分中のように対をなしながらリズムよく示されています。中国生まれの文章ですが、日本で最も定着し今に通用する処世術です。
「19.名誉は独り占めしない」
完名美節(かんめいびせつ)は、宜しく独り任ずべからず。些(いささか)かを分ちて人に与うれば、以って害を遠ざけ身を全うすべし。辱行汚名(じょくこうおめい)は、宜しく全く推すべからず。些かを引きて己に帰すれば、以って光を韜(つつ)み徳を養うべし。
この文章も実にリズミカルです。名誉は独り占めせず少しは人にも分けてやるべきだ、そうすればふりかかる危難を避けることができる、悪評はすベて人に推しつけず少しは自分もかぶるべきだ、そうすればいっそう人格を向上させることができる、…これも社会人のたしなみ、特にリーダーに求められる態度といえます。幸田露伴の『努力論』にある幸福三説「惜福・分福・植福」のことも話題になりました。
「21.和気と語らい」には〝調息観心〟という言葉が出てきます。腹式呼吸の効能の話になり、声がよく通り脳の働きにも良いということで、参加者全員で実践してみました。
「22.静寂のなかに活力」(動も寂も度を越さず〝静中動あり〟あたりが良い)「23.人に多くを期待するな」(人を叱責するときも教導するときも、相手に受け入れられる範囲に止めておかなければならない)では、いずれもバランス感覚を重視する考え方が働いています。
「26.事後の悔恨に思いを致す」では、伝記を読むことで先が読める人間になることや、子どもに失敗を経験させたり危険な目に遭わせたりしないように先回りし過ぎる子育てや学校教育のことなどに話が及びました。
次回の指導塾は、12月9日(土)鳥取市教育センターにて行います。
20:19
2017/10/28
| by 管理者
『決定版・菜根譚』前集6〜14「心に喜びを持て」「平凡のなかに非凡」「静中の動、動中の静」「静思のときを持て」「得意のときと失意のとき」「節操を守るためには」「広い心をもって生きる」「一歩さがって道を譲る」「一流の人物とは」を読みました。
「8.静中の動、動中の静」
天地は寂然として動かずして、而も気機は息むことなく停まること少(まれ)なり。日月は昼夜に奔馳して、而も貞明は万古に易らず。故に君子は、閒(かん)時には喫緊の心思あるを要し、忙処には悠閒の趣味あるを要す。
これに似た考え方は多くの古典で見られ、多くの先人が発言しています。例えば、佐藤一斎は言志耋録の中で、「古人、易の字を釈して不易と為す。試みに思うに、晦朔は変ずれども而も昼夜は易らず。寒暑は変ずれども而も四時は易らず。死生は変ずれども而も生生は易らず。古今は変ずれども、而も人心は易らず。是れ之れを不易の易と謂う」と言っています。
「13.一歩さがって道を譲る」
径路の窄(せま)き処は、一歩を留めて人の行くに与え、滋味濃(こまや)かなものは、三分を減じて人の嗜(たしな)むに譲る。此はこれ世を渉る一の極安楽の法なり。
これなどは、江戸しぐさや茶の湯の世界、日本人のもてなしの心に通じるものがあります。菜根譚は、江戸時代に日本に伝わりますが、本場の中国よりむしろ日本で愛読されてきたのでした。大いに頷けます。
その他、本文の内容と関連付けながら、子どものやる気を引き出す教科指導のあり方や、宇宙や人類誕生の不思議、腹式呼吸や座禅の効用、後継者を育成することを目的とした福沢諭吉の慶應義塾を始めとする優れた日本の教育の伝統などが話題になりました。
次回の師道塾は、11月25日(土)鳥取市教育センターにて行います。
20:21
2017/10/21
| by 管理者
今回より、『決定版・菜根譚』(守屋洋著・PHP)を読み始めました。
菜根譚は、中国の古典の中では比較的新しい本で、17世紀の初め頃(明の万暦年間末期)に、洪自誠によって著されました。前集と後集に分かれ、あわせて360の短い文章から成っています。その特徴は、儒教・道教・仏教の教えを融合し、その上に立って処世の道を説いたものということができます。「表・建て前」の道徳でありエリートの思想である儒教、「裏・本音」の道徳であり民衆の思想である道教という相互に補填し合う〝応対事例の学〟と、人々の悩める心を救済する仏教を融合しており、読む人の境遇に応じていろいろな読み方ができるところに魅力があります。本書は、現代語訳・書き下し文・漢文・守屋氏のコメントで構成されていて、とても平易な文章でわかりやすく書かれています。
今回は、前集の1から5までを読みました。それぞれのタイトルは、「人たるの道を守る」「むしろ愚直であれ」「才能は秘めておく」「知りながら使わない」「自分を向上させるには」となっています。「2.むしろ愚直であれ」では、世渡りが決して器用ではなかったが歴史に名を残した二人の人物、吉田松陰と西郷隆盛の名前が挙がりました。「3.才能は秘めておく」は、日本人になじむ考え方で、スッと腑に落ちる感じがしました。こんな具合に、テンポよく読み進めることができそうです。
次回の師道塾は、10月28日(土)鳥取市教育センターにて行います。
19:49
2017/09/30
| by 管理者
今回は参加者が少なかったので、テキストは使わずもっぱら教育談義でした。『決定版・菜根譚』は、次回の師道塾から読み始めることにします。
次回の師道塾は、10月21日(土)鳥取市教育センターにて行います。
19:26
2017/09/16
| by 管理者
『新釈・講孟余話』付章「男子の教え・女子の教え」を読みました。
第一節 男子の教え 士規七則
松陰がいとこの玉木彦助の元服式に当たって贈った言葉、士規七則を読みました。男子として生きていく心構えが七つの項目にわたって述べられていますが、最後に松陰自身が次の三つにまとめています。「志を立てて、以て万事の源と為す」「交を択びて、以て仁義の行を輔く」「書を読みて、以て聖賢の訓へを稽ふ」今の時代にも決して忘れてはならないことだと皆で得心しました。
第二節 女子の教え 妹・千代への手紙
松陰がすぐ下の妹、千代にあてて書いた手紙です。かなり長文の手紙ですが、手紙というよりも著述といった感じの強い文章でした。松陰の家庭教育、女子教育に対する考えを知る手がかりとなるものです。
本日をもって、『新釈・講孟余話 吉田松陰、かく語りき』を読了し、次回からは『決定版・菜根譚』(守屋洋著・PHP研究所)を読み進めることにします。乞う、ご期待!
