第6章
新たな発展をめざして
第14節 谷口眞、指揮者に就任
昭和41年度
矢野清倒れる
谷口眞、指揮者に就任
2度目の3年連続優勝達成
大分、静岡、神奈川、愛媛へ演奏旅行
指導者不在でスタート
今年も例年通り、4月に新入部員35名を迎え、2年生20名、3年生17名を加えると70数名となり、昨年に劣らぬ大世帯となった。 本年度は全日本吹奏楽コンクールに、2回目の「3年連続制覇なるか!」という大きな目標と、ローズパレード参加のバンド「天理高校吹奏楽部」という名のもとに、なんとしてもやらねばならぬ!という使命をおびてスタートした。
だが内部の実情は非常に悪く、満足できる材料はあまりなかった。まず、長年吹奏楽部を指導して下さっていた指揮者の矢野清先生が教祖八十年祭の期間中に病気になられた。部員はお願いづとめをして先生のご回復を親神様にお願いした。身体の方は少し回復されたが、肝心の右腕がご不自由で、指導をして頂くのは到底無理であった。3年生26名が卒業し、レベルが落ちたと言われた私たちにとって、その上指揮者がいないということは、非常な不運でもあり、また、吹奏楽部の歴史上重大な危機でもあった。
こうして部員一同は3年連続全国制覇の年にあたり「こんなことでは…」と思い悩んだが、今こそ先生や先輩方から教えられた不屈の精神力を発揮するべき時旬であると、部員一同よく自覚し、持ち前の若さと根性で練習一筋に打ち込んだ。
しかし、4月に大きな行事をひかえて、指揮者の先生がおられないのは本当に心細かった。
4月に入って、たくさんある行事のために、谷口先生が指揮をして下さるようになり、例年以上に多忙な4月の行事であったが、無事に私たちの役を果たさせて頂いた。その後6月の声を聞く頃に、この谷口先生が正式に指揮者として就任され、みんな喜びも新たにたくさんの行事に参加し、いよいよ合宿に入ったのである。
合宿は例年子供おぢば帰りの期間中に行い、その間にうんと実力を養成し、それをその後にある演奏旅行で大いに発揮するのがならわしだ。だから合宿は実力養成期であるので、苦しいことも多い。が、部員一同、一つの屋根の下で生活するので、楽しいことも多々あった。子供おぢば帰りのプールサイド行事に参加しながら、続いて予定され トいる演奏旅行のためにも、部員一同、尚一層の努力を重ねた。
今年の演奏旅行は、8月6日から18日まで、静岡・神奈川方面であったが、この地方は吹奏楽も大変普及しているし、ローズパレードに参加したバンドとして、多くの人々が注目しているので、いい加減な演奏は絶対にできないと思い、みんな緊張して演奏した。関東方面には先輩もたくさんおられ、演奏終了後などよく来られて、温かく、しかも、厳しい激励の言葉をかけて下さって、私たちはより一層発奮した。今年は例年より日程が長く、1日4回の市中行進というのもあったが、この強行軍にあっても、一人の病人もなくつとめを終えさせて頂くことができた。
多忙な夏の行事も無事終了し、いよいよ私たちに与えられた課題であり、そしてまた、2度目の3年連続全国制覇の第1段階でもある関西吹奏楽コンクールを目前にひかえ、谷口先生指揮のもと、全員張り切って練習に励んだ。練習日数の不足で悩んだのは、昨年同様であった。コンクール練習に入ると、ご身上を押して矢野先生もご苦労下さり、より一層の指導をして下さった。
こうしてコンクールは9月11日神戸国際会館でその幕が切っておとされたのであるが、当日は多数の先輩たちが見守って下さった中で、谷口先生の指揮のもと、落ち着いて演奏でき、無事に大目標の第1段階を通り抜けることが出来た。
NHKコンクールは、昨年度に続き2年連続優勝という大望を抱いて全員頑張ったが、その結果は意外にも選外という、予想もできぬ結果に終わった。だがこれも「親神様の深い思惑あってのことである」との先生のお言葉に、部員一同反省し、残る全国大会には、なんとしても優勝しなければと決心を新たにし、全国大会に臨んだ。全国大会は11月20日、仙台の宮城県民会館で開かれた。全国大会に出発するにあたり、校長先生の「勝つことよりも、仙台の人たちに良い音楽を聞いてもらおうという心を忘れないように」とのお言葉を心に入れて、ステージに上がった。4時20分演奏開始。ここでも関西コンクールの時と同様、落ち着いて演奏でき、ついに吹奏楽史上初の2度目の3年連続(通算7回目)全国制覇をなしとげ、全員喜びの中に天理へ帰り、親神様にご報告申し上げ、この大任を無事果たさせて頂いた。
後輩諸君、大変苦しかったが、この大任を果たすに1、2年生の役割を、立派に勤めてくれてありがとう。われわれ3年生は、心から礼をいう。それとともに言い残しておきたいことは「今年のような苦しいことの連続の年でもやればできる。決して弱音を吐くな!」これは、われわれ3年生の今年の合言葉だったが、この気持ちをいつまでも忘れぬようにして、一手一つになりきって「天理高校吹奏楽部」の名が、世界に聞こえるまで頑張って下さい。来年も、より一層の活躍と発展を期待し、充分に勤めてくれることを祈り、3年生一同、卒業させて頂きます。
4月14日 おぢば子供大会 於天理プール 突然の雨に、全員濡れネズミになった。
4月18日 教祖御誕生祭今年は矢野先生ご身上のため森本先生の指揮で「奉祝歌」吹奏。
4月19日 天理教体育大会開会式午後はバスで大阪の扇町プールで行われた、日本水泳連盟前会長の故高石勝男氏の告別式に参列。「命を捨てて」「霊祭歌」など数曲演奏。
4月20日 婦人会総会
4月21日 青年会総会、パレード
4月24日 お供え演奏会 於本部中庭「陽気ぐらし」「たすけ一条」「奉祝歌」を演奏。午後は天理プールで、ミュージカル、民謡など数曲演奏。
4月25日 米国からの来客和楽館で、ローズパレードの時お世話になったフレズノ市長らにお礼の演奏。生徒代表がお礼と歓迎のメッセージを述べた。
5月1日 奈良スポーツ少年団結成式 於一条高校グラウンド式典後パレード。
5月8日 文科系クラブ研究発表会 於教館5月29~30日・兵神大教会よふぼく総決起大会今年最初の演奏旅行であるので、みんなとても張り切ってやらせて頂いた。
6月18~19日 彦根分教会80周年 同教会に宿泊。
7月10日 チャリティーショーに出演 於奈良市庁別館「ゴールデンボーイ」「ディキシーパトロール」を演奏。
夏休みはたった1日、年間70数回の行事
7月21~24日 大分方面演奏旅行夏休みに入ってすぐの演奏旅行なので、準備や練習の面で非常に忙しかった。
7月21日 12時過ぎに天理を出発して、大阪港の弁天埠頭へ向かい、4時半出港。船内は自由行動。部員は夕暮れの瀬戸の船旅を満喫する。
7月22日 午前7時過ぎ別府港に無事到着。少憩後、別府商業高校で練習し、市中パレードと夜に演奏会。宿泊は山海閣。
7月23日 午前は、杵築市でパレードと演奏会(文化会館)午後は中津市へ行き、豊田小学校で公開練習をし、その後市中パレード。夜は福沢記念会館で演奏会。「運命」などを演奏。この時会場内は非常に暑く、流れる汗が目に入り、楽譜を見るのに一苦労。全員暑さに負けずに、よく頑張って演奏した。
7月24日 大分方面へ。6時起床。全員この強行軍にもめげず元気に今日の会場へ。途中マリンパレス見学の後、県庁前で演奏して、市中パレード。午後は農業会館で2回の演奏会。以上で今回の国体協賛の大分県の演奏旅行は全日程終了。午後11時別府港発で帰途につく。
7月25日 正午過ぎに神戸港着。プールサイド行事が本日から始まるために、バスで天理プールに直行。息つく暇もなく、夜の行事のためのリハーサル。
7月25~8月4日 子供おぢば帰りひのきしん北寮で合宿。夏休みに入ってすぐに九州への演奏旅行を終え、天理へ帰ると同時に子供おぢば帰りに参加。本当に苦しいが、これから後には演奏旅行が二つもある。ここでもう一度気持ちを引き締めて、合宿に臨んだ。プールサイド行事で、テレビ漫画の主題歌である「オバケのQ太郎」「宇宙少年ソラン」「鉄腕アトム」などを演奏し、多くの子供たちにまじって、この時ばかりは合宿中の苦しさも忘れて、ともに楽しんだ。とくにこの合宿中、部員は一手一つになって頑張った。なかでも平均睡眠時間5時間、3年連続優勝の大目標達成のために、起床時間を早めて、裏のお墓地で早朝練習しているパートもあり、この目標達成に向かう部員の心に、より一層の決意を促した。ともあれ、合宿によって部員の心は互いにうちとけあい、コンクール優勝の最大の土台となったことはいうまでもない。起床ラッパで1日の生活が始まる合宿は苦しかったが、それ以上に楽しい思い出となった。
8月6~18日 静岡、神奈川方面演奏旅行この夏休み第2回目の演奏旅行であるので、この前の経験をフルに生かして、部員一同大いにハッスルした。夏の演奏旅行全般においていえるが、例年に比べて今年は、どことも立派な会場をお与え頂いたという点で、誠に恵まれていたと思う。ことに第2回目は、会場も良いし、聴衆の方々の耳も良いので、より慎重に吹いた。では演奏日記を簡単に書いておこう。
8月6日 バスで京都へ出て、8時23分発「こだま」で、最初の演奏地浜松へ。予定通りに着き、市役所前で市長の挨拶を受けて市中パレード。浜松分教会で昼食。市民会館で演奏会。山名大教会で宿泊。いつもながら教会の方々の温かいもてなしに、今後の健闘を誓い合う。
8月7日 7時起床。今日は、磐田市、掛川市、島田市、菊川町と4か所で市中行進。そして、午後8時から、袋井中学校で演奏会。宿泊は昨日と同じ山名大教会。この日は市中パレード4回という演奏旅行中最高記録。
8月8日 休養日(浜名湖で遊泳)昨日が大変強行なスケジュールであったので、今日は全然楽器を吹かないように日程が組まれてあった。宿泊は益津大教会。
8月9日 午前中に、藤枝、焼津両市で市中パレード。昼食は東益津分教会で頂き、午後には静岡市で市中行進。午後6時から駿府会館で演奏会。この会場に入った聴衆の数が5000人。さすがに広い会場だったが、ぎっしりと人で埋まっていた。この日は静岡大教会で宿泊。
8月10日 登呂遺跡見学後、沼津分教会で休憩。3時から沼津市で市中行進。夜は沼津市公会堂で演奏会。嶽東大教会で宿泊。
8月11日 吉原市民会館(現富士市)で、吉原市立商高と交歓演奏会。午後4時から清水市で、市中行進。夜は清水市市民会館で演奏会。
8月12日 静岡を後にして箱根を越えて小田原へ。小田原少年院で、行進と慰問の演奏会をする。小田原分教会で宿泊。
8月13日 有名な小田原城を背に「ああ小田原城」などを吹き、市民の方々に喜んで頂いた。小田原分教会宿泊。
8月14日 3時から横須賀市中パレード。その後横須賀港にある戦艦「三笠」の前で「軍艦マーチ」を特別演奏し、外人もたくさんいた中で、非常に喜んで頂いた。その後市民会館で演奏会。
8月15日 午前中休息。午後横浜の野外ステージで演奏会。夜は汽笛の音を聞きながら氷川丸で船中泊。
8月16日 夏季演奏旅行の日程もだいぶ終わりに近づいてきた。氷川丸に別れを告げ、県立音楽堂へ。疲れ切ったなかにも、最後まで頑張ろうという気力が、部員の中にあふれていた。演奏会も多数の聴衆を集めて無事に終了。明日を残すのみとなった。
8月17日 川崎市内パレード。午後労働会館で最後の演奏会。夜神奈川教務支庁で歓迎会。11時過ぎ「大和」にて一路天理に向かった。
8月18日 午前8時半無事天理に到着して、長かった第2回目の夏季演奏旅行の全日程を終了した。
8月19日 学生生徒修養会受講生のための 音楽会 於天理プール
8月26日 県吹奏楽コンクール 於王寺アリーナ
8月28~30日 岸和田、四国方面演奏旅行
8月28日 午前は岸和田市へ立ち寄り、泉陽支部のよのもと会で演奏、市中行進後、フェリーボートで鳴門に着き、徳島に向かう。8時から夜の徳島市内をパレード。撫養大教会で宿泊。
8月29日 午前中鳴門市の市民会館で演奏会。午後は文化センターで演奏会。8月30日・朝から鳴門公園で、水泳や買い物をしたりして、楽しいひとときを過ごし、天理に向かって出発。3時半頃に無事到着した。これをもって、夏季休暇中のすべての行事が無事終了したのである。
9月11日 全関西吹奏楽コンクール 於神戸国際会館 長く、そして本当に多忙だった夏季休暇中の行事も終わり、ついにこの日がやってきた。3年連続の第1段階が目前にある。一行は神戸国際会館に向かってバスで出発した。夏休み中は、とくにコンクールのための練習ができなかったので、2学期に入ってからの10日間は必死でやった。練習中は気合を入れてやり、当日は、気を楽に持ち、充分に日頃の成果を発揮するという作戦であったため、この日はとても明るいムードであった。ステージに上がる直前にも冗談が飛び出るほど、みんな落ち着いていた。ステージでも、コンクール経験者が少ないわりに、落ち着いていた。谷口先生の指揮のもと、日頃の成果をみよ! とばかりに演奏した。発表までの間はホッとしたのと、不安な気持ちが入り乱れていた。「A組第1位、天理市…」勝った!ついにやった。待ちにまったこの声がやっと聞けた。部員の歓声。みんな嬉しさを隠しきれず肩を抱き合っていた。すべて終わって会場から出たときの風のさわやかさが印象的であった。この喜びを全国大会へと、みんなでこの次の健闘を誓い合った。課題曲は「吹奏楽のための小狂詩曲」。自由曲は「吹奏楽のためのソナタ」である。
