事の発端は、私が37歳頃に、義父に「家を出たい」とお願いしたことだ。理由は、私の老後の心配だ。
生活習慣病を考えると、義父が先に行くだろう。母方の祖母は92歳頃まで生きた。兄弟は4人。弟が義父の唯一の実子である。その為、遺言がなければ、義父の時の相続は、母と弟が半分ずつである。その後母が亡くなれば、半分を四分の一にする。
義父の遺産総額は、およそ6千万円。土地その他と考えればいい。すると私は750万円。しかし、土地は昔、京王帝都電鉄御陵線の変電所の跡地です。家の下には、その土台が入っています。事故物件のようなものです。割ることはできません。
しかし、この750万円というのは、実質的にはゼロ円です。弟が浪費家です。実質的には、義父が亡くなれば、私には住むところが無くなります。それならばすぐにでも出て行って、老後の備えをした方が賢明です。
すると義父は、八王子は私が後を継いだ方がいいと、盛んに言われました。母は、私が25歳の頃に、「老後は私と暮らしたい」と主張していました。というのは、他の兄弟は、家の中のことをほとんどしません。母は、私なら自分の面倒を見てくれるだろうと、思っていました。その為に、再三にわたって、それ以前にも、私が家を出ることを阻止し続けました。
このような事情を考え、義父は八王子を私に継がせ、弟を新宿の資産家の家の養子に入れることにしました。私の家には、少しアパートや貸家がありました。義父は、それらは私でなければできないと思っていました。新宿の資産家の家にもアパートはありましたが、そこはお金が沢山あるので、弟でもできると義父は踏んでいました。
そんなことで八王子は私が後を継ぎ、弟は新宿の資産家の家を継ぐことになりました。これらは我家全員の合意、相手方夫婦の合意で、反対者がいないということで、事は運ばれました。
これらの事実関係を、義父は毎年の確定申告の時に、誰彼に話を聞き、中企連八王子支部のことを教えてもらいました。
そこで義父と母親は、我が家の相続の事実関係を伝え、石橋(森)薫税理士に、遺言執行人としてのことをお願いしました。
義父は帰宅した時に、こう言いました。私「確定申告をしてきたの」と聞くと、義父「一緒にやってもらった。めんどくさいから」。これが中企連での初めての確定申告になりました。
(注)後に、ティグレの金子哲夫税理士に、初めて電話でお話をさせていただいた時に、私「家の跡取りは夫婦で決めるのが当たり前ですから」と言うと、金子税理士は「そりゃ、そうです」と、賛同を頂きました。
但し、この石橋(森)薫税理士が、この時の義父や母の申し入れを、文書に残してはいなかったようです。また、義父の死亡時には問題になりませんでしたが、母の時に、問題が噴出しました。