酒井の「ぼやき」

年を取ったせいか、私の活動に関係することで種々の問題が目に付くようになりました。私には、これらを是正する権限も能力もありませんが、せめて「ぼやき」として書かせていただきます。

マスコミを通じた工学技術情報伝達のむずかしさ(2024.2.29)

工学技術の情報は、研究者、専門家であれば関連雑誌、書籍等を通じて正確な情報伝達も可能であろうが、専門技術を熟知していない一般の方にとっては、テレビや新聞を通じた情報伝達の機会が多いと思われる。しかし、その情報伝達を行う主体は、マスコミ関係者であり、必ずしも技術的背景を理解していないケースもあるので、正確な情報が伝わらないこともあると思われる。酒井が体験した特異な体験をもとに、この問題を考えてみたい。
 福島第一原子力発電事故の翌年(2012年)の元日に、某全国紙であるA紙の一面に次の表題の記事が掲載された。「安全委24人に8500万円」。私は当時、この新聞紙を購読していなかったが、友人からのメールで、名前が載っているとの連絡を受け、あわててコンビニに新聞を買いに行った。すると、三面には、「原発審査 曇る中立性」と題する紙面に、多くの該当委員の一人として私の名前が掲載されていた。原子力関連の企業から30万円の寄付があったことが記載されていた。この寄付金という仕組みは、個人のふところに入るものではなく、あくまで大学に収められる研究費などにあてられるものであるが、記事にはその説明もないので、まるで個人への寄付であるかの印象を与えかねない。当時、私は原子力安全委員会(今日では消滅している)の専門委員を務めていたので、寄付を受けたうえで、審査に手心を加えたという趣旨の記事に見えた。この原稿を書いた記者名から思い当たることがあった。このような報道がされるとき、新聞社はどのような手続きを踏むのかの参考になると思われるので、このときの経緯を簡単にまとめておきたい。
 記事が掲載される前年の12月20日に、突然、A新聞社の二名の記者から、「取材のお願い(A新聞)」という題名で、メールが届いた。問い合わせ内容は、実に丁寧な文言で書かれており、「原子力安全委員会の中立性」に関する問い合わせであることが書かれていた。そして、「御学の奨学寄付金の受け入れ状況を拝見したところ、先生あてには、....」と、寄付元と寄付金額が20社以上掲載されていた。これについて、次の質問が書かれていた。
①       これらの寄付を受けられた経緯はどのようなものですか。
②       原子力安全委員会は原子力業界からの独立性、中立性が求められます。業界周辺からの寄付の是非について、どうお考えですか。
この質問は、企業名を特定した上での質問ではなく、またほとんどの企業は原子力とは無関係であるため、回答するにしてもとまどいを感じた。「12月26日(月)までにお伺いできればと希望しています」と一方的な要望も書かれていた。寄付金とはいえ、研究活動に対する支援であり、そのすべてについて経緯まで含めて短期間で回答するのは時間的にも無理があるし、その質問の趣旨からしても、あまり意味があるようには見えなかった。そこで、思案の上、次の回答のみを行った。
「個別の寄付案件については公表しないことにしている」
新聞記事の私の欄には、この回答がそのまま掲載されていた。この新聞記者には、これとは別に、「中立性の考え方のむずかしい点」について、私見をお伝えし、何度かメールのやりとりをしましたが、この記者は関心を持たれたようで、ざっくばらんな意見交換をしたいとの連絡もあった。そのメールのやりとりは、極めて丁寧なやりとりで、好印象を受けていた。そんな中、記事の前日の夜に、またこの記者からメールが届き、「安全委の委員の方たちへの金銭支援」についての原稿が、近く載る運びになりました、との連絡があった。その結果、正月の新聞掲載に至り、この記者には、よい印象をもっていただけに、裏切られたと感じた。
 ここから先が、本題である。周辺の先生に、この体験を伝えたところ、普段からのマスコミとのつきあいが悪いから、そういう目にあうのではないかとの指摘があった。確かに、そのようにも感じたので、下記の原稿記事「All Risk Approachについて(2022.11.22)に書かれている、原子力に関するASME国際ワークショップの開催情報を、試しに先の記者に対してメールで送ってみた。この会議は、2012年12月にワシントンDCで開催されたものであったが、その後の世界の原子力の方向性を議論する重要な場であることから、A新聞の原子力担当のこの記者は当然のことながら関心を持つと思ったのである。その会議には、私も参加することになっていた。メールを送ったのが、9月中旬であった。すると、この記者は、趣旨を理解していただき、直に話を聞きたいとのことで、大学の私の部屋に訪問してきた。どのような人なのか、興味深く拝見すると、最初に次のような挨拶があった。「あの新聞記事では、ご迷惑がかかったのではないかと心配していた」。これには、驚いたが、よく考えると事情が理解できた。つまり、反原発は当時のA新聞社の社是であり、しかも、寄付金情報は情報公開法に基づいて請求すれば容易に入手できるので、簡単かつ、社是にも沿っていて、社会的インパクトもある格好の素材であったのであろう。よく話してみると決して悪い人ではなく、ご本人としても、あのような形で記事がでてしまったことに申し訳ないという思いをもっているように見受けられた。と同時に驚いたのは、この記者が、東京大学文学部卒であることを知ったことである。つまり、原子力技術に熟知していない可能性のある方が、原子力担当として、原子力関係の記事を書いていたのである。そんな中で、ASME  Presidential Task  Forceの重要な会議の内容について説明を始めたところ、いきなり待ったがかかり、質問が出た。「ところで、ASMEって何ですか?」というものであった。これには、耳を疑った。ASMEとはAmerican  Society  for Mechanical  Engineers(米国機械学会)の略で、世界に共通する原子力関係規格の開発、発行をしており、原子力関係でこれについて知らない人は誰一人としていない。この存在すら知らないとしたら、世界の原子力関連動向を正しく情報伝達することなど、とても望むべくもないことであろう。ここに、マスコミを通じた工学技術の情報伝達のむずかしさを感じた。また、これでよいのかと疑問にも感じた。実は、この一般大衆への正しい工学技術の情報伝達は、ASME  Workshopでの主題の一つとなっており、各専門学協会が責任を持つことが重要としている。その際、事故が起きてから、いきなり説明を始めても誰も信用しないので、日常的に適切に情報伝達した上で、信頼関係を構築しておくことが重要であるとし、そのような説明できる人材を育てなければならないとしている。当然のことながら、そのようなことができる人は、処遇面でも優遇されなければならない。
 後日談として、この記者は、このWorkshopには関心を持っていただき、帰国後に私が日本機械学会誌に掲載した帰朝報告にも目を通していただきました。また、何度かメールによる意見交換も行っています。この記者の弁護ではありませんが、職務を全うしたということであって、決して悪い人ではありません。今後のご活躍に期待したいと思います。