次回の師道塾は、9月30日(土)鳥取市教育センターにて行います。
19:40
2017/08/26
| by 管理者
『新釈・講孟余話』第七章「人生を想う」第八節「若死にも長生きも、すべては天寿」、第九節「非常の時代には非常の生き方がある」、第十節「日々……、残された時間は減っていく」を読みました。
松陰はもともと、『大学』の序に書いてある〝修身・斉家・治国・平天下〟の順序を大切にしていましたが、国を想う心が日増しに強くなっていくにつれ、それらのことを同時に一斉に実行するという主張に変わっていきます。
そして、自分に続く志を持った〝狂者(魁・さきがけ)狷者(殿・しんがり)〟が現れ出んことを一途に願いながら、処刑の前日に書き上げた『留魂録』の冒頭に記した和歌「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」を吟じて散っていきます。
講孟余話そのものは、この第七章第十節で終わりです。第十節の余談の最後の部分を紹介し、締めくくりとします。
松陰の死の瞬間から、時代という名の巨大な歯車は、ゆっくりとうごきはじめ、しばらくするとその歯車は、日本全体をまきこみながら、恐ろしい速さで回りはじめます。そして、明治維新という、世界史的に見ても「奇跡 」というほかない大変革が成就するのですが、ことは、それだけでは終わりませんでした。
そのようにして成立した「近代日本」は、やがて欧米諸国による世界規模の植民地化に抵抗をはじめ、やがて世界は、二十世紀の「人種平等」の社会へと向かっていくのです。
萩の小さな村で生まれ、若くして処刑された一人の青年の志が、「世界の歴史」を正しい方向に変えていった……ということは、一つの確かな事実として、わが国がわが国であるかぎり、その歴史に、永遠にきざまれていくことでしょう。
付章「男子の教え・女子の教え」を読めば、『新釈・講孟余話』はついに読了となります。次回の師道塾は、9月16日(土)鳥取市教育センターにて行います。
19:02
2017/07/29
| by 管理者
『新釈・講孟余話』第七章「人生を想う」第四節〜第七節を読みました。各節のポイントは以下のようです。
第四節「〝理〟よりも〝情〟」(「滕文公」上・第五章)
松陰は、「凡百の事、皆情の至極を行へば、仁、持ちふるに勝ふべからず」といい、知性や理屈を学ぶこと以前に〝心のうるおい〟を取り戻しておく必要があると説きます。教科化を控えている道徳教育が正にその鍵を握っていると思います。〝情〟的安定の上に〝知〟があってこそ、落ち着きのある人間ができるのです。前回の〝右脳教育と左脳教育〟の話を思い出しました。
第五節「すべては瞳にあらわれる」(「離婁」上・第十六章)
「人の精神は目にあり 故に人を観るは目に於てす」正にその通りで、〝目は心の窓〟です。
第六節「ほめられようと、けなされようと…」(「離婁」上・第二十一章)
いく千人もいる〝幕末の志士〟の頂点に位置するのは、吉田松陰と西郷隆盛だといわれています。松陰は、下田踏海事件の翌年、「世の人はよしあしごともいはばいへ 賤が誠は神ぞ知るらん」という和歌を読んでいます。また、西郷隆盛は〝敬天〟という言葉をよく用いた人で、「人を相手にせず、天を相手にせよ 天を相手にして己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」という言葉を残しています(西郷南洲翁遺訓)。
第七節「依存は恥…、すべての者は自立せよ!」(「告子」上・第十七章)
『学問のすゝめ』で、福沢諭吉は日本の(日本人の)独立自尊を強く訴えていました。松陰と諭吉の思想的立場はかなり違うものの、その部分でみごとに一致しています。
吉田松陰はつくづく偉大な人だと思います。『新釈・講孟余話』は、第七章・第八節〜第十節と、付章「男子の教え・女子の教え」を残すのみとなりました。そして来週は、いよいよ道徳教育研究大会を迎えます。〝人の生き方に学ぶ〟季節です。
次回の師道塾は、8月26日(土)鳥取市教育センターにて行います。
17:11
2017/07/08
| by 管理者
今回も、『新釈・講孟余話』をお休みし、研究大会の実践発表の内容について意見交換しました。二宮尊徳を取り上げた低学年児童向けの教材がテーマです。関連して、二宮尊徳を教材とするいくつかの実践例や二宮尊徳の人物像、戦後間もないころの紙幣に二宮尊徳の肖像画が用いられた経緯など、二宮尊徳についての話題に花が咲きました。また、多くの教科が左脳教育であるのに対して、道徳は右脳教育であるべきだとの竹内先生の興味深いお話がありました。
次回の師道塾は、7月29日(土)鳥取市教育センターにて行います。
22:35
2017/06/24
| by 管理者
今回は、『新釈・講孟余話』を一回お休みし、研究大会の提言内容について意見交換しました。併せて、講孟余話の読了後に読む本について話し合い、『決定版・菜根譚』(守屋洋・PHP)に決まりました。
次回の師道塾は、7月8日(土)鳥取市教育センターにて行います。研究大会の実践発表の内容について、意見交換する予定です。いよいよ近づいてきたなという感じです。
17:45
2017/06/10
| by 管理者
『新釈・講孟余話』第七章「人生を想う」第一節〜第三節を読みました。各節のポイントは以下のようです。
第一節「神さまに媚びるな!」(「公孫丑」上・第四章)
孟子は「禍福、天より降るに非ず、神より出づるに非ず、己より求めざる者なし」と語っています。余談では剣豪・宮本武蔵の「仏神は尊し。仏神は頼まず」という言葉と、フィリピン・ルバング島から帰還した小野田寛郎さんが元日に神さまをお祀りし「〝一年間ありがとうございました〟と手を合わせた。〝今年もお助けください〟と祈ったことはなかった」という話が紹介されています。〝苦しい時の神頼み〟はよく聞きますが、〝人事を尽くして天命を待つ〟態度でないといけないということです。
第二節「疑って誤るより、信じて誤りたい」(「公孫丑」下・第九章)
松陰は「人を信ずる者は、その功を成すこと、往々人を疑ふ者に勝ることあり」といい、二人の弟を信じ重用して平家を滅ぼしたにもかかわらず、猜疑心により後々天下を北条氏に奪われてしまった源頼朝などを例に語ります。松陰が心底信用していた人物の一人として楫取素彦の名前が挙がり、NHKの大河ドラマ『花燃ゆ』を思い出しました。多くの若者がなし得た明治維新の偉業が偲ばれます。
第三節「あなたの心に、ほんとうの愛はあるか?」(「公孫丑」下・第十一章)
下心を他者に見抜かれるとすれば、それは「人、我を容れざるに非ず、我、人をして容れしめざるなり」なのであり、『論語(学而第一)』にある有名な「巧言令色、鮮し仁」そのままです。余談では〝ホンモノ〟と〝ニセモノ〟の見分け方として、「その人の言っていることと行っていることが、どれだけ一致しているか」「自分の利益に直接結びつかないことに対して、どれだけ無心に取り組んでいるか」という鍵山秀三郎さんの言葉が紹介されています。〝善行〟はよほど注意しないと〝偽善〟になりかねないということです。
今回は、宮本武蔵について「無敵には戦って勝ち抜く無敵と(中略)味方だらけの世界で繁栄する無敵があります」「若いときの宮本武蔵は無敵な人でなく、勝っている時は敵だらけでした。倒しても倒しても敵が現れ〝つばめ返しの小次郎〟を倒してやっと戦うことが虚しくなり、熊本にこもりました。そして人に愛されて初めて本当の無敵になったのです」(北川八郎『繁栄の法則・その二』(致知出版社)より引用)という話や、日露戦争の勝因の一つに、日清戦争で得た賠償金の半額を教育費にあてた当時の文部大臣・澤柳政太郎の尽力があったことなども話題になりました。
次回の師道塾は、6月24日(土)鳥取市教育センターにて行います。
21:25
2017/05/20
| by 管理者
『新釈・講孟余話』第六章「教育を語る」第七節〜第八節を読みました。各節のポイントは以下のようです。
第七節「去る者の善は忘れず、来る者の悪は忘れよ」(「尽心」下・第三十章)
