第8章
専用練習場出来る
第18節 新子菊雄就任
昭和54年度
鑵子山校舎が専用練習場に
新子菊雄就任
ファイナルコンサート始まる
ふしから芽を出す努力
今年も昨年に続いて、全日本コンクールにおいての「金賞」を最終目標として短い練習時間の中で、密度の濃い練習を積み重ね努力してきた。今年一年をふりかえってみると、いろいろな面で解決しなければならない課題が、数多くあった。谷口眞先生の指揮者退任、待望の練習場の完成などと部にとっては不安や重大な責任を同時に背負い、その試練を乗り越えることは、吹奏楽部がさらに躍進していく過渡期でもあり、また根本的な問題を、今一度考え直させられた時期でもあった。
11月、3年が抜けた。われわれにとってはすでに3年が抜けたその瞬間から大きな壁にぶちあたっていた。今までのレベルからは考えようのないほどの実力の低下である。練習が終わってからの毎日のミーティングにも熱が入り、一からやり直す思いで練習に打ち込んだ。 冬から春にかけて、必要な基礎技術の徹底を期して、まず音づくりを中心とする基礎練習を行った。
春の合宿では、新任の新子菊雄先生を迎え、生徒の和をより一層深め、新しい先生とのつながりを深めようと、生徒一人ひとり、自分に厳しく練習に励んだ。
4月からは、新入部員をまじえての本格的活動が始まった。行事が続き、忙しくあわただしく過ぎる毎日のなかで、2、3年生が協力し、自分たちの技術向上とともに新入部員の指導に努めた。
5、6月と行事が続き、7月に入り、今年もこどもおぢば帰りがやってきた。8月に待っている演奏旅行と関西コンクールを目前に控えて、毎日のひのきしん一回一回を真剣につとめさせて頂いた。そんな緊張したなかで、どこからともなく和やかなムードが漂いはじめたのもこのころであった。
演奏旅行も無事終えさせて頂き、全日本への第一関門である関西コンクールを目指しての練習が始まった。「心に訴える演奏を!」の目標のもとに、みんなの心をそろえ、拭けども流れるこの汗の行方を夢見ては、おのずと楽器も軽く感じられるようになってきた。その結果、関西コンクールで金賞を獲得し、全日本への切符を得た。
中間考査を終え、息つく暇もなく全日本への追い込みが始まった。こうしていよいよ全日本へ挑んだ。その結果、夢にまで見た「金賞」を獲得することができた。
今年の1年は、40数年伝統を誇る吹奏楽部にとって非常に大きな「ふし」であったと思う。油断することなく、毎日水をやり無事に「芽」を出すことができたことは、厳しい試練の中から生まれた喜びであり、またその任務を果たすことができた充実感であった。そして金賞を獲得し終えた今、今年より更に厳しい来年の全国制覇への試練の道は、すでにスタートしているのである。
11月19日 若人の祭典 於橿原市立体育館 演奏曲目:レキシントン、吹奏楽のための序曲、オールドカウボーイソング、バンドの世界一周、アフリカンシンフォニー、ポップス変奏曲「かぞえうた」。新メンバーになってから初の演奏会で、みんな緊張していた。そのせいか、ミスが目立った。
12月17日 奈良県トップバンドコンサート 於奈良県文化会館 演奏曲目:吹奏楽のためのジュビラーテ、アルメニアンダンス・、ピンクレディー特集。天高、天中の合同演奏で、100 名のビッグバンドだった。
2月26日 野球部選抜大会会旗授与式 本部前から本校野球場までパレード、その後式典。
2月27日 卒業式 式典演奏及びパレード。
3月22日~4月3日 強化合宿
3月27日 選抜高校野球大会応援 於甲子園 天理教関係の曲やマーチ、歌謡曲を中心に演奏した。
4月2日 柔道部全国優勝祝賀パレード
4月4~5日 伊勢市演奏旅行
4月4日 伊勢市にてドリル演奏、パレード。その後伊勢市観光文化会館にて演奏会。
4月5日 パレードは雨天のため中止になり、演奏会のみ開かれた。OBをまじえての演奏旅行で、気分的に楽な面もあり、どうにか新学期最初の行事をこなせた。「二つの交響的断章」「アルメニアンダンス・」他。
4月7日 入学式 真南通りをみんな張りきってパレードした。
4月11日 新入生歓迎会 於天理市民会館 演奏曲目:パリのあやつり人形、他。
4月14日 東西礼拝場ふしんの歌録音 於東右1棟4階講堂 当日、初めて楽譜を手渡され、その日に練習して録音しなければならなかった。録音が終わったのは午後10時をまわっていた。
4月18日 教祖御誕生祭 式典演奏(本部中庭)及びパレード(本通り~真南通り)。
4月18日 東西礼拝場ふしんの歌発表式典
4月20日 婦人会総会 於第二食堂 式典及び躍進の集い。
4月22日 青年会総会 於天高野球場 式典演奏及びパレード。
例年通りの忙しい4月の教内行事も新入部員の参加をえて無事勤めさせて頂いた。
5月12~13日 彦根演奏旅行
5月12日 演奏会 於彦根市民会館第1ホール 演奏曲目:フェリスタス、幼い日の想い出、カンカンフォーバンド、若い力他。湖彦中分教会宿泊。
5月13日 ドリル演奏 於彦根城公衆グラウンド 国際児童年記念に招待され、その期待に添うことができるようつとめさせて頂いた。
5月15日 録音 於本校食堂 曲目:「今日は」「やくそくしたんだ」
6月3日 奈良県高等学校吹奏楽講習会 於本校 練習曲:「朝をたたえて」
6月10日 奈良県中学校吹奏楽講習会 於本校 練習曲:「青春はかぎりなく」今年の講習会は、高校生220名、中学生900名以上と、例年増してきている受講生がさらに増えたようだった。両日とも、停電、10日は模試のために音の配慮に気をつかうなど、トラブルもあったが、無事に終えた。
6月17日 奈良ファインアーツコンサート 於奈良県文化会館 演奏曲目:バンドのためのオーバーチュア、カンカンフォーバンド。第一線にまじっての演奏だったので、みんな緊張した表情は隠しきれないものがあった。演奏は久しぶりに気持ち良く、ミスもなくできた。
6月30日 奈良県学校対象吹奏楽コンクール課題曲研修会 於本校食堂
演奏曲目:全日本吹奏楽コンクール課題曲
A、フェリスタス 青木進作曲
B、プレリュード 浦田健次郎作曲
C、幻想曲「幼い日の想い出」 藤田玄播作曲7月22日~8月5日 合宿 於北寮
7月26日~8月4日 おやさとパレード 例年通り、おぢばがえりひのきしんを精一杯つとめさせて頂いた。
7月27日 高校野球夏季県大会応援 於橿原球場
7月27日 野球部県大会優勝祝賀パレード(本通り~本部前)
7月30日 アメリカ団参出迎えパレード 於神殿前
7月31日 シンガポール高校吹奏楽選抜来校 於本校食堂 言葉の通じないシンガポールの高校生と、いっしょに楽器を鳴らすことによって、国境はどこかへ消えてしまった楽しいひとときだった。つまり、音楽に国境はない、音楽は国、民族を越えて理解可能な言語なのだと痛感し、改めて音楽の素晴らしさを知った。
創部以来初めての専用練習場完成
8月2日 真柱様、吹奏楽練習場にお入込み 9時30分練習場前に待機し、真柱様のご到着、行進曲「よろこび」を演奏してお迎えした。9時45分、いよいよお入込みとなり、テープカット。10時7分合奏場にて真柱様からお言葉を頂く。同10分「ありがとう」を演奏。17分ご退席された。長年待ちこがれていた練習場をついに与えて頂いた。言いようのない喜びと同時に、さらに一層の努力を義務づけられたことを、みんなしっかり感じ取った。
8月4日 柔道部全国大会優勝祝賀パレード
8月5~13日 宮崎県演奏旅行 5日の夜、深江港を「にちなん丸」に乗り出発した。
8月6日 11時50分に日向港に無事到着。その日午後6時30分から、日向市立日知屋小学校体育館での演奏会だったので、みんな明るい表情はしていたものの、ミスが目立った。
8月7日 延岡市野口記念館での演奏会は2回公演。船の中での病人もよくなり、なんとなく落ち着いてきた。
8月8日 この日は昼に西都市体育館で、夜は高鍋町体育館でと場所の違う2ヵ所の演奏会場での演奏会だったので、忙しかった。みんなもペースを取り戻してきた様子で、所々ミスはあったが、演奏会を重ねるごとに、上達していった。
8月9日 休養日。宮崎県の名所を見せて頂いた。サボテン公園、青島海水浴など、楽しい一日だった。
8月10日 都城市体育館で2回公演。演奏もだいぶ波に乗ってきたようだ。
8月11日 宮崎市中パレードと宮崎市民会館で演奏会。この日は午前中にパレード、昼、夜と2回の演奏会だったので、精神的にも体力的にも厳しいスケジュールだった。この日の夜の部の演奏が、この演奏旅行中の10回の演奏会で一番いい出来だったと思う。
