「独自の物理化学的アプローチでナノ物質科学を切り拓く」
数個から数十個の金属原子で出来た金属クラスターは、特異な発光特性や触媒活性を示すユニークなナノ物質群です。
金属の特徴である電気伝導性や熱伝導性に電子が深く関わるように、金属クラスターにおいても電子の振る舞いがその性質を決定づけます。
そこで、高い安定性やサイズ選択的な合成が簡単なことから近年注目を集めている有機分子で化学修飾された金/銀クラスターの電子構造と形・反応・機能の関わりを体系的に理解し、基礎学理を構築することを目指して、物理化学的なアプローチで研究を行っています。
具体的には、独自の真空実験装置を使った測定や量子化学計算により、
(1)クラスターの幾何構造が電子構造に与える影響を調べる
(2)溶液中で評価するのが難しい化学種(解離生成物・会合体・反応中間体)の構造を調べる
ことで、化学修飾された金/銀クラスターの学理構築に取り組んでいます。
化学修飾された金/銀クラスターの価電子は、クラスター内を自由に動き回り、原子軌道のような超原子軌道に格納されます。そのため、原子のような電子構造と原子にはない構造自由度を併せ持つ超原子とみなすことができ、物質の新しい構成単位として注目されています。超原子軌道は最高被占軌道 (HOMO) や最低空軌道 (LUMO) として電子の受け渡しや光機能にかかわるため、超原子の特性を理解するためには超原子軌道を評価することが必要です。そこで、HOMO周辺のエネルギー状態を精密に評価できる負イオン光電子分光を使います。
真空中に孤立したクラスター負イオンにレーザー光を照射し、電子を脱離させます。脱離した電子のエネルギーを測ることで、元のクラスターの電子状態がわかります。測定には、研究室で独自に開発された真空実験装置を使います。質量分析装置と光電子分光装置を組み合わせた本装置では、特定組成のクラスターのみを選択的に分光できます。また、夾雑物のない真空環境下で評価することで、超原子の本質的な構造情報が得られるほか、溶液中では評価が難しい化学種でも真空中に取り出して調べることができます。
良いスペクトルを測定するために、自作の負イオン光電子分光装置を改良しています。装置開発は成果の前面に現れにくいですが、オリジナリティのある研究成果を生み出すための基盤となる大事なテーマです。イオン軌道シミュレーション(SIMION)で電極設計を行い、3D CAD(Inventor)で部品や組図を製図します。時には電子回路シミュレーション(LTspice)を行ったり、電源を自分で作ったりします。これまでに下記のものを製作し、イオン強度・光電子強度の向上につなげました。
・四重極線形イオントラップ (S. Ito et al. J. Phys. Chem. Lett. 2022.)
・エレクトロスプレーイオン化源
・衝突誘起解離 (CID) 部
・レーザーバッフル
・冷却イオントラップ(S. Ito et al. Angew. Chem. Int. Ed. 2025.)
・光電子分光のためのMALDI源 (K. Akazawa et al. J. Phys. Chem. A, in press.)
負イオン光電子分光を化学修飾された超原子に適用することで、超原子軌道のエネルギー準位を決定できます。配位子や金属種といった幾何構造を精密制御した超原子群を調べることで、幾何構造と電子構造の相関を明らかにしました。また、複数の超原子が繋がった超原子分子の光電子分光を行い、超原子間の結合様式の解明にも取り組んでいます。
S. Ito et al. Angew. Chem. Int. Ed. 2025, e202508151.
K. Akazawa et al. J. Phys. Chem. A, in press.
Y. Tasaka et al. Angew. Chem., Int. Ed. 2024, , 63, e202408335.
K. Nakamura et al. Phys. Chem. Chem. Phys. 2023, 25, 5955-5959.
E. Ito, S. Ito et al. JACS Au 2022, 2, 2627-2634.
S. Ito et al. J. Phys. Chem. Lett. 2022, 13, 5049-5055.
S. Ito et al. J. Phys. Chem. Lett. 2021, 12, 10417-10421.
真空中では、大気中や溶液中では短寿命・不安定な化学種も安定に扱うことができます。この利点を生かして、新奇クラスターの探索を行っています。例えば、真空に孤立した超原子と気体分子を衝突させて一部の配位子が外れた金超原子を生成し、液相合成では例のない超原子の集合体や超原子分子が生まれることを明らかにしました。
Y. Nakashima et al. J. Phys. Chem. Lett, 2025, 16, 6954–6959.
S. Ito et al. J. Phys. Chem. Lett, 2024, 15, 11060–11066.
Y. Fujiwara et al. J. Chem. Phys. 2024, 161, 024303.
S. Ito et al. J. Phys. Chem. C, 2020, 124, 19119-19125.
最終更新:2025年6月11日