10月9日 本校二部体育祭、伊勢方面演奏旅行体育祭に参加、続いて伊勢方面演奏旅行に出発。1時から伊勢市内パレード。その後伊勢神宮で「国の鎮め」を奉納演奏。再びパレードを開始して2時に終了。3時から学生を対象とした演奏会。夜は一般向けの演奏会。「運命」「おやさま」「ハロードーリー」他を演奏。
10月10日 9時から外宮で行進。「国の鎮め」を吹奏後参拝。再び外宮前でマーチを演奏し、多くの参拝者に聞いて頂いた。それからお世話して下さった方々にお礼を言って天理に帰る。
10月14日 本校一部体育祭
10月16日 本校一部学芸祭
10月17日 一条高校で特別演奏会
10月19日 NHK「私の秘密」に出演「TV組曲」を演奏。
10月20日 NHK器楽合奏コンクール。昨年度に続いて2年連続の大望を抱いて演奏。「吹奏楽のためのソナタ」。しかし、後の発表では、意外にも選外という結果に終わった。無念残念の思いであったが、先生のお言葉で考えも新たに、全国大会は何としても勝たなければと、一段と練習に磨きをかけた。
2度目の3年連続優勝達成
11月18日 NHKコンクールで無念の涙をのんで、この大会にかけてきた私たちは、必勝の思いを胸に秘めて、仙台市へと向かった。夕方到着。寒気が身にしみわたり、なにか緊張させられた。宿泊は仙台大教会。
11月19日 6時半起床、朝づとめ参拝。練習場は市内の育英高校だ。温度が低いので音が合いにくく苦労した。午前中、学校側の強い希望で、生徒たちに30分ほど演奏。その後、明日の会場となる県民会館へリハーサルに行く。そこで音響や温度に注意しながら、14分間細心の心使いをして明日に備えた。全国大会であるだけに、他校の生徒の顔も緊張した感があった。宿舎に帰ってからも落ち着かず、明日のことを考えるとじっとしておれなかった。
11月20日 出発前に神殿で、御供を頂く。そして神様に、日頃の実力を充分発揮させて頂けるようお願いして、練習場に向かった。昨夜はそわそわしていたみんなも、今朝は落ち着いていたようであった。午前中最後の練習を終え、楽器を手にしたまま、バスに乗車。2時15分会場に到着。チューニング室に入り念入りにチューニング。少しでも良い演奏ができるようにと、わざわざ天理から持ってきた温度計で測ってみると、ステージとこのチューニング室との温度差が4度もあった。温度は音程上重要な問題である。この室の温度を上げて、もう一度チューニング。そしていよいよ本番。みんなの顔色は、ついにくるものがきたという、不安そうな表情から、かえって落ち着きへと変わっていた。これが今年の私たちに与えられた特権か、関西コンクールの時と同じく、みんなとても落ち着いていた。お互いに頑張ろうという気持ちが、緊張した表情の中にも現れていた。4時15分、高校の部第1番目としてステージへ。いよいよ時節到来。ライトが照らす。谷口先生の指揮のもとに、一心に吹いた。長いようでもあり、またほんの一瞬時のようでもあった14分間が終わった。みんなよく吹いた。よく頑張った。もう何も言うことはない。発表を待とう。みんな気のぬけたような顔、やるだけのことはやったという、充足感に満ちあふれたような顔つきだった。楽器をしまう時にも、楽器を抱きしめながら「よく鳴ってくれたなあ」と言いながら、手でさすっている者もいた。再び会場の客席の方に入って、他校の演奏に聞き入りながら声援を送った。全員ベストを尽くしきっただけに明るい表情で声援している。職場の部も終わって、いよいよ審査発表。司会者がもったいぶってマイクの前に立った。早く発表してくれ、と言ってやりたかった。午後8時49分「第1位、天理………」思わずみんなワッと声が出た。座席を叩く者、握手をし合う者、ぐっと唇をかみしめて嬉し泣きを我慢している者、肩を叩き合っている者など、みんな喜びを隠しきれなかった。思えば苦しかったし辛かった。しかし、今までの努力がやっと今報われたのだ。「3年連続優勝2回」という、今までどこの団体も成し遂げられなかった大記録を今ここに樹立することができたのだ。再び帰って優勝旗を、みんなでしっかり握った。夜の仙台の町を優勝旗を先頭に、青年会歌を合唱しながら徒歩で大教会へ帰ったのは10時前だった。神殿にはすでに大きく赤で「祝優勝」と書かれてあった。早速神様にこの喜びをご報告申し上げた。先生からも祝辞を頂いたが、その言葉を聞いているうちにも、優勝の実感がだんだんどわきあがってくる。さすがにその晩は眠れなかった。
11月21日 今までとは全然違った感じのすがすがしい朝を迎えたが、昨夜の興奮がまだ残っているようだった。午前中は松島見学。午後3時神殿前で「八十年祭の歌」をお供え演奏して、市中パレードに移り、昨日の会場であり、本日の優秀団体演奏会の会場でもある県民会館へ行く。同じ会場でも昨日とはまったく感じが違う。盛況のうちに優勝の喜びを音で再現して、楽しく演奏会を終わった。
11月22日 朝起きるとあたりは銀世界であった。準備万端整えて、思い出多い仙台市を8時40分に出発。途中、上野駅や東京駅では、たくさんの先輩方が出迎えて下さって、ともに優勝を喜んで頂いた。また、私たちの優勝を心から祝ってくれるかのように、富士山もその美しい姿を車窓いっぱいに見せてくれた。午後9時前無事天理に着き、お礼参拝し、後日の天中と合同の祝賀パレードを期して、全日程を終了した。
11月26日 優勝祝賀パレードNHK器楽合奏コンクールに全国優勝した天理中学校吹奏楽部と、全日本吹奏楽コンクールで優勝したわれわれと合同で、祝賀パレードを行い、月次祭で賑わっていたおぢばに花を添えさせて頂いた。
12月23~28日 愛媛方面演奏旅行
12月23日・ガールスカウト愛媛県支部の招きにより、28日まで愛媛県下の3市での演奏会のため、午前8時天理を出発し、11時間ほどバスに揺られて、最初の宿泊地である新居浜に着く。城下分教会に宿泊。
12月24日・午前中に市民会館で、小学生対象の音楽教室。午後から中学生対象の音楽教室。4時から市中パレード。夜には一般向けの演奏会と1日3回の演奏だったが、みんなよく頑張って、満足して頂いた。
12月25日・新居浜から松山へ。松山でも学生対象の音楽教室と市中パレード。そして一般向けの演奏会。宿泊は国立青年の家であった。
12月26日・松山から今治に向かう。海岸線を50キロほど走って今治に到着。音楽教室と夜に演奏会。終了後松山まで引き返したので、就寝は夜中の12時をまわっていた。これで四国の演奏旅行の行事は終わりだ。
12月27日・松山市の奥道後へ連れて行って頂く。そこで半日遊んだお礼にステージで半時間ほど演奏する。6時に出発。途中の教会で夕食を頂き、九州方面へ帰る部員とはここで別れて、8時半に一路天理へめざして夜行バスは出発した。
12月28日・午前10時無事天理着。四国の演奏旅行の全日程を終了。
こうして本年度は、無事3年連続制覇の夢を達成したのであるが、この陰には皆様方の厚いご支援と、先生方や先輩方の温かくしかも厳しいご指導を頂いたことに、心からお礼を申し上げます。とくに矢野先生には、身上をおしてご苦労頂き、感謝にたえません。
1、2年の諸君! 来年はNHKだけとなったが、谷口先生についてしっかり頑張り、この喜びを来年も味わってもらいたい。卒業にあたり、3年生一同心から声援を送りたい。「一手一つ」となり、この栄光を来年もまたここに記せるよう、健闘を祈る。
昭和42年度
練習場、教館から食堂へ
初の招待演奏
鳥取、島根演奏旅行
2学期から食堂が練習場に
今年も新入部員を数十名迎え、例年のごとく大世帯を背負ってスタートした。今年の目標はNHK全国器楽合奏コンクールで優勝することと、全日本吹奏楽コンクール3年連続優勝記念演奏会を無事終えることである。今年は各パートに3年生がいたので、4月の諸行事も比較的安定した演奏ができた。こうして5月、6月の小さな行事も楽に終え、合宿へと入った。しかし、4月から合宿まで感じたことは、何かしら横のつながりが薄いように思われた。けれどもそんなことも合宿練習で吹っ飛ばそうと意気盛んであった。
今年の合宿も昨年同様子供おぢば帰りの期間中に行われた。合宿は僕たちにとって欠かすことのできないほど重要な要素を含んでいる。それは心と心の触れ合いである。こうした触れ合いが演奏上において実によく現れるものである。もちろん実力を養成する期間であることはいうまでもない。午前、午後は練習。夜はプールサイド行事に出演というきつい日程も、部員同志が励まし合い、それほど苦にもならず全日程を終了することができた。
そして続いて待っているのは演奏旅行である。合宿中に蓄えた実力を、実際に舞台でフルに発揮するのがこの演奏旅行である。今年の演奏旅行は8月6日から15日までで、鳥取、島根方面であった。演奏旅行先々の演奏会では、いちいち僕たちに役立つことばかりで大変よい勉強になった。こうして長い演奏旅行も大きな事故なく全日程をつとめさせてもらうことができた。
そしていよいよ目標のNHKコンクールが9月17日行われた。そしてこの日、県代表に選ばれ、10月29日の近畿予選を待つことになった。いよいよその日の発表の時間がきた。が、意外にも近畿予選で負けた。おやっ?と思った。後から後から悔しさが込み上げてきた。しかし、いつまでもそうはいっておれない。残る招待演奏を成功させて最後を飾ろうと誓った。
こうして再び招待演奏を目指して頑張った。そして、11月25、26日の両日、東京新宿厚生年金会館で全日本吹奏楽コンクールが行われ、同時に招待演奏を行った。演奏後いろいろな先輩からアドバイスを受けたが、2日間にわたる招待演奏も好評のうちに無事終えた。
過去3年間にわたる全国優勝を成し遂げて下さった先輩に恥じない演奏ができたのも、今まで僕たちをご指導して下さった矢野先生、谷口先生その他の諸先輩のおかげである。とくにこのたびは、矢野先生が東京までご苦労下さり、お教え下さって本当にありがとうございました。 これで今年1年のすべての行事を終えさせて頂きました。1、2年生の諸君もよく頑張ってくれてありがとう。君たちには来年、再来年があります。今以上に頑張って「天理高校吹奏楽部」の名を名実ともに向上させて下さい。以下演奏日記を記す。
3月30日 天理市民会館落成記念演奏会
4月6日 NHK交響楽団の方来訪専門家の前で演奏し、内心どきどきしたが、演奏を終えてから大変うまいと褒められた。
4月18日 教祖御誕生祭
4月19日 天理教春季体育大会開会式
4月20日 婦人会総会
4月21日 青年会総会、記念パレード午後から記念行事の天理市内パレードにバンドがトップで演奏行進。
4月23日 天理教少年会結成式 於天理プールプールサイドで漫画曲を数曲演奏。
5月5日 奈良県児童福祉の会 於桜井小学校
5月6日 天高文科系クラブ発表会 於教館「キャンディード」「モリタート」など数曲演奏。
5月7日 奈良県ボーイスカウト大会 於大宇陀中学校
6月4日 録音 於教館「天理教少年会の歌」と「みんなで作ろう少年会」を教館で録音する。
6月10日 高野山高校及び教育委員会の方来訪
7月22日~8月6日 子供おぢば帰り 合宿 於北寮午前10時南礼拝場前へ集合、いよいよ今日から合宿だ。合宿、そしてすぐ後の演奏旅行を無事つとめさせて頂けるよう親神様にお願いする。
7月25日 プールサイド行事始まる夕方頃から天理プールは子供たちでいっぱいになる。夏の夜のひとときを楽しみにきた子供たちのために、僕らは一生懸命吹いた。また、帰参してくる子供たちの人数が多いために1部と2部に分けて公演した日も数日あった。この行事は8月4日まで続けられた。
8月2日 奈良県吹奏楽連盟夏季講習会 於奈良商業高校3年生全員が講師補佐として音階指導に当たった。
8月6~15日 山陰地方へ演奏旅行1年生を10数名含めての演奏旅行であったせいか、最初のうちは無駄な行動も多かったが、大きな事故もなく各地で好評のうちに終了できた。以下日程を簡単に記しておく。
8月6日 天理を9時に出発。バスは一路鳥取へと走る。今日は演奏会はなく、鳥取分教会に泊まる。
8月7日 鳥取市立体育館で昼と夜の2回演奏。第1日目の演奏会のためみんなあがりぎみであった。
8月8日 鳥取市から米子市に入る。午前中は市中行進。米子市公会堂で2回の演奏会。米府分教会に泊まる。
8月9日 倉吉市へ。倉吉福祉会館で2回の演奏会。倉吉分教会に泊まる。
8月10日 休養日を兼ねた鳥取砂丘の見学と海水浴。私服で昨日までの緊張感もすっかり吹っ飛び、楽しく遊ぶ。4時三朝温泉へ。6時半倉吉分教会帰着。9時半消灯。昼の疲れでぐっすり眠る。
8月11日 今日で鳥取県とお別れして島根県の松江市へ出発。市立白潟体育館で2回演奏会。松江分教会に泊まる。
