「多紀連山 修験Walker」の開催(日程調整中)
大阪・関西万博をきっかけに丹波篠山で取り組む「丹波篠山国際博」。
役行者様が修行したとされ、平安時代からの修験道の歴史が眠る「多紀連山」を修験の行場を登拝するイベント「多紀連山 修験Walker」を2025年に開催します!
4月19日(土)栗柄地域参詣 当イベント開催祈願
5月4日(日) 多紀連山東部参詣
「多紀連山 修験Walker」の開催(日程調整中)
大阪・関西万博をきっかけに丹波篠山で取り組む「丹波篠山国際博」。
役行者様が修行したとされ、平安時代からの修験道の歴史が眠る「多紀連山」を修験の行場を登拝するイベント「多紀連山 修験Walker」を2025年に開催します!
4月19日(土)栗柄地域参詣 当イベント開催祈願
5月4日(日) 多紀連山東部参詣
多紀連山の修験道"三岳修験"
丹波篠山の東西に広がる多紀連山は西ヶ岳、三岳(御嶽・御岳)、小金ヶ岳、八ヶ尾山からなり、日本海に向けた由良川水系と瀬戸内海に注ぐ加古川水系とに分かれる中央分水嶺でもある。
そんな南北の海の生命と海までの里地の生命を潤す「命の水」の水源であるこのお山を人々は古代より護り、崇拝してきた。
その祈りを民間信仰として分かりやすくカタチにしていたのが修験道である。
室町時代に吉野の修験者によって多紀連山の寺々は焼滅したと言われており、さらに明治期の廃仏毀釈、それに続いて出された修験道禁止令によって全国的に修験道は衰退せざるを得ない状況となり、丹波地域でもこれまで里地里山を護ってきた山伏の姿は見られなくなった。
ただ、丹波篠山を含む丹波地域全域にはこの山岳信仰・修験道の足跡が無数に残っており、そこに改めて祈りを取り戻す事で今だけではなく何千年もの間に先人たちが培ってきた自然との共生のあり方を引き継ぎ、未来へ繋いでいく事が行者としての重要なミッションである。それが自然環境保護であり、文化再興であり地域自治、生き方の改善につながると考えています。
多紀連山 西部地域 栗柄 記録
手にむすぶ 滝の白糸くりからの くりかえしつつ祈る観音
多紀連山の西端に位置する、倶利伽羅不動尊から付けられた地域名「栗柄」には観音堂・倶利伽羅不動の滝などが祀られる、里の祈りの場が今でも残る。
栗柄(倶利伽羅)観音堂
本尊:聖観世音菩薩
創建:平安時代
御嶽山 養福寺と称する寺跡に再建された聖観音のほか栗柄地域内に残る仏像を奉納
倶利伽羅不動の滝
お滝の横には不動明王、前鬼・後鬼が祀られている。
お滝の下流には妙見菩薩が祀られている
お滝の上、山際に護摩道場があり、山の斜面には稲荷大明神、水神、瀧の宮神社跡の祠が祀られている。
倶利伽羅不動尊、栗柄観音堂と多紀連山の登山口の間にある「八柱神社」
古来、「一ノ宮八王子大明神」と称した神社。
明治の廃仏毀釈、神仏分離令、修験道廃止令に伴い現代風「神社」となった事が窺える。
また、熊野神社、滝の宮神社、天満神社が合祀されている事からも修験や神仏習合の面影を残す神社である。
多紀連山の西端栗柄地域の登山口から15分ほど登ると愛染窟に到着。。
愛染窟付近の巨石には自然の偉大さや神秘を感じる事ができる。
愛染窟には役行者(神変大菩薩-じんべんだいぼさつ-)の石仏が祀られており、真向かいの洞窟の隙間から入る光に照らされて神々しいお姿が見られます。愛染明王はきっとその昔祀られていたのではないかと思われる。
多紀連山 東部地域 参拝記録
小原の大日堂
こちらには多紀連山の東の峰「八ヶ尾山」の山頂に祀られたとされる木造「大日如来坐像」をご本尊に、十一面観音、空海坐像が祀られている。
西の栗柄地域の倶利伽羅不動尊に対して東の大日如来としてこの多紀連山を護っていただいている。
この大日如来坐像は平安時代後期の作と考えられ、寄木造で内刳りと漆箔を施している。
大銀杏
大日堂の両側には推定樹齢250~300年とされる雌雄一対の大銀杏の巨木が立っている。
【 弁財天を祀る磐座】
八ヶ尾山の登山口とされる場所に弁才天を祀る磐座がある。
大峰山で役行者が勧請された弁財天はその麓に天川大弁財天社として多くの信者・参拝者のある弁財天があるように、ここ多紀連山の修験にも同じように東の上り口の磐座に弁財天を勧請し祀られたのだろうか。
磐座に「八ヶ尾つまご坂上り坂」との表示があり、磐座の横から登山道が伸びる。
弁財天の祠の向かいには池跡があり、きっとこの上にできた大きなため池ができた事で枯れてしまっていると思われる。
その大きなため池は「弁天池」と名付けられいる。
自然のあるがままの恵みに対する感謝と信仰に対して、地域自治という大義のもと、その自然の恵みが壊されるという複雑な想いがした。