8月12日 日南市中パレードと、日南市文化センターで演奏会。この日で最後とあって、みんな一生懸命演奏した。今年は、指揮者、部長の両先生が初めてとあって、われわれは内心心細い感じもしないではなかったが、しかし、何も分からない同士の先生と生徒が一丸となって協力し合って、この長い演奏旅行を無事につとめさせて頂いたということは、これからあとにわれわれに残されている使命を果たすことにおいて、非常によい勉強になり、また土台となったと思う。6泊7日の日程のなかで、演奏会10回、パレード2回と、厳しいスケジュールであったと思う。しかし、コンクールへつながる大切な舞台であるため、1分、いや1秒たりとも気を抜いてはならない大切な旅行であった。
8月13日 午後2時30分天理に帰着。旅先での無事のお礼をしに参拝。そして練習して解散。
【演奏会プログラム】
序曲「フィンガルの洞窟」 メンデルスゾーン作曲ハムレットへの音楽 A.リード作曲
プレリュード 浦田健次郎作曲
青春は限りなく 奥村一作曲
アルメニアンダンス・ A.リード作曲
マイ・フェア・レディー ロウ作曲
宮崎国体の歌 日下部徳一郎作曲
スーパーマン ウィリアムズ作曲
バンドの世界一周 H.ワルターズ作曲
日本民謡組曲 矢野晄道編曲
ピンクタイフーン
ホップ・ステップ・ジャンプ
スティンアライブ バリー・ロビン作曲
ザ・ブルース オウケン作曲
8月14日 奈良県コンクール 招待演奏 於奈良県文化会館 演奏旅行から帰った翌日だったので、旅の疲れを心配したが、みんな元気に集まった。演奏はミスもなく、喝采を浴びる。演奏曲目:「フィンガルの洞窟」「ハムレットへの音楽」「ポルカ《狩り》」。
8月25~26日 関西吹奏楽コンクールへ 25日昼、天理を出発。その日は今津中学校で練習。午後9時、兵神大教会着。天理中学校吹奏楽部は関西予選落ちと聞く。10時45分完全消灯。
8月26日 関西吹奏楽コンクール 於明石市民会館 5時45分起床。みんな意外と落ち着いている。9時38分、明康殿に着き、練習。12時57分明石市民会館着。3年生はみんな緊張の表情。2時10分~22分、全国制覇への形式上第一歩を踏み出す。演奏が終わり、みんなの表情はなんとなく橋を渡りきった感じ。代表者を残してみんな安心して天理へ向かう。そして金賞を獲得。全国への切符をしっかりと握る。
9月2日 天理の祭 於天理駅前広場 スクールバンドアワーに出演。ポルカ「狩り」、ミッキーマ Eス、他5曲演奏。
9月9日 録音 於練習場 曲目:大阪天理少年の歌。
9月16日 本校二部体育祭 於本校西グラウンド 開会式及び入場行進パレード。
9月19日 天高祭 於本校講堂 日頃の練習の成果を天高生に聴いてもらう年に1度の機会とあって、みんな張りきった。出演20分前にチューバがこわれるなどのハプニングがあったが、気にせずのりまくった。
9月24日 NHK全国学校合奏コンクールのた めの録音 於本校舎階段教室 曲目:序曲「フィンガルの洞窟」
9月30日 天理教女子青年大会 於東泉水プール前広場 「東西礼拝場ふしんの歌」、民謡他を演奏。
10月7日 第1回奏でる一手一つ 於天理市民会館「フィンガルの洞窟」「狩り」を演奏。第1回とあって、みんな必要以上に緊張しすぎたのかミスが目立った。
ファイナルコンサート始まる
11月1日 4日の全日本吹奏楽コンクール出場のため練習終了後、本部参拝をし、20名近いOBの方や父兄などに送られて9時51分にバスで東京に向かう。(車中泊)
11月2日 午前中休息後、明大附属中野高校講堂にて練習開始。本校の階段教室を広くしたような所で、練習場としては申し分なかった。しかし、みんなはもうカチカチで、谷口先生の「本番はまだ2日後だからみんなもっと楽に!」の声を聞くまでは、まったく練習にならなかった。谷口先生の声を聞いてしばらくしてから、みんなまとまりはじめて、天理での練習の時以上に練習にも熱が入り、8時30分練習終了時間になったのも気がつかないほどであった。立正佼正会団参会館に宿泊。
11月3日 コンクール当日の出番が10時30分の予定であったので、朝に慣れておくために、この日は5時30分起床。外はまだ暗かったが、みんな元気に飛び起きて、屋上にて体操。9時から明大附属中野高校にて練習開始。1年間のしめくくりの練習、みんな必要以上に気合が入っている。8時に練習終了。10時25分完全消灯。立正佼正会団参会館に宿泊。
11月4日 全日本吹奏楽コンクール 於東京普門館 5時起床。7時2分、佼正学園での最後の練習開始。9時14分普門館に向かう。この途中、急に雨が降り始め、みんないっせいに走り出す。普門館に入ると楽器も自分たちも濡れている。ハアハアと吐く息の中に笑い声が聞こえる。どうやらこの雨のおかげでさきほどまでの緊張がどこかへいってしまったようだ。10時31分、いよいよ演奏開始。1年間「心に訴える演奏」を目標として努力してきた。その努力を認めてくれるのは、先生でもわれわれでもなく、客席で聴いている審査員をも含める人々なのである。指揮棒が動き出す。と同時に45名の心が一つとなり、音楽となり、5000人の観衆の心を動かし始める。われわれに許されているのは、ほんの12分間である。みんな全神経を集中した。全力を尽くした。「金賞受賞」。
11月5日 午後5時天理着。本部参拝の後真柱邸に報告に行き、その後解散。
11月11日 奈良県トップバンドコンサート 於奈良県文化会館 演奏曲目:ハムレット、マイ・フェア・レディ、銀河鉄道999 、ホップ・ステップ・ジャンプ。コンクールが終わってちょうど1週間、みんなはりきって演奏した。
11月18日 姫路演奏旅行 於鹿谷中学校体育館 演奏会及びパレード。第1部では谷口眞先生を講師に、楽器解説などをまぜて吹奏楽教室を行い、第2部では新子先生の指揮で「ハムレット」「おもちゃのマーチ」「ペルシアの市場にて」「バンドの世界一周」「パリのあやつり人形」などを演奏。みんな張りきったが、演奏会のほうは練習不足と気持ちの緩みのせいで、ミスが目立った。
11月25日 天理高校吹奏楽部全国大会金賞受賞演奏会(FINAL CONCERT 第1回) 於天理大学4階講堂 日頃お世話になっている父兄やOBの方々にぜひ聴いて頂こうと、楽朋会の方で企画された演奏会だった。われわれは、自分たちの親や、先輩たちを前に、おかげさまで金賞を獲得できましたと、日頃のご協力に感謝して精一杯演奏した。
【演奏会プログラム】
プレリュード 浦田健次郎作曲ハムレットへの音楽 A.リード作曲
ペルシャの市場にて ケテルビー作曲
パリのあやつり人形 クールター作曲
おもちゃのマーチ 岩井直溥編曲
銀河鉄道999
ホップ・ステップ・ジャンプ
ポルカ「狩り」 J.シュトラウス作曲
ザ・ブルース オウケン作曲
ロンドンデリー・エア ワルター編曲
スティンアライブ ギブ作曲
12月2日・関西指導者研修会 於練習場 先生方を前にしての演奏だったので少し緊張した。
おそらく吹奏楽部40数年の歴史と伝統のなかで、今年ほど多種多様な出来事が相次いだのも珍しいだろうと思う。しかし、渦の中で、われわれはただじっとうずくまっていたのではなく、「とにかくなんとかしよう」と部員全員が一生懸命やった。気持ちばかりが急いてかえってマイナスになったこともあった。しかし、その精一杯勤めさせて頂くという気持ちでどんな些細なことにも全力でぶつかったということが、今われわれが思い返してみて、それはまぎれもない充実感となってかえってくるのは、絶対的な事実であり、そしてその充実感とは「金賞受賞」なのである。思い返してみて、われわれの目標は「心に訴える演奏」であった。全日本で金賞を獲得した今、われわれは及ばずながらも目標を達成したという満足感であふれている。しかし、今年ですべてが終わったということではない。来年、いや百年後も千年後までも続いていく吹奏楽部にとって満足という文字は、栄光を勝ち取ったその一時しかないのであって、またすぐにたゆまない努力が始まるのである。努力なくしては栄光はない。これからさらに伝統の1ページを綴っていく後輩の諸君!この「努力」という文字を絶対忘れないで、さらに地道な試練を乗り越えて、この吹奏楽部をより発展させ輝き続けさすこと、これが君たちの残された、いや与えられた名誉ある課題であり義務であると思う。頑張ってくれたまえ!
