Imashi Hashimoto Vol.01
Q:クライミングを始めたきっかけを教えてください。
A:もう26年前になりますかね。中学2年の時です。当日白馬でアルペンスキーやってまして、その時のコーチが夏のトレーニングの1つとしてクライミングを取り入れてました。
今も現存する小谷村ちゃんめろウォール入ってすぐ右にあるやや小さめのリード壁。
大小様々なホールドがついたその壁に誘われるように取り付いた瞬間、脳天から足先まで電撃が走り、未来が見えました。
「あ、俺これ一生やるわ」と思ったのを今でも覚えています。
Q:なんと!四半世紀前に電撃的な出逢いがあったのですね。スキーコーチに感謝です。
スキーはその後も続けたんですか?
A:コーチとちゃんめろウォールに感謝しています。
中学卒業までスキーを続け、高校に入ったら本格的にクライミングをやろうと決めました。
Q:最後までスキーやり切ったんですね。高校ではどのようにクライミングを開始したのですか?
A:大町高校(現岳陽)に入学し山岳部に入りました。顧問の先生にクライミングをしている大町北高の先生を紹介していただき、その先生にアートウォールや二子山に連れて行ってもらったりして本格的にクライミングを始めることができました。
Q:そうすると、クライミングは週末って感じでしょうか?クライミングもしつつ、山岳部の活動もしていましたか?
A:北高の先生が学校終わりに来てくれる時は平日も行けてました。
3年になって原付の免許取ってからは学校終わりに白馬に帰ってそれから原付で長野市のアートウォールまで週2ぐらい通ってましたね。
週末はアートウォールの先輩方や父に佐久の岩場か小川山に連れて行ってもらっていた感じです。一応山岳部の活動もしてましたが、サボってばかりで顧問の先生や他の部員に迷惑をかけてしまいました。
Q:伝説的逸話「特攻の今史」ですね!アートウォールに通うために原付免許取った感じですか?
A:父がバイクや車が好きで、幼い時からトライアルバイクとか乗ったりしてました。(練習場でね)なので早く公に公道を走りたかったのもありますが、原付取る時は完全にアートウォールに行くためって感じですね。
スクーターじゃなくてDT50というオフロードタイプのバイクでアートウォールに通ってましたね。片道1時間ぐらい。閉店まで登って帰るの繰り返し。バイク乗るのも楽しすぎて風を切って通ってました。
Q:今史家の父は動力、母は馬ってことですか?
A:父はほんとビレイに良く付き合ってくれました。母は家で馬ですね。今も乗馬教室やってます。
Q:バイクアートウォールバイク(BAB)帰着後はアドレナリンでまくって眠れなさそうですね。高校生活で登りまくり、その後はどんな感じでクライミング続けていったんですか?
A:疲れ切って即寝でしたね。
一浪して東京の大学行ったのですが、この期間勉強とバイトに明け暮れる日々が続き、大学4年の夏頃までほとんどクライミングをしていなかったんですよ。
年に数回程度って感じですね。
Q:今史らしいですね。今やるべきことに一点集中型。
大学はどういった勉強してたんですか?とりわけハマった学問ジャンルとかありますか?
A:この期間はクライミングしていなかったのは結構後悔しています。体力的にピークの時期ですからね。
大学は薬科大で薬剤師になるための大学です。薬理をはじめ、化学、生理学、病理、などなど薬に関する事全て。一浪して華の大学生活が送れると思ってたら正直浪人時代よりハードでした(笑)
ハマった学問ジャンルは特にないですね。基本的に理系の教科ばかりなので、苦手ではなかったですが、選り好みする余裕はなかったです。
Q:ハードな学生生活を経てクライミング再開までを教えてください。
A:大学4年の夏頃に「もうあんま勉強しなくても国試受かるわ」という妙な自信が湧いて出たんですよね。実習や研究もメドがついて時間ができたんですよ。そこで白妙ボルダーのニラ(3段)やレバ(初段)のある岩に行きました。釣り道具も持って。
川沿いにあるそのボルダーの前で釣りをするかボルダーをするか迷いましたけど、ふと登りたくなりまして、レバをトライしました。全然登れなかったのですが、楽しさを思い出す事ができました。
そこから御岳通いのスタートですね。卒業までに当時のグレード更新三段を目標にメトリウスのペラペラスタートマット1枚で通いまくりました。
最終的に引越し2日前に蟹虫(四段)まで登って長野にリターンする事ができました。
Q:釣りか登りか、人生の岐路。しかも4年近くのブランクを経て蟹虫って。凄いを超えてますね。長野に戻ってからはクライミング街道まっしぐらですか?
