「池上」は新海池の前身の「真池」の上の意味。「池上台」は「字池上」をもとに命名されている。新海池は寛永11年に造られた人口の池で、かつて鳴海村の水利として重要な地位を占めた。現在は消滅しているが、「文木」と新海池の間には、「池下」と言う字名もあった。
旧字に「堀越」があり、「字万場山」も含まれていた。山を切り開いて道を通し、新たに開墾するところを意味する。
【余談】
「池下」には「真池川」と言う川があり、真池川の沢は「地獄沢」と呼ばれていた。ここには墓地があったそうで、藤原元命(もとなが)が卒塔婆を橋のように使って川を渡ったそう)。なかなかクレイジー強烈な方がいたようだ。
※なお、地獄の名前の付く地に死者を埋葬するのを嫌がった人々が墓地を赤塚(字三高根)に移したため、墓地として使用されていたのは遥か昔の事。
参考文献
榊原邦彦(2021)『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』 名古屋市 中日出版株式会社
榊原邦彦(1984)『緑区の歴史(名古屋区史シリーズ;6)』愛知郷土資料刊行会
名古屋市緑区(2016)『緑区誌』2024年12月12日閲覧
榊原邦彦(2000)『緑区の史蹟』 名古屋市 鳴海土風会