昭和55年度
山口演奏旅行
4年連続金賞受賞
4年連続金賞目指して
今年も昨年に続いて、全日本コンクールにおいての「金賞」を最終目標として、密度の濃い練習を重ね、全員が一手一つとなって努力してきた。今年1年をふりかえってみると、吹奏楽のレベルの向上とともに「全員がよりいっそう歌える演奏を」をひとつの目標として、いろいろな面から音楽に取り組んできた。これは音楽の根本を見直すのにいい材料であった。 冬から春にかけては、部員の「和」と個人の技術の向上をはかるため、全体のミーティングの機会を幾度かもったり、基礎からの練習を徹底し、一から始めるつもりで練習を進めた。また、4月に入ってくる新入部員の確保という問題についても、いろいろと話し合った。
4月には、全員が部員の確保に努めた。2年生部員が14名というわれわれにとって、来年のことを考えるとどうしても必要な新入部員であったが、20名を越した時点で伸びがとまってしまった。またそのなかで、2、3年生は協力し、自分たちの技術の向上とともに、1年生の指導にも努めた。
7月にはおぢばがえりひのきしん、8月には演奏旅行と行事が続いたが、これもにをいがけだと思って、1回1回を真剣につとめさせて頂いた。また、3年生が多いためまとまりにくかったが、この頃からだんだん3年生にも「和」ができ、バンド全体がひきしまった。
演奏旅行も無事つとめさせて頂き、課題曲と自由曲もようやく決まり、「心に訴える演奏を」の目標のもとに、出場者だけでなくその他の部員も一丸になって練習を重ねた。短期間で仕上げなければならなかったのでいささか不安であったが、それをカバーするために全員必死になって練習した。その結果、関西コンクールで金賞を獲得し、全日本コンクールへと駒を進めることができた。
2学期が始まり、天高祭、演奏会などの行事があった。これも全日本コンクールにつながる大きな土台となる重要なものであった。その土台に全員が足を踏みそろえ、全日本コンクールに挑んだ結果、金賞を受賞することができた。
この1年間、新子先生の指導のもとに一つひとつの行事を大切にこなし、その合間をぬってアンサンブルや合唱、レコード鑑賞などを行い、一人ひとりの音楽性を高め、全員が楽しく音楽に参加し、その上で全員 ェ一手一つとなって、今までとひと味違った音楽を目指してきた1年だった。
12月2日 関西指導者研修会 於本校練習場 先生方を前にしての演奏だったので、少し緊張した。
2月27日 卒業式 式典演奏(第1体育館)及びパレード(真南通り)3年生の手を借りず、新メンバーによる初の演奏で、ミスが目立った。
3月27日~4月4日 強化合宿 於北寮 新2、3年生の和と技術の向上を目標とする合宿であった。また、すぐに新入部員も入ってくるということで、練習にも自然と力が入っていた。
4月7日 入学式 パレード(真南通り)
4月9日 新入生歓迎会 於天理市民会館 演奏曲目:ポルカ「狩り」他。新入生勧誘のため、みんな張りきって演奏した。
4月18日 教祖誕生祭 本部中庭において式典演奏。本通りから真南通りをパレード。
4月19日 婦人会総会前夜祭パレード 第1食堂前から真南通りをパレード。
4月20日 婦人会総会 南礼拝場前にて式典演奏。その後、ひのきしん現場までパレード。
4月27日 青年会総会 南礼拝場前にて式典演奏。その後、真南通りをパレード。
4月29日 青年会ひのきしん隊結成400回記念解散式 本部南礼拝場前にて式典演奏。その後真南通りをパレード。今年は例年以上に忙しい4月の教内行事であったが、新入部員の参加を得て、無事つとめさせて頂いた。
5月7日 ブラジル団参出迎えパレード 於黒門前
5月13日 バウルー公園開園式 於天理ダム、バウルー公園
6月15日 奈良県高等学校吹奏楽講習会 於本校 講習曲:美中の美
6月22日 奈良県中学校吹奏楽講習会 於本校 講習曲:空かける鷲 午前中はパートごとに分かれ、午後からはモデルバンドとして演奏した。
6月28日 奈良県中高対象吹奏楽コンクール課題曲研修会 於本校練習場
演奏曲目:全日本吹奏楽コンクール課題曲
A.吹奏楽のための「花祭」 小山清茂作曲B.吹奏楽のための序曲「南の島から」 服部公一作曲
C.北海の大漁歌 岩河三郎作曲
D.行進曲「オーバー・ザ・ギャラクシー 」 斎藤高順作曲
7月22日~8月5日 合宿 於北寮
7月26日~8月4日 おやさとパレード出演 今年からおぢばがえり行事がかわり、夜はパレードになった。
7月27日・カナダ、エドモントン高校来校 高校野球奈良県大会応援と優勝パレード 於橿原球場、本通り この日は、午前中カナダから高校生を迎えて交歓演奏、これはなごやかな雰囲気の中で行われた。まさに「音楽は世界の共通語」だった。午後からの応援にも自然と力が入った。今年も忙しい毎日が続いて病人も続出したが、最後まで無事ひのきしんさせて頂いた。
8月5~13日 夏季演奏旅行
8月7日 朝9時から麻里布小学校にて音楽教室開催。午後1時から岩国少年刑務所を慰問演奏。4時30分から交通安全パレード、その後7時30分から夕涼みコンサートを行う。この日は岩国市内3ヵ所での小さな演奏会とパレードで忙しかったが、聴衆の皆様に大変喜んでもらえて嬉しかった。なかでも少年刑務所慰問では、音楽を通して大変なにをいがけができたと思う。
8月8日 岩国市民会館で2回の演奏会。1年生を入れて初めての演奏旅行で、うまく仕事がはかどらなかったが、演奏はミスも少なく大好評であった。
8月9日 山口市民会館で2回の演奏会。この日は、午前中にパレード。昼、夜と2回公演のため、精神的にも体力的にも厳しいスケジュールだった。この日の夜の部の演奏が、この旅行中11回の演奏会で最高の出来であったと思う。
8月10日 下関市民会館にて2回公演。徐々に部員の顔に疲れがみえてきた。
8月11日 美祢市民会館にて2回公演。この日で最後とあって、みんな一生懸命演奏した。今年は会場に恵まれ、毎回満員というお客さんの入りであった。そのため緊張した日々が続いた。また、周東大教会の方々をはじめ、関係者の方々には大変お世話になり、部員一同感謝の気持ちでいっぱいであった。4泊5日の日程中11回の演奏会と2回のパレードは、けっして楽なスケジュールではなかった。しかし、コンクールにつながる欠くことのできない旅行であるため、毎日が気の抜けない大切な旅行であった。
8月14日 奈良県吹奏楽コンクール 於奈良県文化会館 招待演奏。「ローマの謝肉祭」「ストーンヘンジ交響曲」「ブラスフィーバー」を演奏。前日の朝天理に着いたばかりで、みんな少し疲れていた。
8月17日 全国高等学校野球選手権大会応援 於甲子園球場
8月24日 関西吹奏楽コンクール 於奈良県文化会館 午前中、奈良育英学園で練習。1時49分奈良文化会館着。3時演奏開始。金賞を受賞することができ、全日本へ駒を進めた。
9月14日 天理の祭出演 於駅前広場 スクールバンドアワーに出演。サウンド・オブ・ミュージック他を雨の中で演奏。
9月19日 天高祭出演 於本校講堂 「ローマの謝肉祭」「ドラえもん」他演奏。日頃の成果を天高生に聴いてもらう年に1度の機会とあって、みんなのっていた。
9月21日 本校第二部体育祭 於北グラウンド 開会式及び入場行進パレード。
9月22日 NHK全国学校合奏コンクール録音 於天理市民会館 曲目:ローマの謝肉祭 ベルリオーズ作曲
10月5日 第2回奏でる一手一つ 於天理市民会館 演奏曲目:オーバー・ザ・ギャラクシー、ストーンヘンジ交響曲、ローマの謝肉祭。
10月11日 防犯パレード 於本通り
10月27日 録音 於練習場 曲目:笑顔であいさつたすけあい
10月31日 東京へ 全日本吹奏楽コンクール出場のため、練習後本部参拝をし、数名のOBの方々や父兄などに見送られて、午後9時34分バスで出発。車内泊。
11月1日 午前中休息後、明大附属中野高校講堂にて練習開始。舞台は少し狭かったが、客席が広いので練習場としては最高。みんな意外に落ち着いていたが、少し寒かったので体調を崩す者もでた。午後7時練習終了。立正佼正会団参会館宿泊。
11月2日 この日も前日に続いて、明大中野高校にて練習。今日になって曲の内容が少し変わり、練習にも熱が入った。体調を崩していた者も気力でよくなった。午後7時練習終了。10時15分完全消灯。団参会館宿泊。