松陰は自らの刑死に際し、世の中を動かせずに処刑されて死ぬのは自分の学問が浅かったせいであって、誰か他の人のせいではないと考えており、不思議と〝恨み・憎しみ・呪い・悔い〟といったネガティブな感情と無縁の人でした。そんな松陰だからこそ、新しい人との出会いや深い心の交流が可能となったのであり、多くの門人たちが彼の志を引き継いだのでしょう。「去る者の善は忘れず、来る者の悪は忘れよ」とは〝人の性は善である〟ことを信じてやまない強い心の持ち主であった松陰らしい態度です。
第八節「〝狂者〟を待ち望む心」(「尽心」下・第三十七〜三十八章)
松陰は「此の道(孔孟の正しい教え)を興すには、狂者(理想は高いが実行が伴わない人)に非ざれば興すこと能はず、此の道を守るには、狷者(悪いことだけは決して行わない人)に非ざれば守ること能はず」といい、世の狂狷を集めてしっかり教育し〝中庸の人〟に成長させることができれば、孔孟の正しい教えは興隆すると考えていました。ふと貞観政要の〝創業と守成いずれが難きや〟という言葉を思い出しました。
今回は、8月の鳥取県道徳教育研究大会の提言について再度、意見交換を行うとともに、公開授業や実践発表の準備状況について確認しました。各市町村の名誉市民(町民・市民)の教材化のことや、脳生理学(脳の可塑性)のことなども話題になりました。
次回の師道塾は、6月10日(土)鳥取市教育センターにて行います。
19:27
2017/05/13
| by 管理者
『新釈・講孟余話』第六章「教育を語る」第四節〜第六節を読みました。各節のポイントは以下のようです。
第四節「人格者の楽しみは、教育」(「尽心」上・第二十章)
〝孟子〟に「それ君子、何を以て英才を教育することを楽しむや。…君子の任とする処は、天下後世にあり」とあるように、松陰も松下村塾で門人の教育に打ち込み、後の明治の世の屋台骨をしっかりと支える人物を多く排出します。中には非業の最期を遂げた門人も多くいますが、その中の一人、久坂玄瑞との激しいやり取りのような魂のこもった言葉を師が門人に対して発することは、今の教育現場では難しくなっています。
第五節「〝ほんとうに学びたいのか〟と、みずからに問え」(「尽心」上・第三十七章)
「思ふことありて未だ達せず、為すことありて未だ成らず。是に於て、憤悱して学に志し、而して師を求む」ことが教育の理想ですが、子どもの〝求める気持ち〟を待たずに「教える」ことばかりに夢中になり、心を放さないで見守り「育てる」ことを忘れてしまっているのが今日の教育という現実があります。難関校とよばれる大学への進学率にみる、公立校と私学との意気込みの違いが話題になりました。
第六節「速く進む者は、速く退く」(「尽心」上・第四十四章)
若い頃には一時的な感情から急進的に事を進めていたのに、晩年には守旧的になってしまうような人がいることを、松陰は嘆きます。そのような例として松浦氏は「水戸学」を挙げ、水戸学を信奉していた松陰がやがて批判的になっていく様を解説しています。
今回は、8月4日(金)に行われる第28回鳥取県道徳教育研究大会の提言内容について、原案をもとに意見交換しました。
次回の師道塾は、5月20日(土)鳥取市教育センターにて行います。
20:17
2017/04/22
| by 管理者
『新釈・講孟余話』第六章「教育を語る」第一節〜第三節を読みました。
第一節「気軽に〝先生〟になるな!」(「滕文公」上・第四章)、第二節「先生と呼ばれたがる〝病気〟」(「離婁」上・第二十三章)においては、松陰の「妄りに人の師となるべからず。又、妄りに人を師とすべからず。」の意味するところについて意見を交換しました。私たちは、職業上「先生」と呼ばれているのですが、通称としての「先生」ではなく、本当の意味での先生と呼ばれるに足る存在なのか、常に自らを検証し続ける必要性を確認しました。
第三節「体罰で〝徳〟は育たない」(「離婁」下・第七章)では、「養」の意味として「涵育薫陶」の大切さを説いていますが、議論の中では加藤十八さんが紹介している「ゼロトレランス」(段階を踏んで確実に「処分」を重くしていく制度)、たとえば「停学」「退学」等の処分や「ノーイクスキュース」(言い訳なし)についての必要性に関して話が弾みました。
次回の師道塾は、5月13日(土)鳥取市教育センターにて行います。
20:53
2017/04/08
| by 管理者
『新釈・講孟余話』第五章「学問を究める」第五節〜第八節を読みました。各節のポイントは以下のようです。
第五節「本を読む上での微妙なコツ」(「万章」上・第四章)
本を読むときには、先入観を持たずに〝その本に込められた思いを、迎え入れようとして読む〟ことが大切です。かといって、本を信じすぎるのもいけません。
第六節「知ることと行うこと」(「万章」下・首章)
〝知ること〟と〝行うこと〟は、別物に見えて、実は一つのことなのです。こういうと、陽明学の「知行合一」を連想しますが、松陰の学問に対する是々非々の姿勢は、孔子や孟子、そして王陽明に対しても一貫していました。
第七節「真の学問は、〝人らしい人〟になるためのもの」(「告子」下・第二章)
それは、〝どれだけ私心を除くことができるか〟にかかっているといいます。そのような謙虚な姿勢で学問することによって、心を集中させ高度な技術を習得することができるのです。
第八節「なぜ時間をムダにするのか」(「尽心」上・首章)
長生きを前提として、何でも先延ばしにするのは間違っています。予測しがたい不幸・災難・病気・難儀などは、いつ襲ってくるかわからないからです。〝少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んず可からず〟という朱子の言葉を思い出します。
第五章は「学問を究める」というテーマでしたが、いずれも、誰もが一度ならずとも聞いたことがあるであろうと思われるものばかりです。第六章のテーマは「教育を語る」です。とても楽しみです。
次回の師道塾は、4月22日(土)鳥取市教育センターにて行います。
21:38
2017/03/25
| by 管理者
『新釈・講孟余話』第四章「政治を正す」第七節・第八節、第五章「学問を究める」第一節〜第四節を読みました。各節のポイントは以下のようです。
第四章第七節「〝罪〟と〝恥〟は、どちらが重いか?」(「万章」下・第五章)
「罪は身にあり、恥は心にあり。身にあるの罪は軽く、心にあるの恥は重し」で、例えば困っている人を見ていながら〝見て見ぬふり〟は、罪にはなりませんが恥にはなります。日本人の恥を知るという感性は〝オテントウサマが見ているよ〟という言葉に象徴されており、日本人なら〝恥知らず〟と言われることほど、恥ずかしいことはありません。
第八節「地位を得ると〝別人〟になる人」(「告子」上・第十六章)
人の中には、地位を得るために修養を積むけれども、ひとたび地位を得ると修養を怠るようになる人がいる。その真逆の〝地位が人をつくる〟でなければならないということです。
第五章第一節「かぎりなく大きく、かぎりなく強いもの」(「公孫丑」上・第二章)
松陰は、孟子が〝浩然の気〟について語っている「至大、至剛、直を以て養ひて害することなければ、すなわち天地の間に塞がる」という一文を最も細かく読まなければならないと説きます。そして「志を持ち続ける」ことが大切なのであり、途中で投げ出すことや〝したりしなったりする〟ことが一番いけないといいます。松陰は三十二年もの歳月をかけて『古事記伝』を完成させた本居宣長に深い敬意を抱いており、大いに影響を受けたようです。
第二節「西洋の技術は、日本でこそ生きる」(「滕文公」上・第四章)
科学は科学として尊重しつつ、古典から〝正しい生き方〟を学ぶというのが、昔ながらの日本人の学びの姿勢でした。
第三節「すべては〝初一念〟が決める」(「滕文公」下・第九章)
人にとっては〝はじめの一念〟が大切で、その後の人生にどこまでもついてまわります。中国古典に「涓々を塞がざれば遂に江河となる。両葉を断たざれば斧柯を用ひんとす」とあるのは、はじめの一念の間違いを早く正しておかないと、のちのち厄介なことになるということを言っています。
第四節「〝要点〟をとらえられないなら、読書の意味はない」(「離婁」下・第十五章)
日常生活で現実に起きる無数の事態に正しく対応するために、学問や読書をする上で「広く学ぶ」ことと「要点を捉える」ことは、車の両輪のように大切なことです。
