ドストエフスキー文学の聖地を巡る
Touring St. Petersburg
サンクトペテルブルクの光景
Scenes from St. Petersburg
ドストエフスキー文学記念博物館所蔵
ドストエフスキーが最後に住んだ家の書斎
このクズネチヌィ横丁の家で長編小説『カラマーゾフの兄弟』や『作家の日記』を執筆しました。
これは、その家を撮影した写真の複製です。
ドストエフスキー文学記念博物館所蔵
ドストエフスキーが最後に住んだ家の書斎
1881年にタウベVによって撮影されました。
ドストエフスキー文学記念博物館所蔵
ドストエフスキーが最後に住んだ家の書斎
この写真は古い写真を複製したものであり、ソファの上にドストエフスキーが最も愛したラファエロの『システィーナの聖母』の複製が確認できます。
ドストエフスキーはこのソファーの上で息を引き取りました。
ドストエフスキー文学記念博物館所蔵
クズネチヌィ横丁5番の家の外観
1878年から1881年までドストエフスキーが借りていたクズネチヌィ横丁5番の家の光景。
1階は食堂。「СТОЛОВАН スタローヴァヤ」は「食堂」を意味します。
この家で、『カラマーゾフの兄弟』が書かれ、現在は「ドストエフスキー文学記念博物館」となっています。
ドストエフスキー文学記念博物館所蔵
ペテルブルグ、グラジュダンスカヤ通り19番
1977年にツィプキンL.Bによって撮影されたペテルブルグ、グラジュダンスカヤ通り19番(スレドニャヤ・メシャンスカヤ通りとストリャルノイ横丁の角)の写真。
ドストエフスキー文学記念博物館所蔵
ドストエフスキーが『罪と罰』と『賭博者』を執筆した家
ドストエフスキーが長編小説『罪と罰』と『賭博者』を執筆したペテルブルグ、グラジュダンスカヤ通り19番の家。
この家で速記者のアンナ・スニートキナと知り合う。彼女はドストエフスキーの『賭博者』の執筆を助け、後に妻となりました。
ドストエフスキー文学記念博物館所蔵
オムスクでのF.M.ドストエフスキー
ドストエフスキーは1849年に死刑を宣告されたことがあり、刑執行直前に仕組まれた減刑によってシベリア流刑となりました。
これによりドストエフスキーはオムスクに流刑され、1854年まで過ごしました。
これは、その家を撮影した写真の複製です。
ドストエフスキー文学記念博物館所蔵
F.M.ドストエフスキーが住んだ家の外観
ドストエフスキー文学記念博物館所蔵
ドストエフスキーの遺体の出棺風景
埋葬地であるアレクサンドル・ネフスキー大修道院に向かう葬列。
1881年2月1日、同修道院で厳かに葬儀が行われました。
現在もなお、ドストエフスキーは妻アンナとともに同修道院に眠っています。
ドストエフスキー文学記念博物館所蔵
エカテリーナ運河(現グリボエードフ運河)からのぞむセンナヤ広場の生神女就寝教会
『罪と罰』の主人公ロジオン・ラスコーリニコフはセンナヤ広場を訪れています。センナヤ広場で跪き、広場に接吻をしてから、警察に罪を告白しに行くシーンは『罪と罰』においても重要な場面といえます。
1955年にモルチャノフV.Sによって撮影されました。
ドストエフスキー文学記念博物館所蔵
19世紀当時のセンナヤ広場と生神女就寝教会
ドストエフスキー文学記念博物館所蔵
至聖三者大聖堂
1867年2月15日この聖堂でドストエフスキーは二番目の妻アンナ・グリゴーリエヴナと結婚しました。
ドストエフスキー文学記念博物館所蔵
センナヤ広場の営倉
皇帝に対する批判を雑誌『市民』に掲載し、出版規則違反で逮捕されたドストエフスキーは営倉で二日間過ごしました。
ドストエフスキー文学記念博物館所蔵
エカテリーナ運河(現グリボエードフ運河)
グリボエードフ運河川岸通り118番。
この川岸通りを『罪と罰』の登場人物たちが歩く場面が描かれています。
1955年にモルチャノフV.Sによって撮影されました。
ドストエフスキー文学記念博物館所蔵
カズナチェイスカヤ通りの家の中庭
1955年にモルチャノフV.Sによって撮影されたドストエフスキーが住んでいた家の中庭の写真。
ドストエフスキー文学記念博物館所蔵
『罪と罰』の作品世界
ラスコーリニコフが訪れたとされる場所。
ドストエフスキー文学記念博物館所蔵
『罪と罰』の作品世界
ラスコーリニコフが訪れたとされる場所。
現代に残る『罪と罰』の舞台
The model location for Crime and Punishment
ラスコーリニコフが歩いていたとされる跡地
ソーニャが暮らしたとされる家の中庭
老婆アリョーナの家
老婆アリョーナが暮らしたとされる家の中庭
老婆アリョーナの家の階段
夢想者との散歩
サンクトペテルブルクの現在の光景
Current scene in St. Petersburg
ドストエフスキーが暮らした家
ここで長男フョードルが生まれました。
カラマーゾフの兄弟を執筆した家
現在はドストエフスキー文学記念博物館となっています。
ドストエフスキー文学記念博物館
クズネチニ・ペレウロク通りとドストエフスコヴォ通りの交差点。
ドストエフスキーの墓
サンクトペテルブルクのアレクサンドル・ネフスキー大修道院内にあるチフヴィン墓地にあります。
エルミタージュ美術館
1864年に一般公開されるようになったロシアの国立美術館。
マリンスキー劇場
1783年に開設されたオペラとバレエ専用の劇場。
サンクトペテルブルク国立文化大学
『罪と罰』の主人公ロジオンは、この大学の法学部に在籍していたとされています。
聖ニコラス海軍大聖堂
船乗りの守護聖者である聖ニコライにちなんで名付けられた大聖堂。
ロシア帝国軍旧参謀本部アーチ(凱旋門)
カザン聖堂
ロシア正教会の大聖堂。
センナヤ広場
センナヤ広場
センナヤ広場(営倉跡地)
エカテリーナ運河(現:グリボエードフ運河)
エカテリーナ運河(現:グリボエードフ運河)
コクーシュキン橋周辺
コクーシュキン橋周辺
ネヴァ川とペトロパヴロフスク要塞
1703年にピョートル1世の命令によって建設されました。