11月3日 全日本吹奏楽コンクール 於東京普門館 5時30分起床。8時30分佼正学園の講堂で最後の練習開始。1時10分勝利を誓い合い、普門館に向かう。緊張が次第に高まってきたが、1年間「心に訴える演奏」を目標にして努力してきたことが、自信となって全員の緊張をほぐしてくれたようであった。2時17分演奏開始。指揮棒に45名の心が一つとなり、すばらしい音楽の世界をつくり、5000人の聴衆を夢の世界に運ぶ12分間があっという間にすぎた。われわれは実力を出し切ったという満足感でいっぱいであった。そしていよいよ審査発表。「金賞」という放送とともに、目標を達成したという満足感が最高潮に達した。団参会館宿泊。
11月4日・金賞受賞記念パレード、祝勝会 午後3時19分天理着。4時16分天理駅前からパレード出発。祝勝会終了後本部参拝をし、真柱邸に報告に行き、その後解散。
11月16日・橋本へ演奏旅行 於橋本市民会館 工業高校の学園祭に招待された演奏会だった。聴衆はわれわれと同年代ということで、みんな張りきっていたが、練習不足と気持ちのゆるみのせいで、ミスが目立った。
今年も各行事をしっかり勤めさせて頂き、全日本コンクールにおいても4年連続の金賞を受賞。これは間近に迫る教祖百年祭に向けて、また一歩大きく前進したと思う。後輩諸君!今年植えた種を来年に、また、教祖百年祭に向けて育てていってくれ。それはけっして容易なことではないが、苦しくなったときは、いつでも自分たちには天理高校吹奏楽部員として、輝かしい伝統を守っていかなければならない使命があることを忘れないでくれ。
昭和56年度
5年連続金賞達成
鳥取、島根演奏旅行
「オセロ」で金賞、5年連続成る
今年も昨年に続いて、全日本吹奏楽コンクールでの「金賞」を最終目標として、部員一同、「和」をモットーに努力してきた。今年1年を振り返ってみると、昨年と同様「全員がよりいっそう歌える演奏を」を第1目標として、音楽というものによりいっそうみがきをかけた。 冬から春にかけては3年生がぬけて、1、2年合わせて35人しかいなかったので、部員の和と個人の技術の向上をはかるため、基礎からの練習を始め、一からやり直すつもりで練習に励んだ。また、新入部員の確保という問題については、重点的に話し合った。
4月からは、新入部員をまじえて本格的な活動が始まった。4月の忙しい行事があるなか、2、3年生が協力し、自分たちの技術の向上とともに、1年生を指導していくよう努めた。
7月にはこどもおぢばがえりひのきしん、8月には、演奏旅行と行事が続き、われわれにとってこれもひとつのにをいがけだと思い、それぞれ行事を真剣に勤めさせて頂いた。そんな緊張したなか、知らない間に「和」というものができあがった時期であった。
演奏旅行も無事終えさせて頂き、全日本への第1関門である関西コンクールを目指して練習を始めた。短期間で仕上げなければならなかったので、部員一同、共通の目標のもとに今までの行事を思い出しては、お互いに協力し合い、練習には熱が入った。その結果、関西コンクールでは金賞を獲得することができ、全日本コンクールへと駒を進めた。2学期が始まり、天高祭、中間考査が終わり、息つく暇もなく全日本への追い込みが始まった。また、今年は5年連続ということもあって、みんな一丸となって全日本に臨んだ。その結果、「金賞」を獲得することができた。
この1年間、指揮者の指導のもとで部員が一手一つになりひとつひとつの行事を大切にし、あらゆる面での一人ひとりの音楽性を高めたことは、厳しい練習から生まれた喜びであり、またその任務を果たすことができたという充実感でもあった。そして金賞を獲得した今、来年に向かって、さらに厳しい試練の道がすでにスタートしはじめたのである。
1月20日 天理教災害救援ひのきしん隊々歌の録音 於練習場 難しい曲であったので少し時間がかかった。
1月26日 教祖百年祭の歌発表 於南礼拝場前 真柱様が作詞作曲されたというので、みんな喜びの気持ちで演奏させて頂いた。
2月1日 第32回全国植樹祭練習 於練習場 合同で練習する人たちが警察官とあって、少し緊張していた感じだった。
2月7日 天理教関係の曲録音 於練習場 録音曲目:ぼくのひのきしん、やくそくしたんだ、今日は、友だちさそってひのきしん、まつりだおどりだ
2月15日 第32回全国植樹祭練習 於香芝町総合体育館ホール 練習曲:奈良県民歌、他
2月27日 卒業式 式典(第1体育館)演奏及びパレード(真南通り)。3年生に感謝の気持ちで演奏させて頂いた。
3月30日~4月3日 強化合宿 於北寮 新2、3年生の和と技術の向上を目標とする合宿であった。また、すぐに新入部員が入ってくるということで練習にも自然に力が入ってきた。
4月9日 新入生歓迎クラブ発表会 於天理市民会館 演奏曲目:合唱、マーチ、他 新入生勧誘のため、張りきって演奏した。
4月12日 東京ブラスアンサンブルレッスン 於本校講堂 プロから教わるというのでみんな真剣だった。その結果、自分たちの技術の向上に役立った。
4月18日 教祖御誕生祭 本部中庭にて式典演奏。本通りから真南通りをパレード。
4月19日 青年会総会 南礼拝場前にて式典演奏。本通りをパレード。
4月20日 婦人会総会 南礼拝場前にて式典演奏。真南通りをパレード。
4月25日 教祖御誕生祭慶祝旬間パレード 於本通り
4月26日 第32回全国植樹祭総合リハーサル 於平城京跡 朝早くからのリハーサルでみんな疲れたようだ。
5月10日 第32回全国植樹祭合同練習 於本校第1体育館
5月24日 第32回全国植樹祭 於平城京跡 朝早くから本番で、みんな眠たそうだった。
6月14日 第21回歌う一手一つ 於天理市民会館 日頃から歌の練習をやっていたので、その成果を発表するいい機会だった。
6月14日 ポートピア・リハーサル 於教校体育館
6月27日 天理教スペクタクルフェスティバル「よろこびの歌」 於ポートピア会場国際広場
6月28日 天理教スペクタクルフェスティバル「よろこびの歌」 於ポートピア会場国際広場 この2日間、これもひとつのにをいがけだと思い、一生懸命演奏させて頂いた。
7月11日 録音 於道友社スタジオ 録音曲目:ひのきしんの歌
7月21日~8月5日・合宿 於北寮
7月26日~8月4日・おやさとパレード
8月2日 奈良県吹奏楽コンクール 於桜井市民会館 招待演奏。オセロ、機動戦士ガンダム、他演奏。
8月5~13日・夏季演奏旅行
8月6日 午前10時から鳥取市内で交通安全パレードに参加。その後市内見学。
8月7日 鳥取市民会館にて2回公演。1年生をまじえて初めての演奏旅行で、みんな緊張したらしく、ミスが目立った。
8月8日 倉吉福祉会館にて演奏会2回、及び市中パレード。午前中にパレード、昼・夜と2回公演のため、精神的にも体力的にも厳しいスケジュールだった。演奏の方は慣れてきたためか、だんだんミスも少なくなった。
8月9日 米子公会堂にて2回公演。
8月10日 出雲市体育館にて2回公演、及びパレード。この日は会場が体育館であったので、みんな汗まみれでの演奏会だった。
8月11日 島根県民会館にて2回公演。徐々に部員の顔に疲れがみえはじめた。
8月12日 石西県民会館にて2回公演。この日で最後の演奏とあって、一生懸命演奏した。この旅行中12回の演奏のなかで最高の出来だった。
【演奏会プログラム】
吹奏楽のための交響的断章イリュージョン
東北地方の民謡によるコラージュ
オセロ
ダイヤモンド・バリエーション
シンフォニック・マーチ
サウンド・オブ・ミュージック
日本民謡
海のメドレー
機動戦士ガンダム
デキシーランド・フューネラル
ブラジル
今年も、この長い演奏旅行を無事に勤めさせて頂いたということは、これから後にわれわれに残されている使命を果たすことにおいて、非常に良い勉強となり、また土台となったと思う。8泊9日の日程のなかで、演奏会12回、パレード3回と、厳しいスケジュールであったと思う。しかし、コンクールへつながる大切な舞台であるため、1分いや1秒たりとも気を抜いてはならない大切な旅行であった。
8月23日 和歌山へ 関西吹奏楽コンクール出場のため和歌山に向かう。この日は海南市民会館で最後の練習。
