東住吉地域の歴史

住吉、東住吉地域の3世紀~4世紀頃の資料は少ないなかで渡来人の遺跡、資料が幾つか残っているのが不思議である。

       戦乱が多かった中国、朝鮮半島から日本の古墳時代、飛鳥時代に渡来し多くの

            農業、文化、技術が持ち込まれたと思われる。

  18世紀:江戸時代初期摂津住吉郡の村の構成

18世紀初期江戸時代の摂津国住吉郡村々の領主ー現在の東住吉区の村落は松原新田、鷹合、砂子、   南田辺、北田辺。湯屋嶋、桑津です富田新田、堀、寺岡、喜連西、中、北、平野郷の一部分。

     駒川、今川の歴史資料と遍歴

大和川の付け替え工事前の地図です。(1700年~1704頃にかけて付け替え工事が行われたと思われる)大阪府柏原市で大和川と石川が合流し柏原で玉串川と長瀬川、平野川に分かれて平野、八尾、布施、城東区から大川そして淀川に合流していた。付け替え工事後、大和川は堺港へと流れた。


       大阪南側形成の過程

一図(河内湾4000年~5000年前、縄文時代前期から後期)  

二図(河内湾2000年~3000年縄文時代晩期から弥生時代前期 ) 

三図(河内湾1600年~1800年前弥生時代後期から古墳時代前期)










         大阪の地形の形成

 2万年前は最終氷河期で大阪湾、河内湾には海は無く、瀬戸内海にも海は無かったと言われています。 1万年前頃から氷河が解け始め、6000年前には2の図に、3の図3000年~3500年前再び寒くなり海水が引き始め、2000年前4図、現代が5図です。(大阪市長居公園植物園内歴史資料展示撮影)

大阪地域の成立ち、地形の変遷を考察する上で、八尾市資料が詳しく時代ごとに述べられているので記載させて頂いた。