専門分野に関係するAIシステム開発のむずかしさ(2023.11.9)

酒井は横浜国立大学内のコンソーシアム活動で、FraDコンソーシアム(フラクトグラフィとディープラーニングの融合研究コンソーシアム)を2019年6月から2023年3月まで主催した。この成果報告書がセンターHPから公開されている。近年は、生成AIを始めとするAI技術の進歩は著しく、その応用範囲は飛躍的に拡大しているが、FraDコンソーシアムが目的としたのは、金属破断面の電子顕微鏡像の画像診断に対するAIシステムである。例えば、プラント内で事故が発生したときに、事故原因の究明の一環として、金属破断面の電子顕微鏡観察を行い、その画像から破壊の損傷モードを推定することがよく行われる。この学問分野を「フラクトグラフィ」と呼ぶが、的確な画像診断を行うためには、高度の専門知識が必要となる。AI技術について経験をもたない分野において、新たにAIシステムを構築する活動を行ったが、その中でAIシステム開発について感じたことがある。酒井は、AIに関係する論文を一つ執筆しているものの、決してAIの専門家というわけではないが、AIについて未経験の組織が、これから導入を検討する場合に参考になればと思い、酒井の経験を要約しておきたい。
 AI技術の普及とともに、AI開発業者は乱立しており、このような業者に丸投げしてしまうというのも一案かもしれない。AIの運用に至るまでには、構想策定、開発、運用のプロセスに分けて考える必要があるが、その全てを丸投げしてしまうのである。しかし、その場合莫大なコストがかかることを覚悟しなければならない。資金が潤沢である大企業であれば、そのような方式を考えてもよいかもしれない。しかし、今回携わった学問分野のような、高度の専門性がかかわる場合には、それでも解決できない要素があると感じている。以下、項目に分けて記載していきたい。
1. 高度の専門技術をAIシステム開発に組み込むことには困難が伴う
 AI開発業者が最先端のAI技術を習得していたとしても、それを生かすためには、高度の専門知識の取り込みが不可欠である。しかし、AI開発業者は高度のAI技術をもっていたとしても、対象とする専門分野については素人である場合が多いであろう。一方で、発注者側は、対象とする分野に関して高度の専門知識を保有しているものの、AI技術については素人である場合が多いであろう。これを解決するために、構想策定段階で、両者でコミュニケーションをとってギャップを埋める努力がされるものと推測されるが、長年の経験に基づく専門知識を短時間でAI開発業者に伝達することは困難が予想される。
2. 教師データ開発のむずかしさ
 ディープラーニングなどの機械学習プロセスにおいて、教師データの存在が不可欠であるが、発注者側にはすぐに活用できるような教師データが存在していない場合が多い。例えば、フラクトグラフィでいうと、企業内に事故のたびに電子顕微鏡写真を撮影し、大量の画像を保有していたとしても、ただちにそれを機械学習に活用できないのである。電子顕微鏡の観察者は一般にはAIの専門家でない場合が多いが、その場合、教師データとして意味あるデータとしてその画像を保管、整理することはないであろう。無作為に収集されてきた電子顕微鏡画像から、品質の高い教師データを開発することは相当の困難が予想される。実質的には、開発に合わせて、画像データ収集もAIの専門家の指導のもとにゼロから始める必要があろう。
3. 教師データのラベルづけのむずかしさ
 教師データの開発にあたっては、ラベル付けを行う必要がある。例えば、疲労破面、延性破壊、脆性破壊... 、などのラベルを画像に付与することをいう。専門用語ではアノテーションと呼ばれる。しかし、この作業は高度の専門家でなければ的確に行うことはできず、AI開発業者が担当することは困難である。AIシステム開発の段階で、正答率が上がらないことがよくあり、この場合、ラベル付けに付随する課題があることもある。この場合、解決するためには、専門家とAI開発者との綿密なすり合わせが必要となり、多くの労力を要することが考えられる。
4.  教師データの量の確保のむずかしさ
   教師データの品質確保のためには、上記のアノテーションの正確性に加えて、量の確保が極めて重要である。いくらアノテーションが正確でも、量が少なければ推定精度の向上は期待できない。AI開発業者は当然のことながらデータは保有していないので、発注者側の企業が提供しなければならないであろう。しかし、AIシステムの汎用性を高めるためには、多くの分類に対するデータが必要となり、一企業の努力でその全てをカバーすることは一般には困難である。ある特定の分類についてデータを保有していたとしても、他の分類については、データが存在していなかったり、そもそもデータを取得するための実験設備も保有していない可能性もある。もし、その分野の発展を意図するのであれば、一企業の壁を越えて、データベースの共有化、データ収集のための協力体制の構築が極めて重要である。一方で、そのデータの秘密保持も求められるため、関係者で協議して、適切な仕組みを作る必要があろう。
5.  産官学の間でWin-Winの関係を構築することの重要性
大学などの学術界では、技術開発や成果の論文発表には関心があるものの、成果の事業化や、秘密保持の厳格化にはあまり関心を示さないことが多い。一方で、産業界の側では、成果物の実運用にこそ関心があり、そのための秘密保持の厳格化には細心の注意を払うものの、成果技術の論文発表などにはさしたる関心は示さないであろう。つまり、産官学の間で、必ずしも利害が一致していないのである。その中で、活動の成果を挙げるためには、活動開始前に、全体としての成果が高められるよう規約を関係者間ですり合わせすることが重要である。
6.  AI技術レベルの底上げの重要性
AI開発業者にシステム開発を丸投げし、運用まで委託してしまったら、発注者側のAI技術レベルの向上は期待できないであろう。AI技術の詳細を理解することなく、やみくもに推定結果を妄信するようなことは危険性が伴う。そのためにも、AI技術について、高度の開発技術とまでいわないとしても、正しく運用するための最低限のAI技術の習得は必要である。そのために、開発段階で、産官学の協力のもと、AI技術レベルの底上げができる仕組みをもつことが理想的である。
7.  開発システムの運用のむずかしさ
 この部分は、学術界や企業などの発注者側が不得意とするところで、AI開発業者が得意とする領域であろう。せっかく機能の高いAIシステムが開発されても、的確に運用されなければ宝の持ち腐れとなってしまう。この部分については、もし発注者側に潤沢な資金があるのであれば、AI開発業者に委託するのも一解決法であろう。FraDコンソーシアムの場合には、コンソーシアム活動内に運用を受け持つ企業が参画しており、事業化にまで到達している。この詳細は「AIによる金属破断面の画像解析」を参照のこと。事業化については、活動初期からそのことを意識した上で、活動していることが重要である。特に、特許などの知財にからむ事案も出てくるので、有能な弁理士など知見を有するメンバが参画していることも重要である。