8月24日 関西吹奏楽コンクール 於和歌山県民文化会館 午前中、海南市民会館で練習。2時過ぎに和歌山県民文化会館に到着、4時演奏開始。今年も金賞を獲得することができ、全日本へと駒を進めた。
9月18日 天高祭 於講堂 演奏曲目:木星、機動戦士ガンダム、他。日頃の練習の成果を天高生に聴いてもらう年に1度の機会とあって、みんな張りきっていた。
9月20日 本校第二部体育祭 北グランド 開会式及び入場行進パレード。
9月23日 NHK全国学校合奏コンクール録音 於天理大学4階講堂 曲目:惑星より「木星」
10月25日 全国高等学校優勝弁論大会 於天理市民会館 曲目:海のメドレー、おもちゃのマーチ、他2曲。
10月29日 東京へ 1日の全日本吹奏楽コンクール出場のため、練習終了後本部参拝をし、午後10時10分バスで東京に向かう。車中泊。
10月30日 午前中休息後、明大中野高校講堂にて練習開始。曲の最後の仕上げとあって熱が入っていた。また、コンクール前だが、意外とみんな落ち着いていた。立正佼正会団参会館宿泊。
10月31日 午前中、練習場所を借りることができなかったので、東京見学。午後、天理教館にて練習開始。午前中リラックスしたせいか、前日より気合が入った練習だった。立正佼正会団参会館宿泊。
11月1日 全日本吹奏楽コンクール 於東京普門館 5時起床。7時佼正高校講堂で最後の練習開始。9時20分、勝利を誓い合い普門館に向かう。緊張が次第に高まってきたが、日頃われわれが目標にしてきた「心に訴える演奏を」という言葉は、なんとなく全員の緊張をほぐしてくれるようだった。10時30分演奏開始。指揮棒に50名の心がひとつとなり、12分間という短い時間のなかで、無我夢中で吹いた。指揮棒1本に全神経を集中させ、最終目標到達のために全力を尽くした。そしていよいよ審査発表。「金賞」という放送とともに、目標を達成したという満足感が全身に伝わった。東中央大教会宿泊。
第19節 3度目の海外演奏旅行
昭和57年度
タイ演奏旅行
2度目の招待演奏
楽朋会創立40周年
タイへは春休みを利用して
昨年11月に部を引き継いで以来、それまで自分たちの3信条としていた「一手一つの和」、「互い立て合い助け合い」、「ひのきしんの精神」に加えて、「自らの音楽を求めよう」「良い音で心の歌を奏でよう」「心から挨拶しよう」の3つを新たな目標として、半世紀ほどの伝統を守り、さらに素晴らしいバンドにしていこうと、「心に訴える演奏」を目指して新しいサウンドを作り始めた。
今年は楽朋会創立40周年記念演奏会、タイ演奏旅行、全日本吹奏楽コンクール招待演奏と例年にない大きな行事が3つもあるということもあってか、はじめからあせっているような雰囲気があり、1年を通じて細かいところまで十分気を配れなかったようであった。
冬期は1、2年のレベルを上げようと基礎練習やすべての基本であるマーチの練習を中心に行って、学年は関係なく各自が曲を完璧に吹きこなせるように努力し、少ない行事を確実にこなすようつとめた。
春休みに入って、タイへの演奏旅行を手伝って下さる昭和56年度卒業生の方々もまじえて本格的にそのための練習に入ったが、思うようにはかどらず不安であった。しかし、演奏会本番の反響は予想以上によく、国際親善に役立つことができた。
新学期になって、新入部員の確保に力を入れようとしたが、入学式は雨のためパレードができず、ことに新入生歓迎クラブ発表会には、伝染病の疑いで部員の半数が隔離されたので出場もできず、勧誘だけで何人入ってくるか心配であった。しかし、入部者の数はそんなに多くなかったが、やめる率が非常に低かったので、そうにか人数だけは保つことができた。これも先生方やドラムメジャーの方はじめ、2、3年生でも4月当初の新入部員の指導の仕方については十分考えたたまものであろう。4月の行事についても、ぎりぎりまで前年の3年生に手伝って頂いたり、新学期前の合宿がなかったので、曲ができあがるかどうか不安だったが、あせりながらも密度の濃い練習を重ね、集中した行事を消化することができた。そして、5月、6月と演奏会やパレードをやっていくうちに、7月に入り、今年も「夏のこどもおぢばがえり」がやって ォた。その後演奏旅行、奈良県吹奏楽コンクールと1年を通じて最も苦しい時期の一つをのりこえた。毎年8月末に関西吹奏楽コンクールに出場しているのだが、今年は招待演奏ということでコンクール審査対象外なので関西大会には出場できなかった。
2学期に入り、天高祭、録音コンクールなど数々の行事をこなしていき、1年生もクラブに慣れてきたころ、全日本吹奏楽コンクールが目前となってきた。一度決めた曲を変更するなどして、なかなか曲ができずにあせったが、中間考査の後集中して練習し、なんとか形だけは整えて東京へ出発した。東京でも演奏会2つをはさんで短い練習時間ではあったが、少しでも良いものにしようとみんな一生懸命練習したので、特別招待演奏にふさわしい演奏をすることができた。3年生はそれでいちおう引退であるが、残された4つの演奏会でも人に喜んで頂こうと、受験勉強で忙しい中を週何回か合奏日を決めて練習した。最後まで納得のいくよう勤めさせて頂こうと張りきって演奏した。
この1年間は天高バンドにとって大きなふしであった。指揮者である新子先生も就任されて4年目ということで、これまでの伝統のなかで改善すべきところは大きく変え、新しい方法をどんどん取り入れていった。はじめは今までと違うのでとまどったが、慣れてくると自分たちで話し合って変えていくような前向きの姿勢をとることができた。これからも伝統を守るとともにそれにしばられることなく、先生方やドラムメジャーの方の指導のもとで、自分たちで音楽を作っていってほしい。
11月12日 天高コーラス部と合同練習 於別館音楽室
11月14日 チリ国代表者歓迎パレード 於南礼拝場前~黒門 演奏曲目:教祖百年祭の歌 パレード練習を1回しかしていなかったので、動きがそろっていなかった。このような急に決まる行事が多いわれわれにとって練習不足という理由は許されない。ふだんの個人の練習の甘さを感じた。
11月14日 天高コーラス部と合同練習 各アンサンブル録音 於練習場 少しでも深みのあるアンサンブルを作るために、各アンサンブルごとに録音を行い、それをもとに欠点などを見出して、さらに音楽性を深めるために練習した。
11月15日 第5回部内アンサンブル大会 於本校舎階段教室 この大会も5回目となり、みんな慣れてきたせいか練習も要領をつかんでいるようだった。
11月19日 アンサンブル大会反省会 於練習場
11月22日 第3回奏でる一手一つ 於天理市民会館
曲目:オセロ全曲、他。コンクールでは「オセロ」より1楽章、3楽章及び4楽章を演奏したが、2楽章と5楽章は何ヵ月もの間やっていなかったので、曲がなかなかまとまらなかった。11月23日 天高コーラス部と合同練習 於練習場
11月24日 天高コーラス部と合同練習 於練習場 練習曲目:クリスマス・カンタータ、今日の日はさようなら。
11月25日・全日本吹奏楽コンクール5年連続金賞受賞報告演奏会「FINAL CONCERT '81 」於天理市民会館 楽朋会が主催して下さった演奏会だったのでみんな感謝の気持ちで張りきって演奏させて頂いた。また、1年間の総決算となる演奏会ということで後悔のないようにと一生懸命練習した。4月のタイ演奏旅行へは3年生の方も行って頂けるが、それ以外の行事はすべて新メンバーでやっていかなければならないので、1、2年生にとってはこの総決算の演奏会が終わるとともに新しい年度が始まっているといえた。
【演奏会プログラム】
組曲「惑星」より木星コンクールより
課題曲「シンフォニック・マーチ」
自由曲「オセロ」クリスマス・カンタータ
ラ・マスカラダ
アラモ・マーチ
海のメドレー
赤とんぼ
枯葉
デキシーランド・フューネラル
ブラジル
ザ・ブルース
今日の日はさようなら
ナイルの守り
1月9日・附属高校マーチングバンド見学 タイ演奏旅行でマーチング・ドリルをやることになったが、天高ではここ数年ドリルをやっていないのでマーチング・ドリルがどういうものか、またその練習がそういうものかを知るために附属高校へ行った。急激にレベルアップされたマーチング・ドリルに驚かされるとともに、厳寒の冬、しかも毎晩9時まで続けるという姿勢と部員の真剣さに、最近の天高バンドの甘さを反省させられた。