次回の師道塾は、4月8日(土)鳥取市教育センターにて行います。
新年度もどうぞよろしくお願いします。
18:45
2017/03/11
| by 管理者
『新釈・講孟余話』第四章「政治を正す」第四節「クラクラするほどの薬でなければ……」、第五節「自分をバカにする者は滅ぶ」、第六節「愚かな主君にこそ、忠義を尽くせ!」を読みました。
第四節で、松陰は「滕文公」上・首章について語っています。孟子が滕という国の世継ぎである文公に向かって、シナ古代の伝説上の聖王である堯や舜を師として政治に励むように言ったことを、私たちが自分自身の問題として真剣に考えることができるならば、孟子の言葉は私たちの〝良薬〟になると言っています。余談で、松浦氏は、頭がクラクラするほど高い理想を掲げることと、身近で小さなことを実践することは一体であることを、〝掃除道〟で有名な鍵山秀三郎氏から学んだといいます。それは、氏が外国のある大学で講演した際、ある学生が「掃除のような小さなことにこだわっていては、大きなことができないのではないでしょうか」と質問したのに対し、「私は日本をゴミひとつない国にしたいと思っています。これを小さなことだと思いますか?」と切り返したエピソードを紹介しています。とてもわかりやすい話です。
第五節は、「離婁」上・第八章についての解説です。孟子は〝性善説〟で有名ですが、そもそも人はその本質を天からさずかっていて、それはもともとよいものであるため、全ての人の心には〝徳〟が備わっている。それほど大切な自分を粗末にしてよいはずがないといいます。余談で、松浦氏は、大人の自己肯定感のなさが負の連鎖を生んでいる。それを何としても断ち切らないといけないと述べます。学校に当てはめて考えるならば、先生の自己肯定感が子どもたちの自己肯定感を育てるということができそうです。心が震えました。
第六節は、「離婁」下・第十三章についての解説です。主君に勢いがある時は、どのような家臣であろうと忠義を励むものだが、勢いが失われてしまった後も忠義を励んでこそ本物の忠義だといいます。
今日は卒業式で歌われる歌のことが話題になりました。鳥取県では「旅立ちの日に」がよく歌われているようですが、全国的には「仰げば尊し」がポピュラーなようです。
次回の師道塾は、3月25日(土)鳥取市教育センターにて行います。
18:02
2017/02/18
| by 管理者
『新釈・講孟余話』第四章「政治を正す」第二節「天下の問題を〝世間話〟にする大バカ者」、第三節「今のシナには王道にもとづく政治などない」を読みました。
第二節で、松陰は「梁惠王」上・第六章について語っています。孟子が仕えていた梁の襄王が「天下悪(いずく)にか定まらん」と自国の困難を他人事のように孟子に質問したことの愚かさを取り上げ、人柄は言葉の端々ににじみ出てくるものであり、誠の心から出た正しい言葉を使うように心がけることこそ、立派な人物になるための大切な学びだと言っています。
第三節では、「梁惠王」下・第五章について語っています。幕末と同時代の清朝末期の国情を西洋人の書物を引用しながら紹介し、「漢土、聖人の典籍、具に存すと雖も、王政、既に地を掃う」と嘆いています。
今回は、日本と中国社会の比較や二国間関係のこと、外国勢力の介入を排除し奇跡的に成し遂げられた明治維新のこと、そして県民生活に大きな支障を与えたこの度の大雪のことなどが話題になりました。
次回の師道塾は、3月11日(土)鳥取市教育センターにて行います。
21:21
2017/02/04
| by 管理者
『新釈・講孟余話』第三章「日本を守る」第六節「東西南北……神州は一つ」と第七節「〝時代のせい〟〝運命のせい〟にするな」、そして、第四章「政治を正す」第一節「目先の〝利〟に飛びつくな!」を読みました。
我々は、日本の国の他の地域で起こっていることは、ややもすると他人事のように捉えてしまいがちですが、松陰は、迫りくる外国の脅威に対処するには、日本のすべての地域の人々が一枚岩にならなければならないと強く考えるようになっていました。また、為政者たるもの、身に降りかかる災難を〝天命〟だとか〝時代の流れ〟だとか言い訳にするのではなく、重責を自覚し職務を全うしなければならないといいます。
そして、『三国志』で有名な諸葛孔明の次の言葉を紹介しています。すなわち、「鞠躬尽力(きっきゅうじんりょく)、死して後に已む。成敗利鈍に至りては、則ち臣の明のよく逆睹(げきと)する所に非ざるなり」(私は、身を慎みながら、全力を尽くすだけです。私の行いは、私が死んだあと、はじめて終わりになります。たとえその結果が、成功であろうと、うまくいこうといくまいと、そのようなことは、天がお決めになること。私が、あらかじめ、どうこう予想できることではありません。)
松浦氏は、〝大坂夏の陣〟以来戦さがなく、太平が長くつづいた江戸時代末期に、武士道の心が呼び覚まされた背景に教育があるといいます。教育によって日本人の心が継承されていけば、どのような国難も乗り越えることができるに違いありません。
次回の師道塾は、2月18日(土)鳥取市教育センターにて行います。
20:55
2017/01/28
| by 管理者
『新釈・講孟余話』第三章「日本を守る」第一節から第五節までを読みました。
各節のタイトルは、以下のとおりです。
第一節「敵の〝弱〟を頼まず、己の〝強〟を頼め」
第二節「すべては、〝人々の心を正す〟ことから……」
第三節「なぜ国の危機を〝見て見ぬふり〟なのか」
第四節「一人より百人、百人より万人へ」
第五節「国富と強兵、そして王道に基づく政治」
一般的に攘夷とは、夷狄を武力で打ち払うことと考えられがちですが、松陰の考えていた攘夷は、邪な考え方で我が国に迫りくる諸外国の不当な要求を断固排除することだったのです。我が国を取り巻く情勢は、幕末の当時も今も変わりないなという印象を持ちました。
松浦氏の余談に「いつの世にも、悪い人はいます。そして、いつの世にも、その悪事を止めようとする正しい人もいます。しかし、ほとんどの人は、そのどちらでもありません。ほとんどの人は、傍観者です。しかし、その傍観者にも、およそ三種類あります。上等は正しい人を心のなかでは応援しているけれど、自分は何も言ったり行ったりはしない人です。中等は、目の前で悪事が行われていても、自分に関係がなければ気にならない人です。下等は、悪事と戦っている正しい人の悪口を言いふらして、結果的に悪事に加担する人です。」とあります。〝いじめの構造〟とそっくりです。
松陰の関心は、人々の心が美しいかどうか、正しいかどうかの一点にありました。そして、正しい心をもつ人の輪を広げ、子々孫々に語り継いでいけば、いざという時に大きな力を発揮すると信じていました。そして、尊皇攘夷を実現するためには〝草莽崛起〟しかないと考え始めます。高杉晋作の奇兵隊が成功を収めたのは、正しい心をもった多くの民を味方につけたからなのでした。
松陰は、「現実的な効果や利益だけを重視する」人々と「王道に基づく政治を説く」人々の双方を批判しています。彼は「古今兵を論ずる者、皆利を本とし、仁義如何を顧みず。今時に至り、其の弊害極まれり、其の実は仁義程利なる物はなく、又利程不仁・不義にして不利なる者はなし。」(告子下・第四章)と考えていました。
次回の師道塾は、2月4日(土)鳥取市教育センターにて行います。
17:00
2017/01/14
| by 管理者
『新釈・講孟余話』第二章「国体を知る」第四節「〝同(普遍的なもの)〟と〝独(個別的なもの)〟」を読みました。
人類普遍の正しい生き方(同)と、国によって異なる〝国体〟(独)について述べています。今回の内容について、松陰は長州藩の藩校・明倫館の元学頭・山縣太華に批評を求めていますが、かなり激しいやり取りがあったようです。儒教的な合理主義者で幕藩体制を絶対視していた太華には、国体を大切にすることや攘夷論は荒唐無稽なものとしか見えなかったのでした。いつの時代も、合理主義からは現状肯定や体制順応という結論に落ち着き、危機の時代を突破するための爆発的な力を生むことはないのです。
