end A like affair「31536」
- 上映(ショートムービーver) -
ゆうばり国際ファンタスティック思い出映画祭2025
end A like affair「31536」
- 上映(ショートムービーver) -
ゆうばり国際ファンタスティック思い出映画祭2025
-楽曲-
作曲:ハル / 作詞:ハル / Vo. ハル
Gt. ハヤシマサキ / Ba. みやぎたかひろ / Dr. あだちゆうす
-MV-
出演 ハル / ハヤシマサキ
みやぎたかひろ / あだちゆうすけ
監督・撮影 新堀元太
■2021年〜2024年
winery base projectにて活動
YOUTUBE:@winerybaseproject3494
在籍メンバー
ボーカル:ハル ギター:ハヤシマサキ
ドラム:あだちゆうすけ 映像:新堀元太
北海道新聞八日会の
WEB広告テーマソング制作のために結成
「新しい道」を発表
URL:https://youtu.be/4tJWuPpjUEY?
si=xzX4vN7LMQsUV7mQ
同年、FMおたるにてラジオ番組
「ハルとゆかいな飲み仲間たち」
レギュラー放送開始
URL:https://fmotaru.jp/tag/winery-base-project/
■2025年〜
end A like affair (エンドアライクアフェア)
としてバンド活動開始
ベース:みやぎたかひろ 加入
同年
「お祭りの後の賑やかな交差点で」
「ラジカセ」
「31536」
MV・サブスク配信開始
公式HP・YOUTUBEチャンネル
・インスタグラム・Xを開設。
FMおたるにてラジオ番組レギュラー放送中
「エンドアライクアフェアの○○な話」
URL:https://fmotaru.jp/tag/end-a-like-affair/
end A like affair「31536」 ビジュアルギャラリー
普遍的な光景
撮影地である、室蘭市白鳥台の団地群。
兼ねてより私が何度も訪れている場所で、
今作の内容がまとまった時に、真っ先に
浮かんだ場所であった。
そこには日常的な生活があり、贅沢で
はない所謂普通の日々がある。
そんな決して華やかではない、普遍的
な光景というものに私は強く惹きつけら
れてしまう。
その光景は多くの場合に作品や物語の
題材とされることはないが、それこそが
私の精神性や葛藤をダイレクトに表現さ
せてくれている。
特別ではない場所。繰り返しになるが、
そこには当たり前の生活があり、その何
気ない場所にもきっと誰かの大切な日々
の思い出が詰まっている。
そんな思い出や面影のイメージをそこ
に表現することこそ、カメラを構える時
に最も大切にしていることであり、私の
写真作品の多くに共通する表現となって
いる。
陽の目を浴びない場所
辺境のバス停の跡地に、休憩用の朽
ち果てたベンチ。人肌を久しく感じで
いない様相だが、4本の脚でまだしっ
かりそこに立っている。
何十年と2畳程の古小屋の番頭を任
されているが、アスファルトに染みつ
いた時刻表の土台の痕跡だけが、今日
もきっと来客がないことを物語ってい
る。
とうに辺りは雑草だらけでも、健気
に揺れる貧乏草には秋の終わりの朝露
が落ちて、太陽の光に照らされれば、
黄金色にも虹色にも輝いて見える。
そんな見捨てられた場所を訪れて写
真を撮る度に伝わるのは、太陽の日差
しだけはいつの日も、平等であるとい
うこと。
この汚れた私の部屋にも、カーテン
を開ければ眩しい程の光が降り注がれ
る。
窓の外には今日も当たり前な日常が
広がっているというのに、その先の空
が非現実なものに思えてしまって、到
底及ぶことのない空想に、また身を委
ねてしまう。
きっとその優しい日差しが、フィル
ムを投影した映写機の光のように、美
しい幻想を映し出している。
本当の意味での失ってしまったもの。
私にしか観測し得ない、私の経験した
出来事さえも、私自身がいずれ忘れて
しまうということ。
私が捉えている今のこの瞬間も、瞬
く間に過去に成り下がり、いずれ記憶
からも消し去られていく。
それが日々だというのなら、私が今
目の前にしているものとは何か。
現実という光景の全てもまた、本質
的に何が幻想と異なっているかの答え
を失ってしまい、私というものの意義
をまた繰り返し問いただしてしまう。
だが今目の前に、確かに一枚の写真
が存在している。それは紛れもない私
の過去であり、思い出である。
そんな景色を拾い集めながら、闇雲
に突き進んだ先に光があるのか。
その太陽の日差しだけはいつの日も
平等。しかし、陽の目を浴びることが
出来ないと嘆いているのなら、その光
を隔てているのは紛れもなく、自らが
創りあげてしまった莫大な壁であると
気づいた。
きっとそれを私自身の心で取り払う
ことは到底不可能なことに思える。
それでも、その壁の先にある光をイ
メージすることもまた自由であって、
結局全てのイメージが漠然とした産物
だというのなら、本質的な問いは忘れ
てその壁に素敵な日々を描くことこそ、
最善であるのかもしれないとの考えに
至ってしまった。