1月26日・附属高校マーチングバンド・ドリル見学 於南礼拝場前 全日本マーチングコンテストで金賞を受賞したので、本部南礼拝場前でお供え演奏が行われた。14日に練習を見学したが、さらに完成度の高いものを見ることができた。
2月21日・第1回部内ソロ大会 於練習場 合奏力がなければ曲は作れないが、それ以前に個人が楽譜を正確に吹けなければならない。また、1、2年生ともに自分から歌っていけるようにという主旨で行われた。全員の前で自分一人が吹くというので、みんな緊張してしまって練習の成果を発揮できなかったようだ。
2月26日・シャープから録音依頼 於練習場 シャープが新しい製品の開発のため楽器の音を録音させてほしいといわれてきたので、各楽器の音階などを演奏した。
2月27日・卒業式 式典(第1体育館)及びパレード(真南通り)。
3月3~4日・録音 於練習場 録音曲目:昭和57年度全日本吹奏楽コンクール課題曲 D.サンライズ・マーチ 岩河三郎作曲 音楽誌「バンド・ジャーナル」にコンクールの課題曲の研究という項目を設けるので、曲の分析をするようにと全日本吹奏楽連盟から依頼があったので、テスト前ではあったが急遽合奏して、曲を分析するために録音した。
3月11~18日・残寮練習 1、2年生のレベルアップとタイ演奏旅行の練習のため、寮生は残寮して練習した。卒業生の方も練習に参加して頂いた。
3月14日・タイ演奏旅行結団式 於練習場 演奏曲目:北国の旅より。村田先生の開会の辞によって始まり、今回の演奏旅行の団長になられる全日本吹奏楽連盟副理事長の永長先生と連盟理事の平松先生が挨拶され、吹奏楽部代表として大矢副校長が挨拶した。その後交通公社の説明があり、4時35分から永長先生の指揮により行進曲「北国の旅より」を演奏した。
3月19~30日・春季合宿 於北寮 残寮合宿が終わり、1、2年は全員あらき寮3階で合宿に入った。タイ演奏旅行の結団式も終わり、いよいよ本格的に演奏会の曲やマーチング・ドリルの練習を始めた。
3月17日・サンパウロ州軍楽隊長来訪 於練習場 演奏曲目:レキシントン、ブラジル、コパ・カバーナ、日本民謡、ナイルの守り。ブラジルとコパ・カバーナの指揮をして頂き、サンバリズムの指導を受けた。われわれの演奏はとても喜ばれ、規律はご自分の指導しておられる軍隊以上であると、うれしい言葉を頂いた。
3月31日~4月5日・タイ演奏旅行
この演奏旅行の中心となる目的は、タイ国バンコック市にある青少年福祉センターの開所式の式典で演奏することである。というのはタイがバンコックに遷都して今年がちょうど 200年となるので、その記念行事がタイ国内いたるところで行われるのである。そのひとつとして日本の莫大な資金援助によってバンコックに青少年福祉センターが建てられたのであるが、その開所式の式典で演奏する吹奏楽団を日本から出してほしいとタイから要望があった。そのため外務省からの依頼があり、全日本吹奏楽連盟の派遣ということで天理高校吹奏楽部のタイ演奏旅行が決定した。団長:全日本吹奏楽連盟副理事長 永長信一、副団長:同連盟常任理事 平松久司、指揮者 新子菊雄、引率者:大矢博、村田篤美、北野博志、日本交通公社嶋村文男、ドラムメジャー上原浩、写真撮影大久保家治
3月31日 タイへ出発 4時15分に起床し、合宿で使った寮の後かたづけと清掃を行い、6時30分練習場集合した。みんな大きな行事を目前にしている時の重苦しい緊張した雰囲気で笑顔一つないかと思えば、そうでもなく、朝早く起きて眠たそうな顔や、生まれて初めて海外へ行ける嬉しさで顔をほころばせている者がほとんどで、和やかなムードであった。バスで大阪空港へ行き、見送りの方々に元気よく挨拶して機内に乗り込んだ。10時44分に離陸した飛行機は台北と香港を経由し、現地時間5時26分バンコック空港着。バスで宿泊地のニューアマリンホテルへ行き、夕食後部屋に分かれて11時30分頃就寝した。相当疲れているようであったが、どうにか無事に1日が終わった。事件といえば、あるホルン奏者のパスポートがバンコック空港で一時紛失したことであった。
4月1日 リハーサル、市内見学 午前中式典の行われる青少年福祉センターへ行き、合奏とドリル練習を行った。タイでは少年の軍隊のようなものがあるほどで、われわれの歩き方もさほど驚かれなかった。午後からバンコック市内をバスで見て回り、タイの王宮や小乗仏教の寺などを見学した。タイでは4月が1年で最も暑い時であるというが、それほど暑さは感じなかった。
4月2日 リハーサル 日本の代表として恥ずかしくない演奏をしようと、完璧な演奏を目指して練習した。練習できるのはこの日が最後とあって、練習にも自然に熱が入った。
4月3日・青少年福祉センター開所式 於センター体育館 午後5時7分、体育館に作られたステージへ上がってチューニングをしてタイ国王が来られるのを待った。国王が来られるというので、起立したがなかなか来られず、10分間も起立したまま不動であった。国王入場の際「国王を讃える歌」を立奏した後、われわれについての紹介を聞き、礼をして着席した。説明や曲目などはすべて日本語、タイ語、英語の3ヵ国語で説明されていた。この日の演奏は国王の時間の都合上短かったのであるが、演奏会が終わっても国王は席を立とうとされなかった。後で聞いた話によると時間がないことはわかっているが、もっと演奏を聴きたかったということであった。
【演奏会プログラム】
組曲「惑星」より《木星》 ホルスト作曲ワルツ「自然」 タイ国王プミポン作曲
ハピネス ループ・ブン作曲
国王を讃える歌(立奏、国王退場)
演奏会終了後、センターのフィールドでタイで最も優秀なバンドのマーチング・ドリルを見た。その後、かたづけてホテルへ帰り、夕食をとって10時30分に消灯した。
4月4日 演奏会とマーチング・ドリル 午前10時から約1時間、バンコック日本人会からの要望により在タイ日本人のために、ニューアマリンホテル食堂にて演奏会を開いた。予定していなかったことであるが、喜んで頂けたので嬉しかった。そして午後4時半過ぎから約1時間半の演奏会は3日とは違って一般向けに行われた。会場の青少年福祉センターではわれわれの演奏会の他にいろいろな行事が行われた。「木星」「オセロ」、タイの曲、日本民謡、ポピュラーソング等演奏。また、センターフィールドでドリルを披露。日本での練習でもなかなかはかどらず形ができただけで、タイへ行ってからは本番の日が近づくにつれて焦って合わなくなったが、どういうわけかどんなに難しいラインもきれいに合って、今までで最高の出来だった。「教祖百年祭の歌」「スターウォーズのテーマ」「デキシー」など演奏。その後、アンバサダー・ホテルにて日本大使館主催によるレセプションが開かれ、本場のタイダンスを教えてもらったり、プロのバンドの楽器を借りて吹くなどしてみんな楽しそうだったが、極度の疲労は隠せなかった。最後にバンコック市長から全員に記念品を手渡された。ホテルへ帰るとほとんどの者がすぐに寝てしまったようである。11時30分消灯。
4月5日 帰国 空港で楽器の積み込みをするため、楽器係他数名は3時に起床して空港へ向かった。その他の者は5時に起床して朝食をとり、ホテルの方やお世話になった皆様にお礼を言い空港へ向かった。香港、台北経由の飛行機で9時5分タイを出発。大役を果たした後とあって、機内でも各空港でもみんな晴れやかな顔つきで買い物をしたり、写真撮影をしたり楽しそうであった。日本時間の午後7時2分に大阪空港に到着。ロビーで永長先生と平松先生がそれぞれ挨拶をされ、全員握手してお別れし、拍手で見送った。その後バスで懐かしいおぢばへ帰ってきた。ご本部でお礼のおつとめをし、練習場へ帰って解散したのは、11時20分。
4月6日 録音 於練習場 タイ国王の要請で、われわれの演奏を録音して送ることになったので、タイ国演奏旅行の最後の仕事だと、一生懸命演奏させて頂いた。録音曲目:ワルツ「自然」「ハピネス」「国王を讃える歌」。この後、真柱邸と学校本部へ無事帰国したことを挨拶に行ってタイ演奏旅行の幕を閉じた。