8月12日 出雲市へ。出雲第一中学校の吹奏楽部員に歓迎される。市立体育館で一中と交歓演奏会。雲陽分教会と昭根分教会に分宿する。
8月13日 出雲大社へ。出雲大社で奉納演奏。「長慶子」「国の鎮め」を演奏後参拝し、全員御神酒を受ける。出雲一中で昼食後、一中の吹奏楽部員に送られて豊岡へと向かう。8時頃豊岡大教会に着き、同大教会に泊まる。
8月14日 今日は演奏旅行最後の演奏会である。市中行進後、市立体育館で2回演奏会。今日で最後なので思い残すことなく吹きまくった。教会に帰ってから演奏旅行を無事終了させてもらったことを親神様にお礼申し上げた。
8月15日 学生生徒修養会演奏会 於天理プール午前9時天理に向かう。出発前に、今日天理で行事があることを聞く。4時教館に着く。8時からの学生生徒修養会受講生のための演奏会に出演。いちれつ会館に泊まる。
8月26、27日 天理教体育大会夏季大会 於天理プール
8月29日 全日本吹奏楽コンクール奈良県地方 予選兼吹奏楽祭 於天理市民会館わが校は模範演奏を行う。
9月15日 関西吹奏楽コンクール 於高槻市民会館3年連続優勝記念演奏であったが、都合により出演できなかった。
9月17日 NHK器楽合奏コンクール県大会県大会といっても、このコンクールで演奏したテープで近畿、全国コンクールを行うので、事実上は全国コンクールと同じなのである。僕たちもそのことを頭において演奏した。曲目はシベリウス作曲「フィンランディア」であった。県代表に選ばれ10月29日の放送コンクール(近畿予選)を待つこととなった。
9月25日 よのもと会総会9月大会前夜祭
9月26日 よのもと会総会9月大会
10月5日 本校1部体育大会
10月6日 オーストラリアラグビーチーム 親善試合 於天高グランドイースタン・サバーブス対天理OB
10月7~8日 高山高等学校創立50周年記念 文化祭に招待演奏岐阜県高山市の高山高等学校に招かれて演奏会。
10月24日 本校1部学芸祭本校舎体育館で「運命」全楽章など演奏。夕方、天理高校柔道部国体全国優勝出迎え市中パレード。
10月29日 NHK器楽合奏コンクール近畿予選 (放送)京都の洛南高校に敗れた。実に意外であった。
11月3日 全国高等学校優勝弁論大会 於天理大学南棟講堂11月12日・近畿・北陸歯科医師学会総会 於天理市民会館
11月14日 真柱様お出直しの報に接し、しばらく部活動を休止11月22日・奈良県高校連合音楽祭11月23日・近畿警察音楽祭
初のコンクール招待演奏
11月24日 全日本吹奏楽コンクール招待演奏に出場するため、天理を8時半にたち、東京へ向かう。東大教会に泊まる。
11月25日 全日本吹奏楽コンクール中学の部と大学の部が行われた。僕たちは東大教会で練習し、昼食後完全にチューニングをやり直し、そのままバスに乗り新宿厚生年金会館へ向かう。会場前に着くと楽器を手にした学生や一般のお客さんでいっぱいだった。館内のチューニング室で最後のチューニングをする。みんなの耳は正しい音に合わそうと微妙に働いている。そして5時30分。舞台に上がった。曲目は「フィンランディア」と「ゴールデンボーイ」。指揮棒が上がるとみんなの目は一斉に指揮棒に集まった。プログラムの2曲を吹き終えると、すぐさま「アンコール!」という声が場内のあちこちから聞かれた。アンコールに「アラビアのローレンス」を演奏。5時50分演奏を終了。各部門の審査発表の後、場内の後始末をし大教会に帰る。明日も演奏があるので、すぐに寝た。
11月26日 今日は高校・職場・一般の部のコンクールが行われた。朝8時45分に教会を出発。開会式に参加する。高校の部を全部聞いてから明治神宮内で昼食をとり、近くの小学校でチューニングをする。出演前に会場で再びチューニングをし、4時15分演奏開始。3年生にとっては最後の演奏会で、もう悔いのないように吹きまくった。今日もアンコールの声が乱れ飛んだ。「ハワイアンフェスティバル」を演奏。そして朝比奈隆先生から谷口先生に3年連続優勝の記念品が贈られた。大教会に帰着後、演奏を無事終えたことをお礼申し上げる。
11月27日 いろいろとお世話して下さった教会の方々にお礼を申し上げ、全員そろって天理に向かう。午後7時20分天理に着く。12月9日・兼田敏氏来訪本年度の高校・大学・職場・一般の各部門の課題曲「バンドのためのディベルティメント」の作曲者である兼田敏先生が本校を訪問、兼田先生の指揮で課題曲を演奏し、いろいろとためになる注意をしてもらった。
以上で本年の全行事が終了したわけである。本年はNHKコンクールこそ逃したが、招待演奏という一見簡単そうで、実際は重い責任がかかっているこの仕事を無事終えたことは、今年の大変大きな成果であった。
また、このかげには矢野先生、谷口先生をはじめ、諸先生、諸先輩のなみなみならぬご指導を頂きましたことを、重ねてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。1、2年生の諸君!
来年は君たちに新しい試練がやってくるでしょう。それに打ち勝つ唯一のものは「一手一つの和」です。いついかなる時にも、この言葉を忘れずに前進して下さい。
最後に君たちの健闘を祈ります。
昭和43年度
真柱継承奉告祭
全日本コンクール惜敗
静岡、山口、広島演奏旅行
ドリル、TV初登場
本年も新入部員22名を迎え、3年生14名、2年生24名の総勢60名が決意を新たに、昭和11年以来の伝統の上に一歩を力強く踏み出した。とくに今年は真柱様継承奉告祭の年なので、前の真柱様のお言葉である「一手一つの見本は天理高校吹奏楽部である」と言われたことを胸におさめ、指揮棒一つに心を合わせるよう努力した。練習時間の短縮化にともない、一刻もおろそかにできなかった。その上3年生が例年より少なく不安ではあったが、反面各パートに3年生が1人ずついるという強みもあり、4月の教祖誕生旬間も全員参加し、例年のことではあるが、忘れられない最初のつらい時であった。5月に入り、テレビ出演の話で部員一同大はりきりであった。
そして、夏の合宿。いわゆる本年第2の成長期に突入した。昼は演奏旅行用の曲を主として練習。夜はプールサイドで大活躍。「ゲゲゲの鬼太郎」や「ウルトラセブン」の歌が演奏されると、プールサイドは一段とにぎやかになり、われわれは、それを見て大変楽しかった。そのなかにも辛いことや、悲しいことがいろいろあった。それだけに実力養成に役立った。演奏旅行の曲もでき上がり、この頃になると1年生の目つき、顔色が変わってくる。みなその日その日を必死でつとめている。1年間を通じ、「根性」という言葉をよく聞いたり、言ったりするのもこの頃である。よくやった1年生、この段階を経なくては次に行けないのだ。
吹奏楽部としては最大の行事のひとつである今夏の演奏旅行は、静岡、広島、山口方面であった。行く先々の土地の人たちに大変喜んで頂き、教会関係者の人々に深く感謝され、この旅行がにをいがけに万分の一なりともお役に立っていることを、みな一層心に銘記し、舞台度胸や技術に著しい向上をみて、いろいろなみやげ話を持ち帰り無事終了した。その後すぐコンクール練習に入った。部員一同暗黙のうち「何が何でも勝ち取る」の誓いのもとに、連日谷口先生、野口先生の指導を受け、矢野先生に何度も見て頂き、今までの先輩の苦労をかみしめて頑張った。
関西吹奏楽コンクールでは見事優勝を獲得した。また、昨年までのNHK器楽合奏コンクールにかわる全国学校合奏コンクールに参加(録音テープ)し、奈良県代表となった。引き続き今年の重要行事のひとつである真柱継承奉告祭に、多数のOBの方々とともに参加、久し振りに矢野先生に棒を振って頂く。あとで、ある人が矢野先生が指揮をしておられるのを見て、後ろ姿が山田耕筰先生にそっくりだといわれるのを聞いたのが印象深かった。
関西代表として全日本吹奏楽コンクールに臨むためにどれほど練習したことか。谷口先生に何度叱られたことか。とにかく精一杯の全力投球だった。全エネルギーを出した。しかし、結果は2位だった。指導の諸先生に申し訳ない気持ちであった。教内・教外の皆様のご期待に添い得なかったのである。部員一同、くやしい思いでいっぱいだったが、勝っても負けてもさすがは天理だと言われて帰ろうと心に誓い、天理のマナーを最後まで崩さず精一杯つとめさせて頂いた。また、全国学校合奏コンクールにも近畿代表となった。
このようにコンクールには優勝できなかったが、それよりももっと大きなものをこの場で学べたと思う。それを大切にして、また、それを成長させて1、2年生は来年こそわれわれにできなかったことを成し遂げ、部の歴史の1ぺージにつけ加えて下さい。しかし、たえず忘れてはならぬことは、天理のド根性である。今度こそやり遂げて下さい。
4月18日 教祖御誕生祭
4月20日 婦人会総会及び青年会総会前夜祭
4月21日 青年会総会・記念パレード新体制に入っての最初の行事。1年生の顔には、驚きの色がうかがえる。ガンバレ1年生。
4月27日 NHKテレビ「緑のコンサート」録画テレビ出演に全員大ハッスル。しかし、終わりになると録画の撮り直しが続き、疲れが増してくる。いい音を、よい画面をと頑張った。
4月28日 前真柱様追悼式(県体育連盟主催)於橿原 式典のファンファーレを演奏するとき、ふと当バンドを可愛がって下さった前真柱様のお顔が浮かんだ。真柱様見ていて下さい。頑張りますと思いながら演奏し、前真柱様の偉大さを偲んだ。
5月5日 NHKテレビ「緑のコンサート」放映
6月22日 富雄中学校にて演奏会 天理市以外での本年度初めての演奏会。演奏も行動も外では初めてなので、少しミスがあったが、皆様に喜んで頂いた。
6月26日 真柱継承奉告祭慶祝歌「火水風」発表会
7月22日~8月4日 合宿 於北寮よふぼく塾 この間、こどもおぢば帰りのプールサイド行事に参加、多くの人々に喜んで頂き、われわれも楽しく演奏した。この期間中、プールサイドで強風のため事故が起こったが、この時、われわれの演奏のおかげで騒ぐ人もなく、けが人も事故によるものだけだったことをプールサイド主任先生から言われた時、涙が出るほど嬉しく思い、感激し、明日もしっかりみんなのために演奏させて頂こうと決心した。
静岡から下関まで大移動
8月5~20日 夏季演奏旅行 いよいよ楽しく、また、苦しい演奏旅行である。部員50名が参加した。1年生も今までの経験をよく生かして頑張ったが、少しミスもあったようだ。けれども大きな事故もなく無事終了できた。どの会場でも聴衆と演奏者はひとつに溶け込んで、快い雰囲気に満ちていた。しかし、連日酷暑の中の演奏会、炎天下の市中パレードはたしかに苦しい。だがこれがにをいがけにつながると思えば、これしきの苦しみは何のそのと、若さでこれを克服した。
8月5日 午後2時41分天理を出発。関西線経由で名古屋へ。名古屋から新幹線で浜松に午後7時22分到着。2年ぶりの演奏地であり、なつかしい。明日からしっかり頑張るぞ! 山名大教会に泊まる。
8月6日 浜松市民会館にて演奏会2回。ここは2年前も初演の会場であった。浜松工業高校の友情出演があった。演奏会の主な曲目は、
〔1部〕イドメネオ、コンクール課題曲、プレリュードとフーガ、ゴールデンボーイ、メリーポピンズ、シンフォニックダンス。
〔2部〕アラビアのローレンス、民謡、マンガ、ジェラシー、ブルーシャトーなどであった。
8月7日 山名大教会をあとに、バスで島田市へ向かう。七夕祭の中での行進の後、白羽大教会にて休憩。藤枝東高校からのインタビューに応えた。島田市民会館で演奏会1回。益津大教会に泊まる。8月8日 益津大教会の方に演奏を聴いて頂き、バスで嶽東大教会に向かう。沼津市公会堂で昼夜演奏会2回。同教会に泊まる。
8月9日 休養日。バスで富士五湖めぐり。曇りの日であったが雲の切れ目から見る雄大な富士の姿が印象的であった。5合目までバスで登り、更に風穴、白糸の滝など見学。楽しく過ごし、みどり旅館に泊まる。
8月10日 今日は静岡県最後の演奏会。静岡市中行進、途中台風7号による雨のため中止。静岡駿府会館にて演奏会1回。静岡大教会に泊まる。
8月11日 静岡教区の方にお別れし、7時4分発「こだま」に乗車。一路山口県下関に向かう。午後8時着。馬関分教会で一日中の汽車の旅の疲れをいやす。
8月12日 下関市中行進。下関市体育館で演奏会2回。昨夜と同じく馬関分教会に泊まる。
8月13日 バスで小野田に向かい、小野田市中行進。すぐに宇部に向かい、宇部市中行進。そして、宇部渡辺翁記念会館にて演奏会2回。柏木旅館に泊まる。
8月14日 バスで防府に出発。防府市公会堂で演奏会。市中行進。そしてまた演奏会。防府温泉観光ホテルに泊まる。
8月15日 休養日。秋芳洞にて、旅の疲れもなんのその一日中楽しく過ごした。周東大教会に泊まる。
8月16日 岩国市において市中行進2回。途中雨やどり。岩国市体育館において演奏会1回。
8月17日 今日で山口県ともお別れ。周東大教会をバスで発ち、広島県安芸津に到着。市中行進1回。安芸津中学校講堂にて演奏会2回。会場は狭かったけれど、会場に一杯のお客さん方に満足して頂けるよう精一杯演奏した。湯坂温泉加茂川荘に泊まる。