それではどうすればよいのか
私の知る限り、上記の全ての問題を解決する正解は存在しない。しかし、今回、試みとして実施したコンソーシアム活動では、団体会員15社、個人会員15人が参加し、教師データとして高品質の総数13,000枚以上の破断面画像を収集することができた。約3年半の活動期間の中で、21回のWG,4回の定期報告会を開催している。参加者の研究機関の一人が、高度のAI技術開発能力を保有しており、システム開発も順調に行われた。この成果はAWSのよい活動事例としてHPに示されている。開発にあたっては、参加費は徴収したものの、大きなコストをかけたわけではない。また、成果物は事業化することにも至っている。大学内で実施される、コンソーシアム活動は、この問題解決の一つの有効な手段ではないかと考えている。
 

コロナワクチン関連の統計データ公開の重要性(2023.8.28)

機械構造物の安全管理のためには、事故やインシデントの統計データが極めて重要であることは言うまでもない。リスクマネジメントにかかわる活動をしていて気になるのは、関連研究をしようとしても、参照すべき統計データが公開されていないケースが多いことである。とかく、我が国では事故情報はどうしてもネガティブな要素としてとらえられ、機密情報扱いとなる場合が多くなるものと思われる。しかし、そのようなデータが公開されれば、多くの研究者からの評価に活用され、結果として社会全体の安全・安心につながることが期待できるので、公開することを是非ポジティブな活動と受け止められるようになることを期待したい。
 統計データの公開、という意味では身近な問題としてコロナワクチンに関する統計データが気になるところである。特に、自らワクチン接種もしてきた立場としては、副反応に対する統計データに関心がある。酒井の友人にワクチン研究の第一人者がおり、デンマークにおけるmRNA COVID-19ワクチンの副反応に関するデータ分析の論文*を紹介していただいた。酒井は、この分野の専門家ではないが、論文に目を通し、不明点は友人に問い合わせた。その結果、不安を覚えるとともに、データ収集システム上気になることがでてきた。この論文の扱いは、デンマーク国内のみではあるが、3種類のロットについて、接種回数と副反応数との関係を調べたものである。その結果、あるロットでは全く副反応がでていないものがある一方で、別のロットでは、多くの副反応が発生するものも存在している。このロットごとのばらつきは、品質管理上は驚くべきものと感ずる。たまたま、品質の低いロットを接種すれば重篤な副反応に遭遇するかもしれないことを意味する。接種の判断にあたっては、このような情報は重要であり、我が国でもこのような情報は是非公開してもらいたいものである。
 次に、データ収集システムについて調べてみた。デンマークには、SAE reporting systemというものがあり、米国には類似のシステムでVaccine Adverse Event Reporting System(VAERS)というものがある。これらのシステムでは、診察医のみならず接種者自らも登録できるようである。品質上の問題はあるにせよ、広範囲の副反応データが収集できることが期待できる。また、希望者には、要求に基づいてデータが公開されるとのことである。一方、我が国でも厚労省HPによると、診察医が副反応の発生を報告する仕組みが存在するようである。しかし、私の周辺で見る限り、副反応が出ているにも関わらず、調査をされている様子はなく、的確に捕捉されているのか不安が伴う。いずれにせよ、データを収集しているのであれば、是非公開していただくことが重要で、それにより多くの研究者が、分析に活用できるようになるであろう。

*Schmeling M, Manniche V, Hansen PR. Batch-dependent safety of the BNT162b2 mRNA COVID-19 vaccine. Eur J Clin Invest. 2023;53:e13998.doi:10.1111/eci.13998

Risk basedとRisk informedの相違点(2023.7.27)

リスクに基づく管理を意味する用語として原子力分野ではRisk informedが用いられるのに対して、原子力以外の分野ではRisk basedが用いられることが多い。日本語訳としては、前者がリスク情報活用、後者はそのままカタカナにしたリスクベースとすることが多い。両者は類似しているように見えるが、何か差異があるのであろうか。わが国では、両者をあまり区別して用いているようには見受けられず、両者は全く同義語だと主張する人もいる。もし、同義語だとすると、わざわざ区別して用いる必要はないはずである。参考になりそうなのが、米国原子力規制委員会(NRC)のHPに掲載されているglossaryの用語定義である。両者に関連する定義として以下が記載されている。

Risk-informed decisionmaking
An approach to regulatory decisionmaking, in which insights from probabilistic risk assessment are considered with other engineering insights. For additional detail, see Risk Assessment in Regulation and the Fact Sheet on Nuclear Reactor Risk.