天理高校吹奏楽部にとって3度目の海外演奏旅行であったが、非常に名誉ある仕事をさせて頂いて部員一同心より喜んでいる。国内での大きな行事で、他の団体をさしおいて自分たちが演奏させて頂くことはあっても、日本代表として海外へ遠征するというようなことは、そうめったにあることではない。この大役をつとめさせて頂いたことが、これからの練習に、また、卒業後何をするにしても大きな自信となるだろう。しかし、結果的にはタイの方々に喜んで頂き、国際親善に大きく役立つことができたが、その練習での経過を思いおこすと、考え直すべき問題もある。あるひとつの演奏会だけのために取り繕った音楽では、本当に心に訴えるということはできないであろう。いつどんな人に聴いて頂いても喜んでもらえるような素晴らしい演奏をしなければならない。これからも数多い行事のひとつひとつを成功さすことを考えるとともに、常にレベルの高い演奏をするために毎日の練習の1分1秒を大切にするということを再認識させられた行事であった。
楽朋会40周年記念演奏会-昼夜とも超満員-
4月7日 入学式 パレードをする予定だったが、雨のため練習場の玄関及び、練習場前で立奏した。
4月18日 教祖御誕生祭 於本部中庭 天理中学校との合同演奏であった。多くの信者さん方が見ておられ、しかもただ1曲ということで緊張した。本通り(木下書店前~神殿前)をパレード。
4月19日 天理教災害救援ひのきしん隊創立10周年記念パレード 於南門~神殿~消防掛~真南通り
4月20日 婦人会総会 於本部中庭 パレード 於真南通り
4月22日 よのもと会総会体育大会開会式 於本部中庭 パレード 於真南通り
4月24日 青年会総会 於本部中庭 パレード 於天理駅前~本通り~神殿~真南通り 今年も春の連続した教内行事を乗り越えることができた。これが土台となって、あとの演奏会をこなしていけるのである。新年度が始まったことを認識し、あ互いに励まし合った。
4月29日 ガール・スカウト発団式・パレード 於榛原小学校
5月2日 奏でる一手一つ 於天理市民会館 曲目:サンライズ・マーチ、吹奏楽のための序曲、他。天理中学校との合同演奏であった。今年から始めた定期的な天中との合同練習の成果を発揮した。
5月3日 天理教青年会甲府分会、婦人会甲府支部主催「教祖百年祭決起大会」 於敷島詰所
6月6日 五条青少年音楽祭 於五条市民会館
6月20日 課題曲研究会 於香芝公民館 奈良県吹奏楽連盟が毎年行っている課題曲研究会に今年もモデル・バンドとして参加した。A、Bは石崎一夫先生、C、Dは谷口眞先生が指揮。
演奏曲目:全日本吹奏楽コンクール課題曲
A.吹奏楽のためのカプリチオB.序奏とアレグロ
C.アイヌの輪舞
D.サンライズ・マーチ
6月27日 大宇陀演奏会 於大宇陀小学校体育館 小学生を対象にしての音楽教室と演奏会を行った。
7月13~20日 残寮合宿
7月19日 録音 於練習場 録音曲目:明日に向かって
7月24日~8月5日・夏季合宿 於北寮 ふしん寮6階にて合宿。昼は演奏旅行の曲を練習し、夜はおやさとパレードと息をつく間もない忙しさで、日増しに疲労がひどくなっていったが、大切なにをいがけのためだと励まし合って頑張った。
7月26日~8月4日 おやさとパレード 連日のパレードは決して楽なものではないが、子供たちの喜ぶ顔を見ると自分たちも楽しい気持ちになった。
7月28日 塚本紘一郎氏音合わせのため来校
7月30日 少年ひのきしん隊10周年記念パレード 於野球場 雨のためパレードは中止、野球場で演奏。
8月5~14日 夏季演奏旅行
8月5日 合宿で使わせて頂いた寮の清掃を行い、本部へ参拝に行った後、バスで静岡へと向かった。佐野原大教会宿泊。
8月6日 沼津市民文化会館にて演奏会。初日で緊張し過ぎたせいかミスがいくつかあった。この演奏旅行を通じて、静岡市以外はすべて2時開演と6時開演の2回公演であった。嶽東大教会宿泊。
8月7日 島田市中パレード及び浜松市民会館にて演奏会。パレードと演奏会の場所が違って、少しの休憩もなくみんなしんどそうであった。また演奏会の地が吹奏楽の盛んな浜松だったので、天理の名に恥じないようにと一生懸命演奏した。浜松分教会宿泊。
8月8日 袋井市中パレード及び藤枝市民会館にて演奏会。9時17分山名大教会に到着し、教祖百年祭の歌をお供え演奏した後、パレードに出発した。演奏会では、慣れてきたようだが、かたづけに時間がかかっていた。山名大教会宿泊。
8月9日 休養日。静波海岸にて海水浴。緊張がほぐれて休養としてはよかったが、この日の海水浴や夕方の自由外出が疲れのもととなって、あとの演奏会に与えた影響もあるようだった。長谷旅館宿泊。
8月10日 静岡教区少年大会及び演奏会。静岡市民文化会館にて。静岡大教会宿泊。
8月11日 豊橋市民会館演奏会。13日は特別なので、この日が演奏旅行での最後の演奏会と、みんな悔いの残らぬよう一生懸命演奏した。
8月12日 豊橋市中パレード。パレード後町の人たちが見ている前での積み込みだったので、やりにくそうだった。愛知教務支庁に到着し、多数のOBの方々に挨拶し食事になったが、緊張のせいか昼も夜も食事が進まなかった。神殿で練習し、11時に消灯。愛知教務支庁宿泊。
8月13日 天理楽朋会創立40周年記念演奏会 於名古屋市民会館 いつものプログラムに塚本紘一郎氏のサックス・ソロ2曲を加えての演奏会だった。準備からかたづけまでOBの方々に手伝って頂いた。また、聴衆は数時間前から入口に並んでいたと聞いて、みんな喜びの気持ちや緊張などが入り乱れていたようだったが、それらに応えられるような演奏をしようと力いっぱい演奏させて頂いた。この演奏旅行を通じて一番良い演奏だった。愛知教務支庁宿泊。
【演奏会プログラム】
シンフォニックバンドのための序曲 兼田敏作曲本年度吹奏楽コンクール課題曲
A.吹奏楽のためのカプリチオ
B.アイヌの輪舞
C.序奏とアレグロ民族舞曲 ショスタコービッチ作曲
グリーン・スリーブス
喜歌劇「こうもり」序曲 J.シュトラウス作曲
本年度吹奏楽コンクール課題曲 D.サンライズ・マーチ
海のメドレー
アランフェス協奏曲 ロドリゴ作曲
煙が目にしみる カーン作曲《サックス・ソロ 塚本紘一郎》TVまんがシリーズ
ヤング・ヒット・パレード
ハピネス ループ・ブン作曲
ハロー・ドーリー
カンカン・フォー・バンド
ブラジル
アンコール数曲。
8月14日 移動。お世話になった方々にお礼を言ってから帰途についた。途中東山動物園へ寄って短い休憩を楽しんだ。9日間で12回の演奏会と3回のパレードは、楽なスケジュールではないが、これもにをいがけであるし、またこれを真剣に勤めさせて頂くことによって2学期にまだまだ残っている行事、そしてコンクールで良い演奏ができるのである。
8月14日 東南アジア団参の方への演奏会 於練習場 演奏曲目:国王を讃える歌、日本民謡メドレー、ハピネス他。
8月14日 学生生徒修養会 於第2食堂 演奏曲目:原宿キッス、夏のヒロイン他。当日渡された楽譜もあり、焦ったが、何とか喜んで頂けるような演奏ができた。演奏旅行から帰ったばかりなので、非常に疲れているようだった。香川詰所にて宿泊。
8月15日 奈良県吹奏楽コンクール招待演奏 於奈良県文化会館 演奏曲目:喜歌劇「こうもり」序曲、グリーン・スリーブス、民族舞曲、第1組曲他。まだ演奏旅行の疲れがとれていなかったが、今日で最後だと自らに言い聞かせて頑張った。関西吹奏楽連盟では招待演奏の制度をとっていないため、今年は不出場ということで、例年にない半月もの休みを頂いた。
8月23日 関西吹奏楽コンクールで賞状受賞 於京都会館 関西代表として全日本吹奏楽コンクールで5年連続して金賞を受賞したことに対して賞状を頂いた。代表して部員2名出席
9月15日 演奏会 於桜井市民会館 演奏会及び市中パレード。練習不足のためミスが目立ち、納得のいく演奏ができなかった。まだまだ行事が続くという意識も加わって非常に焦りが出てきた。
9月17日 天高祭 於本校講堂 曲目:サンライズ・マーチ、こうもり、ブラジル他。日頃聴いてもらう機会のない天高生が対象で、みんな張りきって演奏した。
9月23日 NHK全国学校合奏コンクール録音 於天理大学講堂 曲目:ジークフリート葬送行進曲
10月2日 第6回アンサンブル大会 於練習場 第1回の時のようにパート別アンサンブル大会に戻り、各パートのまとまりをよくするように努力した。
