中島研はJ-PARCにある中性子チョッパー分光器HRC(BL12)の運営にも参加しています。 チョッパー分光器による中性子非弾性散乱はマグノンやフォノンなど物質の励起状態を観測することができる非常に強力な手法ですが、測れる物理量が(Qx,Qy,Qz, E)の4次元にわたるので、なかなかとっつきにくい面もあると思います。 特に単結晶を用いた測定の場合、逆格子空間をQx-Qyの二次元に制限したとしても、結晶を回した時にどのようなQ-E範囲をスキャンできているかはイメージしにくい部分もあるかもしれません。
そこで、そこでスキャン範囲を可視化するWebツールを作ってみました。 MLFの各分光器で実装されているmulti-Ei法のシミュレーションにも対応しています。
>> Accessible Q-E range in HRC(BL12)
まずInstrumentセクションは装置のパラメータが入っていますので、何も変える必要はありません。
次にTOF (Time of flight) diagramのセクションで 「チョッパー周波数(Chopper Freq.)」と「Target Ei」と「Upper limit of Ei」を決めます(input 1)。
その後「set」をクリックすると、実験に使用することができる入射中性子のエネルギーのリストが表示されます。
ここで、「Target Ei」で指定した自分が一番欲しいエネルギー以外に、いくつかのエネルギーがリストされていることに気付くと思います。これが、1回の測定で複数のエネルギーを使用することができる「multi-Ei法」の効果なのですが、その詳しい原理は「First Demonstration of Novel Method for Inelastic Neutron Scattering Measurement Utilizing Multiple Incident Energies, M. Nakamura et al, JPSJ 78, 0933002 (2009)」に詳しく書かれています。簡単な説明は下記に示してあります。
次に「Q-E cuts」のセクションで、結晶構造に関する情報を入れます。本来は格子定数a, b, c, α, β, γを入れるべきですが、現状では水平面内にa*とb*があることを前提とした2次元表示にとどまっています。a*, b*の長さと両者の間の角度を入力してください。磁気散乱が期待される場合はそのq-vectorも入れておくとConst-E cutに表示されるようになります(input 2)。
また、結晶を回転させる範囲を「Omega angle range」の欄に入力してsetをクリックしてください(input2)。
すると、各Eiに対してそれぞれ2枚の絵が出てきます。左側はEnergy transfer(つまり系が受け取るエネルギー, Ei-Ef)が一定の条件で描いた図で、青色の領域内が測定範囲です。"Energy transfer"のslide barを動かすと、アクセスできる領域が動いていくのがわかると思います。
右側は任意の逆格子点2点を結ぶ線上でQ-E mapを描いた場合どのように見えるかを表したものです。2点の逆格子点はinput 3のボックスで自由に決めることができます。(一部線が消えてしまうのはプログラムの不具合です。すみません。Const.-E cutから読み取って補完してください。)
Energy transferと逆格子点を動かしながら、目的のQ-E範囲が測定領域に入っているか確認しましょう。特にDetector bankの間の溝が重要なQ-E範囲にかぶっていないかチェックしましょう。
J-PARCのようなパルス中性子施設では、高エネルギーの陽子ビームがターゲット物質(J-PARC MLFの場合は水銀)に衝突することで中性子が発生します。発生した中性子はモデレーターによって減速されて物性研究に使いやすい meV~eVのエネルギーを持つ状態になって出てきます。
中性子非弾性散乱では、中性子が物質によって散乱された際のエネルギーの増減を観測しますから、入射中性子のエネルギーをあらかじめ知っておく必要があります。そのためにチョッパーを用いた単色化を行います。
チョッパーの働きを理解するために、上でも出てきた「TOF diagram」をみてみましょう。これは横軸が時間、縦軸が飛行距離を表しています。
時刻t=(ほぼ)0で中性子がモデレーターの表面から出てきます(厳密にはゼロではありませんが)。中性子は波長によって速度が異なりますから、短波長の中性子は早く、長波長の中性子は遅く、チョッパーの場所まで到達します。TOF diagramではこの速度が線の傾きに対応します。
そしてタイミングよく、チョッパーが開いている瞬間にそこを通る中性子だけがサンプルに到達することができます。つまりチョッパーの位相のオフセットを中性子発生のタイミングに合わせてうまく設定してやることで、目的のエネルギー(速度)の中性子だけを取り出すことができるのです。