今回は降雪や体調の影響か、いつもより参加者が少なく〝余談〟に花が咲きました。西洋人と東洋人のものの見方の違いに関し、西洋人が〝木〟を見るのに対し東洋人が〝森〟を見るといったあたり、臓器医学と漢方医学の違いに通じるものがあることや、脳生理学からみた男女の本質的な違い、例えば地理的な位置関係の捉え方(目的地を地図から判断するか街並みの相対的な位置関係から判断するか)に違いがあること、さらには国体は国によって異なるが、神話を生むことは人類普遍であることから、歴史の起源の話になり、広隆寺の弥勒菩薩を絶賛したドイツの哲学者・ヤスパースのことなどに話題が及びました。
次回の師道塾は、1月28日(土)鳥取市教育センターにて行います。
20:43
2016/12/17
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『新釈・講孟余話』第二章「国体を知る」第一節「〝国体(国の本質)〟が異なる日本と外国」、第二節「将軍とは、天皇から命じられる〝職務〟」、第三節「日本の天下は、ご一人の天下である」を読みました。巻末にある原文は前回まで割愛していましたが、今回から読んでみることにしました。超訳と余談を読んだ後のことですから、文語調で書かれているにも関わらず、とてもわかり易く読み味わうことができます。
今回のテーマは日本の〝国体〟で、講孟余話で最もよく引用される部分です。中国の諸王朝における皇帝は〝天〟から遣わされるもので、〝易姓革命〟の根拠になっています。日本史における征夷大将軍に近い存在です。日本ではその天の働きを果たしているのが天皇である、という点が大きく異なります。明治維新において、幕府と薩長の双方が〝勅命〟を下してもらうのに懸命だったことや、昭和天皇の御聖断により終戦を迎えたことを考えると、天皇の存在が日本人にとっていかに大きなものであるかがわかります。その国体護持の観点から、皇位継承にも話題が及んでいます。また、永世中立国スイスは国民皆兵で、各家庭に自動小銃が備えられていることにふれ、我々戦後の日本人からすると一見過激とも思える松陰の攘夷思想は、〝不当な侵略者に対しては、断固、国民をあげて戦う〟という世界の常識に過ぎないとも言っています。
今回はその他、竹内先生より、道徳教育における三つの倫理のお話がありました。従来から、朱子学的な〝原則の倫理〟と、陽明学的な〝実践の倫理〟は語られるが、その中間に個々の人間の置かれた〝状況の倫理〟に目を向けなければならないというものです。同じ資料でも受け取り方は児童生徒によって微妙に異なるであろう、それゆえ人物資料を用いる場合でも様々なタイプの人物を取り上げることが必要であろう、ということです。とても参考になりました。
次回の師道塾は、1月14日(土)鳥取市教育センターにて行います。
19:56
2016/12/03
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『新釈・講孟余話』第一章「逆境で学ぶ」第二節「なぜ人は、学ばなければならいないのか」、第三節「志士は、自分の死体が溝に捨てられても、かまわない」、第四節「私が元同囚の釈放に、力を尽くした理由」を読みました。
獄中生活という、明日への希望が容易に持てない逆境にありながら、松陰が学問に打ち込んだ理由は、「正しい生き方」を知りたいとの一途な思いからでした。獄舎に入れられたまま人生を終えてしまうかもしれないからこそ、余計に「節操」を守ることを心がけたのでした。『論語・里仁第四』にある〝朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり〟の心境だったのです。こうして、松陰は学問に励み自らを磨くと同時に、同囚の人々を感化させていきます。のみならず、その思いは、不当に長い間獄舎に入れられている同囚の釈放運動へと向かいます。獄中にある松陰にとっての正しい生き方の一つが、獄のさまざまな問題を解決することだったのです。松陰にとって、危機に直面した祖国を救うことと、目の前の隣人である元同囚を救うことは同じことでした。
松陰の心の根底にあった「義・志・愛」によって、世のため人のためなら自分の身を犠牲にすることさえ厭わないという勇気が生まれ、やがて松陰を激しい政治行動へと駆り立てていきます。著者・松浦氏の〝逆境の時代を、利益にもとづく考え方だけで乗り越えることはできません。そのような時代こそ、私たちには愛と正義にもとづく考え方が大切になってくるのです〟という一言が心に響きます。
今回はその他、広島県立安西高等学校元校長・山廣康子先生の荒れた学校立て直しのことや、警察学校での初任科教養のことが話題になりました。
次回の師道塾は、12月17日(土)鳥取市教育センターにて行います。
17:20
2016/11/19
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今回より、『新釈・講孟余話 吉田松陰、かく語りき』(吉田松陰著・松浦光修編訳、PHP研究所)を読み始めました。『講孟余話』は、最初『講孟箚記』と名付けられましたが、その後、吉田松陰自身により改題されたものです。松陰が、はじめは野山獄で、ついで出獄後の自宅謹慎中に父・杉百合之助と兄・杉梅太郎相手に『孟子』について講義したものを、後に講義録としてまとめたものです。本書の帯には〝孟子に学び、孟子に阿らず 松陰の思想に学ぶ日本人の生き方とは?〟とあります。本書は膨大な『講孟余話』の、ごく一部分の現代語訳(超訳)に、松浦氏なりの解釈を「余談」として加えたもので、いわば、松浦氏による〝講孟余話の余話〟ともいうべきものです。巻末には『講孟余話』引用部分の原文が掲載されています。本書により松陰の思想のおおよそのところを学ぶことができるということです。
今回は、はじめに「今日の読書こそ、真の学問」、第一章「逆境で学ぶ」第一節「なぜ私は、この本を書いたのか」を読みました。なお、本書の章立てはもともと原文にあったものではなく、編訳者の松浦氏によるものです。ここで松浦氏は、厳しい時代に生きる今の日本人に贈る『孟子』の言葉として、〝天の、将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先づ其の心志を苦しめ、其の筋骨を労せしめ、其の体膚を餓せしめ、其の身行を空乏せしめ、其の為さんとする所を払乱せしむ(告子下・第十五章)〟を紹介しています。
次回の師道塾は、12月3日(土)鳥取市教育センターにて行います。
20:44
2016/11/05
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『学問のすゝめ』十六編、十七編を読み終えました。
十六編は、まず「手近く独立を守る事」と題して、〝独立に二様の別あり、一は有形なり、一は無形なり〟とし、さらに続けて〝品物につきての独立と、精神につきての独立〟二様があるといいます。この編で最も心に残ったのは、後半の「心事と働きと相当すべきの論」にある〝他人の働きに喙(くちばし)を入れんと欲せば、試みに身をその働きの地位に置きて躬(み)自ら顧みざるべからず〟という言葉です。分かりやすくいうなら、「批判するなら、その前に自ら行ってみよ」「相手を知らずして、批判するな」ということでしょうか。
十七編は「人望論」について述べています。人望を得る人物とは、〝人に当てにせらるる人〟と分かりやすく説明した上で、人望とは〝ただその人の活なる才智の働きと正直なる本心の徳義とをもって次第に積んで得べきものなり〟と説いています。一朝一夕に獲得できるものではないのです。その上で、人として大切なこととして次の三点を挙げています。
第一 言語を学ばざるべからず
第二 顔色容貌を快くして、一見、直ちに人に厭わるること無きを要す
第三 人にして人を毛嫌いするなかれ
あまりにも有名な〝天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云えり〟で始まる『学問のすゝめ』は、この〝人にして人を毛嫌いするなかれ〟という言葉で締めくくられています。
本日をもって、『学問のすすめ』全編を読み終えました。次回からは、『新釈 講孟余話 吉田松陰、かく語りき』(吉田松陰著 松浦光修編訳 PHP)を読み進めます。たくさんのご参加をお待ちしています。