10月26日 教祖百年祭まで三年千日の決起大会 於本部中庭 音楽研究会器楽部との合同演奏であった。コンクール招待演奏を目前にひかえて忙しい時期であったが、最も大切なご本部の御用で、しかも限られた人しか畳を敷き詰めた中庭に入れないというような大きな舞台で演奏させて頂くことができ、感激した。
10月27日 コンクール招待演奏のための練習 於天理市民会館
10月28日 東京へ出発 練習後、本部へ参拝に行き、たくさんの父兄やOBの方々に見送られながら午後10時45分、バスで東京へ出発した。
10月29日 午前6時33分東本大教会着。朝づとめに参拝させて頂いた後朝食をとり、昼まで仮眠をとった。昼食後東本大教会の地下ホールで音出しをした後、明治大学附属中野高校へ行き、9時12分まで練習。例年と違って小型のトラックで行ったので、高校の門の中までトラックで行くことができ、準備もかたづけも非常に楽であった。午前0時30分消灯。
10月30日 修徳学園演奏会 於葛飾区修徳学園体育館 6時に起床し、朝づとめ終了後神殿でお供え演奏を行った。演奏終了後朝食をとり、すぐに楽器を積み込んで修徳学園に向かった。30分ほどで到着し、セッティングと少しの合奏の後11時に舞台に上がった。コンクール前日で緊張と焦りのいろがあったが、修徳学園の先生方や生徒に喜んでもらえ、少し和らいだ雰囲気になった。演奏会終了後、明大中野高校へ行き合奏を行ったが、演奏会の疲れや焦りで曲がまとまらなかった。しかし、OBの方に指導して頂き、何とか落ち着きをとり戻した。11時15分消灯。
10月31日 東京教区少年大会演奏会 於明治大学附属中野高校 6時15分起床。朝づとめ後正装してからバスで中野高校へ向かった。10時過ぎに演奏開始。1時間ほどで終了した。子供たちには喜んでもらえたようだが、コンクールのことが気になってか満足な演奏ができず、よけいに焦りが強くなった。チューニング・ユニットも表面のガラスが破壊されてしまい、使用不能にもなりかけた。落ち着かないままかたづけてバスに乗り込み、コンクールが行われている普門館へと向かった。
10月31日 第30回全日本吹奏楽コンクール 於東京普門館 最後の練習をするべく普門館の横にある佼正学園でセッティングを行った。しかしここでも音が合わず30分以上チューニングを続けたが、結果は同じだった。仕方なくそのまま合奏し、4時6分普門館へと向かった。4時25分リハーサル室へ入り、チューニングを行った。はじめのうちは合わなかった音も次第に合っていき、30分ほど前の練習とはうってかわって曲がまとまっていた。55分に合奏を終わり、全員で「青年会歌」を大声で歌って舞台へと向かった。舞台裏でわれわれと同じく今年招待演奏の弘前南高校の演奏を聴きながら心を落ち着け、一粒ずつ御供さんを頂いた。舞台の照明が消えた。自分たちの出番だ。一瞬胸がしめつけられる感じがした。必要以上に緊張してしまった自分を戒め、3年間やってきたことを思いおこして、悔いの残らぬようにと誓った。全員の心に「単に曲を演奏しに行くのではなく、今日来ているすべての人の心に訴えにいくのだ」という思いがよぎった。曲目の紹介があり、新子先生の合図で起立した。われわれの起立や着席の動作がおもしろいのか、客席ではどよめきが起こっていた。5時31分演奏開始。指揮棒に全員の神経が集中していた。「こうもり」序曲………J.シュトラウスグリーン・スリーブス…イングランド民謡民族舞曲………………ショスタコービッチ一音一音の響きをかみしめ、一曲ごとにおこる大きな拍手に心なごませ、すべてをかけて一心不乱に演奏した。演奏終了後、5年連続金賞を受賞しての招待演奏を讃える表彰を受けて終わった。関係の先生方からあまりにも絶賛を浴びたので、本当に言葉どおりの演奏だったのかと、こちらが驚くほどであった。半年以上も前からコンクールの2曲を必死に練習するコンクールバンドではなく、コンクール10日ほど前から練習を始め、コンクール寸前まで別の行事があるわれわれにとっては毎年苦しい闘いとなる。しかし、本部の御用をはじめとして数多くの行事をこなしていくことによって、短期間の練習で素晴らしい演奏を作り上げることができるのである。外に出るとよく「天高はうまい」と言われるが、それは違う。今まで先輩が築いてこられた伝統を意地でも守り、少しでも発展させようと、他のどのバンドでも考えられないような数の行事をこなし、毎日を真剣に練習してこそ素晴らしい演奏ができるのであって、輝かしい伝統におぼれていてはすぐにつぶれてしまうだろう。
11月14日 天理楽朋会創立40周年記念総会 於東右1棟4階 聴いておられる方がほとんどOBの方ということで非常に緊張した。先生などからよく聞かされているスクールバンドの時代や教館で練習していた頃の話を思い出し、3年生は楽朋会に入れて頂く心構えをし、1、2年生はこれからの練習のあり方について考えさせられた。
11月15日 天理女子学院演奏会 於本校講堂 4年に1回開かれる演奏会である。天理女子学院の先生でありOBでもある大木博先生が11年ぶりに楽器を持ってトロンボーン・ソロをされた。
11月30日 第1回校内演奏会 於本校講堂 バンドからはクラリネット・アンサンブル、金管八重奏、ユーフォニアム・チューバの3団体が出演した。
11月25日 ファイナルコンサート '82 於天理市民会館 楽朋会主催なので、OBの方がすべてのことをやって下さるので、感謝の気持ちで演奏させて頂いた。演奏曲目:喜歌劇「こうもり」序曲、エルザの大聖堂への入場、民族舞曲、ジークフリート葬送行進曲、他。ゲスト:平原まこと(昭和45年度卒業)
11月27~28日 松本演奏旅行 授業終了後練習場に集合し、すぐに出発した。9時27分旅館地本屋に到着した。バスが長かったので少し疲れているようだった。夜食を頂いてから入浴し、集合して明日の連絡を聞いたあと11時に消灯した。
11月28日・松本社会文化会館にて演奏会及び市中パレード。7時に起床し、朝食をとったあと旅館の方にお礼を言って会館へと向かった。すぐにパレードの準備と音出しをしてバスで出発。15分ほどで松本駅に到着した。松本城まで「教祖百年祭の歌」「ナイルの守り」等でパレード。松本城をバスで出発する時、少年会の鼓笛隊が「笑顔であいさつたすけあい」を演奏しているのを聞き、なつかしい思いがした。文化会館に到着後すぐに舞台のセッティングと食事をとり、息をつくひまもなく舞台に上がった。・拝をして心を落ち着かせ、本番に臨んだ。ファイナルコンサートとほぼ同じプログラム。ゲストの平原先輩も同行された。
半世紀ほどの歴史を持つ吹奏楽部でも、今年は例年にないことが多くあった年で、部の方針も大きく移り変わっていく境になる年だったと思う。1年を振り返ってみると、大きな行事に目がいってしまい、日常の練習や行動の細かいところにも注意しながらやっているつもりでも、後になって考え直してみると全然できていなくて、いつまでたっても進歩していなかったことが多かったように思う。行事が間近で曲を仕上げる点でも焦りすぎて悪い結果もあり、ミーティングで激しい意見の食い違いも少なくなかった。しかし、今思い返すとそれらはみな部を一歩でも前進させようとしてやったことで、充実感となってかえってきている。とくに練習場を与えて頂いてからは毎日の練習は楽である。練習場所のない時代、教館で練習していた時代、食堂で練習していた時代、それぞれ今より時間も短く、楽器の練習以外の方が辛かったほどである。今の現役は最後の「食堂の味」さえ知らず、練習場が当たり前にさえなっている。食堂での練習を経験しているのは去年の3年生まで。設備が整っているのはよいことであるが、その楽さが「甘さ」になってはならない。時間が増し、設備が整ったならより高いものを目指して頑張らなければならない。それが良いものを与えて下さったことに報いるただ一つの手段であると思う。伝統を重んじるということをわれわれは常に感じているが、言葉だけで終わらせないためにはどうすればよいか。それは一つひとつの行事を確実にこなし、われわれの演奏を聴いて頂く人全員に喜んでもらえるようにすることだと思う。これからも何世紀も続いていくであろうこの天理高校吹奏楽部を発展させていくという名誉ある義務を背負う後輩に望むことは、伝統を守る厳しさを知ってほしいということと、決して妥協せず、常に完璧を目指してほしいということである。