8月18日 安芸津からバス・船を乗り継いで因島着。そして市中行進。土生中学校体育館にて演奏会2回。因南分教会に泊まる。
8月19日 因島を出発。船で生口島へ。到着後市中行進。瀬戸田高校体育館にて演奏会。今日は演奏旅行最後の日であり、みんな精一杯、悔いの残らぬようにつとめた。生口島分教会に泊まる。
8月20日 生口島を船で出発。三原で国鉄急行に乗り、一路天理に向かう。午後6時天理着。
8月23日 奈良県吹奏楽コンクール 於天理市民会館わが校は模範演奏を行った。
8月26日 天理教体育大会夏季大会 於天理プール
9月8日 関西吹奏楽コンクール 於大阪厚生年金会館 1年間の空白があったが、部員一同全国優勝目指して、大阪厚生年金会館に向かう。船場大教会にて練習、チューニング。高校の部のトップで舞台に上がる。お互いに気分をほぐし合いながら、幕が上がった。精一杯の演奏であった。審査の発表「第1位、奈良県代表……」歓声があがる。やったぞ! 今度は、全日本コンクール目指して頑張るぞ、とみんな心に誓う。課題曲「幻想曲・移り気な5度のムード」。自由曲「プレリュードとフーガ」
9月15日 天理教青年会奈良大会 於奈良県文化会館
9月22日 桜井高校文化祭桜井高校文化祭に招待出演演奏。女生徒ばかりなので、部員一同大いに張りきった。
10月6日 本校二部体育祭
10月10日 全国学校合奏コンクールの録音 於食堂 みんな全国コンクールの舞台に上がった気持ちで演奏。
10月11日 本校一部体育祭
10月13日 北寮野外すき焼きパーティーに出演 於島ヶ原村の川原 寮生といっしょに、すき焼きをごちそうになり、楽しい曲を数曲演奏。楽しい一日であった。
10月19日 全国学校合奏コンクール審査発表 奈良県代表となる。
10月21日 本校学芸祭
真柱継承奉告祭
10月24~27日 真柱様継承奉告祭(勾田寮にて合宿)1ヵ月前からこの日のために練習してきた。天中生天高生に加えて、各地からたくさんのOBの方も帰って来られての合同演奏。総勢およそ120名。「おやさま」「ハンガリア狂詩曲」「イタリア奇想曲」など、他にこの日のために書かれたマーチ「よろこび」、序曲「セレブレーション」などを演奏。矢野先生も指揮をとられ、われわれにとっては忘れることのできない演奏会であった。そして、その他、慶びの前夜祭、記念パレード、慶びの集い、慶びの歌まつりなどに参加。各地から帰って来られたたくさんの信者さん方にも大変喜んで頂いた。
11月15日 全国学校合奏コンクール審査発表 近畿代表となる。
11月16~17日 全日本吹奏楽コンクール 於京都会館
11月16日 全日本吹奏楽コンクール出場のため、午前8時10分京都に向かって出発。朝、本部に参拝「最高の演奏ができるよう」お願いづとめをした。午前10時、京都河原町大教会着。昼食後練習、チューニングをして、京都会館でのリハーサルに向かう。矢野先生も来られて、諸注意を与えられた。谷口先生の指揮で曲を通してリハーサル終わり。河原町大教会に戻り、夕食後練習。大教会に泊まる。
11月17日 朝6時起床。いよいよ待ちにまったコンクールである。朝食後、練習。昼食をとって、練習。そしてチューニング。最後の練習だ。あとは精一杯吹くだけだ。後かたづけをして、京都会館に向かった。3時13分舞台に上がる。みんな、一生懸命吹いた。とにかく、やれるだけのことをやった。演奏を終わって、退場。その間の時間の何と長くて短かったことか。楽器をかたづけて、他校の演奏を聞き、審査発表を聞く。「高校の部、第1位、西部代表……。第2位、関西代表天理高等学校」結果は2位であった。みんないっしょに河原町大教会に戻る。そして、親神様にご報告した。それから夕食を頂いたが、みんなあまり食事が進まない。しかし、3年生全員でもう一度しっかりまとまって、「これが天理だ」と言われるような態度で臨もうと言い合って、1、2年生も全員そろって顔には笑顔さえ見せ、元気に京都会館に向かい、表彰式に臨んだ。学校合奏コンクールの全国審査のための録音目指して、全員心を崩さず奮起することを誓う。
11月24日 奈良少年刑務所に慰問演奏
12月1日 全国学校合奏コンクール録音 於大阪NHKスタジオ
以上、本年は全日本コンクールの結果は2位に終わったけれど、みんな大切なものを心に残すことができたと思う。
一番大切なものは、やはり真の「一手一つの和」と「根性」だと思う。本年度の成績についての反省の上に立って、諸先生、諸先輩のご指導のもとに来年こそは今年の失敗を繰り返さぬよう1、2年生の諸君の力によって真の「一手一つの和」を実現し、根性をもって頑張って下さい。そして、後輩諸君がこの「天理高校吹奏楽部」の伝統を引き継いでさらに立派なものにしていくことを祈ります。
昭和44年度
全日本コンクール8度目の優勝
山形、山梨、長野演奏旅行
集中豪雨で演奏会が中止
今年も新学年を迎え20数名の1年生が入ってきた。2年生19名、3年生24名を加えると70名という大世帯となった。 昨年は惜しくも全国2位という結果に終わり、また、一昨年は招待演奏であったので、今年こそ優勝しないと、今年の3年生は1度の優勝経験もなしで卒業するという結果になってしまう。それでとくに3年生にとっては非常に大切な1年間であったと思う。昨年、九州の福岡電波高校に敗れた、あの京都会館でのくやしさをしっかり心の底に置き、今年1年は「臥薪嘗胆」を合言葉に全力を尽くした。
今年は3年生が24名という多人数だったので、演奏面ではある程度安定してはいたが、統制の面でのむつかさしが多少あった。練習、練習、行事、行事の連続で、さぼったりする者もいたが、しかし、そうした時、お互いに戒め合い、また、元気づけ合って進んできた。時には同級生の者に対しても説教じみたことを言ったり、けんかしたりしたこともあった。反面、語り合ったりすることも忘れなかった。それぞれ個性の強い者ばかり集まった24名ではあるが、日に日に全国大会を目指して心をひとつにしていった。そして2年生をひっぱり、1年生を指導しながら『心に訴える演奏』を目標に掲げ、11月のコンクールに向かって努力を続けた。
4月から順次、心に残ったことを書き留めておきたいと思う。
今年も行事の多い4月を迎え、例年のように教祖誕生祭をはじめ数々の行事に参加し、3年生一同最後の誕生旬間行事への参加だと思い勇んでつとめた。また、この月の26日の月次祭には天理教音楽研究会第1回定期演奏会をOBの方々とともに無事終えた。
5月2日には、名古屋での行事に参加した。今年初めての県外行事参加であったので、4月の気分を一掃して参加した。
6月にはコンクールの課題曲も発表され、われわれ一同もそれを期待と不安のうちに迎えた。しかし、自由曲がまだはっきり決まらないうちに夏休みを迎え、合宿に入った。今年の合宿は、いちれつ会館を宿舎として行われ、プールサイド行事取り止めの噂もあったが、例年通り行われ、参加させて頂いた。練習は天高本校舎食堂で行われ、真夏の暑い中ではあるが、学校の取り計らいで冷房装置が入ったので、大変練習しやすい環境であった。また、日程の方も午前中に無理なスケジュールを組まずに、パート交代制の練習をしたり、勉強する時間も設けられていた。しかし、暑い最中のことであり、また、睡眠時間をあまりとらないせいか、倒れる者も数名あった。なんとか合宿を終え、山形、山梨、長野方面への演奏旅行に出発した。
旅行中で一番印象に残っていることといえば、やはり、8月8日のことである。その日、朝6時に起き、朝食後7時半に旅館を出発し、鶴岡で山形方面へ向かう列車に乗った。しかし、集中豪雨のために、近くの川が氾濫して列車不通となったため、駅構内で4時間半ほど待った。待てども待てども列車は動かず、2台のバスを急遽チャーターしてようやく1時にバスに乗り込んだ。普通2時間ほどで山形市まで行くことができるのだが、道路も不通になっているのでわざわざ秋田県をまわり、8時間かかって山形市民会館に到着。昼頃から待って頂いたお客様のために、心を込めて1時間半を吹きまくった。夏の演奏旅行において他に楽しいこともあったが、やはり苦しみの方が大きかったように思う。全員無事に天理に帰ってきて、息をつく暇もなく翌日には、西宮球場で行われた「ムーンライトフェスティバル」に参加した。
合宿中に突然決まった自由曲はリストの大曲とあって、しかもその上、大部分カットしなければならないため、不安ではあったが、それを補うためにも、課題曲を抜群の出来にしなければならないと部員一同、コンクールに出る者も出ない者も心を合わせて練習に励んだ。
9月の関西吹奏楽コンクールでは、優勝できたものの、成績はあまり良くなかった。この調子でいくと全国コンクールでの優勝は危ないと各自肝に銘じ、一層の努力を誓い合った。この月の日曜日もほとんど行事が続いた。
10月に入り、体育祭、学芸祭、また、よのもと会総会も無事終えて、いよいよコンクールまでわずかとなった。11月に入ると、練習にもいよいよ熱が入ってきた。毎日、授業が終わってから8時頃まで練習である。…演奏……ピーッと注意の笛がなる……先生の大きな声…………部員の返事が響く……再び演奏……また 笛がなる…………先生の声も熱をもってくる…大きな声……コンクール2日前、出発前夜は食堂での最後の練習を終えて楽器の積み込みをして、全員で本部参拝に行った。
全日本コンクール8度目の優勝
11月15日の朝8時過ぎ、それぞれの思いを心に抱いて天高を出発した。午後2時からの会場リハーサルでの演奏は会心の出来にはほど遠かったように思った。しかし、弱音をはく者はいなかった。夕方、愛町分教会で2、3度練習して、その日の練習は終わった。いよいよ明日が勝負だと思うと、多少自信はあるとはいえ、やはり気になった。先生に注意された箇所を夜遅くまでこっそりと練習していた部員もいた。
いよいよコンクール当日、朝早くから起き出して教会周辺の清掃ひのきしんをした。そして、練習は9時頃から2時間ほど続いた。昼食をいただいてから神殿で参拝し、愛町分教会をあとにして、バスで会場の名古屋市公会堂に向かった。バスの中でのみんなは意外と落ち着いていた。会場に着いて一度公園で吹いた後、すぐに舞台の袖に入った。会場内では一切音を出せないので、朝教会でチューニングをしただけである。いささか不安でもあったが、合わそうという気があれば絶対に合うんだと自分に言い聞かせて舞台に上がった。高校の部、第1番目の演奏とあって、中には顔を赤くしていた者もあったが、全体的に落ち着いて、谷口先生の指揮棒についていけた。始まる前に楽器に御供さんの包み紙を貼っていた者もいた。演奏時間11分40秒、意外と早かった。しかし、演奏している時はすごく長く感じた。ひょっとしたら時間超過じゃないかとさえ思った。今まで一番長く感じ、また一番充実感を感じた12分間であったと思う。退場するとみんなの口から一斉に溜め息が出た。1年間の苦労、また3年生にとっては3年間の苦労がこの12分にかかっていたからだ。この12分にわれわれは青春をかけてきたと言っても過言ではない。やれるだけやった。何も後悔することはないというのが、みんなの声であった。
……「高校の部、第1位、関西……」残りの言葉は歓声に消されてしまった。みんな抱き合ったり、喜びいっぱいに外へ飛び出して行ったり、またお互いに肩をたたき合ったりしていた。よかったの一言であった。3年間の苦労が報われたと痛切に感じた。そして去年の雪辱をとげたという喜びとともに、何か複雑な気持ちであった。表彰式を終えて、恩師矢野先生のところへ報告にいった。
愛町分教会に帰ると、いたるところに「祝優勝」と書かれた提灯や紙が掲げてあるのには驚いた。聞くところによれば、前日からすでに用意されていたとのこと。早速親神様にこの喜びを報告した。それから教会の人々に聴いて頂くために簡単な演奏会をしたが、さすがにその晩は寝つかれなかった。
優勝してはじめての朝を迎えた。午前中は名古屋を見学して、昼過ぎにいろいろお世話になった教会をあとにした。天理駅前には4時に到着。すぐ祝賀パレードが行われた。道路を埋めつくした人々の顔を見、紙吹雪を浴びながら吹いている時、つくづくと優勝できてよかったと思った。本部に着くとすぐ祝賀会が行われた。そして親神様に優勝したことを報告、パチ、パチ、パチ、パチと四つそろった拍手の音、そして広い参拝場に座って頭を下げていると自然に涙がこぼれてきた。回廊を歩くと、周りに足音だけが響く。苦しかった練習、合宿、いろいろな行事や、先輩や先生から怒られた時のことなどが頭をかすめる。本当に充実した3年間。いろんなことを頭に思い浮かべながら、真柱邸に挨拶にうかがい、学校にもどった。
3月15日 第3回万博デー 御堂筋パレード
4月18日 教祖御誕生祭
4月20日 婦人会総会・天理教体育祭
4月21日 青年会総会・ひのきしん隊15周年記念大会
4月26日 音楽研究会第1回定期演奏会 於天理市民会館 音楽研究会器楽部として初めての演奏会であったが、無事終了、忙しかった4月の行事もすべて終了した。「イタリアン奇想曲」「ゴールデン・ボーイ」「サマー・タイム(トロンボーンソロ:浅田徳雄先輩)」