Risk-based decisionmaking
An approach to regulatory decisionmaking that considers only the results of a probabilistic risk assessment. For additional detail, see Risk Assessment in Regulation and the Fact Sheet on Nuclear Reactor Risk.

これだけでは、両者の相違は分かりにくいが、少なくとも同一のものではないことが分かる。Risk informedの場合には、意思決定にあたりconsidered with other engineering insightsと書かれているのに対して、Risk basedの場合には、considers only the results of a probabilistic risk assessmentと書かれているので、Risk basedの方が、よりRiskの結果をより重点的に利用して意思決定することは何となく理解できる。それでは、Risk informedの定義の中に出てくるinsightとは何を意味するのであろうか。LONGMANの英英辞典には次の記載がある。
insight
a sudden clear understanding of something or part of something, especially a complicated situation or idea

より複雑な事象に対して、ひらめきとか直観力で答えを導き出すことをいうのであろうか。原子力分野にも、非原子力分野にもかかわってきた筆者の経験からすると何となく、この違いは理解できるような気がする。つまり、原子力の場合には、万が一事故が起きれば、福島原発事故のように被害が甚大になる。従って、規制においては、まずは基盤事象に対しては、きちんと安全を確保した上で、ごくまれにしか起きない事象に対してはinsightを駆使して、リスクに基づいて判断する必要があるのではないか。ごくまれにしか起きない事象は、データもほとんど存在しないため、insightを駆使することが不可欠になるわけである。一方、Risk basedの場合には、原子力と比較するとデータの取得も不可能でない場合が多く、純粋にデータに基づいて確率論的評価でリスク評価が可能なのではないだろうか。Risk informedの訳語としてリスク情報活用などという理解しにくい用語を割り当てることによって、より混沌の世界が広がっているように見える。Risk basedをリスクベースとしているのと同様に、Risk informedはリスクインフォームとしはどうだろうか。

自動運転の盲点(2023.1.11)

自動車の自動運転の技術向上は目覚ましいものがあり,レベル5が「完全運転自動化」,レベル4が「高度運転自動化」,レベル3が「条件付き運転自動化」のようにレベルを定義して自動化の計画が進んでいる.自動化することは,「安全性」の観点からは,望ましい方向に進むことは間違いないであろうが,一方で盲点もあると感ずる.自動運転に関するサイト情報を眺めると,この盲点に関する警鐘を鳴らしているものは,見かけないように思える.そこで,かつて発生した二件の飛行機事故を題材に,自動運転の盲点について,酒井の視点で考えてみたい.その飛行機事故とは,

である.両者の事故の間には,26年もの月日が流れており,当然のことながら2.のエアバス機は,性能も大幅に向上し,自動化も大幅に推進されたはずである.にもかかわらず,1.の事故では,乗客乗員全員68名が無事生還したのに対して,2.の事故では,乗客乗員228名全員が帰らぬ人となる,という対照的な結果であった.「自動化」との関係で,両者の事故について検討してみる.

 1.の事故は,モントリオール国際空港から,オタワ国際空港を経由して,エドモントン国際空港までのフライトを計画していたところ,オタワ国際空港を出発してほどなく,燃料が完全に枯渇したが,緊急着陸をしたという事故である.燃料が無くなってしまった原因は,この機体の燃料表示システムが故障しており,機長の判断で,手計算により必要な補充燃料の判断をしたことにあった.航空業界では,事故以前には単位系としてヤード・ポンド系が主流であり,機長も係員もその慣習で対応してきた.ところが,エアカナダでは,767型機については,メートル法を基準に燃料量の計算を行うことにしていた.このことを機長も,係員も理解していなかった.ポンドからリットルへの換算係数は1.77であるのに対して,キログラムからリットルへの換算係数は0.803であるので,この係数を取り違えると,リットルの換算値が全く異なったものになってしまう.その結果,必要な燃料量の1/4しか補充されなかったのである.それはさておき,41,000ftもの高度で,燃料が枯渇したことにより,コックピット内に両エンジン喪失の警報音が鳴り響いたとのことである.操縦士は,シミュレータの訓練でも聞いたことのない警報音であるとともに,緊急時のマニュアルを参照しても,両エンジン停止の場合の対処方法は記載されていなかった.従って,操縦士は相当に緊張したはずである.エンジン機能は失われたものの,非常時に作動するラムエアタービンにより,最低限の油圧の供給は可能であり,かろうじて操縦翼面の操作が可能な状態であった.つまり,巨大なグライダーを操縦している状況であった.Q副操縦士の計算では,その地点から12マイルの位置にあるギムリー空軍基地に,滑空して着陸する以外の選択肢はなかった.ところが,6マイルまで接近したときの高度5000ft,対気速度180ノットは,いずれも数値が大き過ぎる状況であった.とはいえ,着陸のチャンスは一度しかない.絶体絶命と思われるこの状況を乗り越えたのは,ベテランのP機長の,長年のグライダーの操縦経験のおかげであった.この緊急事態を解決するには,より迅速に降下しなければならないが,その場合,対気速度が増加するため,着陸時の危険性が極めて大きくなる.解決策としては,迅速に降下しつつ,対気速度の増加を抑えなければならない.これに対応するグライダーの操縦技術としてフォワードスリップと呼ばれる技術がある.この技術は,飛行機の傾きと反対のラダー操作により実現するものであるが,あくまでグライダーの操縦技術であって,旅客機のような巨大な飛行機のマニュアルに書かれているような技術ではない.P機長は,この技術を旅客機に適用し,無事生還を果たしたのである.この成功の背景には,着陸時に主脚は展開したものの,前脚が展開せず,着陸時に地面との接触による摩擦が功を奏したこともあったとされる.しかし,この成功の裏には,緊急事態に陥った時に,機長は飛行機を飛ばすという原点を理解していたが故に,マニュアルにもないことを適用することを思いつき,成功に導いたことが大きな要素として存在していたことは間違いない.この事故は,その後「ギムリー・グライダー」と呼ばれる伝説的事実として航空業界に伝承されているとのことである.

