2025.11.15 第48回 ミニ・多摩どん~マテバシイがつなげたものがたり~
今年の「どんぐりビール」の原料になるマテバシイは、多摩を起点として、たまどんメンバーの思い思いの地で拾ってきたものです。それぞれのものがたりが集まってビールになります。
私も、今年のマテバシイ拾いには大奮闘!朝、散歩するついでにどんぐりを拾ったり、公園があるたびに寄り道してみたり...。
一番遠いところでは、熊本県水俣市で拾ったマテバシイがあります。東京を出ても、どんぐりを探す癖がつきました。とくにマテバシイは、常緑で大きな固い葉をつけるのでよくわかります。水俣を歩いているときにふと拾ったマテバシイ。大きさは小ぶりですが、縦じま模様のはいった一見変わったマテバシイだったので、しっかり収集しておきました。(この時は足元にものがたりがひろがっているとも知らずに...)
さて今日は、世田谷区粕谷にある蘆花公園(蘆花恒春園)に足をはこんで、マテバシイとスダジイを拾いました。蘆花公園は私(執筆者)にとっては「地元の公園」です。小学校の課外活動では蘆花公園に行ったことを思い出します。
そんな「蘆花公園」は明治・大正期の文豪「徳冨蘆花」が晩年を過ごした邸宅がある場所であります。現在はこの邸宅とその周辺の雑木林が「蘆花恒春園」として文化財に指定されています。(だから蘆花公園なのか!!!と知らなかったワタシ。灯台下暗し。)
公園内のマテバシイを探していると、「蘆花恒春園」の入り口に、どすんと構えたマテバシイがあるではないですか!まるで蘆花の邸宅を守る守護神のような巨木のマテバシイです。これはすごいと思い、せっせと拾ってみます。
ふと手を止めて思い返せば、2週間前にどんぐりを拾った水俣は「徳冨蘆花」の生まれの地です!!さらに記憶と写真をたどり返すと、私が水俣で拾ったマテバシイは「徳冨蘆花・蘇峰記念館」の隣に植樹された木でした。(写真参照)水俣と地元がつながった瞬間でした。マテバシイを探していなければ、気が付かなかった〈ものがたり〉が立ち現れてきました。
徳冨蘆花は明治33年に発表した作品集『自然と人生』に収められている「雑木林」に、「余は斯雑木林を愛す」「木は楢、櫟、榛、栗 、櫨など、猶多かる可し。」と文字を残しています。蘆花が愛した雑木林がどのようなものだったのか、なぜ雑木林を愛したのか。マテバシイというブナ科の樹木は蘆花の中でどのような思いれがあるのか。気になってきました。家に帰って調べてみると、徳冨蘆花の「雑木林」の視座を考察した論文を発見しました。(金子,2016,2017)
その中では、蘆花は天然林ではなくて、人間が生活のために手をかけて維持する「人工の二次林」を愛したと書かれています。その人工林のなかに見出した美しさとは、例えば華美な花をめでたり、よい材木として換金できる常緑針葉樹を大事にしたりすることではありません。蘆花は「変化の美」を大切にするというのです。地味で目立たなくても、春には芽吹き、夏は新緑を実らせ、秋には色づく。確実に四季をあらわす雑木林の木々たち。審美的価値は人目を惹く華やかさではなく、暮らしに根付く「生」の美であります。
歴史の上にわたしがある(わたしがいるから歴史がみられる?)ということをじんわり感じた良い一日でした。
明日は『みみずのたはこと』を片手に、雑木林を歩こうかなぁ。
(参考文献)
金子孝吉,2016「徳冨蘆花の小品「雑木林」に登場する樹木について(1)」『彦根論叢』第407号p.4-18,滋賀大学経済学会
金子孝吉,2017「徳冨蘆花の小品「雑木林」に登場する樹木について(2)」『彦根論叢』第414号p.4-15,滋賀大学経済学会