「雷」には雷社がある。昔は雷が落ちた場所に社を構えて雷神を祭る事が各地であった。この辺りは海抜が高く、落雷が多かったであろうことから、雷社が創建され、「雷」という地名になった事が推測される。旧字は「天王」「蔵之後」等。「天王」は雷社に合祀する天王社から。「蔵之後」は郷蔵脇に因むものと思われる。
かつての「雷」は現在よりも広く、「矢切」にある雷貝塚の主要部分は「雷」の字地だった。昭和2年に発見された雷貝塚は東海地方の考古学研究上、特筆すべき発見と讃えられ、鳴海の原始を知る上でも重要な役割を果たした。この貝塚からは様々な獣の骨が発見され、中でも鹿の骨が極めて多かったそう。その鹿は「鹿山」に群棲していたものと推測されている。また、鯨の肋骨が発掘されている。昭和29年、これらの骨を米国に送り、放射性炭素測定を行った結果、3120年前~2620年前のものとの報告が得られた。その時代の鳴海潟には鯨が遊泳していたということになる。
【余談】
雷貝塚は現在ではほぼ宅地となっており、一部は「矢切の丘」として鳴海小学校に保存されている。また一部は民間の建物の敷地内にある。
雷貝塚 〒458-0801 愛知県名古屋市緑区鳴海町矢切 ストリートビュー
参考文献
榊原邦彦(2021)『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』 名古屋市 中日出版株式会社
JLogos 『角川日本地名大辞典』中部地方>愛知県 2024年12月8日閲覧
JLogos 『角川地名大辞典(旧地名)』愛知県>名古屋市 2024年12月8日閲覧
榊原邦彦(1984)『緑区の歴史(名古屋区史シリーズ;6)』愛知郷土資料刊行会
Japanknowledge 『日本歴史地名大系』県別閲覧>愛知県 2024年12月8日閲覧 平凡社
名古屋市ホームページ『緑区誌』2024年12月8日閲覧