 これと対比する意味で,2.のエールフランス機の事故を検証する.このフライトは,ブラジルのリオデジャネイロ・アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港を19:29に出発し,大西洋上を通過して,フランスのシャルル・ド・ゴール空港に到着する予定であった.機体のエアバスA330-200型機は,それまで大きな事故の報告はなく,高い安全性が評価されていた.ところが,大西洋上において忽然と機影が消失し,墜落が確認されたのである.高度の運転の自動化が実現されているはずなのに,このような事故が起きることは通常は考えられない.ブラックボックスは深海からの回収が必要であったために時間を要したが,2年後に水深4000mの深海から回収され,分析したところ驚くべき事実が判明した.この事故原因として自動運転の盲点が関係してくるのである.操縦士は三名いて,D機長とB副操縦士,それに加えてR副操縦士が待機していた.D機長は操縦を補佐する役割をになっていた.大西洋上を順調に飛行し,雷雲に近づく状況ではあったものの,D機長は問題ないと判断し,休憩することとし,操縦をR副操縦士と交代した.これ以降,墜落に至るまで全てB副操縦士が担当していた.雷雲による乱気流を避けるため,進路を少し左にとったところ,突然,自動運転の機能であるオートパイロット・オートスラストの機能が解除されてしまった.ひとたび自動運転の機能が解除されると,以後到着に至るまでパイロットのマニュアルによる操縦が求められる.このため,制御方式がオルタネート・ローに切り替わり,操縦桿の感度がより敏感な状態になっていた.つまり,以後はB副操縦士の技量によって操縦が継続されたことになる.このとき,機首上げ操作も行っていたので,7000ft/分の速度で上昇していたが,この値は離陸時の上昇率をも上回る異常な数値であった.B操縦士は,墜落に至るまで操縦桿を引き続けていた.上昇とともに失速警報が鳴り響き,対気速度は60ノットという考えられないほど低い数値を示していた.失速時の正しい対応の鉄則は,機首を下げてエンジン出力を増し,対気速度を回復させることであるが,B操縦士はそれと真逆の対応をしていた.自動運転が作動していれば,失速防止機能が働くが,オルタネート・ローの状態では,この機能が停止していた.対気速度が60ノットという異常値を示した理由は,速度を計測するピトー管が着氷していたために,正確な速度を計測できなかったことが原因であったが,そのことをB操縦士は理解できなかった.やがて,ピトー管の着氷は解消し,速度表示は正確になったものの,それでもその値は,180ノットと自動操縦解除前の数値を大きく下回っていた.B操縦士は機首上げ姿勢を維持し続け,機体はそのまま降下に転じた.つまり,失速状態となった.このときの機首上げ角度は16度にも達したが,この値は離陸上昇時に匹敵するほど大きなものであった.異常事態に気づいた機長がコックピットに戻った時,降下率は10000ft/分にも達していた.機首上げをしていることに気づき「ノー,機首を下げろ」と叫んだ.R副操縦士に操縦権を移し,機首下げを行ったものの,間に合わず墜落に至った.つまり,この事故は,失速状態という緊急時に,鉄則である機首下げを行うということを行わず,逆に機首上げを行っていたのである.自動操縦が解除されて,全ての操縦権が操縦士に移管されたときに,飛行機を飛ばすことに対する最も基本的な原理を理解していなかったことになる.ここに,まさに自動運転の盲点があると考える.1.の「ギムリー・グライダー」の機長は,ベテランであり,緊急事態の際に,フォワードスリップというグライダーの基本原理を思いついた.一方,2.の事故では,若手の副操縦士が,失速という緊急事態に,飛行機を飛ばす基本原理である機首下げの動作を行わなかった.別の言い方をすると,二つの事故の共通点として,旅客機の飛行の緊急事態を迎えていること,操縦士自身の操縦が求められたこと,が挙げられる.一方,相違点としては1.の事故では,対応方法がマニュアルにも記載されていない対策が求められたのに対して,2.の事故では必要な対応方法は,鉄則と呼ばれるほど基本中の基本のことであった.にもかかわらず,1.の事故ではベテラン操縦士が,短時間で正解となる操縦法を実行し,2.の事故では,若手操縦士が正解とは真逆の対応をしてしまった.おそらく,2.の事故では失速の回避策は,訓練時に学習していたはずであるが,実体験として理解していないので,実場面で思いつかなかったのであろう.

 自動車の自動運転を考える際にも,これらの事故は教訓として生かすべきと考える.つまり,ベテランであれば,自動運転から緊急時に運転者に操縦が移管されたとしても,自動車を自ら運転する経験が豊富であれば対応できるかもしれない.しかし,最初から自動運転に慣れた,運転者の場合,緊急時にいきなり高度な事態回避策を求められたとしても,自らの運転の経験が浅ければ,それも困難であるかもしれない.自動運転を推進する場合には,このことをきちんと検討しておく必要があるのではないかと感ずる.