A:長野市にある薬局で働きながら平日はジム、週末は岩場通うクライミングライフがスタートしました。
DKと毎週鳳来に通い、1番乗りで鬼石に到着し、最後まで登って帰ったりしてました。
平日はアートウォールとハングドックのヘビーローテーション。ハングドックには当時自分達が切磋琢磨した課題がまだ残ってるので是非やってみてください(笑)
この期間の長野市生活で自分のクライミングのベースとなる力がついたと思います。
そして仕事を辞めて2年間の長野生活にピリオドを打ち、DKと2人フランスフォンテーヌブローにロックトリップに出かけます。
Q:登攀人生開幕ですね。笠原くんとの出逢いはアートウォールですか?
A: DKとは白馬のアルプスジムで会いました。もう17年ぐらいの付き合いですね。
当時からクリンプが強くテクニシャンでした。
Q:突然の出逢いはまさかの白馬。毎週の鳳来。ハングドックでのハードセッション。そして仕事を辞めてのブロー入り!
ブロー生活は簡単には語れないとおもいますが、とりわけ印象に残った課題、出来事を教えてください。
A:ブローは濃すぎたのでどこを抜粋してよいやら(笑)
まず2人とも初めての海外、3月から3か月間キャンプ生活の予定でツアーを組みました。
拠点はブローのみ!
いきなりマットとDKの荷物のロストバゲージからスタートしました。
ほとんど英語もフランス語も話せない中何とか車を借り、マニュアル左ハンドル右車線であたふたしながらブローに到着。
そこからはパラダイスですね。
フォンテーヌブローの森に囲まれた広大な敷地の中にクジラ岩ぐらいの高さのボルダーがゴロゴロしてるんですよ。しかも下地は砂地で平らな課題も多くまさにボルダーラビリンス。
印象に残った課題というよりとにかくそのボルダー群に圧倒されました。一生かかっても登りきれないとはまさにこの事かと。
課題はBig Boss 7c,Fourmis Rouges 7c, Tristess 7c, Big Golden 7c+のBig4と呼ばれる4つ。
課題のある巨岩が連続で出てくるのでこのセクターは圧巻です。あとはとにかく容赦ない距離出しダイノ課題が多かったですね。鍛えられました。8a以上を何本か目標にしていましたが、実力不足を痛感しました。強くなって戻ってこようと誓いました。
出来事といえば帰国の2週間前に車上荒らしに合い車のサイドガラスが割られ、PC、パスポート、財布諸々盗られたことですね。警察、車の保険会社、大使館、関係各所とやりとりしました。この間少し前にブローで知り合ったフランス人のクライマーに助けてもらった事もあり、無事帰国する事ができました。彼とは今も交流が続いています。
Q:ブローではお天気に恵まれない方が多いですけど、そのあたりはどうでしたか?
A:天気は悪い事が多かったですね。4月や5月になると今度は暑い日が多くなりコンディションに悩まされました。
Q:ブローツアーを経て、大きく変わったことはありますか?
A:クライミング的にどうというより、初の海外でトラブルを経験しまくったので度胸がついた感じでしょうか。今でもあまり英語は話せませんが、必死に伝えようとすれば必ず伝わるもんだなと。
(続く)