学習村の考え方
理念と生徒や保護者の方によく話す言葉をご紹介いたします。
独立の気力なき者は必ず人に依頼す。人に依頼する者は必ず人を恐る。人を恐るる者は必ず人に諂うものなり。(福沢諭吉)
独立の気力なき者は必ず人に依頼す。人に依頼する者は必ず人を恐る。人を恐るる者は必ず人に諂うものなり。(福沢諭吉)
普通の学び方とは、今日までに習ったことは今日までに理解して暗記するという当たり前の学習スタイルです。定期テストだけに特化した学びではなくて、実力テストにも対応できる学びでなくてはなりません。
思考力をつけるためには、ふだんから考える習慣があることが大切です。しかし受験生にとっては、考える時間よりも、暗記する時間の方がずっと多くなります。ということは思考力をつけるためには、受験期に入る前の時期がとても大切だということは明らかです。数学の応用問題がわからないとき、「全然分かりません!」と言う生徒がいます。最初から思考停止になってしまっています。こんなときこそ、自分で解説をよく読んで、自分がどこが分からないのかをはっきりとさせるという第一歩の習慣が大切です。それができなければ、応用問題が解けるようには決してなりません。国公立大学など難関大学の2次試験の数学では1問あたり30分かかる問題で構成されています。考える習慣がなければ、名古屋大学はおろか国公立大学の2次試験には対応できません。
個別指導との違い。個別指導では、教科書準拠教材を使うので、主に「今」習っているところの学習が中心となります。学習村では、特に英数が苦手になっている場合、過去の「穴」がたくさんあるはずなので、「今までに」習ってきたことの復習のほうに重点をおきます。この点が個別指導との大きな違いです。
自立指導との違い。自立指導で最近はやっているのは、志望校までのルートとなる参考書・問題集を用意して、それらを完全理解していく形式のものです。自立的に学習できるようにというのは、学習村も同意見です。ただしルート上にある教材量が多すぎるように見えます。「スピードが遅いタイプ」「じっくり考えるタイプ」など、こういった生徒には向いていないような思えます。もっとも、先ほど述べたように、受験期の学習はほぼ暗記なので、ただ詰め込むだけなら、それでもいいのかもしれませんが、学習村は「思考力・応用力」につながらないような学習には、関心がないので、問題量の多すぎる自立指導とはまったく異なると言っていいでしょう。学習村ではまずは少ない量で「核」となる部分の強化です。具体的には「チャート式」です。青チャートを使っている高校生でも、数学が弱いなら「白チャート」をすすめます。それですら、できていないことがほとんどですから!また問題は解けていても、流れ作業で覚えているだけで、まったく理解できていないことさえあります。生徒に説明してもらう口頭指導では、それがはっきりと分かります。
集団授業との違い。登山に例えると、授業はただ乗っているだけで山頂まで行けるロープウェーで、自学自習は自分の足で登ることに似ています。効率主義がはびこった現代社会での学び方はロープウェー学習に近いと思いますが、私が正しいと信じる学習は、自分の足で登る学習であり、これがいちばん身につくと考えます。頭の筋肉は、自分の頭で考えることでしかつかないのです。分かりやすい授業や解説から始めてしまえば、前に習ったことを忘れていても何となく分かった気になれてしまいます。しかし最初の一歩を自分で始めると(例えば数学)、自分のありのままの理解力が試されます。その試練を毎日乗り越えている人と、毎日ロープウェーからの景色を眺めているだけの人の間での差は、365日でどれほど開いていくでしょうか?