All Risk Approachについて(2022.11.22)

福島第一原子力発電所の事故の翌年,ASME Presidential Task Forceが主催する,ワークショップが開催された.このワークショップに参加した者として,記録を留めておきたい.ワークショップの概要は以下の通りである.
・ワークショップ名:Forgin a New Nuclear Safety Construct ASME Workshop(新たな原子力概念の構築を目指して)
・場所:ワシントンDC,ウィラード・インターナショナルホテル
・日付:2012年12月4-5日
・米国機械学会(ASME)会長直属組織の活動
・大会委員長:Diaz元NRC委員長
・参加者:招待者ベース,19か国の125名
・目的:全世界の原子力コミュニティーの指導的立場にある人達に,ASMEが発行したレポート「新たな原子力概念の構築を目指して」に関する議論の場を提供すること.

レポートでは,all risk approachという新しい概念が提案され,ワークショップにおいて今後の世界の原子力発電の方向性が議論された.福島事故は,これまでの原子力発電事故と異なり,本質的な安全概念の変更に導く必要のある事故であるととらえられている.ワークショップの主題は,新たに提案する安全概念の必要性について世界レベルのコンセンサスを得るとともに,新しい安全概念を定着させるために必要となる今後の活動に踏み出す合意を得ることとされた.ワークショップの議論を通じて,福島事故後の世界の原子力分野の混乱に対して具体的なロードマップの提示を行うことが強く意識された.もちろん,原子力発電保有国ごとに固有の事情が存在することは認識した上で,各国が具体的な新しい規制や社会システムを構築する前に,まずは概念のレベルでのコンセンサスを得ることを目的とした.この背景にあることとして,福島事故を見ても明らかなとおり,たとえ特定の国の特定の場所の事故であっても,その影響は一国にとどまらず,国際的な影響を及ぼすことがあげられる.つまり,原子力発電に関しては,まずは世界レベルでの概念が共有化されていることが不可欠であり,その上に具体的な規制や仕組みを各国の事情に応じて作っていくことを指向していた.ASMEが提案した新しい原子力安全概念のねらいは,福島で起きたような事故後の放射性物質拡散による社会的,政治的,経済的な破綻を予防,防止するための方策を強化することにあった.その結果として,大衆の安全・安心が増し,社会的な備えも強化されるとともに,原子力産業の継続的な発展のための強固なプラットフォームが提供されることが期待された.この内容は,我が国でよく耳にする「世界一厳しい規格」により安全・安心を実現するという方針とは方向性が異なっている.このような概念の遂行のためには,非政府組織や関連企業はもとより,世界の責任ある組織の協力が不可欠であり,海外からは規制当局者,政府組織の関係者などからも多数の参加があった.ただし,当時の我が国の状況は,国会にて規制委員会の人事等の審議をしている最中であり,残念ながら我が国からの規制関係者の参加はなかった.本ワークショップの中で,酒井には我が国のリスク情報活用の状況と今後の見通しについて報告が求められ,遅々として進んでいない状況を報告した.これに対する海外の反応は,「そんなことは言われなくても分かっている」というもので,我が国が諸外国からそのような目で見られていることに驚きを感じた.
 なお,ASMEが発行したレポートは下記サイトからダウンロードできる.
Forging a New Nuclear Safety Construct
また,レポートは酒井を含む有志によって翻訳が行われ,下記の日本機械学会サイトからダウンロードできる.
新たな原子力概念の構築を目指して
ワークショップのSummaryは下記サイトからダウンロードできる
Workshop Summary
このワークショップへは,日本機械学会から派遣されたものであり,その参加報告が以下に掲載されているので参照して下さい.
・「新たな原子力概念の構築を目指して」ASMEワークショップ参加報告",酒井信介,日本機械学会誌,116(1131)123(2013)

規格作成における「公平・公正・公開」の原則について(2022.6.18)

我が国では規格作成手続きについて、原則として「公平・公正・公開」の三つが挙げられることが多い。もちろん、この概念は正しいとは思うが、規格策定活動を行う中で、多少の違和感を感ずることを何回か経験した。ASMEでこの部分がどうなっているのかを調べてみた。ASMEの規格開発のハンドブックである「ASME Codes and Standards Committee Handbook for Conformity Assessment」の中の「1.6 Principles of Operation」の中には以下の5つ項目が書かれている。
1.Openness
2.Transparency
3.Balance of Interest
4.Due Process
5.Concensus
この5つの概念が、日本では「公平・公正・公開」の三つの用語に集約しているのかと推測される。日本の原則の中には「コンセンサス」が明示されていない。ASMEの原則の趣旨からすれで、もっとコンセンサスということを強調してもよいのではないかと感ずる。つまり、規制側、被規制側を含め利害関係者全員のコンセンサスが得られるよう努力するという原則である。ちなみに、このASMEのハンドブックのファイルについて、検索機能によって「Consensus」という用語の出てくる頻度を調べたところ21か所にも及んだ。そもそも、「民間規格」に対比する用語は「Voluntary consensus standards」と思われるが、ここにもconsensusという用語が入っている。この訳語が「民間規格」となった経緯は理解していないが、英語の趣旨を正しく反映しているようには見えず、むしろ誤解を与えかねないと感ずる。

ALARPの用語について(2022.2.21)

リスクマネジメントにおいて,意思決定の段階でALARPという考え方がある.この意味は「合理的に実行可能な程度までにリスクを下げる」という考え方である.ところが,不思議なことにこのもととなる英文について,2種類のものが存在する.

1.As Low As Reasonably Practicable

2.As Low As Reasonably Practical

つまり,PracticableとPracticalの相違がある.1.の代表的なものが,英国HSEで用いられているものであり,2.の代表的なものが,米国石油協会RBIガイドライン,API580などで用いられているものである.リスクマネジメント規格のISO31000,およびそのJIS版,あるいはEN16991(RBM規格)でも1.が採用されているので,圧倒的に1.が多く使われていることが分かる.しかし,わが国において,2.が使われている文献も散見する.念のため,Cambridge英英辞典で,PracticableとPracticalを調べた結果が,下記である.