(ちなみに中性子の速度は 437×√E (m/s)です (Eの単位はmeV)。我々が実験に使うのがおよそ1〜100 meVの中性子ですから、音速といい勝負かちょっと早いくらい。もちろん光よりは桁違いに遅いです。チョッパーでmeVオーダーのエネルギー分解能が出せることもイメージできるでしょうか。)
チョッパーは一般的には数百ヘルツで回転しているケースが多いです。一方MLFでは中性子は25 Hzの周期で発生しています。そのため、一度中性子が発生してから次の中性子パルスが発生するまでにチョッパーが複数回開くことになります。よって、1回の測定で複数の入射エネルギー(Ei)でのデータが取れることになります。これがmulti-Ei methodです。
Eiが大きいほど広いエネルギー範囲を観測することができますが、一般にエネルギー分解能は悪くなります。一方Eiが小さければ低いエネルギー領域を高い分解能で観測することができます。よってこのmulti-Ei methodを使えば、励起スペクトルの「全体像」と「(低エネルギーの)微細構造」を同時に観測することができます。
ただし、scanするωの範囲を一つに定めたときに、大きなEiと小さなEiの測定で見ている逆格子空間が異なるということが往々にして起こります。実際にこのアプリで確認してみてください。(同じ、もしくは等価な逆格子点で、うまくmulti-Eiの条件を合わせるのは意外に難しい。。)
HRCや4SEASONSでは中性子の単色化のためにFermi chopperというものが使われています。これは回転するドラムに中性子の通る穴が開いているようなものだと思ってください(実際はずんどうの穴ではなくてスリットが入っていますが)。
穴(スリット)は回転軸を横切るように入っていますので、それが中性子の飛ぶ方向と平行になった時だけ中性子を通します。よって、目的のエネルギーの中性子が発生してからからチョッパーの場所まで飛んでくるタイミングと、穴がビームと平行になるタイミングをうまく合わせることで、狙ったエネルギーの中性子だけを取り出すことができます。
下の図「Fermi Chopper with straight slits」をみてください。これは4SEASONSで使われているタイプのチョッパーをかなり簡単にして描いたものです。ドラムが360度回転する間に、穴がビームと平行になるタイミングが2回あることがわかると思います。これを"Front"と"Back"と示していますが、両者に差はありません。どちらの場合でも同様に中性子が通過していきます。(ただし、上のmulti-Eiの説明で述べたように、中性子パルス発生からの経過時間によって異なるエネルギー(速度)の中性子が選ばれます。)よって、4SEASONSでFermi chopper freq.として100 Hzを選択した場合、中性子が通る穴は200 Hzで開閉することになります。
一方、「Fermi chopper with curved slits」と書かれた下の図はHRCのチョッパーを模式的に書いたものです。中性子が通る穴が曲がっていることに気づくと思いますが、これはチョッパーの中を中性子が通っている最中にもドラムが回転していることを考慮して、狙ったエネルギーの中性子をより精度よく効率的に取り出すように設計されたものです。下の絵を見ると、中性子がドラムに対して描く飛跡に合わせて穴が曲がっていることがわかると思います。この時も先ほどと同様にチョッパーが半回転した後に再び中性子が通る穴が開くタイミングが巡ってくることになります。しかし先ほどとは穴が逆に曲がっているために、中性子が通り抜けることができません。(実際の実験では少しは通り抜けてしまうこともあるのですが、強度は非常に弱く、実験に適してません。)よってHRCでは、チョッパーが1回転する間に、のスリットのカーブに沿って中性子が正しく抜けてくるのは1回だけです。これを踏まえて、HRC用Web appではチョッパーの回転数と単位時間当たりに中性子が入射される回数は同一になっています。4SEASONと同じFermi chopperですが、このような違いがあることに注意してください。
また、HRCのWeb appには「Chopper face at t=0」という選択肢がつけてあります。上述のようにHRCのFermi chopperには「表」と「裏」があり、chopperの調整を行なった際に前後の関係が入れ替わり、offsetの時間原点が半周期分ずれることがあるためです。Eiの選ばれ方など、シミュレーション結果には何も影響がありませんが、Phase offsetの値がこの選択肢によってずれることがわかると思います。
現在のchopper faceがどちら向きかは、実験をする時点で装置担当者に問い合わせてください。
上記のプログラムのソースコードは下記で公開してあります。あまり綺麗なコードではありませんが、自分で改造してみたいという方はご自由にどうぞ!
https://github.com/taro-nakajima/Accessible_QErange_HRC
https://github.com/taro-nakajima/Accessible_QErange_AMATERAS
https://github.com/taro-nakajima/Accessible_QErange_4SEASONS