次回の師道塾は、11月19日(土)鳥取市教育センターにて行います。
22:18
2016/10/22
| by 管理者
今回をもって『学問のすゝめ』を読了する予定でしたが、昨日の地震の影響で参加者が少なかったため、今回は十五編「事物を疑って取捨を断ずること」のみを読むことにしました。被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。
十五編は、〝信の世界に偽詐多く、疑の世界に真理多し〟という書き出しで始まります。そして、西洋文明の進歩は既存の価値観に対する疑問から発生したことを説くと同時に、西洋文明そのものすら盲信することを戒め、新しい事物を導入する際には慎重な検討と取捨選択が必須であり、そのためにも学問が欠かせないことを強調しています。
本編でもこれまでと同様、諭吉は彼我の風俗諸相や宗教を引き合いに論を展開しますが、日本の後進性を強調するあまり、やや的はずれなところもあるようです。
今回はその他、哲学の歴史、東洋と西洋の価値観の比較(本編で取り上げられた宗教の他、医学など)、日本人の宗教的寛容さ(二宮尊徳の〝神儒仏正味一粒丸〟の喩え)などに話が及び、日本人のしなやかさを再認識しました。
次回の師道塾は、11月5日(土)鳥取市教育センターにて行います。
18:09
2016/10/08
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『学問のすゝめ』十三編「怨望の人間に害あるを論ず」と、十四編「心事の棚卸/世話の字の義」を読みました。
十三編は、人間の不道徳の最大のものは怨恨であると断じ、怨恨の生じる原因が自由な発言や行動の制限にあるとして、それらが妨げられてはならないと語ります。
十四編は、前段で何の見通しもないまま物事に取り組む日本人がいかに多いかを指摘し、自己の状況の客観的なモニタリングと定期的な総括によって長期ビジョンをもつことを助言します。後段では、他者への保護と監督は表裏の関係にあり、いずれかが欠けた過保護・過干渉の状態では弊害があり、両者のバランスが大切であると説きます。
このように、諭吉は『学問のすゝめ』を通して、個人の独立を妨げる日本社会の諸相に次々と切り込んでいったのでした。
なお、『学問のすゝめ』は、次回読了となる予定です。
今回はその他、『学問のすゝめ』が広く読まれた背景に当時の世界最高水準の識字率があったことや、アメリカ大統領選挙のこと、老化防止に読書が有効なこと、竹内先生流〝記憶に残る本の読み方〟などが話題になりました。
次回の師道塾は、10月22日(土)鳥取市教育センターにて行います。
21:19
2016/09/24
| by 管理者
『学問のすゝめ』十一編「名分をもって偽君子を生ずるの論」と十二編「演説の法を勧むるの説/人の品行は高尚ならざるべからざるの論」を読みました。
十一編は、八編「我心をもって他人の身を制すべからず」の続編というべき内容となっています。指導的立場にある者が保護されるべき者を、悪気はないにもせよ「由らしむべし知らしむべからず」的に過保護な状態に置く儒教的秩序の不合理を論証し弊害を述べます。諭吉は儒教嫌いなのでした。
十二編は、前半では、語ることによって自分の考えは味わいを伴って相手に伝わるとして、思想を言葉で語るという、それまでの日本では見られなかった弁論術の概念を提唱します。後半では、自分より優れた相手を比較の基準に置いて、向上心を常に持ち続けることの必要性を説いています。
今回はその他、戦後の政治のあり方や天皇制の意義、吉田松陰の生き方、西郷隆盛の偉大さなどなど、いろいろなことがらに話が及び、会話が弾みました。また、『学問のすゝめ』はあと二回で読み終えようと確認しました。
次回の師道塾は、10月8日(土)鳥取市教育センターにて行います。
21:08
2016/09/17
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『学問のすゝめ』九編「学問の旨を二様に記して中津の旧友に贈る文」、十編「前編の続、中津の旧友に贈る」を読みました。ひと続きの比較的短くまとめられた文章でした。
九編は、〝人の心身の働きを細かに見れば、これを分ちて二様に区別すべし。第一は一人たる身についての働きなり。第二は人間交際の仲間に居りその交際の身についての働きなり〟という書き出しで始まります。そして、生活の独立という個人的な目的を達成するだけでは〝穴を掘って居処を作り、冬日の用意に食料を貯うる〟蟻の所業と何ら変わらないといい、各自が仕事を通して社会の進歩に貢献するという社会的な目的を追求することが、人間の義務であると説きます。実際、太古から現代に至るまで、人間がそのように努めてきたからこそ、文明が進歩したのです。
十編では、西欧文明に一気に追いつくためには、御雇外国人や外国の利器の導入は一時的には必要であるけれども、いつかはそういう状態を脱しないといけないと国民にハッパをかけます。
昨年あたり、ここ鳥取市教育センターにWiFi環境が導入されました。最近では、ちょっと調べたいことがあるときに、インターネット上の情報をパソコンで検索し、備え付けの大型モニターに写し出して皆で見ながら学んでいます。すごく便利です。
今回、『学問のすゝめ』を読み終えたあとのテキストを何にするかを話し合いました。その結果、吉田松陰の『講孟余話』に決まりました。
次回の師道塾は、9月24日(土)鳥取市教育センターにて行います。
21:21
2016/08/21
| by 管理者
『学問のすゝめ』八編「我心をもって他人の身を制すべからず」を読みました。
八編は、〝アメリカのウェイランドなる人の著したる「モラルサイヤンス」という書に、人の身心の自由を論じたることあり〟という書き出しで始まります。そして、人間であれば誰でも以下の五つの性質を持っているといいます。すなわち、
第一 身体 身体はもって外物に接し、その物を取りて我求むるところを達すべし
第二 智恵 智恵はもって物の道理を発明し、事を成すの目途を誤ることなし
第三 情欲 情欲はもって心身の働きを起し、この情欲を満足して一身の幸福を成すべし
第四 至誠の本心 誠の心はもって情欲を制し、その方向を正しくして止まる所を定むべし
第五 意思 意思はもって事をなすの志を立つべし
これらを他者と相互に妨げない限りにおいて自由自在に取り扱うことで、人は我が身の独立を保つことができるといい、国家・世間・家庭内を問わず、これまでの身分制から生じた抑圧的な生活から解放されなければならないと訴えます。封建制度には〝我心をもって他人の身を制す〟部分が大いにあり、日本人に浸透しているこの体質は明治の世になってもいたるところに見られると嘆きます。
今回久々に、メンバーの一人より中学生向けの人物資料が提供され、会話に花が咲きました。資料検討は刺激になります。
次回の師道塾は、9月17日(土)鳥取市教育センターにて行います。
14:12
2016/08/06
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『学問のすゝめ』七編「国民の職分を論ず」を読みました。
七編は、〝第六編に国法の貴きを論じ、国民たる者は一人にて二人前の役目を勤むるものなりと言えり。今またこの役目職分の事につき、なおその詳らかなるを説きて六編の補遺となすこと左の如し〟という書き出しで始まり、六編の内容をさらに深める形になっています。ここでも巧みな例えを用いながら、国民と政府との関係を説きます。特徴的なところでは、暴政に歯止めが効かなくなった場合に、国民の取りうる行動に三通りあるといいます。それは、
一、節を屈して政府に従う 二、力を持って政府に敵対する 三、正理を守りて身を棄つる
の三つですが、諭吉は、〝以上三策の内、この第三策をもって上策の上とすべし〟といい、言論によって静かに粘り強く、国民の声を政治に届けることの大切さを訴えます。