5月2日 名古屋に向かって出発。東愛大教会に宿泊。
5月3日 親子ぐるみ慶びの広場 於瑞穂競技場
5月10日 文化系クラブ発表会 現役だけでの初めての演奏会であったし、また、知っている者ばかりが聴いている演奏会であったので少しあがった者もいたようだ。
5月28日 ヤマハニュース写真撮影 於真南通り、西グランド
6月1日 日曜こどもおぢばがえり行事参加
6月29日 彦根演奏旅行 於彦根市民会館
7月22日~8月5日 合宿(いちれつ会館)こどもおぢばがえり行事参加
8月6~19日 山形、山梨、長野演奏旅行
8月6日 酒田市に向かい天理を出発(特急白鳥)
8月7日 酒田市でパレード、演奏会 ・鶴岡市演奏会
8月8日 山形市演奏会 異例の夜9時からの演奏会。これは豪雨による列車不通のため。このため米沢市で開かれるはずの演奏会は中止。
8月9日 甲府へ向かう(列車)
8月10日 甲府市民会館で演奏会、パレード
8月11日 山梨市市中パレード中止 雨のため中止になったが、そのかわり、駅構内で数曲演奏。その後は休養日。恵林寺、昇仙峡を見学したが、あいにくの雨だった。
8月12日 富士吉田市、都留市で各々パレードと演奏会(9~12日甲府大教会に宿泊)
8月13日 岡谷市演奏会 山王閣に宿泊。諏訪湖や山に囲まれ、また大変空気がおいしかった。
8月14日 松本市演奏会(地本屋に宿泊)
8月15日 飯田市演奏会(伊那大教会に宿泊)
8月16日 休養日 川中島、信玄、謙信ゆかりの地をまわった。善光寺ヘルスセンターに宿泊。
8月17日 長野刑務所及び長野市民会館演奏会(上田温泉に宿泊)
8月18日 上田市演奏会 上田、小諸、田中で各パレード。演奏会2回の強行軍であったが、最後の演奏会であるので思う存分吹いた。上田温泉に宿泊。
8月19日 一路天理に向かう(バス)
8月20日 ムーンライト・フェスティバル 於西宮球場 朝日放送主催万博関連行事。ピンキーとキラーズと話をして写真を撮っている者もいた。「アラビアのローレンス」「コパカバーナ」を演奏。
8月22日 奈良県吹奏楽祭(兼コンクール)
9月7日 関西吹奏楽コンクール 於奈良県文化会館 14回目の優勝を成し遂げる。2位鳴尾高校、3位洛南高校。
9月13日 舞鶴、福井方面演奏旅行出発 ・舞鶴市演奏会 山陰大教会に宿泊。
9月14日 舞鶴市演奏会 パレードと演奏会。県民会館と青年会館に分宿。
9月15日 福井市演奏会 パレードと演奏会。
9月21日 北寮すき焼きパーティー演奏会
10月5日 二部体育祭
10月9日 一部体育祭 開会式と閉会式に演奏。
10月14日 学芸祭 於本校舎講堂 ベートーベンの序曲「コリオラン」、交響曲「運命」全楽章他を演奏。
10月26日 よのもと会総会
11月2日 部落解放奨学生全国集会 於直会会場
11月15日 朝、名古屋に向かって出発
11月16日 全日本吹奏楽コンクール 於名古屋市公会堂 通算8度目の優勝を成し遂げる。課題曲は「南極点への序曲」。自由曲は「前奏曲」。第2位浜松工業高校、第3位富山商業高校。
11月17日 帰校、祝賀市中パレード
11月23日 全国高校優勝弁論大会
本年は念願の8度目の全国優勝を成し遂げた。1年生の時に招待演奏を体験、2年生の時には惜敗したくやしさに涙を流し、そして3年生になってやっと掴んだ全国優勝。3年生にとって本当に運の良い3年間であったような気がする。この陰には教内外の皆様方の温かいご支援があったこと、また、矢野先生には不自由なご身上にもかかわらず、何度も足を運んで来て頂いたことをわれわれ一同本当に心から感謝しています。
1、2年生の諸君も、新しい目標に向かって一歩ずつ確実に進んで下さい。我々もこの3年間に経験したことを土台にして、卒業後もそれぞれの道で頑張りたいと思っています。
3年生24名卒業にあたり、心から君らに声援を送りたい。今年われわれが味わった喜びを、君たちにもかみしめてもらえるよう健闘を祈ってやまない。
自由曲での誤算
-谷口 眞-
4月の初め「中世風な音による変奏」という曲が見つかり、自由曲としてアメリカの出版社に航空便で注文した。航空便で1ヵ月、普通便では3ヵ月もかかる。ところが1ヵ月も過ぎ、6月中頃になっても何の音沙汰もない。課題曲は6月1日既に発売されている。楽器店を通じ調べたがまったくわからない。6月が過ぎて7月21日、やっと楽譜が届いた。どこで間違ったか普通便できていたのだ。先ず曲の内容を知る必要がある。すぐ音を出してみた。ところが5つのソロ演奏がある。これはよくあがってしまうコンクールには非常にマイナスだ。次に聞かせどころが弱すぎる。矢野先生ともいろいろ検討したが、最終的に自由曲としては不適当と決まった。さあ大変である。8月3日には演奏曲目、出演者名簿を提出しなければならない。やむなく選んだのが、リスト作曲「前奏曲」であった。
カット大作戦
この「前奏曲」は、普通オーケストラの演奏で17分30秒という長い曲である。本校のバンドでは18分を優に越えてしまう。2曲で12分というコンクールの時間制限は、自由曲を5分40秒以内で収めるということである。結局、3分の2以上はカットしなければならない。ところが、この曲の導入部は2分30秒ほどかかり、それに続く50秒ほどの最初のテーマは終結部にも再び現れ、両方で1分40秒、導入部を加えると4分10秒で、あます時間は1分30秒となる。この時間で内容を作らなければならない。
全関西に辛勝
9月に入ってやっとでき上がり7日のコンクールに出演した。結果はよくなかった。2位の鳴尾高校と票を5対4と分けかろうじて優勝できた。原因は自由曲である。カットが大き過ぎて音楽としての芸術性が認められなかったということだ。東京のある作曲家からは自由曲を代えなさいと、わざわざ忠告の電話までもらう始末だった。関西コンクール規約には曲目変更に関する項目がないので、さっそく公文書で曲目変更願を提出した。ところが、全日本コンクール規約には「予選で演奏した曲」という一項があり、結局、変更は認められなかった。
人事をつくして
最後に残 ウれた手段は「課題曲を完璧なものに」「自由曲をさらに検討」することであった。自由曲を調べ直したところ、行進曲風な変奏のテーマが抜けている。どうしてもこれを挿入する必要がある。時間は38秒だ。そこで2曲の間の15秒を5秒に短縮し、全体に速度をはやめることでやっと40秒の時間を作り出した。これが決定したのは11月5日のこと。コンクールまで10日しかなく、それこそ全員必死の思いであった。「人事をつくして天命を待つ」「やるだけやってあとは親神様のご守護を頂くだけ」毎日どなりつけながら練習を続けたのだ。
11月16日、演奏は終わった。噂によると「課題曲は抜群だったが、自由曲は審査員全員が非難している」ということだ。私は「これで敗れたら部員全員に頭を下げて謝らなければ」と腹に決めていた。あとで聞けば、矢野先生も同じことを思っておられたそうだ。
「あった」「ご守護はあった」。普段「喜んで勤めさせて頂け、尽くしただけは必ず自分にかえってくる」と言ってきたものの、本当にご守護を頂けるものかどうか結果をみるまでわからない。本当によくやってくれた。夏休みの子供おぢばがえりひのきしん、演奏旅行、部員には言える限りの無理を言ってきた。それでも「苦労を通じての喜び」「人の心に訴える演奏」など生徒なりのスローガンをつくって、よくついてきてくれた。優勝の喜びは、大声でどなられながら、休日返上の練習、パレードや演奏会に1日4回公演という強行スケジュールなど、すべての苦労を忘れさせてくれる。どんな無理を言っても優勝させてやりたい。3年間の苦労の連続もこの一瞬、喜びにかわる。何もわからぬまま必死の努力を積んだ41年の優勝、そして自由曲に悪戦苦闘の末、勝ち得た今年度の優勝、いずれも忘れえぬ思い出として生涯心に残ることであろう。
第15節 コンクール表彰制度変わる
昭和45年度
金賞、NHKダブル受賞
万博行事参加
万国博覧会オープニングパレード
3年生の抜けた後、1、2年生だけの活動が始まった。なかでも3月は万博出演と選抜野球の応援をさせて頂いて、70年の幕開けを飾った。 さて、今年も新学年を迎え、30名近い新入部員を得て本当に嬉しかった。総勢70名余の大世帯で力強くスタート。昨年は通算8度目の全国優勝を飾り、今度はわれわれがこの上に立ち、この日本一の座を守りぬく責任があるのだ。3年生19名を中心に日々の練習に全力投球し、勉強とクラブの両立、学校、クラブ、寮と区別することにも徹底するようつとめた。しかし、最初は何故かみんなの心にエンジンはかかっているのだが、出発するのに時間がかかった。だがいったん発車すると、止まるところを知らざるごとくばく進した。途中横転しそうになったが、そこは安全運転でなんとかきりぬけた。悪条件であった関西コンクールも突破し、いよいよ全国大会。みんなの心は燃えた。 しかし、そうした時、今年の全国コンクールの審査方法が変わることを知った。おおよその見当はついたが、出演してみないとどうなるかわからなかった。優勝をとるには以前より楽な感じもするが、その逆も考えられる。ともかく部員一同、もう一度心を入れ直して一致団結して全国大会に向かって突進した。
3月12日 万国博おまつり広場リハーサル
3月13日 万国博デモンストレーション 於奈良、千里 千里では大雪のなかを元気にパレード。
3月15日 万国博オープニング オープニング大パレードとお祭り広場ショーに参加。世界54カ国のおまわりさんといっしょに、肩にローズパレードの際のバラをつけ、後ろにピンキーをひかえ、堂々とパレードした。お祭り広場のショーの終わりに、ジェンカを踊ったりして楽しく過ごした。
3月28日 春季選抜野球大会 対網走南ケ丘高校戦を応援。
3月30日 万国博 ネパールのナショナルデーに参加。
4月1日 春季選抜野球大会 2回戦、対岐阜短大付属高校戦を応援。生徒会応援団といっしょに一生懸命応援させて頂いた。春休みを返上して万博と野球応援に、OBの方の援助で無事終了。例年に比べ、今年の3月はとても忙しかった。
4月18日 教祖御誕生祭
4月19日 青年会総会
4月20日 婦人会総会
4月21日 第2回定期演奏会(音楽研究会)於天理市民会館 例年のごとく忙しい4月の行事も無事終えさせて頂いた。
5月9日 新入生歓迎クラブ発表会 演奏を終え、すぐ名古屋へ向かう。愛町分教会に宿泊。
5月10日 吹奏楽指導者クリニック 於名古屋日本楽器ホール さすが吹奏楽の指導者ばかりだったので、演奏であがる者もあった。しかし、この行事は今後のわれわれにとってよい経験で、とても勉強になったと思う。
5月31日 和歌山教区親子ぐるみ大会 於和歌山県立体育館
6月14日 大阪教区「講演と音楽の夕べ」 於中之島公会堂 県外での演奏会はこれで3回目であったが、みんな慎重?であった。
6月15日 午前、バスで天理を出発、倉敷に向かう。
6月28日 奈良県中学校吹奏楽講習会 於田原本中学校
7月22日~8月5日 合宿 於天理大学南棟 こどもおぢばがえり行事参加。25日からプールサイド行事に参加。今年はほとんど2回公演で、多くの子供たちに喜んでもらい、われわれも忙しい中を楽しく演奏できた。何といっても子供たちに喜んでもらえるのが一番嬉しかった。
8月6~17日 夏季演奏旅行 岡山、広島方面 吹奏楽部として最大の行事の一つである演奏旅行。連日の演奏会、パレードと、忙しくとても苦しい。なかには無理が重なって倒れる者も数名出たが、みんな一致協力助け合って無事終了。しかし、何故か忘れ物が多く、他の人に迷惑をかけたことは残念でならない。どこかみんなの心にすきがあったのだと思う。
8月6日 笠岡大教会に宿泊。
8月7日 倉敷工業高校体育館にて演奏会2回。パレード2回。
8月8日 井原市にて演奏会(井原中学校体育館)パレード。
8月9日 笠岡市で演奏会。地元の高校のコーラス部の友情出演もあり、演奏会場は、演奏者と観客が一体となり最高のムード。天理大学柔道部祝勝パレード なんだか自分たちが優勝した気持ちだった。
8月10日 休養日。白石島にて海水浴。快晴のよい天気に恵まれ、みんな大はしゃぎで楽しい1日を過ごした。笠岡大教会に宿泊。
8月11日 府中市で演奏会。1回目と2回目との間に自由時間をもらい、それぞれ思うままに過ごす。府中市民会館
8月12日 三次市で演奏会2回。パレード1回。
8月13日 東城市中パレード。東城高校体育館で演奏会。東城高生徒会の人たちにお世話になる。第一印象はとてもすっきりと伸び伸びした校風に思えた。校長先生や諸先生方にとても喜んでもらった。
8月14日 休養日。帝釈峡谷見学。あいにくのぐずついた天気ではあったが、1日旅の疲れをいやした。なかにはこの時とばかり土産物を買うのに忙しい者もいた。
8月15日 台風の余波を受けながら尾道に向かう。昨年の山形での集中豪雨ほどではなかったが、昼からは静まった。尾道市中パレードと演奏会2回。海の香りでいっぱい。