[practicable]     able to be done or put into action: 

[practical]           relating to experience, real situations, or actions rather than ideas or imagination:  

この内容を見る限り,practicalが適切とは思えない.practicableと理解しておいた方が無難であろう.

信頼度と信頼水準の区別について(2021.10.27)

我が国では,信頼性工学において信頼度に関しては,取り扱われても,何故か信頼水準に関する取り扱いがおろそかにされているように感ずる.これは,次の2021.4.15の記事もまさにその典型例である.英単語の対訳は,信頼度→reliability,信頼水準→confidence levelである.ある学協会の活動の議論を通じて,この単語の日本語訳に問題の根源があるのではないか,と感じたので以下に要約する.英単語は両者で全く異なるもののように見えるのに,日本語の対訳にはどちらにも「信頼」という文字が含まれている.これでは,両者の区別がつきにくいし,同一のものであると誤解する可能性もある.そこで,Cambridge Dictionaryで,両者の単語がどのように記載されているか確認してみた結果が以下の通りである.

[reliability ]      the quality of being able to be trusted or believed because of working or behaving well:

[confidence] the quality of being certain of your abilities or of having trust in people, plans, or the future:

両者は類似してはいるが,reliabilityにはableの単語が使われているのに対して,confidenceの方は,対応部分にcertain of your abilitiesの単語が使われている.この両者の意味は,英語で考えれば相当の開きがあるものであろう.reliabilityを信頼度と翻訳するのはよいとしても,confidenceを信頼水準と翻訳するのは,誤解を与えかねない.むしろ確信度合いのような意味合いであろう.例えば,「確信度」などと訳してはどうであろうか.といっても,もはや我が国では,この対訳は用語として確定し,普及してしまっているので,今さら変更というわけにもいかないであろうが.

 同様にして,confidence intervalのことを対訳として「信頼区間」とすることが多い.これもまずいと思われる.むしろ,「確信区間」の方が近いのではないか.また,confidence limitの対訳が「信頼限界」となっているが,「確信限界」の方が良いと思われる.

 なお,JIS規格の中でどのように定義されているか調べてみた.

JIS Z 81152019 デイペンダビリティ(総合信頼性)用語
 「信頼水準」の用語が定義とともに記載されている.その定義は「推定区間に,その信頼性特性値の真の値が存在する確率。」となっている.

JIS Z 9041-5:2003 データの統計的な解釈方法― 第5部:メディアン―推定及び信頼区間
 「信頼区間」の用語が定義とともに記載されている.また,「信頼限界」の用語も用いられている.

JISZ 8101-1:2015  統計−用語及び記号− 第1部:一般統計用語及び確率で用いられる用語
  「信頼区間」「信頼限界」などの用語が用いられている.

というわけで,JIS規格の中ではconfidenceを「信頼」と関係づけて用語の定義が行われており,今さら変更するというのも困難であろう.

許容応力を材料強度実験結果から設定する場合の注意点(2021.4.15)

規格策定において,許容応力を決定する場合に,材料強度実験結果から設定する場合がある。この場合,確率論的には所定の信頼度を満足する値を目標値として設定することが行われる。ここで,注意が必要なのは,有限の試験本数から決定するとき,信頼度のみからは決定できないことである。つまり,信頼水準も指定する必要がある。詳細は市川の著書*を参照していただきたい。例えば,MIL規格ではA許容値として99%信頼度,95%信頼水準を満足する値を,B許容値として90%信頼度,95%信頼水準を満足する値を許容値として設定することが行われる。このような評価が容易に行えるよう,Python言語のパッケージを作成した。「Download」のタグを参照していただきたい。なお,全般的な解説記事を掲載しているので参照していただきたい**

*市川昌弘,「構造信頼性工学―強度設計と寿命予測のための信頼性手法―」,海文堂

**酒井信介、"許容応力の確率論的決定法"、圧力技術60巻1号(2022)、pp.18-23.

リスクマトリックスにおけるFrequencyとPoFの関係(2021.4.6)

リスクベースメンテナンスなどにおいて,リスクマトリックスの縦軸には,年間損傷発生頻度Frequencyが用いられることが多い.一方で,PoFなどと表記されているものも見かける.どちらが正しいのか?また,両者はどのような関係にあるのか?現状では,あまり整理されることもなく,安易に使われているのではないか,という懸念があるので,一度統計的に整理しておくこととした.下記に,FrequencyとPoFの関係を整理したサイトを作りましたので参照して下さい.

FrequencyとPoFの関係

「安全」という用語について(2021.4.5)

元物質材料研究機構におられた大先輩から,辛島氏の面白い論文*をお送りいただき拝読した.今日では日常的に使われている「安全」という用語について,外国人が編集した日本語辞典を用いて分析したものである.文系の才覚に乏しい筆者にとっては,難解な部分も多くあったものの,筆者がかかわることの多い「産業安全」「プラント安全」などの観点からこの用語を見たときに,非常に興味深いことがあった.