文章中、〝かくの如く世を患いて身を苦しめ或いは命を落とすものを、西洋の語にて「マルチルドム」と言う〟という部分があります。一同「マルチルドム」の意味がわからず、インターネットで調べると、〝殉教、殉難…〟とありました。オランダ語を修めていた諭吉は、必要に迫られ英語を独習しますが、耳で聞いたままをカタカナ表記するあたり、かなり我流だったようです。
今回は、文章を文語体で書くことが話題になりました。師道塾に集うメンバーはみな鳥取県人、当然のことながら鳥取弁で会話をします。ところが、いざ文章を書くとなると、鳥取弁にはならないものです。知らず知らずのうちに、話す言葉と書く言葉を使い分けています。たぶん、文語体で文章を書いていた当時の人達にとっては、ペンを取れば自然に文語体になるのであり、私達のように口語体で文章を書く術は知らなかったでしょう。また、仮に口語体で書かれた文章が存在していたとしたら、私達が文語体の文章を読むときのように、ぎこちない読み方になっていたのではないかと思われます。全く同様の鳥取弁で会話をしていたとしても…。実際のところはどうだったのでしょうか。当時を知る人にお会いして、話を聞いてみたいと思いました。
次回の師道塾は、8月20日(土)鳥取市教育センターにて行います。
20:44
2016/07/30
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『学問のすゝめ』六編「国法の貴きを論ず」を読みました。
六編は、〝政府は国民の名代にて、国民の思うところに従い事をなすものなり。その職分は罪ある者を取押えて罪なき者を保護するより外ならず〟という書き出しで始まります。そして、国民が政府に従うことは、自ら作った法に従うことであり、その法を破って刑罰を被ることは、自ら作った法によって罰せられることであると述べ、〝我日本にては政府の威権盛んなるに似たれども、人民ただ政府の貴きを恐れてその法の貴きを知らざる者あり。今ここに私裁の宜しからざる由縁と国法の貴き由縁とを記すこと左の如し〟として、赤穂浪士の仇討ち他いくつかの身近な例を用いながら、法による支配の貴さを説きます。
これなども、現在では当たり前になっている考え方であり、当時の政府役人にとっても、西欧の文明諸国に引けを取らない国家建設のための重要なテーマだったろうと思うのですが、広く国民を啓発した点において『学問のすゝめ』の果たした役割は大きいのです。
その他今回は、若かりし竹内先生の某教科書出版社に勤務していた頃や高校の数学教師だった頃の数々の武勇伝もお聞きしました。預かった以上はどの生徒もしっかりと伸ばしてやるんだという姿勢は、『学問のすゝめ』に相通ずる部分があるなと思えたことでした。
次回の師道塾は、8月6日(土)鳥取市教育センターにて行います。
20:26
2016/06/11
| by 管理者
『学問のすゝめ』五編「明治七年一月一日の詞」を読みました。四編と五編は、諭吉本人が〝学者を相手にして論を立てしものなるゆえ〟〝解し難きの恐れなきに非ず〟と言っているように、やや堅苦しい文体になっています。
四編の巻末に、官から民へ人が流出すれば、相対的に政府が弱体化するのではという批判への反証が附録としてまとめられています。そこで諭吉は〝私立の人も在官の人も等しく日本人なり。ただ地位を異にして事をなすのみ。その実は相助けて共に全国の便利を謀るものなれば、敵に非ず真の益友なり〟と明快に述べています。
四編、五編を通して、〝国の文明は形をもって評すべからず。(中略)ここにまた無形の一物あり、(中略)蓋しその物とは何ぞや。云く、人民独立の気力、即ちこれなり〟と国民の自覚を促しています。そして国の文明は中産階級の工夫発明により起こるのであり、〝この間に当り政府の義務は、ただその事を妨げずして適宜に行われしめ、人心の向かうところを察してこれを保護するのみ〟と、今日では当たり前になっている民間活力導入を力説します。まさに先見の明ありです。
次の師道塾は、7月30日(土)鳥取市教育センターにて行います。
20:32
2016/06/04
| by 管理者
『学問のすゝめ』三編「国は同等なる事/一身独立して一国独立する事」と、四編「学者の職分を論ず」を読みました。
日本人の独立心の乏しさを示すために、戦国時代の〝桶狭間の戦い〟と19世紀ヨーロッパの〝普仏戦争〟を比較してみせます。今川義元の死とともに総崩れとなった駿河の軍勢に対して、ナポレオン三世がプロイセンの囚われの身になったにもかかわらず望みを失わずに奮戦したフランス軍を比較しながら、人民の独立心の有無と国家の関係を論じています。
そして「国の独立を保たんとするには、内に政府の力あり、外に人民の力あり、内外相応じてその力を平均せざるべからず」でなければならないのに、明治維新後の日本は「政府の外形は大いに改まりたれども、その専制抑圧の気風は今なお存せり」と、日本人の相も変わらぬお上への依存心の強さを嘆いています。
諭吉もひとかどの人物でしたから、当然政府役人への誘いもあったようですが、以上のような理由から、彼はあくまでも〝官〟ではなく〝民〟の立場から日本国民を鼓舞し続ける道を貫き通したのでした。
次回の師道塾は、6月11日(土)鳥取市教育センターにて行います。
21:48
2016/05/21
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『学問のすゝめ』二編を読みました。
二編は、〝初編の首(はじ)めに、人は万人皆同じ位にて生まれながら上下の別なく自由自在云々とあり。今この義を拡(おしひろ)めて言わん〟という書き出しで始まり、〝但しその同等とは有様の等しきを言うに非ず、権利通義の等しきを言うなり〟〝天の人を生ずるや、これに体と心との働きを与えて、人々をしてこの通義を遂げしむるの仕掛を設けたるものなれば、何らの事あるも人力を持ってこれを害すべからず〟と続きます。
下級武士階級の出身であった諭吉は、門地の違いにより学問への道が閉ざされることや職業が制限されることに強い憤りを持っていました。そのことが、学問のすゝめを著した強い契機となっています。ただ、不満を学問への志に転化することが大切であると言っているのであり、今回の二編を、〝人民もし暴政を避けんと欲せば、速やかに学問に志し自ら才徳を高くして、政府と相対し同位同等の地位に登らざるべからず。これ即ち余輩の勧むる学問の趣意なり〟と締めくくっています。
学問のすゝめは、国民の160人に1人が読んだと伝えられています。〝切捨御免の法〟など、全体的に江戸社会の不条理をやや大げさに表現された感がありますが(実際には武士が刀を抜く事など滅多になく斬りつければ処罰された)、勧善懲悪の時代劇の趣があり、多くの人々に親しまれたのだと思います。
次回の師道塾は、6月4日(土)鳥取市教育センターにて行います。
21:40
2016/05/14
| by 管理者
翁問答を読み終え、今回から福澤諭吉の『学問のすゝめ』を読み始めました。
あまりにも有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」という書き出しのすぐ後には、「学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なるものは貧人となり下人となるなり」と続きます。三度にわたる洋行により開明的な西欧文明を目の当たりにした諭吉は、〝実用の学〟を身につけることが急務であると訴えます。生まれながらにして平等である人間が努めて学問することによって、民度が上がり政府が一流になり、諸外国に伍していくことができるのだと言っているのです。
今回は、初編を読み終えました。文語体で書かれていますが、翁問答を読み終えた直後だからでしょうか、かなり読みやすい印象を受けます。
学問のすゝめは、十七編からなります。順を追って発刊されたものを後に合本としたものです。興味深いことに、聖徳太子の憲法十七条、禁中並公家諸法度(十七条)、貞永式目(五十一条・17×3=51)、佐藤一斎の重職心得箇条(十七箇条)、新渡戸稲造の武士道(十七章)、そして学問のすゝめ(十七編)と、いずれも17という数字でまとめられています。これは〝陰陽思想〟(陽数〈奇数〉の極9+陰数〈偶数〉の極8=17)に関係がありそうだと、竹内先生に教えていただきました。