8月16日 尾道を出発。三原市へ向かう。市中パレード。三原市民会館で演奏旅行最後の演奏会。みんな心残りなくベストを尽くして精一杯吹きまくった。
8月17日 バスで一路天理に向かう。
8月24日 奈良県吹奏楽祭兼コンクール 於天理市民会館
8月28日 浜松市民会館で演奏会 1回目は浜松工業高校の友情出演があり、2回目はヤマハ吹奏楽団の賛助出演があった。吹奏楽界のトップレベルの集まりでもあった。
8月29日 浜松市中パレード 浜松市長からの挨拶も頂き、楽器の都で天理の演奏を多くの人に聴いて頂いたことは、われわれにとって最大の喜びであった。
8月30日 天理教青年会東京大会 於武道館楽朋会と合同で、この日の音楽を受け持つ。責任重大。約2万人の青年会員の前で演奏。このようなことは2度とないだろう。それだけに感激はひとしお大きかった。
9月6日 関西吹奏楽コンクール 於尼崎文化会館 3年連続通算15度目の優勝を飾った。
9月20日 本校2部体育祭
9月23日 北寮すき焼きパーティー演奏会思う存分吹いて、思う存分食べた。
10月1日 本校1部体育祭 新しい夏のユニフォームで開会式と閉会式に演奏。
10月5日 学芸祭 於講堂 チャイコフスキーの交響曲第5番終楽章、マイフェアレディーなど演奏。午後、前京都市交響楽団指揮者カール・ツェリュウス氏夫妻来校。
10月6日 後夜祭
11月1日 全日本吹奏楽コンクールのため朝8時、バスで東京へ向かう。本芝大教会に宿泊。
11月3日 全日本吹奏楽コンクール 於渋谷公会堂 課題曲「音楽祭のためのプレリュード」、自由曲「吹奏楽のための交響曲より第4楽章」。金賞を受賞。本年から審査方法が変わり、従来の順位方式をとらず、出場団体を3つのグループに分けて金賞、銀賞、銅賞のいずれかを贈るということになった。
11月4日 朝8時東京をあとに一路天理に向かう。午後5時30分帰校。
11月8日 天理大学大学祭に出演 於天理市民会館
11月29日 御所農業高校学芸祭招待演奏会
12月6日 全国学校合奏コンクール録音 於大阪NHK第1スタジオ 一発勝負とちがい録音なので取り直しはできるが、時間が限られていたので緊張した。12月20日の審査発表で見事最優秀賞に輝く。
1月25日 全国学校合奏コンクール表彰式 於講堂
このように1970年、新しい時代への第1歩の年にもう一度心に残ったことを記しておきたい。
何といっても最初のスタート4月の教祖誕生祭、青年会、婦人会総会、OBの楽朋会との定期演奏会と毎年忙しいため、それだけに万全の策をとった。しかし、自然の力、悪天候続きには悩まされ、こんなに雨が続いたのは初めてだった。体は雨でずぶぬれになっていたが、みんなの心は何か温かくぬくもっているような気がした。そこには無事つとめさせて頂いた喜びに心勇んでいたに違いないと思う。そして入学式が8日と遅かったので、新入生を入れての行事は心配されたが、みんな助け合ってつとめに励んだ。
5月の名古屋の苦い経験が、その後良い試練を与えてくれた。こんなことではいけないと、心を入れ直して6月を迎えた。その頃になり、少しずつ落ち着きを取り戻した。そして早くもわれわれにとって欠くべからざる夏の合宿がやってきた。天大の南棟の3階で約2週間。
全国の子供たちといっしょにプールサイド行事。子供たちの演ずるショー。飛び込み選手らの見事な演技。われわれもこれに負けじと演奏。ハワイ、イギリス、ネパールなど外国からのお客さんも多く帰って来られ、国際色にあふれていた。どれを挙げても、おぢばならでの風景である。燃えるような暑い夏の毎日をよく頑張った1年生。よくやった2年生。さあこれからいよいよ大使命を背負っての演奏旅行。岡山、広島に向かって出発進行。予想通り日差しは強かった。健康な汗を流して精一杯つとめている姿、父さん母さん見て下さい、僕はこんなに一生懸命ひのきしんに励んでいますといわんばかりに一人ひとりの体にあふれている。一人でも多くの人たちに喜んで頂ける。これだけで暑さも疲れも忘れる。それとともに演奏面での勉強は普段の練習ではできない要素がみられ、それを身につけることが、これからもっとクラブ向上のためになろう。数々の思い出と感激のうちに一路バスは天理に向かった。
8月30日、東京武道館においての青年大会での演奏と舞踊詩「ひのきしん讃歌」は心深く焼きついて忘れることはないだろう。ほとんど息つく暇もなく、コンクールの練習に移った。練習不足で多少不安はあったが、関西大会くらいでは絶対負けられないと、少ない練習時間をフルに使った。3年連続15度目の優勝で、いよいよ全国の壁に向かって一丸となった。しかし、全国大会では順位による審査でなくなったと知り、とても複雑な気持ちになった。どうなるのか念願の2年連続優勝の道は遠くなっていった。
「吹奏楽のための交響曲」で2冠
10月末いよいよ全国大会が目の前に迫り、日一日みんなの顔色が変わってきた。3年生は修学旅行を返上して大会にかけた。最後の仕上げにと熱が入り、毎日遅くまで秋の空に鳴り響いた。出発の前日の練習では、優勝旗を前に立て、それに千羽鶴をつるし、他校の手に渡ることのないよう祈った。11月1日東京に向かう。
本芝大教会で1日の夜と2日の午前、午後と練習して明日に備えて万全を期した。その頃連盟からの詳しい表彰方法についての連絡が入ってきた。それによると、金、銀、銅のグループに分けて、全参加団体が表彰されることになった。コンクールを単に勝負だけの場とせず、吹奏楽の祭典の場とすることにした。ということは金1校ということはないだろう。おそらく2校は出るだろうと予想できた。それでもわれわれは最高の金賞をと思った。金賞の自信はあった。この調子であとはミスさえしなければと気分的には楽であった。いよいよ当日、教会での念入りなチューニングをすまし神殿に参拝。高校の部2番目の舞台に上がる。やはりコンクール会場での独特の雰囲気を感じる。指揮棒が下ろされると、待ち構えたように高らかに課題曲の最初のファンファーレが鳴り響く。12分間みんなの心は指揮棒一つに集中する。自己満足してはならない己れとの戦いである。指揮棒が止まる。次の瞬間!
会場から、われんばかりの拍手が聞こえてきた。退場の時は今までのいろんなことが走馬燈のように頭の中を駆け巡った。審査発表だ。「天理高校……金賞……」と聞いて、やはり自信はあったとはいえ、ホッとした気持ちで強い感激はまだわいてこなかった。そのあと大教会に帰った後谷口先生から審査結果の内容を聞いて幾分わいてきた。みんなもはっきりとした形で全国一になりたかったと思ったのが、偽らざる気持ちだったと思う。しかし、そんなことよりも部員一人ひとりが力を合わせ、いろんな逆境の中を乗り越え、ここまで来れたこと、そして、コンクール会場での掃除の時、ある先生からお褒めの言葉を頂いたこと、矢野先生、谷口先生からの「ごくろうさん」の一言を頂いたことは金賞にもまして嬉しく思った。かくて1970年の新しいスタートを切った今年のコンクールも終わった。
2月に入り、全国合奏コンクール録音があり、願ってもないテスト到来。やるからには最高のものをとふだんの実力を充分出し切ることができ、最優秀賞を獲得。このコンクールは前のNHK器楽合奏コンクールで、過去2回優勝しており、改称されてからの初の優勝を手にすることができ、今年は2大コンクール最優秀賞に輝き、われわれにとって思い残すことない最高の年であったことを嬉しくまた、感謝の気持ちでいっぱいです。
お道の行事も無事終えさせて頂いたかげに諸先生、諸先輩の温かい熱意のご指導のあったことを一同心から深く感謝しています。本当にどうもありがとうございました。
1、2年生の諸君は、限りない若いエネルギーをもとに、これからの新しい目標に向かって力強く進んで下さい。そして、何よりも大切で力強いのは、やはり「一手一つの和」であることは言うまでもないと思うが、もう一度ここで再認識してもらいたいと思う。 クラブを通じて得たものは他の何にもまして得がたく、われわれの将来にとってきっと役に立つと思う。また、少しでも人に喜んでもらえたという気持ちを強制されずに自ら生み出すことができるなら最高ではないか。やればできる。古い伝統の上に新しい良いものは必ずのせることができよう。そして時代の流れにともなっていけない要素もあるだろうが、とにかく君らの持つ信念と根性をもって所期の成果をあげられ、より一層の躍進を祈ります。
昭和46年度
南九州演奏旅行
2年連続の金賞
関西学院の自由曲と勝負
本年も多数の新入部員を迎え、部員一同胸に希望をふくらませスタート。 今年は5月の初めから高松、福岡への演奏旅行で大変忙しかった。高松はジャンボフェリーで、福岡はジェット機。1週間で四国と九州をまたにかけ、吹奏楽部ならではの忙しさ。この忙しかった5月の後には、例年のごとく7月の子供おぢばがえり、そして私たちはプールサイド行事の「ウランキング」に出演。この行事は連日2回行われ、かなりきつかった。でもこれが私たちの演奏技術の糧となるのである。そして昼間は演奏旅行のための練習。ビゼーの「アルルの女」第2組曲、野波光雄の「復帰への前奏曲」、そして自由曲である「平和の祭」など。この自由曲は谷口先生のお骨折りでようやく手に入れた曲であり、自由曲と決定すると、一段と練習に熱が入った。
合宿が終わると、苦しくて楽しい夏の演奏旅行。そして演奏会1回1回を大切にコンクールのつもりで演奏。お客様には喜んで頂き、中でもアンコールの曲である「コパカバーナ」などは非常に人気があった。また奄美大島では島全体で歓迎して頂き、会場は入りきれないほどの盛況だった。この南九州の演奏会はほとんど超満員だったので、部員一同安心して帰路についた。行き帰り60余時間の船旅だった。 演奏旅行が終わると、一番の難関の関西コンクール。しかも、自由曲が大学の王座の関西学院大学と同曲であった。でも関西は満場一致で通過できた。そして全日本吹奏楽コンクールへと進んだ。
全日本吹奏楽コンクールの前に、矢野先生が言われた言葉、「高校と勝負するのと違う、関学を相手に勝負するんや!」。この言葉は私たちに強い刺激を与えてくれた。あとから谷口先生に聞いた話だが、矢野先生が言われた後、音色が一回ごとに変化してきた。結局金賞を受賞し、1年間を振り返ってみると、谷口先生がよく私たちに聞かして下さった言葉「自分がやったことは必ず自分にかえる」なるほどと思った。
こうして吹奏楽部の歴史に新しい1ページを書き加えることができた。
2月10日 3年生記念品贈呈式 於本校講堂 この日の行事で、引き継ぎ後、初めて1、2年生だての演奏を行った。
2月26日 東右第1棟起工式 於真東棟下吹き抜け
2月27日 卒業式 於本校体育館
3月16~21日 春季演奏旅行 長野方面 この演奏旅行は本年度卒業の先輩といっしょで、2年前の夏にここを訪れた時以上に天理の名をこの信州に残したと思う。
3月16日 午前8時天理を出発。伊那市観光ホテル泊。
3月17日 パレード2回。伊那市民会館で演奏会2回。
3月18日 佐久市民会館にて演奏会2回。パレード3回であるが、明日は休養日であるため元気に演奏させて頂いた。
3月19日 鬼押出し園と軽井沢スケートセンターでの休養日。上田市公民館での小、中学生対象の音楽教室。
3月20日 上田市民会館にて演奏会2回。パレード2回。
3月21日 バスで一路天理に向かう。
4月18日 教祖誕生祭
4月19日 青年会パレードと青年会総会
4月20日 婦人会総会
4月25日 第3回音楽研究会器楽部定期演奏会 於天理市民会館 新入生を交えての忙しかった4月の行事もこれで一段落がついた。
5月1日 新入生歓迎クラブ発表会 高松演奏旅行 クラブ発表会終了後そのまますぐに高松に向かって出発。屋島山荘に宿泊。
5月2日 高松交通遺児育英基金募集演奏会 於高松市民会館
5月3日 高松市内見学、フェリーの甲板で福岡の3万人大会のためのドリル練習をした。
5月8日 福岡へ 授業を終え、バスで伊丹へ。ジェット機に乗って福岡へ行くので、みんなの顔ははちきれるような笑顔であった。出発後50分で福岡。鎮西大教会に宿泊。
5月9日 陽気フェスティバル3万人大会 平和台競技場で催された。終了後すぐ空港へと急いだ。夜の空の旅もまた格別であった。
6月13日 奈良県中学校吹奏楽講習会 於畝傍中学校
6月20日 新緑文化祭 於彦根市民会館
6月21日 奈良県中学校指導者講習会 於本校食堂 対象曲・行進曲「ウィーン」「輝く銀嶺」
7月22日~8月5日 合宿 於天大南棟 こどもおぢばがえりのプールサイド行事とその中の「ウランキング」の音楽効果に出演。
8月1日 奈良県高校吹奏楽講習会 於本校
8月6~23日 夏季演奏旅行 南九州方面演奏旅行に出発。天保山から台風の余波を感ずる瀬戸内海を一路別府に向かう。
8月7日 早朝、別府港に着き、温泉に入って、朝食後バスで延岡に向かう。夜、野口記念館で演奏会1回。
8月8日 パレードの後、昨日と同じ会場で演奏会2回。