参考までにですが、私の理想の学校について。朝学校へ行き、自分で教科書を読み、分からないことがあれば教師に聞き、その日の確認テストに合格したらその日の学習は終わり、先にできたものがまだ終わっていない生徒の手伝いをする。特に社会性を身につけるという意味では、下線部のような助け合いは大切だと思います。先生の面白い授業などは、みんなが理解して知識が定着した後からでもいいと思います。今日までに習ったことは、今日までに定着させるが基本にありつつも、学び合い・助け合いの精神もあり、シンプルです。実際の学校では難しいこともあるかもしれませんが、自分の学習「村」への思いの一端は感じられるかなと思い、書き残しておきます。
日本でいちばん有名な参考書と言ってもいい「チャート式数学」の基本例題は中学生版で120問ほどです。1日1問でも1年間で3回も繰り返すことができます。こんなに少ない習慣で数学の基礎が身につくのに・・・継続貯金をしよう。
定期テストで60点をとったときに、多くの生徒は90点までは自分で見直すことができます。そして残りを10点分を質問します。しかし一か月後に同じテストをするとまた60点ぐらいしか取れないことがよくあるのです。この生徒が本当にしなくてはいけなかったことは、10点分の質問ではなくて、60点→90点分の簡単に身につくところをしっかりと練習することではないでしょうか?学習村では、口頭指導のなかでも、このことを毎回のように実感することできます。いかに簡単にできたことを簡単に忘れてしまうのか、ということを。簡単なことは印象に残らないから、意外とあっさりと忘れてしまうのです。モーニング娘の小田さくらさんも2024年8月11日のラジオ放送で「すぐにできたことはすぐにできなくなる」と実体験からお話されています。
逆に難しいところをとことん取り組めば忘れないようになります。解決するところに苦労した所ほど記憶によく残ります。でもちょっと難しい問題はあっさりとあきらめ、質問して苦労せずに解決しようとしていませんか?
基本とは、簡単なところではなくて、すぐに身につかなくても、じっくりと取り組めば必ず身につくことです。時間をかけてしっかりと身につけたことだけが、基本となっていくという考え方です。人の体で言えば、筋肉と言えるかもしれません。
予習→授業→復習という流れは、授業があるから出てくる考えにしか過ぎません。もしも何かの資格試験のために、問題集を使って自分ひとりで学習するときには予習なんてありません。問題集を理解して、暗記して、復習を繰り返してスピードアップ(習熟)するだけです。≪予習→授業→復習≫をしていても≪理解、暗記、定着≫がなければ、意味がありません。意識を向けるところを変えなければいけません。
継続する力はとてつもなく偉大です。1日に1単語、1日に1ページだけでも1年後には365語、365ページ進むことができます。1日1%の利率で365日貯金したら一年後にはいくらになると思いますか?365回1.01をかけ続けると37.8になります。つまり100円が3780円になるのです。アインインシュタインもこの事実〈複利の公式〉を人類最大の発明と述べたことは有名な話です。毎日1%の小さな小さな努力を続けると、1年後には37.8倍の学力になると私は想像して期待をもちながら学び続けます。
継続のコツは、まずはちょっとから始めて、ちょっとを続ける(キープ)ことです。私は〈ちょっとキープ〉と呼んでいます。しかし継続が大切と言いながらも、自分自身今までに何度も途中で止めてしまうことが何度もあります。そんなときには、また途中で止めてしまったとがっかりもせずに、何食わぬ顔をして、しれっともどって再開します。〈しれっとバック(再開)〉ちょっとから始めて、続けて、さぼっても、また続ける。それぐらいのゆるい条件にしておくと、何とかかんとか続けられているような気がします。自分の場合は、読書がそれにあたります。
失敗しても、あきらめず、くさらず、ぐずぐずせずに立ち上がる。高校入試で失敗する人もいれば、高校入試でも大学入試でも失敗する人もいるでしょう。しかしそうなっても、また立ち上がる。これができれば子育ては成功だと思います。学習の本来の目的は学校の成績アップや受験合格ではなくて「自立して学び続ける習慣と、失敗しても立ち上がる力」の獲得こそが目標であるべきです。山下達郎氏もラジオで「教育で重要なのは、かなうことばっかり夢想させるんじゃなく、失敗した時にどうするかを教えること。能力とか才能は、全員が同じじゃない。」とおっしゃていたことがあります。
私たちの住む世界は今まで生きてきた人と、今生きている人の夢がかなった世界でできています。家も、店も、電線、神社もお城も誰かの夢が形になったものだから。僕たちは先人たちが作り上げてきた夢の世界に生きているようなものです。本当に夢がかなうということは、まだこの世にないものを作りだしていくことだと思います。しかし受験は夢の世界の中にある椅子取りゲームの一つにすぎません。だから受験のルールもすぐに変更ができます。そういうものは制度であって、夢ではないと私は断言します。自分の店を持つ、家族をつくる、仕事を通して人々の笑顔を増やす・・・自分が存在しなければ、この世になかったものを創り出すという意味で、そのほうがずっと独創的な夢だと私は思います。だから、受験に落ちる=夢が叶わない、なんて馬鹿げた妄想は捨てて、ほんとうの夢をつかむまで、失敗しても再び立ち上がる人を目指してほしいと思います。学びを通して、自分に心の翼に筋肉をつけまくっていきましょう!