次回の師道塾は、5月21日(土)午後2時より、鳥取市教育センターにて行います。
17:00
2016/04/30
| by 管理者
『翁問答』もあと少しになりました。今回は、『翁問答下 丙戌冬』と『翁問答下 丁亥春』を読みました。
藤樹は、「溫恭自虛の四字を以て初學心法の第一義とす」とし、「本來易經一部をおしひろめたる十三經なれば、易經をよく學びたるがよし。然ども易經は簡奥玄妙にして尋常の人の取入なりがたければ、孝經、大學、中庸をよき先覺にしたがひて學び」「其力と隙にしたがひて語孟(論語と孟子)を學ぶべし」「聖經賢傳をきくに明德を明らかにする三益あり。觸發一つなり。栽培二つ也。印証三つ也」と、学問する際の心がけと順序を具体的に説いています。
『翁問答』は残すところ、『翁問答上 丁亥冬』(2ページ程度)のみとなりました。一気に読めそうです。
次の師道塾は、5月14日(土)午後2時より、鳥取市教育センターにて行います。
そして、いよいよ福澤諭吉の『学問のすゝめ』(ワイド版・岩波文庫)の輪読が始まります。これを機会に師道塾で一緒に学びませんか。多くの皆様のご参加を心よりお待ちしています。
11:43
2016/04/09
| by 管理者
今回は、『翁問答』「下巻之末」を読み終え「翁問答改正篇」に入りました。
下巻之末の終末には〝全孝の心法をいかに受容すべきか〟について書かれています。藤樹の答えは、「孝経」の中の有名な言葉で教育勅語にもある〝身体髪膚、之を父母に受く、敢えて致傷せざるは孝の始なり〟です。この道を踏み行えば誰でも聖人の域に達することができると説いています。
翁問答改正篇は藤樹晩年の著述です。藤樹自身、実は『翁問答』を〝若気の至り〟と考えていて、意に反して世に出てしまったことを悔いていたようです。陽明学と出会ってから、それまで疑問に感じていたことが氷解し、翁問答を書き直そうと決心したのですが、残念ながら志半ば41歳で世を去ります。
現在読んでいるのは、『世界教育宝典・日本教育編 中江藤樹・熊澤蕃山集』(玉川大学版)です。めったに手に入らない本で、竹内先生よりコピーをいただいて読んでいます。お手軽なところでは、『中江藤樹一日一言』(中江 彰・致知出版社)があります。こちらも新本の販売はないようですが、平成20年刊です。そのうち復活するかもしれません。
次の師道塾は、4月30日(土)午後2時より、鳥取市教育センターにて行います。
22:02
2016/03/19
| by 管理者
今回は、『翁問答』「下巻之末」九〇問(初学も権を行ないうるや)から、九七問(今時の儒者が出家のまねをするは如何)までを学びました。途中、漢文(『論語』『孟子』などの中国古典の引用)が続く箇所があり、読むのにひと苦労でしたが、要は、
・聖人も初学の人も〝権〟(〝道〟と言ってもよい)を目標に工夫を凝らすことが大切
・儒道は、時・處・位に応じた行われ方がある
・儒道を行うには、「中庸の天理にあたりその心私なく」でなくてはならない
ということを、藤樹流の緻密さで説こうと試みたのでした。日本では江戸時代を通して、儒教が君子の在りようを説くのにふさわしい学問として、武家層を中心として定着していったのです。
今回話題になった本は、『中国古典名言事典』(諸橋轍次・講談社学術文庫)です。ちょっと字がちっちゃいですが、ありとあらゆる中国古典が掲載されており,人物の紹介もされています。
次回の師道塾は、4月9日(土)午後2時より、鳥取市教育センターにて行います。
21:36
2016/03/05
| by 管理者
今回は、『翁問答』「下巻之末」七九問(大唐と天竺と遠く隔るに、釈尊の作法と唐の狂者の作法と同じとは如何)、八一問(老子孔子も釈迦の弟子に非ずや)、八三問(仏法の本意は、勧善懲悪のためなればさのみ害はあるまじ)、八九問(常の礼に違いて道に叶うを権といえり如何)を読みました。
儒教と仏教の比較対照がしばらく続きます。若いころの藤樹は、仏教は儒教に及ぶものではなく、釈迦を聖人・賢人に次ぐ狂者と同格においていました。藤樹の思想の根幹は〝孝〟であり、あくまでも現実生活での実践を尊び、仏教の禁欲的な出家修行を好ましくないものと考えていたようです。
竹内先生より『史記・春秋戦国人物事典』(新紀元社)と『十八史略の人物列伝』(プレジデント社)の2冊の本を紹介していただきました。前者は新本が入手できますが、後者は古本でしか入手できないようです。『翁問答』の文章中には、時折中国古代史上の人物が登場します。予備知識がある程度あれば、古典もぐんと身近なものになります。
次回の師道塾は、3月19日(土)午後2時より、鳥取市教育センターにて行います。
17:00
2016/02/20
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今回は、『翁問答』「下巻之本」七二問〜七五問(士道のあり方)、「下巻之末」七七問〜七八問(狂者とその教について)を読みました。
幕末に至って「忠臣は二君に仕えず」という生き方が一般的になっていきますが、藤樹が生きた当時は「心いさぎよく身おさまりて名利の欲心なく、其の境遇の勢やむことを得ずして主君をかえて奉公するは、古来ただしき士道なり」だったようです。「明徳を明らかにして仁義をおこなふが士の所作なり」が藤樹の考える士道でした。
「狂者」とは聖賢に次ぐ知者のこと。話題が世界四聖(キリスト・孔子・釈迦・ソクラテス)に及びました。共通して自らは著述を行わず、多くの弟子によってその教えが弘められているという点に偉大さを感じます。
竹内先生より、『私塾の研究―日本を変革した原点』(童門冬二・PHP文庫)という本を紹介していただきました。のちに有能な人材を多く輩出し、近代日本をつくる大きな原動力となった江戸期の私塾の中から全国20の私塾を紹介しています。もちろん「藤樹書院」もその中にあります。古本しか手に入らないようですが、興味深い本です。
次回の師道塾は、3月5日(土)午後2時より、鳥取市教育センターにて行います。
17:30
2016/02/07
| by 管理者
師道塾では、『二宮翁夜話』の輪読に続き、現在では「近江聖人」と称えられる中江藤樹の『翁問答』を読んでいます。翁問答は「体充」という名の弟子と師である藤樹との問答の形で展開します。今回は「下巻之本」五八問〜六〇問(中国古典十三経の読み方)、六六問(聖人・賢人・英雄・奸雄の別)、六七問〜六八問(時・処・位に応じた工夫)、七一問(人材登用のあり方)を読みました。
『翁問答』の輪読はもうしばらく続きますが、読み終えた後は、福澤諭吉の『学問のすゝめ』(ワイド版・岩波文庫)を読むことに決まりました。
次回の師道塾は、2月20日(土)午後2時より、鳥取市教育センターにて行います。
参加者の声
2015/01/20
| by 管理者
私は、将来の我が国を背負い、世界に羽ばたく誇り高き日本人を育成するためには、教師自らが誇り高き日本人たらねばならないとずっと考え続け、細々と実践を積んでおりました。しかし、個人の力には限界があり、支えあう仲間の存在が欠かせないものです。そんな折、ある会員仲間の紹介で師道塾の存在を知り、月に数回、土曜日の午後2時間程度、足を運ぶこととなりました。
師道塾では、元鳥取大学教授・竹内善一先生にご指導いただきながら、人物資料の開発やそれらを用いた道徳授業の実践報告、さらには、教師の人間力を高めるための古典の勉強などを行っています。
毎回の内容は、集まった顔ぶれや提供される話題により様々です。皆、道徳教育の動向にただならぬ関心がありますから、ちょっとした中央の動きがあれば、その話題に花が咲くこともありますが、最近では中国古典の『大学』や、『二宮翁夜話』を輪読しながら学んでいます。昔も今も変わらない真理に唸りながら、皆、元気になります。
週末に出会う、人物資料とそこで交わされるコメントの数々や古典の中で出会った珠玉の言葉は、確実に我が身に染み入り、糧になっていることを実感しています。そして、学校や地域での教育実践、生徒や同僚教師たちとのコミュニケーションに生かされています。
師道塾のような自主勉強会の輪が広がっていくことを願ってやみません。
鳥取市立千代南中学校 石谷健二郎
(日本道徳教育学会報 第36号より)