8月9日 宮崎市で演奏会2回。そして地元の女高生のバトンチームとともにパレード。
8月10日 休養日。平和台公園を巡回。青島での海水浴。みんな初めて海で泳いだようにはしゃいだ。
8月11日 日南文化センターで演奏会2回。パレード1回。宿泊は日南簡易保養センターで、とても感じのいい宿だった。
8月12日 都城市民会館で演奏会2回。パレード1回。ここは僕たちが来る前から、わが吹奏楽部の来演をTVで宣伝していたそうだ。宮崎から宮交の松浦さんらがわざわざ聴きに来て下さった。
8月13日 えびの高原。そこは夏だとは思えないほど涼しかった。夜高原を訪れている人たちに軽い曲などを野外ステージで披露した。
8月14日 太陽国体の鹿児島県へ向かう。パレードの後鹿屋市立体育館にて演奏会2回。鹿屋分教会泊。
8月15日 国分市でパレードと演奏会2回。妙見ホテル泊。
8月16日 休養日。桜島見学。鹿児島分教会泊。
8月17日 鹿児島県文化センターで演奏会。ここの会場は非常に広かったので、勉強になった。KTV松下さんの軽妙な司会も心に残る。
8月18日 枕崎市民会館での演奏会。旅館の裏に東シナ海が見えたのが印象深い。
8月19日 川内市民会館での演奏会。川内町分教会泊。
8月20日 鹿児島市内見学。夕方「ハイビスカス」で奄美大島へ。
8月21日 午前4時、名瀬市に着いた。演奏会2回、パレード1回。演奏会昼の部の合間に名瀬市内を自由行動。時間が限られていたので、土産を買うのに大変だった。夜は大島分教会で奄美大島の民謡や踊りなどの余興をして頂き、大変楽しい夜を過ごした。
8月22~23日 2日間甲板で体を焼いたり、海の景色を眺めたりして船の上を過ごした。これで18日間の演奏旅行を無事終えた。
8月25日 奈良県吹奏楽祭兼コンクール 於天理市民会館 みんな真っ黒な顔をして出演。
8月27~31日 関西吹奏楽コンクールに備えて第2次合宿 於北寮
9月5日 関西吹奏楽コンクール 於尼崎市民会館 4年連続、通算16度目の優勝。
9月8日 全国合奏コンクール予選用録音 於本校食堂
9月19日 本校2部体育祭 北寮すき焼きパーティー
9月23日 本校1部体育祭
9月27日 学芸祭 於天理市民会館 谷口先生に「1週間くらいではとても無理だ」と言われたチャイコフスキーの大序曲「1812年」を部員一同必死で練習をつみ公演することができた。他に「ウェストサイド物語」等数曲を演奏。
10月2~3日 中心山荘 京都の中心山荘にて郊外練習。常岡先生のお話を聞く。
10月31日 女子青年大会 於天理プール 満員の列席者にドリル演奏をはじめ数曲を披露。
11月7日 全日本吹奏楽コンクール 於大阪フェスティバルホール 朝、本部を参拝し、一同「日頃の成果を発揮できますように」と願い会場に向かった。そして僕たちの順番がまわってくると、みんな口では強がりを言っても、やはり緊張と不安が浮かんでいた。しかし、演奏を終え、ロビーに出るやいなや、OBの方々や応援に来て下さった方々から「とても良かったぞ」と言われた時は、もうみんなニコニコ顔になった。金賞受賞。課題曲 行進曲「太陽の下に」奥村一作曲、自由曲「平和の祭り」R・ニクソン作曲
11月13日 真柱邸にて真柱様よりお祝と、励ましの言葉を頂く
11月14日 学校合奏コンクール審査発表 近畿代表となる。
11月23日 本校主催全国高校弁論大会
11月27日 全国ホッケー大会 於天理大学体育学部グランド 決勝戦のハーフタイムにドリル演奏。
11月28日 全国学校合奏コンクール録音 於大阪NHK第1スタジオ 録音なので取り直しができるが、時間が制限されているのでみんな緊張した。
昭和47年度
3年連続金賞受賞
初の沖縄演奏旅行
日本一への努力と苦労
3年生が抜けて以来「心に訴える演奏を」、「自分らにしかできない独特なカラーを作ろう」を合言葉に、1、2年生は一致団結。順調にスタートした。4月から順次心に残ったことを記し、活動の概況としたいと思う。
例年以上に忙しい4月であった。これに備えて春休みの終わりに合宿を行い、無事諸行事を終えることができた。こうしていち早く軌道に乗り、5月、6月は落ち着いて練習ができた。6月末には自由曲、課題曲も決まり、両方ともブラスが重要なポイントとなり、金管陣は一層張り切った。
7月には例年通り、こどもおぢばがえりのひのきしんをさせて頂いた。短い夏休みの後、合宿に入る。昼は訪問大使、領事館員の先頭を切ってパレード。夜はプールサイド行事。雨もなく、連日出演できたのは幸運だった。(もっとも、われわれの一番期待するものは雨であるが)他校からの見学も多く、学校と宿舎(北寮)との距離も遠いなど、これらの合間をぬって練習時間を見出すのは容易ではなかった。が、こんなことはバンド以外にはできないんだと、一人ひとり肝に銘じ旅行の曲目を消化した。この猛スケジュールを終え、夜北寮に帰って6階を見上げた時には、なかなか頂上が見えない登山者のようであった。上まで登り切った時は精根尽きたという感であった。
こうして合宿も終わり、演奏旅行に出発の日、8月7日、参拝の後真柱様に出発の挨拶をし、9時過ぎ天理を出発した。伊丹では搭乗するにはしたが、なかなか離陸しない。後で聞くと故障。とんだハプニングではあったが、苦しい合宿の後でもあるし、みんなの心はすでに沖縄に行ったかのように一抹の不安も感じなかった。青い空の中で2時間、小さな窓から見えた真っ青な海、緑の珊瑚礁、白く光る波。それらに囲まれた沖縄。その美しさは今もまぶたから離れない。感無量であった。いろいろあったが、詳しいことは後で書こうと思う。
演奏旅行も無事終え、関西コンクールとなった。旅行の後練習は休みだったので、口と感じを戻すのに苦労した。が、難なく突破。残すは全国コンクールだけとなった。
その日、11月5日。3時10分。1年の努力をこの12分に集中。結果は3年連続の金賞であった。 「当たり前だ」「伝統だ」という声がよく聞かれる。これほど憤慨させるものはない。どこが当たり前であるのか、どれほど伝統がわれわれに手助けしてくれるのか、決してそんな生易しいものではない。
また、われわれは日本一ではないが、日本一である。今年も金賞が4校も出て昔のように優勝というはっきりした形に表されなくなった。が、自分はそう信じて疑わない。なぜならば、日本一の和を以て、日本一に成るべく努力、日本一に成るべく苦労、そして日本一に成るべく練習を積んだからである。決して日本一の設備、楽器、プレーヤーを持っているわけでもないし、伝統のためでもない。
この1年間、これらの一つひとつの歩みが言葉では言い表せない伝統となって、吹奏楽部の新しい伝統が築かれたのだと思う。
1月9日 ラグビー部全国優勝祝賀パレード
2月10日 卒業生記念品贈呈式 於本校講堂 新メンバーによる初の演奏。
2月27日 卒業式
4月2~5日 合宿 於北寮 忙しい4月の行事に備えての合宿。
4月18日 教祖御誕生祭 於本部中庭・天理大学成人会よふぼく会新入生歓迎会 於南棟講堂
4月20日 婦人会総会
4月21日 青年会総会
4月22日 音楽研究会器楽部 第4回定期演奏会 於天理市民会館
4月23日 バンドフェスティバル(青年会主催)於天理市民会館 連日の行事も無事終えることができた。
5月2日 新入生歓迎クラブ発表会 於天理市民会館 この日は珍しくステージドリルを行った。ドリルをやると決まったのは前日。1日で仕上げた。わが部のお家芸。
5月5日 天理市子供大会 於天理市民会館 ファンファーレのみ出演。
6月18日 奈良県中学校吹奏楽講習会 於本校 練習曲「バンドの誇り」。
7月22日~8月7日 合宿 於北寮 25日から8月4日までプールサイド行事に出演。沖縄の少年会員も参加。
7月25日~8月2日 東南アジア各国大使領事歓迎パレード
8月2日 奈良県高校吹奏楽講習会 於本校
8月7~20日 夏季演奏旅行
8月7日 沖縄、西脇、倉敷演奏旅行出発。伊丹より2時間で那覇に着く。飛行機から出ると天理とは違った暑さを感じた。休む暇もなく那覇一の繁華街、国際通りをパレード。その足で県庁前にて演奏。沖縄で初めて天理の音を響かせた。
8月8日 南部戦跡慰霊演奏(ひめゆりの塔、健児の塔、黎明の塔)。朝からさとうきび畑を通ってひめゆりの塔などに行く。「海行かば」など数曲演奏。さすがみんなふだんの演奏会と違って厳粛であった。その後旧海軍司令部壕見学。
8月9日 名護市名護中学校体育館で演奏会1回、パレード1回。
8月10日 コザ市仲之町小学校体育館で演奏会、パレード1回。市内はほとんどが横文字で、沖縄一の基地の町。なるほど米人が多かった。途中、首里城跡守礼の門で記念写真を撮った。
8月11日 那覇市市民会館で演奏会2回。本演奏旅行の最大の山場であった。2回とも満員で「復帰への前奏曲」の作曲者野波光雄氏も来られた。翌日は土産を買いに行った時店の人から「昨日は大変よかったですよ」と言われてびっくり。嬉しかった。
8月12日 休養日。首里高校生と交歓会をした。
8月13日 石垣市登野城小学校体育館演奏会とパレード。台北より南にあるこの島はさすがに直射日光が強く、雲が手に届くぐらい低かった。八重山高校生と交歓会。
8月14日 宮古島平良市市民会館演奏会とパレード。空港で鼓笛隊などの大歓迎を受けた。会館は完成したばかりでわれわれが最初だった。
8月15日 宮古から本島に向かう。台風の影響で飛行機は大揺れ。「只今機は気流の悪いところを飛んでいます」これにはまいった。昼からは万座ビーチへ海水浴に出かけた。豚2匹の丸焼きも記憶に新しい。
8月16日 台風20号のため飛行機が欠航。教会で休養。外にも出られず、甲子園の野球部をテレビで声援した。
8月17日 飛ぶか飛ばないかやきもきしたが、臨時便で沖縄をたち、大阪へ向かう。うって変わった上天気。西脇市民会館で演奏会。沖縄の方がずーっと涼しく、ここの暑さには参った。
8月18日 西脇市民会館で演奏会。前日中止になった昼の部とパレードを朝から行った。終わるとすぐ倉敷へ移動。久し振りの左側通行。
8月19日 倉敷市民会館で演奏会1回、パレード2回。
8月20日 奈良県吹奏楽祭兼コンクール出演一路天理へ向かう。雨の甲子園の横を通りながら、応援に行けなかったのは一つ心残りだった。コンクールに出演。今年の演奏旅行は沖縄という暑いところにもかかわらず、病人が少なく、パレードは日中を避けることや、演奏回数の縮小など時間的余裕あるスケジュールを組んで下さった「沖縄対策」に大変感謝している。また宮古島ではわれわれが乗った便を最後にして以後は欠航になるなど、ついていた。
9月15日 関西吹奏楽コンクール 於和歌山県民文化会館5年連続、通算17度目の優勝。
9月22日 本校1部体育祭
9月23日 交通遺児と老人を励ます会 於第2食堂
9月24日 本校2部体育祭開会式
9月25日 学校合奏コンクール録音 ・團伊玖磨氏来訪
9月28日 学芸祭 於天理市民会館
10月29日 女子青年大会
11月2日 近畿音楽教育研究会 於奈良県文化会館 夜6時過ぎに全国コンクールのため東京に向かう。
11月3日 朝3時に都南分教会着。朝から立華女子学園で練習。
11月5日 全日本吹奏楽コンクール 於東京普門館 5000人の大聴衆であったが、その大きさはまったく気にならなかった。天理の音を聞かすつもりで演奏。金賞は1校だけになるようにと祈ったが、4校。少し残念だった。表彰制度が変わって以来3年連続金賞は本校だけだった。課題曲「シンフォニック・ファンファーレ」、自由曲「メキシコ民謡による交響曲」第1楽章
11月12日 全国合奏コンクール録音 於大阪NHKスタジオ 例年以上にスムーズにいった。(結果は12月17日発表、第3位)
11月23日 熊野演奏会 於熊野市民開館
11月26日 楽朋会創立30周年記念総会 於本部第5食堂
12月7日 真柱邸にて真柱様よりお祝いと励ましのお言葉を頂く。
1月9日 大韓児童舞踊団「ザ・リトル・エンジェルス」に友情出演 於大阪サンケイホール
■リレー旅行記
「沖縄演奏旅行」
4半世紀を越える異民族の支配が終わろうとしていた。だが人々の苦悩は現地を見るまでは理解できなかった。
47年3月8日、谷口先生とJAL機上の人となり、まだ見ぬ、幾多の英霊の眠る沖縄をこの眼でしっかと見ようと、何か武者ぶるいにも似た感を覚えたのであった。
翌9日、南部戦跡地を巡る途中、禿山のような小高い丘の中腹に案内され示されたのが、直径も深さも20メートルほどもある中に樹木の生い茂った洞穴の跡であった。「母がまだ眠っています」と案内役の山口国三那覇分教会長の言葉に、一瞬冷水を浴びせられたような気になった。その後「ひめゆりの塔」「健児の塔」と多くの若い生命の散った跡で覚えた感慨も、この言葉に勝るものではなかった。この日南部一帯は、こぬか雨に煙っていた。
「沖縄を緑に」の言葉に応え、本部ではココヤシの実1万個をハワイの教友の助力で、当時の政庁に寄贈することになった。一時は、害虫も一緒に渡ってくるという戦前からの法令で、中止となった。その法令も不思議に解かれ、また輸送も順調に進み、5月の本土復帰直後、無事贈呈式が行われた。