この論文で分析に用いている辞書はA. 日蘭辞書(1603),B.英和・和英語彙(1830),C.和英語林集成(1867),D.広辞苑(7版)の四種類である.何が興味深いかというと,400年以上にわたる意味の比較により,その変遷を知ることができること,また外国人が編集していることから,第三者的な視点が書かれていることである.A.の文献は,宣教師フランシスコ・ザビエルで有名なイエズス会の宣教師の方々が,後進の宣教師の日本語学習に役立てるために作成した辞書とのことである.「安全」の対訳英語は「Safety」とされることが多いが,わが国の「安全」の用語には「Safety」とは異なる複雑な要素が含まれていると日頃感じていたところではあるが,辛島先生の論文を拝読して,その一端が理解できたような気がした.驚いたのは,「安全」の意味は,時代とともに変遷してきたということである.A.の文献では「安全」の解説として「平和で無事平穏なこと」であるのに対して,D.の文献では「安らかで危険のないこと」となっている.D.の文献の解釈は,今日のほとんどの人にとって違和感のないものであると思われるが,A.はかなり違和感のあるものであろう.つまり,危険については何も記されていないのである.A.の文献は,織田信長,豊臣秀吉,徳川家康に代表される戦国時代の頃のものであるが,「安全」という用語は,一般庶民のレベルで使われる用語ではなく,支配者層が「平穏に統治し,支配すること」という意味の「ヤスンズル」という動詞からきており,実質的に支配者層に限られて用いられたようである.一般庶民からすれば,「平穏な統治」を望むとしても,それは自ら達成するものとは考えられず,お上が実現してくれるものだったのではないだろうか.時代の変遷とともに,一般庶民の人権意識の高まりもあり,誰もが「安全」を自ら考えるようになったはずである.ところが,今日,機械製品の「安全」を論ずるとき,上記に歴史的経緯をひきずっているのではないかと感ずるところがある.わが国では,機械製品に事故が起きると,規制側の責任が問われることが多いように感ずる.この背景にあるのは,「安全」はお上が実現してくれるものである,という戦国時代のなごりが,未だに残っているのではないだろうか.つまり,お上が作った規制は万全であり,その規制が正しく運用されていれば,庶民は何もしなくとも安全を享受できるはずだ,と考えるのである.このような構図があると,規制側は必然的に,規制をより厳しいものにせざるを得なくなる.このようなことが,加速していくと,産業界にとっては自由度が少なくなり,競争力を失っていくことなりかねない.

 言葉の歴史的経緯を知ることは,今日の実情を理解するのに参考になり,興味深いと感じた次第である.「安全」は人任せにするのではなく,自ら実現するという意識を強くもつことが重要であることは言うまでもない.なお,この論文では,方法論や語源や字源について体系的に整理した上で,「安全」の変遷の特徴を詳細に論じている.詳細を知りたい人は,是非論文を一読することをお勧めする.

*辛島美恵子'日本社会の「安全」の受け止め方の変化:外国人編集の日本語辞典の検討から',社会安全研究,第10巻,p.115-148(2020).

「応力拡大係数」という訳語の不可思議(2021.3.16)

私の専門分野である材料強度学の分野の一つの主要なテーマが破壊力学である.破壊力学の中で用いられる主要なパラメータの中に応力拡大係数がある.特に,疲労亀裂進展や疲労寿命評価には欠かすことのできない重要なパラメータである.私が東大時代に材料力学の講義の中で,この専門用語について説明する際,学生はたびたび応力集中係数と混同することがあった.応力集中係数は,切り欠きなどの構造不連続部が存在するときに,切り欠き底に発生する最大応力の評価に用いられる係数である.つまり,どこか一点の応力の評価である.一方,応力拡大係数はどこか一点の応力の評価に用いられるのではなく,特異点である亀裂先端点の周辺の応力場の強さを評価するのに用いられる.応力集中係数の対応する英単語はstress concentration factorであるのに対して,応力拡大係数の対応する単語はstress intensity factorである.つまり,和訳では「集中」と「拡大」の差異があり,英単語では「concentration」と「intensity」の差がある.ここに学生が混乱する要因があるものと推測される.つまり,日本語の「集中」や「拡大」は,どこか一点の場所の評価をイメージしてしまう可能性がある.一方,英語のconcentrationは,一点の評価をするものと解釈されるので問題ないとしても,「intensity」は,一点の評価ではない.例えば,Cambridge英英辞典によるとintensityについては,次のように書かれている.

the strength of something that can be measured such as light, sound

例示として光や音の強さの表現に用いられるとしている.光や音の強さは,どこか一点で評価することは適当ではなく,周辺の場の強さとして評価することが適当であり,これはまさに応力拡大係数の物理的性質を表現する単語として適切である.一方,応力拡大では,適切に場の物理量を表現しているとは言い難く,これでは学生が,応力集中係数と混同しても無理はない.例えば,「応力場係数」または,「応力場拡大係数」のような表現の方がより近いのではないだろうか.最初に翻訳した人が,適切な訳語を作らないと,その後に学生が苦労することにつながる一例のように思える.このことから教訓として学べることは,最初に専門用語の翻訳をして,学術用語の導入をする人は,より慎重に対応する必要があるということではないだろうか.

リスクマネジメントが我が国で浸透しない一因(2021.1.13)

私が所属する「リスク共生社会創造センター」の一つの主題がリスクマネジメントで、不確定な因子があるときに、意思決定の手段として用いられる重要な手段です。今、新型コロナウィルスの対策を巡っても重要なツールとなることが期待されます。特に政治家が発するメッセージは、大きな影響があるのでこのことをきちんと意識した発言をしていただきたいと思います。ところが、我が国トップの菅首相の発言によくでてくる言葉として『仮定の質問には答えられない』というのがあります。これって、リスクマネジメントと真逆の考え方だと思いますが、菅首相はきちんとそのことを理解されているのでしょうか?例えば、『いつまでの期間で、何人まで減らして、緊急事態を解除するのか』 という質問に対して、『仮定の質問には答えられない』と返事をされていました。しかし、新型コロナウィルスのような不確定性の大きな対象に対して、将来を予測するためには、モデリングやデータについて仮定をしない限り実行できません。このような不確定性の大きな現象の管理技術がリスクマネジメントなのであって、このような回答をすることは、リスクマネジメントを否定していることに等しいことになります。私の専門とするリスクベース工学の分野において、リスクマネジメントの考え方は極めて重要であるにもかかわらず、我が国では十分に浸透しているとは言えません。また、多くの分野で同様な状況にあると聞きます。影響力のある人がリスクマネジメントに否定的な発言をしていては、この概念の普及もむずかしいと思います。トップに立つ人には、リスクマネジメントに関する強いメッセージを発信していただくことを期待します。