復帰を記念して、子供大会が那覇市で開かれる話も聞いた。これは宿泊などの事情から中止となったが、本部から吹奏楽部が派遣されることに決まった。会場地決定のため3月には下検分ということになった。ここまでの決定を見るのに教区の方々の熱意と努力は筆舌につくし難いものがあったであろう。
後援御礼の挨拶で琉球放送や沖縄タイムス社など回った。沖タイの牧港篤三常務は、老父子然とした詩人であった。「しっかり見て下さい」と言われた。 氏はまた米軍支配下の新聞人としての苦しさも語られたが、これも心に残るものがあった。
首里高校の富原守哉先生は前年その吹奏楽部で金賞を射止められたが、身体中がメロディーの塊のような中年の先生。何くれと助言を受け、北の名護市まで同行して下さった。その他、音楽関係の数多くの先生方の助力を得ることになったが、本当に有難いことであった。
宿舎の山口会長は、おたすけに、またわれわれの案内に実にエネルギッシュであった。腰の重そうな教区の人たちを教区長の河合先生とぐんぐん引っ張って行かれる姿は頼もしい限りだ。
輸送関係、ポスター、プロ、次第に形を整えていった。7月の終わりには、教区の子供たちがプールサイドに姿を見せ、バンドの演奏で勝連節、谷茶前節を踊ったり「ちんぬくじゅうしい・ていんさぐの花・安里屋ゆんた」を元気に歌ってくれ、部員も沖縄を次第に身近に感じてきたようだ。
こどもおぢばがえりも終わり、町は再び静かになった。がバンドは相も変わらぬ忙しさ。楽器の点検、ラベルを付けたり、それでも6日の夕方には楽器を伊丹まで一足先に送り出した。御供米も頂いた。さあ、明日はいよいよ出発だ。(部長 野津 敬)
▼沖縄へ
【8月7日】
連日のひのきしんの疲れも吹き飛ばし、片山団長以下総勢58名、元気に沖縄演奏旅行に出発した。
本部参拝後お玄関で中山表統領先生の激励を頂き、校長先生から事故のないよう「元気でやってくれよ」と挨拶頂いて、伊丹へ。全日空 103便に乗ったが「只今管制塔からの指示を待っております」とのアナウンスに約30分待った。みんな気にもとめず、見送りの人たちと別れを惜しんでいた。が実は機体の荷物ハッチが再三開いたせいだと後になって知った。飛行時間は約1時間40分。機内で小さな箱の昼食。復帰前の方がよかったそうだ。ほんのひとっ飛びで珊瑚礁に囲まれた沖縄。眼の痛くなるほど青い海。でも、なかなか着陸しない。おかげで沖縄を空から見学と洒落こむことになったが、着陸してみると日航のジャンボ・ジェット機が着いたばかり。人、人、人………。 教区の方々の出迎えをうけ、片山団長を先頭に小さな木管楽器や私物を持ちバスに乗り込む。先に着いた大きい楽器の受取に楽器係3名と西田先生は倉庫に残り、バスは車の波にのろのろと進む。ガイドの上原さんは本島にいる間毎日お世話になったのだが、最初から「ちんぬくじゅうしい」の歌で車内は陽気そのもの。
宿舎の那覇分教会も歓迎の大アーチ。参拝後小憩の後、パレードの準備をして、5時30分、那覇市のメインストリート、国際通りを県庁までパレード。ここも車の洪水である。県庁では南洋杉種子の贈呈後、平良議会議長の挨拶があり、立奏で応えた。あわただしい一日だった。
【8月8日】
思ったより涼しい夜を過ごして朝づとめ、朝食もそこそこに、南部戦跡地での慰霊演奏に出発。漁夫で知られる糸満市を通り、2時間余りで「ひめゆりの塔」に到着。団長、部長の献花に「海征かば」など演奏。次いで、「健児の塔」で演奏の後、学生たちの自決した洞窟見学。摩文仁の丘は各県の慰霊塔が密集して建てられている。最も高所にある「黎明の塔」は牛島司令官の座禅を型どったとか。演奏後、あたりを見回す。海上に1700の米艦船が集結したとか。砲弾の跡も生々しい断崖に当時の激戦の模様がうかがえた。帰途、那覇市南郊の旧海軍司令部壕を見学。地下への階段の数の多さや、つるはしで掘った固い壁に驚く。戦後の僕等には口ではピントこないが、目の当たりに戦争の面影を見ては自然と当時のことがしのばれるようであった。しかし、ここも今は観光地。売店で思い思いに土産物を買って時を過ごし宿舎へ帰った。いよいよ明日から本番。ひきしまった気持ちで練習を開始、夜は那覇商業の部員も見学に来て、いやが上にもひきしまる。近くの銭湯で汗を流し、ミーティングの後、2日目の夜はふけた。(3年村田俊彦)
▼名護とコザ
【8月9日】
午前中は楽器の手入れをしたり、演奏会のことを話したりして時を過ごした。昼食後、楽器をトラックならぬ米軍のおんぼろスクールバスに積み込む。運転は山口会長。1時出発で途中カデナ空軍基地を通り、万座毛で途中下車。万人を座らすにたる広い草地の下は断崖絶壁。青い海。30分休んで今日の会場地名護市に到着。名護高はセンバツに、夏の大会に出場。学校の近くから市役所までパレード。渡具知市長の挨拶があり、6時から名護中でいよいよ本番となった。お客さんに喜んでもらえるよう張り切ったが、初めてのためか、あまり良い出来ではなかったようだ。でも普段は人の集まりの悪い名護で体育館一杯になったので、教会の方たちにも喜んでもらえたと思う。首里高校の富原先生その他大ぜい那覇市からも聴きに来られた。後かたづけや掃除をすませて、午後11時頃宿舎に帰った。消灯は0時をとっくに過ぎてしまった。
【8月10日】
今日はコザ市での演奏会。午後2時出発したが、途中首里へ回って守礼の門を見学した。戦後再建したものだが、昔の王城への入口。今は琉球大学となっている。昨日は東シナ海を見たが、今日は太平洋岸を走ってコザに着く。パレードは2つに分割して行った。通りの店の看板が、ほとんど英語であったり、団旗についているローズパレードのバナーを見て驚いている米人を見ると、やはりコザは基地の町という実感がわいてくる。パレードの終わりはカデナ基地の第2ゲート前であった。
仲之町小学校の体育館で午後7時の開演だったが、会場の設営が遅れていた。前日の失敗を繰り返さぬためにも、より真剣に演奏をした。会場には米人の顔も見られた。(3年小嶋理)
▼那覇演奏会
【8月11日】
いよいよ沖縄第1の都市「那覇市」での演奏会だ。ここでは、初日パレードを行ったので今日は演奏会だけだ。みんな今まで以上に一生懸命演奏させて頂こうと張り切った。
会場は1800名収容の那覇市民会館。満員の聴衆にいよいよ使命の重さを感じた。午後3時に1回目の演奏会。河合教区長の開会の挨拶も一段と力がこもる。ファンファーレで幕が上がり、指揮の谷口先生の紹介に続いて第1曲、那覇市出身の野波光雄作曲の「復帰への前奏曲」が哀調を帯びて流れる。夜の公演では、野波氏をステージに迎え盛んな拍手が湧いた。「交響詩おやさま第2楽章陽気づとめ」からムードは一変して「プレリュードとアズテックダンス」、コンクールの課題曲「明日に向かって」と「シンフォニック・ファンファーレ」、それから「ウエストサイド物語」と「ハリケーン」の音に聴衆は圧倒されたよう。
第2部ではハワイアンに日本民謡と進み、少年会の有志で沖縄民謡を3曲披露する。子供のために「サインはV」はじめ4曲続け、最後に「ブラック・マジック・ウーマン」「バーレスカ」。次々と花束が贈られアンコールも重なり「コパカバーナ」のフィナーレに満場拍手の渦。2回の公演とはいえ、お客さんは別である。できる限りの演奏をという僕らの気持ちが通じたのか、大変喜んで頂けたと思う。
公演を終わり、安心した気持ちと明日の休みへの期待に、勇んで教会に帰り、お礼参拝をして消灯となった。
【8月12日】
待ちに待った休養日である。朝の行事を終えて「行動に充分注意をするように」と部長先生より話があり、安い店など教えてもらって思い思いに街に出た。タクシーが安いのに驚く。70円で目的地の国際通りまで行ける。三越もある。内地と大して変わらないが、英語だけの看板もあって奇妙な感じもする。土産品を買いに店をのぞく。洋酒などの輸入品は空港で税金を払戻してくれるので安い。 昼食後、買った土産品のことを話したり、近くの波の上宮やプールに行く者もいた。楽器係は明日にそなえて空港まで楽器を運んでくれご苦労さまだった。
夜、首里高校の部員との交歓会。自己紹介、パート別の話し合いをもった。彼らも同じことを考えていることがわかった。それにしても私たちは良い楽器を与えて頂いて幸せだと思った。話題は尽きなかったが全国大会で再開を誓って別れた。(3年永尾泰宏)
▼八重山と宮古にて
【8月13日】
那覇市から空港までのたった1本の道路、両側には鉄条網が張られ、その向こうにはベトナムから帰ってきた装甲車が長い列をつくって置かれていた。そのような米軍基地に囲まれた道を那覇空港へと急ぐ。
日本最南端の八重山諸島のいっかく、石垣島へ行くのである。空港で2人のアメリカ兵に話しかけられた。勿論、英語。あまりの速さに相手の言うこともわからぬまま、僕たちのことを話すと、相手もわかったらしく、何とかその場を逃げきった。
南西航空YS11Aは64人乗りなので、貸切り同様。バスガイドさんなみにスチュワーデスさんにも「お願いします!」空と海がまったく同じ色。1時間半で石垣島に着陸し、タラップを降りた時、イメージ通りの沖縄だという印象をうけた。それは太陽の暑さを肌で感じたことであった。本島では夜は天理より寒く、風邪をひいた者もいたくらいだった。ちょっと信じられないくらいだ。そんな体験をしてきた僕たちだったので、いよいよ心が勇んできた。
八重山分教会は神殿が新築されたばかり。少し休んで川平(カビラ)公園へバスで向かった。竹富島に、西表(イリオモテ)島が見える。海水はまったく透明、水平線はあくまでも青い。カニを取ったり先生を交えて遊んだが、こんな大自然そのままの公園をいつまでも残したい気がした。
台風に備えた独特の赤瓦屋根に唐シシの魔除けがのった低い家並を通って、登野城小学校までパレード。汗が顔や体全体を滝のように流れ落ちても、みんな必死に「心に訴える演奏」を目指して吹きつづけた。演奏会が終われば、また力を合わせて場内を清掃。今夜の司会は八重山高校のバンド部員と放送部の2人の女生徒が懸命につとめた。
【8月14日】
午前中自由時間があったが、なにしろ5分も外出すれば頭が変になりそうな直射日光。そのため八重山高校の部員との交歓会後はもっぱら昼寝。石垣空港をお昼過ぎ離陸。30分ほどで宮古空港の人となる。機長も降りて挨拶をされた。空港は漲水分教会の鼓笛隊がわれわれを歓迎している。小さな子供たちが笛を吹いてくれるのを見ると、あの歓迎に応えられるような音楽を贈らねばと、心はいよいよ勇みたった。加えて今夜が沖縄最後の演奏会である。
西里大通りの商店街からビジネス通りへ回り、警察、市役所、県の宮古支庁とパレードして平良市でのパレードを終わった。夜新装なった市民会館でこけら落としともいうべき演奏会。満員の聴衆に最後まで聴いて下さった平良市長さんも満足そうであった。ここでの民謡には「豊年のアヤグ」も入れ、会場の手拍子も大きく響いた。沖縄の最後を飾るにふさわしい出来ばえであった。そして、この日までの私たちの演奏が、たとえ一点となっても沖縄の人々の心の灯となり燃え続けてくれるなら、これに勝る喜びはないと思った。
【8月15日】
台風接近をつげるニュースをあとに宮古空港を11時45分出発。以後の便は欠航となったとか。楽器を一部空港前の倉庫に預けて宿舎に帰った。(3年浅野祐一)
▼沖縄の休日
この日2時過ぎ、万座ビーチ目指しバスはひたすら走った。いつもならバスの中では半分は寝ているのだが、今日だけは別だった。みんなの眼はランランと輝き、どの顔も生き生きとしていた。前回行った万座毛の入江が万座ビーチである。海に着くと、さっそく着がえて軽く準備体操。先生の注意の後、心を躍らせてコバルトブルーの海へ一目散。初めての?沖縄の海を存分に楽しみ、貝を拾ったり、簡単なモリと水中眼鏡で魚を追い、また横にあるプールでダイビングをする者もいた。河合先生の「南沙織と違うか」の声に、すぐ確かめにやらされる者もいる。果たしてそうであった。そうこうするうちに豚も焼け、全員が初めての丸焼きに舌つづみを打つ。でもちょっぴり豚が可哀そうなんて言いながら、たらふく食べている。
楽しい時間はどうしてこうも早く過ぎ去るのか。海に別れを告げ、暗くなった雨の国道58号線を教会へと帰ったが、みんなぐったり。そして最後の夜を迎えるはずであったが、その頃には、台風は一段と激しくなってきていた。でも楽しい1日だった。
【8月16日】
1日中台風で外出もできず、テレビで甲子園の野球部を応援した。晴天の甲子園。所かわれば天気かわるで、この台風のすごさは内地では想像もできないものであった。
【8月17日】
朝臨時便が出ることになり、10日間の演奏旅行を無事終えさせて頂いたお礼づとめのあと、11時、教区の方に見送られ台風の余波をついて離陸。思い出の沖縄を後にした。 午後1時、無事伊丹に着き、校長先生、土佐元先生の出迎えをうけ、ねぎらいの言葉を頂いて全行程を終わり、引き続いて次の演奏地へと向かって行った。(3年原田正喜)